作成:2017/10
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横浜 Y-06
写真1 現横浜市庁舎(七代目)
建築年:昭和34(1959)年
鉄筋コンクリート造の地下1階地上8階
写真2 同上 横浜公園側の歩道より、基礎遺構方向を望む
基礎遺構は正面の市庁舎駐車場と歩道の間にある
写真3
二代目横浜市庁舎基礎遺構とその説明板
写真4
二代目横浜市庁舎基礎遺構の説明板
写真5 華麗な二代目横浜市庁舎
建築年:明治44(1922)年
煉瓦造および石造の地下1階地上3階
(写真4の説明板より)
撮影:2017/10
写真4の説明板には次のように記されています。
二代目横浜市庁舎基礎遺構
この遺構は平成25(2013)年12月、市庁舎緑化工事に伴って発見された二代目横浜市庁舎の基礎の一部です。
二代目横浜市庁舎は、本町1丁目にあった初代市庁舎が手狭になったことを受けて、明治44年(1911)年6月25日に竣工しました。外観は、煉瓦造のルネサンス様式で、全体を白い自然石(白丁場石)の帯でまいている華麗な建物でしたが、大正12(1923)年の関東大震災で被災し、焼失しました。
市制施行後の最初に造られた本格的な庁舎であり、横浜市黎明期の公共建築のひとつとして貴重な遺構と言えます。また、関東大震災の被災状況を伝える震災遺構としても貴重であると言えます。
< 資料1による >
震災前の横浜市庁舎は地上3階地下1階の広壮な煉瓦造で、市内有数の建築物でした。
地震の震動で付属物であるトイレが倒壊したものの、他には外見上目立った被害はありませんでした。時間の経過と共に各所に火の手が上がり、庁舎屋上の化粧塔へ飛び火しました。残存者の消火作業も空しく、外形を残したまま内部は悉く焼け落ちました。
< 資料2による >
市廳舎は前記の如く焼失し、僅かに形骸を留むるのみとなり、且つ大岡川*等の方面沈下し廳舎の地盤陥没し、焼殘りの壁體亦再び用に堪へざるを以て、一階床以下を殘し工兵隊に囑して爆破を行へり。
* 大岡川:市庁舎は大岡川から派生した水路である派大岡川に沿って建っていました。派大岡川はその後、一般道路や高速道路および鉄道用地などに変わりました。
< 資料2による >
市廳舎の応急處理に就ては前叙するが如きも、是等はもとより當面の急に應じたる處にして、是が永久的計畫にあらず。乃ち廳舎に対しては別に未だ設計も財源も考究する處なく、他の緊切なる諸般の復興を急務とし、廳舎の改築は他日を期したり。
上記のように、震災後は新市庁舎建設の計画もないままに経過し、本格的な現在の市庁舎が建設されたのは昭和34年でした。市庁舎と同様に被災した県庁は新しい意匠で昭和3年に再建されたのと比べると対照的でした。
< 資料2~資料5による >
横浜市の成立時から数えて、現在の庁舎(写真1、写真2)は七代目になります。
現在の七代目庁舎が建築された昭和34(1959)年当時の横浜市の人口は130万人でしたが、その55年後に当たる平成28(2016)年には370万人に達し、市の職員数や組織も増加・増大しました。これを受け、現在の市庁舎北東約750mの中区本町6丁目の地に八代目となる新市庁舎(地上32階地下2階塔屋2階、最高高さ約155m)の建設が決定され、平成32(2020)年の完成を目指して平成29(2017)年に着工されました。
新市庁舎建設地における発掘調査によると、ここでも関東大震災で倒壊した建築基礎などの遺構が出土しています。
参考資料
資料1 西坂勝人(1926)神奈川県下の大震火災と警察 496p 警友社
資料2 横浜市役所(1932)横浜復興誌 第四編
資料3 横浜市市庁舎整備審議会(1993) 横浜市庁舎の整備について(1993) 中間報告 21世紀における横浜市庁舎のあり方
資料4 横浜市総務局・建築局(2017) 横浜市新市庁舎整備パンフレット
資料5 横浜市総務局・建築局(2017) 横浜市庁舎建設タイムス 平成32年の完成を目指して着工しました! 第1号