関東大震災の跡と痕を訪ねて

番号 : 東京 T-21

中央区月島の月島橋際 --- 大震火災横死追悼之塔 ---

  • 所在地:東京都中央区月島四丁目21 月島橋際
  • 碑銘:大震火災横死者追悼之塔
  • 形状など:石板 台座および香炉など
  • 交通:地下鉄都営大江戸線の「かちどき」下車2分程度
新亀島橋および石碑全景

写真1 大震火災横死者追悼之塔

碑の台座正面には発起人として13名の氏名が刻まれています。
台座背面には何かが刻まれていた可能性がありますが表面の剥離状態が激しく何も読み取ることができません。建立年月や由来は不明です。

震災火災遭難者追悼碑

写真2 月島橋より東京湾方向を望む

運河には多数の屋形船が係留されている

2009/9撮影

「大震災ニヨル東京火災調査報告 中村清二」の第三編飛ビ火の項には、月島に関する次のような記載があります。

飛火ニヨル延焼ノ恐ロシイ例ハ第四十四号の火元京橋区八官町ノ火ガ先ヅ尾張町ヲ襲ヒ川ヲ越シテ木挽町ヲ侵シ、更ニ飛火、飛火ト川ヲ越シテ築地ニ入リ、明石町、南本郷町、海軍造兵敞ト扇形ヲ為シテ火陣ヲ拡ゲ九月1日午後九時ニ隅田川ヲ一躍シテ月島ヲ焼盡クシタモノデアル。




震災火災遭難者追悼碑

図1

帝都大震火災系統地図(大正12年12月発行)の部分 文字など記入

帝都大震火災系統地図には築地側からの飛び火は6箇所であったことが赤の矢印で示されていますが、この周辺の水路(隅田川の延長部)は佃島の最も狭いところでも170m程度、月島周辺では250m程度あります。驚くような飛距離です。

飛び火による月島の火災は当日中に北東部の現在の佃1丁目付近および月島の西側の一部(図1の色が薄い領域)を除いて全域に拡大しました。