関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 寒川町 AK-04
写真1
八幡大神神社の一の鳥居から参道・本殿を望む
写真2 二の鳥居周辺と八幡大神神社社殿
写真3
鳥居をくぐると左側に同一台座上に2つの石碑がある
右側が大震災紀念碑で、左側は大正4年の玉垣建造碑
写真4 大震災紀念碑
撮影:2015/4
< 案内板より抜粋 >
碑文には、
などが記されています。
< 死亡率について >
記念碑には総戸数・全壊戸数・半壊戸数・死亡者数など、被災状況を示す数値が記載されています。当時の寒川村一之宮では18名という多くの犠牲者が発生していますが、これがどの程度の死亡率になるか試算してみると、
死亡率(%)=一の宮の死亡者数/一之宮の人口×100 ですが、
一之宮の人口を一之宮の総戸数×高座郡の世帯平均人数*として死亡率を推定すると
推定死亡率(%)=18/(176×5.7)×100=1.8
となり、100人の内、2人弱が死亡した計算になります。
死亡者数18名、推定死亡率1.8%、全壊率93%より、死者のほとんどは圧死者と考えられ、多くの圧死者が出たことは全壊率が大きかったことに原因があると思われます。それでも、火災が発生しなかったことは幸運でした。
なお、寒川村の死者数は出典により異なり、倉見神社、一之宮の八幡大神神社、北部福祉会館の3つの記念碑に記述されている死亡者だけでも合計31人になります。
< 資料より >
広田富治 郷土の石碑 平成3年 連載32 によると、大震災紀念碑は金比羅宮の脇に建っていたが、昭和46年に現在地に移されたとある。
*高座郡の世帯平均人数
諸井孝文,武村雅之 関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定 日本地震工学会論文集 第4巻 第4号 2004の付表のデータを使用