関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 東京 T-23
写真1 石碑 防火守護地
防火守護地の碑文には次のように刻まれています。
この付近一帯は大正十二年九月一日関東大震災のときに町の人が一致協力して努めたので出火をまぬがれました その町名は次の通りであります
佐久間町二丁目三丁目四丁目 平河町 練塀町 和泉町 東神田 佐久間町一丁目の一部 松永町の一部 御徒町一丁目の一部
昭和四三年四月二四日 佐久間小学校 地元有志 秋葉原東部連合町
写真2 和泉小学校周辺
商業用ビルが建ち並ぶ一画に現在の和泉小学校があり、その傍らに「防火守護地」の石碑があります。写真2の右側の木立は和泉公園です。
被害の激しかった下町地区の中で、ぽっかりと島のように白く浮かび上がる地域がある。一日午後四時ごろ、南風に煽られて神田方面から燃えてきた火は神田川南岸に及び、佐久間町一帯にも盛んに火の粉を振りまいた。この時町内の人々は結束して、避難よりも延焼を防ぐ努力を優先した。続いて夜八時ごろ、秋葉原駅方面から襲ってくる火に対してもひるむことなく消火活動を続け、二日午前一時ごろには火をくい止めた。更に二日午前朝八時には蔵前方面から猛火で延焼の恐れが出てきたが、長時間にわたる必死の消火活動の末、午後六時ごろまでに完全に消し止めた。実に丸一日以上に及ぶ町内の人々の努力が実り、この町を火災から守ったのであった。(新編 千代田区史、通史編 平成10年より一部省略抜粋)
図1 9月2日午前9時の焼失範囲
震災予防調査会報告 第百号 戊 「大地震ニヨル東京火災調査報告 中村清二 1925」(着色編集)
図1の赤の領域は、九月二日午前九時(地震発生より21時間後)時点の焼失地域です。神田和泉町・佐久間町は黒〇で囲った空白部であり、この時点では、神田和泉町・佐久間町より北の方向は焼けずに残っています。その後、当日の内に火が廻りますが、神田和泉町・佐久間町だけは焼失を免れ、「ぽっかりと島のように白く浮かび上がる」ことになります。