関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 茅ヶ崎市 CS-01
写真1 案内板
写真2 保存池全景
写真3 保存池の状況
写真4 橋脚の保存状況
撮影:2002/9
写真5 橋脚が浮上した当時の状況
案内板の内容
史跡
旧相模川橋脚
大正十五年十月二十日 文部省指定
小出川に沿う一帯は永らく水田であったが、大正十二年(一九二三年)九月および十三年一月の大地震*によって、七本の橋脚が地上に出て来た。その後、地下に埋もれたもの三本が発見された。
相模川は鎌倉時代にはこの辺をながれていたが、川すじの変化によって、西方に移ったもので橋脚は土中に埋まったまま七百年をへて再び地上に露出したものである。
橋の幅はすくなくとも七米(四間)くらいと推定され、全国でも数少ない大橋であったと考えられている。昭和四六年三月十五日
神奈川県教育委員会
*13年1月の大地震 丹沢山塊を震源とするマグニチュードM=7.3の地震で、関東大地震の余震です。神奈川県中南部で被害が著しく、19名の死者が出ました。(参考:国立天文台編 理科年表)
史跡指定に加え、平成25(2013)年には国の天然記念物に指定されました。
保存池には、木杭に巻きつけた青シート、送水用のパイプ、プラスチック容器などがみえています。この史跡の保存整備事業に伴い、平成十三年発掘調査が実施されました。現在は、本格的な保存整備が始まるまでの間、木杭の劣化を防ぐためとして、散水装置による散水や周りを土のうで保護するなどの応急対策がとられています。タイヤを重ねたように見えるものは、保護用のプラスチック容器であり、中のブロック状のものが木杭です。木杭は布で被われているので、直接見ることはできません。 整備前の仮の姿であるので止むを得ません。
茅ヶ崎市教育委員会 国指定史跡 旧相模川橋脚 史跡整備に伴う確認調査概要報告書 2002によれば、平成13年の発掘調査では、次のようなことが明らかになりました。
なお、木杭の設置年代は、遺物や遺構などの検討からは特定することが困難であり、他分野からの年代検討が必要であるとされています。したがって、木杭が鎌倉時代のものであるとの結論は現調査段階では得られていません。
埋もれていた木杭の比重は水よりも重く水に浮かないと想像されますが、液状化した土砂混じりの水の比重は2倍近くになるので、通常では浮かない木杭が浮き出てきたものと思われます。
写真5は説明看板設置後の橋脚[1925(大正14)年頃]と題する写真で、『茅ヶ崎市教育委員会 国指定史跡 旧相模川橋脚 史跡整備に伴う確認調査概要報告書 2002』より転写しました。田んぼに木杭が出現したという当時の様子や周辺環境がよくわかります。