関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 平塚市 HT-02
写真1 長楽寺 本堂
写真2 三界萬霊塔および石碑群
写真3 大震災殃死者供養塔
写真4 大震災殃死者供養塔
写真5 向かって右側面の碑文
長楽寺の縁起 境内の説明板より
海詠山 ――――― 縁起
海詠山長楽寺は、高野山真言宗の寺院であります。江戸時代後期に編纂された「新編相模国風土記稿」によれば、長楽寺は紀伊国(和歌山県)高野山の直末寺であり、薬師瑠璃光如来を本尊とし真言宗寺院として大いに栄え、十三ヶ寺の末寺を配し三島神社の別当も務めたとされます。
また、関東壇林の一つとして教学で盛んな一大教場をなしたとされる相模国の古刹であります。かって、真言密教の開祖弘法大師空海が関東、東北地方へ巡錫の旅に出られた際、伊豆国修善寺より船で相模川の下流地、須賀湊に上陸され現在の長楽寺の地に最初に滞在されたとの史記もあります。
開山は文治元年(1185)頃、僧鎮海が草庵を建て海詠庵と称し住居したことに始まり、その後、建保三年(1216)に、僧朝秀が中興し庵号を海詠山としました。それより約八百年間、栄枯盛衰の年月を経て様々な出来事も多々あったと思われますが、昭和二十年の太平洋戦争による戦災で、塔堂伽藍を焼失したことが悔やまれ、現在では、かつての面影はほとんど残されていません。境内には戦災を逃れた地蔵堂や貴重な石仏や石塔が残されています。
正面の本堂や庫裏は、平成二十年より進められた、長楽寺平成の大復興計画の一環で、六十七年ぶりに建立されました。本堂の須弥壇には、薬師瑠璃光如来を本尊とし、脇侍に日光、月光菩薩と、それを守護する薬師十二神将が奉安されています。
◇宗派 高野山真言宗
◇山寺号 海詠山 無動院 長楽寺
・相模薬師第十一番霊場
~湘南ひらつか薬師~
・平塚七福神(寿老人)
◇本尊 薬師瑠璃光如来
大震災殃死者供養塔の塔身向かって右側には碑文があり、そこには
等が記されています。
*当村 当時の中郡須馬(すば)村 後に須馬町となり、平塚市に編入して町名は廃止となる。