作成:2002/3 更新:2015/12

関東大震災の跡と痕を訪ねて

番号 : 東京 T-01_7

墨田区の横網町公園(旧陸軍被服廠跡地その7)内
--- 復興記念館 ---

  • 所在地:東京都墨田区横網二丁目 横網町公園
  • 対象:復興記念館
  • 竣工:昭和6年4月
  • 交通:JR総武線「両国」より徒歩約14(行程900m)
  • 地下鉄都営大江戸線「両国」徒歩約4分(行程250m)
  • 都営地下鉄「蔵前」より徒歩約15分(行程1000m)
写真1 復興記念館

写真1

復興記念館

撮影:2005/3

復興記念館 正面

写真2 復興記念館 正面

撮影:2006/9

復興記念館 野外展示物

写真3

復興記念館 屋外展示物

釘の熔塊(説明プレートより)

深川区(現在の江東区)平久町花島倉庫に保管されていた鉄釘2万樽が、猛火による高熱のため溶解して、ひとつのかたまりとなったものの一部である。

撮影:2013/9

復興記念館の由来*1

震災記念品は当初震災記念堂(現東京都慰霊堂)に展示する予定でしたが、昭和4年秋に開催された帝都復興展覧会の資料も加わり、資料が膨大であることから予定を変更して「復興記念館」を建設することになりました。

震災記念堂の竣工した昭和5年9月に復興記念館の工事に着手し翌年4月に完成し、同年8月から一般公開されました。

震災から復興記念館の完成まで(復興計画・事業の推移)

  • 大正12(1923)年9月1日 関東地震の発生(関東大震災)
  • 大正12(1923)年9月2日 第二次山本権兵衛内閣が成立。都市計画推進派の後藤新平が内務大臣として就任。
  • 大正12(1923)年9月3日 後藤新平が閣議に「帝都復興の議」を提出。
  • 大正12(1923)年9月7日 内務省で復興計画の立案を開始。
  • 大正12(1923)年9月27日 帝都復興院を設置。後藤新平が帝都復興院総裁を兼務。
  • 大正12(1923)年12月 原案を縮小し、修正案で復興計画が確定。
  • 大正13(1924)年2月 帝都復興院が廃止され、内務省の外局である復興局に縮小。
  • 大正13(1924)年3月 内閣より区画整理が認可され、施工地区が告示される。
  • 幹線道路の事業主体は国であるが、区画整理の事業主体は東京市(一部が国)となる。復興事業全体は復興局が一元的に管理。震災時およびこの時の東京市長は永田秀次郎。
  • 大正13~昭和5(1924~1930年) 帝都復興事業の実施
  • 昭和4(1929)年10月 日比谷公園で帝都復興展覧会を開催。
  • 昭和5(1930)年3月 帝都復興完成記念(天皇の視察) 帝都復興完成祝賀会
  • 昭和5(1930)年9月 震災記念堂(現東京都慰霊堂)竣工
  • 昭和6(1931)年4月 復興記念館竣工



参考資料

*1 復興記念館の由来 復興記念館内説明資料

越澤明 復興計画 幕末・明治の大火から阪神・淡路大震災まで 中公新書 2005