作成:2017/10

関東大震災の跡と痕を訪ねて

番号 : 横浜 Y-08

中区元町 --- 横浜開港資料館の「玉楠」と関東大震災犠牲者銘板 ---

  • 所在地:横浜市中区日本大通り3
  • 対象:横浜開港資料館の中庭の「玉楠」と旧館(旧英国総領事館)の関東大震災犠牲者銘板
  • 交通:JR根岸線「関内」、横浜市地下鉄ブルーライン「関内」駅から徒歩約18分(行程約1.2km)
  • 横浜市地下鉄みなとみらい線「日本大通り」駅から近い(徒歩2分程度で行程約100m)
写真1 横浜開港資料館 正面側全景

写真1 横浜開港資料館 正面側全景

写真2 横浜開港資料館正面入り口

写真2 横浜開港資料館正面入り口

写真3 

写真3

「玉楠」とその説明板 幹は1本でなく幾本にも分かれている

「玉楠」の背後に旧館(旧英国総領事館)がある


写真4 「玉楠」と旧館の旧英国総領事館

写真4

「玉楠」と旧館の旧英総国領事館

旧英国総領事館は横浜市指定の文化財、経済産業省指定の近代化産業遺産

写真5 

写真5

旧館 旧英国総領事館の記念ホール(現在は見学者の休憩室としても使用されている)

写真6 記念ホールの壁に架かる関東大震災の犠牲者銘板

写真6

記念ホールの壁に架かる関東大震災の犠牲者銘板

写真7 横浜開港資料館の正面に向かって左隣は開港広場公園で、写真左のモニュメントには日米和親条約締結の地とある

写真7

横浜開港資料館の正面に向かって左隣は開港広場公園で、写真左のモニュメントには日米和親条約締結の地とある

撮影:2017/10

「玉楠」について

「玉楠」は横浜開港資料館の新館と旧館の間の中庭にあるタブノキです。関東大震災当時、ここには「玉楠」と英国総領事館がありましたが、「玉楠」は焼け、英国総領事館は全壊後に焼失しました。現在残っている旧館は震災後の昭和6(1931)年に建てられた旧英国総領事館です。


横浜の歴史を見つめた生き証人の「玉楠」

< 現地案内板より >

玉楠(たまくす)の木

中庭にある玉楠の木は、江戸時代から同地にあり、日米和親条約の締結(安政元年、1854)は、この玉楠の木の近くで行われたといわれている。この玉楠の木は、大正12年の関東大震災によって幹の部分を焼失したが、残った根から新たに芽が出て現在のものとなった。いわば横浜の歴史をみつめた生き証人ともいえる。

< 現地角柱の標識より >

横浜市地域史跡 玉楠 (日米和親条約締結の地に残るタブノキ)

昭和63年11月1日登録 横浜市教育委員会

「玉楠」の樹形

タブノキは常緑の髙木で通常は幹が1つですが、現在の「玉楠」は幹が多数に分かれて根元から立ち上がっています。

資料1によると、関東大震災およびそれ以前に描かれた絵図や写真などを比較することによって、「玉楠」には次のような樹歴が推定されるとの仮説が出されています。

  • 慶応2(1866)年の火事以前:幹が1本の大木。
  • 慶応2年の火災から関東大震災:焼失したと思われた幹の根元から芽吹いて現在の樹形と似た形に成長したが、関東大震災で再び焼失。
  • 関東大震災から現在:焼失したと思われた幹の目元から再び芽吹き、現在のような幹が多数に分かれた樹形に成長。
写真 ペリー提督横浜上陸(「玉楠」正面の案内板より)

ペリー提督横浜上陸の図と玉楠の樹形

(「玉楠」正面の案内板より)

図の右側の大木が玉楠(初代)

写真 関東大震災で焼けた2代目「玉楠」

震災時の玉楠の樹形(2代目)

(資料1より)

樹形は現在の「玉楠」に似ている


「玉楠」は慶応2年の火事と関東大震災の火災に遭遇して焼失したかに思われましたが、その都度復活し、現在の「玉楠」は三代目に相当すると考えられています。

関東大震災前の成長した「玉楠」は横浜市の名木で記念樹木として保存されていた(資料2 下記参照)とあります。「玉楠」が英国総領事館の用地にありながら、横浜市の名木で記念樹木とはどういうことでしょう。日英共に横浜開港を記念する樹木という認識があったのでしょうか。現在の「玉楠」は旧英国領事館の正面・玄関先にあります。このことは、関東大震災で焼失した「玉楠」の根元から芽生えた若木を育てようとした当時の意志を読み取ることができます。焦土の中からの復活を英国人は特別な感慨で受けとめたのでしょうか。他にも、そこはかっての水神の森であり、祠の脇の「玉楠」は神木のような存在のであったであろうと思えることから、日本人の意志も反映されているのかも知れません。

なお、慶応2年の火事とは運上書・改所・官舎など日本人街の3分の2、英一番館など居留地の4分の1を焼失した豚屋火事であり、これが契機となって広さ36mの日本大通りができました

関東大震災と英国総領事館

< 資料2より抜粋 >
この資料では「玉楠」は「焼けて枯死した」とありますが、事実は前述の通りです。

英国總領事舘(山下町)

同舘は全潰後燒失、總領事代理ダブルユー・ヘーグ、商務書記官エツチ・ホーン、書記ディー・ワーデル、同丸山昌言、同絹谷某の五名は壓死を遂げ、同時に同廳構内にあった横濱市の記念名木玉楠は焼けて枯死した。

同所は横濱開港當時駒形水神の森で、該玉楠の樹下の天幕張中にて米使ペルリ提督と、徳川幕府の井戸對馬と外交談判を為した地で、該玉楠は記念樹木として保存されてあったのである。

(記号「、」の一部を「・」に変更、改行1カ所追加)


旧館である旧英国総領事館の記念ホールに入って、右側の壁に関東大震災の犠牲者銘板が架かっています。

< 記念ホールの壁に架かる犠牲者銘板の説明板より >

関東大震災の犠牲者銘板

この銘板は、大正12年(1923)9月1日の関東大震災において、横浜のイギリス総領事館建物(地震で倒壊)で死亡したイギリス人犠牲者4名を記念して造られたものである(作成年代不明)

とあります。

銘板には上から順に、
HUGH ARCHIBALD FISHER HORNE(東京の英国大使館の商務書記官)
WILLIAM HAIGH(横浜の英国総領事代理)
DAVID WADDELL(東京の英国大使館の会計官)
JAMES PERCY LYES(横浜の英国総領事館の船積係)
の4名の名前と所属・役職があり、1923年9月1日の地震によって英国総領事館で死亡したと記されています(銘板は全て英文 写真6参照)。銘板の4名の内3名は資料2の名前と対応しているようです(上記参照)。





参考資料

資料1 岩野修(2001)資料よもやま話 歴史証人「玉楠」は三代目? 開港のひろばNumber73 横浜開港資料館館報

資料2 西坂勝人(1926)神奈川県下の大震火災と警察 496p 警友社

資料3 横浜開港資料館 施設案内とたまくすの木 旧館 http://www.kaikou.city.yokohama.jp/guide/older.html