作成:2016/1 更新:2016/3
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横浜 Y-37_8
残存率*とは架け替えられず、撤去されずに残っている震災復興橋の割合である。補修などがなされても残存しているとしている。
写真1 暗渠となった滝の川
六角橋遊歩道(杉山大神と六角橋の小径)
写真2 暗渠となった滝の川
左は東急東横線東白楽駅のホーム北端で、滝の川の下流方向を望む
写真3
二ッ谷町の滝の川せせらぎ緑道
暗渠となった滝の川の下流方向を望む
写真4
神奈川区松本町(左側)と栗田谷の境界をなす暗渠になった反町川(滝の川支流)で、上流方向を望む
写真5
第一京浜国道に架かる滝の橋際の表示板
高架橋は首都高速神奈川1号横羽線
2015/12~2016/1撮影
滝の川の震災復興橋は支流の反町川を含めて全部で26橋ありましたが、現在もほぼ当時の状態で使用されているのは、境橋A,Bと土橋だけです。震災復興橋が減少しているのは境橋より上流側が暗渠となったことが原因ですが、暗渠にならなくとも木桁橋や木橋が多いために震災復興橋は残り難いと思われます。
滝の川の上流側より、当時の震災復興橋を順に挙げると次のようになります。
滝の川(本流)
滝の川の支流の反町川
位置不明橋梁
以下、反町川合流箇所より下流の滝の川
( ・印付太字で示した橋梁は今なお使用されている震災復興橋。*印が復興局施行で、**印が横浜市施工。( )内は橋種。 )
滝の川本流と支流の反町川を併せて滝の川としています。滝の川は水源から河口まで神奈川区に納まる全長5.3km程度の小河川です。滝の川本流は片倉を水源とし、横浜市営地下鉄ブルーライン片倉駅の南側を経て東に流れ、東急東横線東白楽駅の北側で流路を南に取り、二ッ谷の第二京浜に架かる境橋で右支川の反町川を容れ、河口付近で帷子川と合流します。
滝の川は境橋を境とし、その上流側はほとんど暗渠になっており、本流は六角橋緑の小径・滝の川せせらぎ緑道、支流は三ツ沢せせらぎ緑道・松本コミュニティ道路などと呼ばれる道路や遊歩道になっています。
震災前の滝の川は、川幅が狭く屈曲していたために大雨ごとに浸水被害が発生していました。
関東大震災によって、護岸はほとんど崩壊し、河床には土砂が堆積する状況を呈しました。震災復興事業では、スムーズな流水によって水害を防止するために、川幅を拡張し屈曲を緩やかにし、護岸は間知石(けんちいし)張りでコンクリートの練積式擁壁として改修されました。
写真6
第二京浜に架かる境橋
横断歩道の向こう側に境橋の白い高欄が見える。ここで、2方向の流れが合流する。
写真7
上流側境橋Bの親柱と高欄
滝の川は暗渠になって見えない
写真8
下流側よりガード下に見える境橋を望む
境橋で2方向の流れが合流する。これより上流では暗渠で、下流では開渠となる
2015/8撮影
資料*1によると、境橋Aと境橋Bは同じ橋種です。起工、竣功とも同じであり、工費は両橋併せて示してあり、1件の工事として施行されたようです。
橋種:I形鋼橋⇒桁橋(主桁をI形鋼としたプレートガーダー)
(注)「⇒」の左側は竣功当時の橋種で資料*1による。右側は現在の表現に書き直し。以下、同様。
竣功:昭和2年9月(親柱の銘板による) 昭和2年9月(資料*1による)
位置:横浜市神奈川区広台太田町・二ッ谷町-幸ヶ谷
写真6~写真8
境橋は路面に隠れていますが、長さは境橋Aが7.52m、境橋Bが5.03mであり、幅22mと比較して極めて短い橋です。橋というより水路に沿って蓋をしたようなイメージです。
境川の本流に架かるのが境橋A(東側)、境川の支流の反町川に架かるのが境橋B(西側)ですが、両橋は下流側で1つの橋になっています。境橋Aが架かる本流は道路を斜めに横断し、交差する道路を経て滝の川せせらぎ緑道につながります。一方、境橋Bが架かる支流(反町川)は道路を直角方向に横断し、反町公園を越えて松本コミュニティ道路へとつながります。なお、境橋より上流では両河川とも暗渠となっています。
境橋Aと境橋Bの下流側は一対の親柱を共有し、上流側は境橋Bの一対の親柱があるだけです。親柱には復興局建造の震災復興橋に普通にみられる橋名板が付いていますが、その親柱は単なる角柱の小さな装飾のない人造石で造られており、大正・昭和初期の歴史を感じません。数ある震災復興橋の親柱としては異質であり、当時の親柱かどうか疑われます。ある時期に交通の邪魔になる親柱を撤去した可能性もありそうです。
境橋は、上り右折専用車線を含めた3車線と下り2車線よりなる第二京浜が通過する橋であり、有効幅員は資料*1によると境橋A、Bともに22mです。復興道路では多くの幹線道路で有効幅員22mが採用されており、当時の幹線道路の基準となる数値のようです。現在の高規格幹線道路の車線幅員は4車線で(3.5m+3.75m)×2であり、22mあればある程度の余裕がありますが、境橋のように近くに交差点がある場合は右折専用車線3.5mを加えて18mになり、これでは中央分離帯や歩道幅が十分には確保できません。復興事業で採用された規格が現在まで引き継がれていることによって、境橋周辺は交通量の多い広い車道に対して狭い歩道ということになっています。
今まで、狭いことが理由で架け替えられた橋梁もあるように、震災復興橋のような古い橋の寿命は老朽化とともに環境変化が大きな要因になっていると思われます。
写真9 左岸(東側)より土橋を望む
写真10 土橋の親柱(左岸下流側)
写真11 下流方向から土橋を望む
2015/12撮影
橋種:板桁橋⇒桁橋(鋼板とL型鋼を主桁としたプレートガーダー橋)
竣功:昭和4年1月(親柱の銘板より)、昭和4年1月20日(資料*1による)
位置:横浜市神奈川区幸ヶ谷-神奈川本町
写真9~写真11
土橋の有効幅員は3.62mで、路側帯のペイントはなく、スクールゾーンとペイントされています。軽自動車(1.48m未満)ならすれ違えるかもしれませんが、人も車もゆずりあいになりそうです。
なお、震災復興橋の最低の幅は1.82mの木橋であり、これらの橋は残っていません。
小ぶりの割に装飾過多と思えるぐらいで、震災復興橋としては変わった意匠です。
以下、上流側より順に、改めて親柱などの写真を表示します。
写真12 六角橋跡(県道12号横浜上
麻生道路) アーケードの右側の路地
が旧滝の川で下流方向を望む
写真13 白楽橋跡(県道12号横浜上
麻生道路)東急東白楽駅前 鉄道に
沿う方向が滝の川で上流方向を望む
写真14 平尾橋を西側から望む親柱に
平尾橋とあるが震災復興橋は木桁橋で
あった 親柱は後のものかモニュメントか
写真15 二ッ谷橋を南から北(上流)
方向を望む 前方に延びるのは滝の川
せせらぎ緑道
写真16 境橋 昭和2年9月竣功の震災
復興橋 写真は上流側境川Bの親柱
で、上流側境川Aの親柱はない
写真17 慶運橋 昭和55年6月 架け替
え 道路幅に規制されているのか架け
替え後も橋の幅は狭い 親柱はない
写真18 土橋(どばし)
昭和4年1月竣功の震災復興橋 震
災復興橋としては親柱の意匠が特異
写真19 滝の橋
昭和41年3月 架け替え 第一京浜が通
る橋で、高架橋で首都高速が併走する
写真20 綿花橋
昭和32年11月 架け替え 震災復興橋
の親柱を引き継いでいるようである
写真21 幸橋
昭和53年3月 架け替え 中央卸売市
場本場(ほんじょう)青果部の出入り口
のひとつ 親柱は単なる柱状の人工石
写真22 万代橋
平成14年12月 架け替え 親柱は震災
復興橋の意匠で復元されている
2015/12撮影
参考資料
資料*1 横浜復興誌 昭和7年3月 横浜市役所
はまれぽ.com 横浜のココがキニナル! 「滝の川」の源流が水源として復活するってホント? http://hamarepo.com/story.php?story_id=2860
時事新報付録 復興局公認 東京及横濱復興地圖 大正13年4月発行 時事新報社