作成:2015/7
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 鎌倉市 KK-07
写真1
鎌倉国宝館周辺 鳥居の右側に国宝館がある
鳥居をくぐった参道の先は源頼朝公、実朝公が祀られている白幡神社がある
写真2 国宝館
写真3
国宝館に向かって右側の植込み中に源実朝の歌碑がある
鎌倉国宝館は鶴岡八幡宮の境内にあります。
< 鎌倉市 ホームページ 鎌倉国宝館について > より抜粋
鎌倉国宝館は昭和3年4月3日に開館した歴史・美術の博物館で、鎌倉市域、近隣の社寺に伝来する彫刻・絵画・工芸・書跡・古文書・考古資料などさまざまな文化財のうち、代表的な作品の多くが寄託され、保管・展示をしています。
鎌倉国宝館は、大正12年の関東大震災による被害を契機に設立が計画されました。この大震災では、鎌倉でも多くの歴史ある社寺が倒壊し、貴重な文化財を損失しましたが、こうした不時の災害から由緒ある文化遺産を保護し、あわせて鎌倉を訪れる方々がこれらの文化財を容易に拝観、見学できるよう一堂に展示する施設として企画されました。 設立に際しては趣旨に賛同した「鎌倉同人会」をはじめ、多くの人々から多額の寄付が寄せられ、昭和3年に多数の文化財の寄託を受け開館しました。
< 鎌倉震災誌 鎌倉町役場 昭和5年 p99-100 >
被害の最も甚大であったのは、八幡宮、建長寺、円覚寺、高徳院(大仏)、宝戒寺、極楽寺等で、名所旧跡としては、稲村ヶ崎、衣張山の崩壊*、八幡宮大門、若宮大路の松並木の一部の焼失等である。尚、被害別件数を挙げれば、神社に於いて社殿全潰10棟、半潰4棟、付属建物の全潰15棟、半潰10棟、寺院に於いて堂宇の全潰28棟、半潰25棟、付属建物の全潰82棟、半潰58棟で、その状況は左の如くである。……
(旧字体を新字体に変更、送り仮名を一部変更、漢数字をアラビア数字に変更、*崩解を崩壊に変更、原典は縦書き)
関東大震災では上記の資料で分かるように多くの社寺が被害を受けました。国宝館は残された文化財の管理・保存に資するために建設されたようです。
写真4
同上 写真右の案内板に歌碑の説明がある
写真5
源実朝の歌碑 関東大震災で倒れた二ノ鳥居が使われている
写真6 文学碑案内板
撮影:2015/6
歌碑は国宝館の前庭南隅にあって、設置位置としては国宝館に所属した歌碑であるかのようですが、後に建立設置されたものです。歌碑の石材としては関東大震災で倒壊した鶴岡八幡宮の二ノ鳥居が使用されています。
< 文学案内板 鶴岡八幡宮 > より抜粋
源実朝歌碑
山はさけうみはあせなむ世なりとも
君にふた心わがあらめやも
昭和十七年 鎌倉文化連盟建立
正面に見えるのが、関東大震災で倒れた二の鳥居による歌碑。この歌碑は、当初鎌倉ペンクラブにより計画された。のち、鎌倉文化連盟結成とともに、連盟各部の共同事業として社団法人・鎌倉同人会の賛同も得、建立された。
- 鎌倉市教育委員会
- 鎌倉文学館