作成:2015/8 更新:2015/12

関東大震災の跡と痕を訪ねて

番号 : 横浜 Y-37_3

今に残る震災復興橋(その3) --- 吉野橋、西之橋、谷戸橋(中村川~堀川) ---

  • 震災復興橋所在地:横浜市南区~中区
  • 対象河川名:中村川~堀川
  • 残存震災復興橋:吉野橋(よしのばし)、西之橋(にしのはし)、谷戸橋(やとばし)
  • 残存率*:3/17 17%

残存率*とは架け替えられず、撤去されずに残っている震災復興橋の割合である。補修などがなされても残存しているとしている。

写真1 中村川の大岡川からの分岐点附近 左が大岡川で右が中村川

写真1

中村川の大岡川からの分岐点附近で下流方向を望む 左が大岡川で右が中村川


写真2 )

写真2

時田公園の中村川に面する箇所の「ふれあいアクアパーク」

カヌースクールが開催されていた

2015/9撮影


中村川~堀川に架かる震災復興橋

大岡川の分岐点から始まる中村川には下流部の堀川を含めて、震災復興橋が17橋(資料*1)ありましたが、現在、ほぼ当時のまま残されているのは3橋です。

中村川の震災復興橋を上流側より順に挙げると次のようになります。

  • 葭谷橋(肘木式板桁橋) 昭和59年3月 架け替え
  • ・吉野橋(鋼板桁橋) 大正15年10月竣功の震災復興橋 昭和61年7月改修
  • 共進橋(I形鋼桁橋) 昭和57年9月 架け替え
  • 日枝橋(鋼板桁橋) 昭和59年9月 架け替え
  • 睦橋(I形鋼桁橋) 昭和62年10月 架け替え
  • 池下橋(鋼アーチ橋) 平成3年 架け替え 
  • 久良岐橋(鋼構桁橋) 昭和63年11月 架け替え
  • 道場橋(I形鋼桁橋) 昭和63年7月 架け替え
  • 三吉橋(I形鋼桁橋) 昭和63年9月 架け替え
  • 東橋(I形鋼桁橋) 昭和63年8月 架け替え
  • 車橋(I形鋼桁橋) 昭和64年1月 架け替え
  • 翁橋(鋼構桁橋 古材使用) 昭和62年7月 架け替え
  • 亀之橋 昭和62年9月 架け替え
  • ・西之橋(板アーチ橋) 大正15年11月竣功の震災復興橋
  • 前田橋(肘木式鋼板桁橋) 昭和58年8月 架け替え
  • ・谷戸橋(鋼アーチ桁橋) 昭和2年7月竣功の震災復興橋
  • 山下橋(鋼構桁橋 修繕) 昭和36年 架け替え

( ・印付太字で示した橋梁は今なお使用されている震災復興橋。( )内は震災復興橋の橋種。当時の震災復興橋は葭谷橋、吉野橋、西之橋が復興局施工で、その他は横浜市施工。 竣工年月等は橋名板による )


(参考)土木学会の選奨土木遺産

1923年の関東大震災後に整備され、現在横浜市で管理している山手隧道、櫻道橋、西の橋、谷戸橋、打越橋が、「元町・山手地区の震災復興施設群」として、平成27年度の土木学会の選奨土木遺産に認定されました。(横浜市記者発表資料より)




写真3 中村川に架かる吉野橋(左岸下流側) 親柱の橋名板には「吉野橋」とある 高架は高速神奈川3号狩場線

写真3

中村川に架かる吉野橋(左岸下流側) 親柱の橋名板には「吉野橋」とある 高架は高速神奈川3号狩場線

写真4 吉野橋(右岸下流側) 親柱には「大正十五年十月竣工」の銘がある

写真4

吉野橋(右岸下流側) 親柱には「大正十五年十月竣工」の銘がある

写真5 吉野橋を下流側より望む

写真5

吉野橋を下流側より望む

写真6 親柱に設置されている石板 「吉野橋改修に寄せて」

写真6

親柱に設置されている石板 「吉野橋改修に寄せて」

2015/8撮影

吉野橋(よしのばし)

橋種:鋼板桁橋⇒桁橋(プレートガーダー)

(注)「⇒」の左側は竣功当時の橋種で資料*1による。右側は現在の表現に書き直し。 以下、同様。

竣功:大正15年10月

位置:横浜市南区吉野町-宮元町

その他:かながわの橋100選

写真3~写真6


新設および既存道路の拡張による復興道路幹線第3号が中村川をまたぐのが吉野橋です。吉野橋は国施工の震災復興橋で、橋幅は歩道を含めて22mです。この道路の西南方向は鎌倉街道(神奈川県道21号)で鎌倉に向かい、北東方向に進むと、市街地を縦断して関内大通りへと続きます。

吉野橋の名称について

最初「新葭谷橋」とする予定でしたが、復興局より他の橋名と共に再照会があり、この付近に大きな堰があったので市は「元堰橋」という名を回答しました。一旦は「元堰橋」とすることで決定されましたが、その後、町名変更に伴い付近の住民から、町名と一致する「吉野橋」にしてほしいとの陳情が復興局に出され、復興局より市の意見が求められました。市は「吉野橋」とするのが適当としてその旨回答し、「吉野橋」に決定されました。

吉野橋の改修

左岸上流側(吉野町交番側)の親柱の側面には、改修状況が「吉野橋改修に寄せて」と題した石板に記されており、橋名板や照明設備(塔柱照明)が整えられました。親柱はごま塩状の白色の花崗岩であり、これに真新しい淡褐色の花崗岩の橋名板が埋め込まれています。

吉野橋改修に寄せて

親柱の「吉野橋改修に寄せて」碑文(写真6参照)





写真7 中村川の右岸より西之橋を望む

写真7

中村川の右岸より西之橋を望む

高架橋は高速神奈川3号狩場線で、奥の高架橋は石川町ジャンクション


写真8 西之橋の親柱(左岸上流側) 前方が中村川の下流側

写真8

西之橋の親柱(左岸上流側) 前方が中村川の下流側

親柱側面には「大正十五年十一月 復興局建造」の銘がある


写真9 上流側より西之橋を望む

写真9

上流側より西之橋を望む

2015/9撮影

西之橋(にしのはし)

橋種:板拱橋⇒鋼アーチ橋

竣功:大正15年11月

位置:横浜市中区山下町-元町・石川町

その他:横浜市認定歴史的建造物 土木学会の選奨土木遺産 かながわの橋100選

写真7~写真9


新設および既存道路の拡張による復興道路幹線第4号は、大岡川の大江橋南詰から南東方向に進み、西之橋を経て本牧に至る道路であり、中村川をまたぐ橋が西之橋です。西之橋の橋幅は歩道を含めて22mです。

西之橋は震災復興橋としては珍しい鋼アーチ橋で、親柱も大きくどっしりしています。下流に位置する谷戸橋も鋼アーチ橋であり、両橋とも平成17年度に横浜市の歴史的建造物に認定されました。

明治26年にこの場所に架けられたピン結合のプラットトラス橋は、関東大震災にも生き残り、現在は人道橋の浦舟水道橋として生き続けています。この旧橋は西之橋からその上流の翁橋へ移設(昭和2年)され、その後首都高速道路の建設に伴って更に中村川を遡り、南区浦舟町~中村町を繋ぐ人道橋として架設(平成元年)されました。わが国最古のピン結合のプラットトラスト橋であり、平成12年度に横浜市の歴史的建造物に認定されました。

中村町側より浦舟水道橋を望む

中村町側より浦舟水道橋を望む

震災時、西之橋に架けられていたトラスト橋で横浜市認定歴史的建造物




写真10 右岸の元町側より谷戸橋を望む(右方向が下流)

写真10

右岸の元町側より谷戸橋を望む(右方向が下流)


写真11 左岸上流側の親柱を望む

写真11 左岸上流側の親柱を望む

写真12 下流側より谷戸橋を望む

写真12 下流側より谷戸橋を望む

2015/9撮影

谷戸橋(やとばし)

橋種:鋼拱桁⇒鋼アーチ橋

竣功:昭和2年7月(親柱の銘板より)

位置:横浜市中区山下町-元町

その他:横浜市認定歴史的建造物 土木学会の選奨土木遺産

写真10~写真12


谷戸橋は元町と山下町の間に架設された震災復興橋であり、震災復興橋としては珍しい鋼アーチ橋です。資料*1によれば、道路が川面から高い位置にあったこと、地質が良好であったことが理由でアーチ橋が選ばれました。親柱はずっしりとして落ち着きがあり、照明部の意匠がが目を引き付けます。上流に位置する西之橋も鋼アーチ橋であり、両橋とも平成17年度に横浜市の歴史的建造物に認定されました。


中村川は西之橋で終わり、西之橋より下流側は堀川と呼ばれており、谷戸橋は堀川に架かっています。

中村川から堀川へと名前が変わっている理由には興味が引かれますが、これは中村川が吉田新田の開発(埋立)に伴って形成された川であるのに対し、堀川は横浜開港の翌年の万延元年(1860)に砂州を開削して出来た川というように、造られた経緯も時代も異なることによります。開港当時は攘夷論者が力をふるった時代であり、横浜の開港場を部外者から遮断するために砂州を開削して中村川を延長させました。これによって、開港場は前面の海と三方を川で囲まれることになり、川には橋が架けられ関所がおかれました。開港場は関所の内であることから、関内と呼ばれました。




残存震災復興橋及び架け替えられた橋の親柱など

中村川及びその下流に連続する堀川に架かる震災復興橋は14橋が架け替えられ、3橋が残っています。これら、17橋梁の親柱を主体とした写真を一覧写真として上流側より順に表示します。

写真13 葭谷橋(よしやはし)

写真13 葭谷橋(よしやはし)

昭和59年3月 架け替え

写真14 吉野橋

写真14 吉野橋

大正15年10月竣功の震災復興橋

写真15 共進橋

写真15 共進橋

昭和57年9月 架け替え

写真16 日枝橋

写真16 日枝橋

昭和59年9月 架け替え

写真17 睦橋

写真17 睦橋

昭和62年10月 架け替え 架け替え

写真18 池下橋

写真18 池下橋

平成3年 架け替え

写真19 久良岐橋

写真19 久良岐橋

昭和63年11月 架け替え

写真20 道場橋

写真20 道場橋

昭和63年7月 架け替え

写真21 三吉橋

写真21 三吉橋

昭和63年9月 架け替え

写真22 東橋

写真22 東橋

昭和63年8月 架け替え

写真23 車橋

写真23 車橋

昭和64年1月 架け替え

写真24 翁橋

写真24 翁橋

昭和62年7月 架け替え

写真25 亀之橋

写真25 亀之橋

昭和62年9月 架け替え

写真26 西之橋

写真26 西之橋

大正15年11月竣功の震災復興橋

写真27 前田橋

写真27 前田橋

昭和58年8月 架け替え

写真28 谷戸橋

写真28 谷戸橋

昭和2年7月竣功の震災復興橋

写真29 山下橋

写真29 山下橋

昭和36年11月 架け替え

2015/8,9,10撮影




参考資料

資料*1 横浜復興誌 昭和7年3月 横浜市役所

復興橋梁一覧表 横浜市 建設局道路課橋梁係 作成年月日不明

横浜市都市整備局 横浜市認定歴史的建造物一覧

かながわの橋100選 神奈川県土木部道路整備課 平成4年

時事新報付録 復興局公認 東京及横濱復興地圖 大正13年4月発行 時事新報社

横浜市記者発表資料 元町・山手地区の震災復興施設群が土木学会の選奨土木遺産に認定されました 平成27年9月17日 道路局橋梁課