関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 寒川町 AK-03
写真1
道路側より北部文化福祉会館を望む
写真2 旭学校発祥の碑
写真3
大震災記念碑 道路に向けて建てられている
写真4 同上
撮影:2015/4
寒川町ホームページには北部文化福祉会館の目的について次のように書かれています。
北部文化福祉会館は、公民館と老人福祉センターとの複合施設で、教育文化活動の学習の場として、また高齢者の健康増進、生きがいの創造の場として広く町民の教育文化の向上、増進に資することを目的に設置された二つの機能を持つ施設です。
北部福祉会館の敷地には大震災記念碑が建っていますが、当時この敷地に旭学校がありました。旭学校は寒川小学校を本校とする旭仮教場に相当します。寒川町史7 通史編によると、旭仮教場の校舎は全部倒壊し、「職員室を応急修理し、校舎はバラックづくりで対応した。」とあります。
< 「旭学校発祥の地」の石碑より 写真2参照>
明治10年(1877年)
宮山にあった咸章(かんしょう)学舎
中倉見にあった徳彊(とくきょう)学舎を
両村の合議により合併し
この地宮山村字朝日に
旭学校として創立現在の旭小学校の前身
であり北部教育発祥の
地である北部文化福祉会館竣工により
昭和57年1月 建之
(この石碑は縦書きです 漢数字をアラビア数字に変更)
大震災記念碑はレンガ風に飾られた土留壁から顔を出すように、道路に向かって建てられています。碑の背面には「旭町内中」とあり、旧宮山村の旭町(30戸)の地区民によって建てられた石碑です。大工さんへの感謝が刻まれており、碑文としては珍しいものです。
碑文には、
旭町の戸数30戸のうち、焼失3戸、全壊26戸、半壊1戸で、被害のない家屋はなったこと、
死者1名、負傷者3名を出したこと、
このような状況下で、大工の谷澤長蔵氏父子が家屋の復旧という困難な作業に奮闘努力し、1年を待たずして町民は全員安心して住む場所を得たこと、
町民は谷澤長蔵氏父子に感謝し、このことを石に刻んで後世に伝えることにしたこと
などが記されています。