関東大震災の跡と痕を訪ねて

番号 : 海老名市 EB-02

海老名市 --- 諏訪神社の大震災記念碑(倒壊鳥居など) ---

  • 所在地:神奈川県海老名市中新田二丁目19-14
  • 碑銘:大正十二年九月一日大震災記念
  • 形態:倒壊鳥居等を使用した大震災記念モニュメント
  • 建立年月日:大正14年(境内の案内板より)
  • 交通:小田急小田原線、JR相模線「厚木」より約9分(行程約600m)
写真1 諏訪神社の参道 鳥居の奥に社殿が見える

写真1

諏訪神社の参道 鳥居の奥に社殿が見える


写真2 社殿に向かって左側に大震災記念碑がある

写真2

社殿に向かって左側に大震災記念碑がある


写真3 大震災記念碑はフェンスで囲まれている

写真3

大震災記念碑はフェンスで囲まれている 正面の石柱(鳥居)に「大正十二年九月一日大震災記念」と刻まれている


一対の狛犬や鳥居の石柱、笠木などが組み合わされている

写真4

一対の狛犬や鳥居の石柱、笠木などが組み合わされている


写真5 石柱には「大正十二年九月一日関東大震災で倒壊した鳥居の礎石」とある

写真5

現在の鳥居の前方に円形にくり抜かれた礎石がある その脇の石柱には「大正十二年九月一日関東大震災で倒壊した鳥居の礎石」とある

撮影:2015/7

諏訪神社

< 境内の案内板より抜粋 >

お諏訪様




諏訪神社(すわじんじゃ)は、建御名方命(たけみなかたのみこと)をご祭神とし、海老名市中新田1549番地に鎮座する。古来、中新田の地域及び住民を守護する産土神社(うぶすなじんじゃ)である。人々はお諏訪様と尊称する。

後略

御由緒

創建

大化の改新の後、海老名耕地の中央部の悔恨によって、中新田の地域は誕生しました。その地名は、大縄崎村から中新田村へと変遷した。この地域の草創の頃、住民は、農業の安全と繁栄を祈り、諏訪大明神の神霊を勧請し、諏訪神社をご創建した。

中略

明治から大正へ

明治元年(1868)の神仏分離令により、諏訪神社は東興寺と分離し、明治6年(1873)11月、村社に列せられた。明治15年(1882)、社殿を再建し、明治43年(1910)、その設備を完成した。

大正4年(1915)9月、神饌幣帛料供進社に指定された。大正12年(1923)の関東大震災により社殿を始め悉く倒壊したが、翌年には、社殿と鳥居が再建された。

後略

大震災記念碑

大震記念碑の碑文

正面 背面

大震災記念碑の背面に刻まれている建立年月は、旧鳥居の建立年月であり、大正2年に建立された鳥居が10年後の関東大震災(大正12年)で倒壊したことを意味しています。

上記の境内の案内板によると、関東大震災で倒壊した鳥居はその翌年に再建したとありますが、現在の鳥居は昭和41年に建立されています。大正13年~昭和41年までの鳥居はどうなったのでしょうか。