関東大震災の跡と痕を訪ねて

番号 : 平塚市 HT-01

平塚市 --- 馬入川の陸軍架橋記念碑 ---

  • 対象:陸軍架橋記念碑
  • 所在地:神奈川県平塚市馬入本町 下り車線側道(歩道)
  • 交通:「JR平塚」駅から徒歩27分(行程約1.7km)
記念碑周辺の状況

写真1 記念碑周辺の状況

陸軍架橋記念碑とその説明板

写真2 陸軍架橋記念碑とその説明板

現在の馬入橋

写真3 現在の馬入橋

撮影:2015/2

井筒の変形

工事中の井筒(ケーソン)の被害状況(大正十二年関東大地震震害調査報告 復興局より)
写真の右側に見える橋が、陸軍工兵隊によって架設された橋、あるいは補修した橋であろうか。

馬入川(ばにゅうがわ)は相模川に架かる国道1号線(東海道、平塚市)の橋であり、相模川河口から2km弱の距離にあります。

江戸時代は主要河川に橋を架けることが禁止され、東海道の馬入川も船渡しでした。明治になって、木桁橋が架設されたのが馬入橋のはじまりです。関東大震災の前年から架け替え工事が行われており、橋台や橋脚などの基礎工事中に関東地震に遭遇しました。

陸軍架橋記念碑は相模川右岸、馬入橋の下り車線側道(歩道)にあり、由来や碑文は併設されている説明板に記されています。

下に資料を示します。

<資料1 大正十二年関東大地震震害調査報告 復興局 昭和2年>

……陸軍は主に各地の応急修理に活動し殊に各師団の工兵は六郷、馬入、酒匂、相模の主要橋を始め各橋梁の応急架設に昼夜晴雨を論ぜず活動しその材料は旧橋材を可成り利用し或いは震災に依り上流山岳の崩壊とその後の降雨増水に依り流材夥しきを以ってこれを蒐集製材し一面相模川上流より筏を利用して材料を供給するが如き方法を採れり……
(第三巻 道路の部 第三章 P66より 旧字体や 旧字体や送りかなを改めた)

……当時両岸の橋梁及び左岸寄橋脚6基を完成し橋脚基礎の井筒も42本据え付けその一部は既に沈下工事を了りたりしが大震に因りこれ等の工事に多大の損害を被りたり。右岸橋台は28.3尺、底幅12尺、上幅8尺のコンクリート工にして杭打基礎上に築かれたるものなるが著しく川方に傾きその傾斜は12度に達せり。……
(第三巻 第一編橋梁 P33より 旧字体や音訳表記、送りかなや句読点を改めた)

<資料2 西坂勝人 神奈川県下の大震火災と警察 昭和2年

この資料によると、神奈川県には工兵第五大隊の一部、工兵第十一大隊の一部、工兵第十二大隊、工兵第十三大隊、工兵第十四大隊、工兵十五大隊、工兵第十六大隊、工兵十七大隊、工兵十八大隊、鉄道第二連隊が派遣され、被害を受けて交通遮断した多くの橋が架設されました。

  • 主な架設橋を長い順に挙げると
  • 馬入橋(340間*:約619m 相模川 平塚市 *当資料によると340間となっているが碑文(説明板)に刻まれている全長450mとは異なる。340間は240間(約437m)の誤りである可能性が大きい。)
  • 酒匂橋(240間:約437m 酒匂川 小田原市)
  • 飯泉橋(190間:346m 酒匂川 小田原市)
  • 十文字橋(141間:257m 酒匂川 足柄上郡松田町)
  • 六郷橋(58間:106m 多摩川 川崎市)
  • などがあります。

 ⇒ 碑文を見る




説明板

写真4 陸軍架橋記念碑に併設されている説明板(写真2参照)の拡大