作成:2003/6
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横浜 Y-10
写真1 横浜公園中央部附近
写真2 氷川丸と横浜公園
山下公園は北西-南東に延びた幅約100m長さ約750mの細長い公園で、関東大震災およびその復興事業によって生じた瓦礫、掘削土、浚渫土で埋め立てて造られた公園です。
伊東孝著の東京再発見(岩波新書 1993)によると、
帝都復興事業では、国が直接施工した公園が東京市内と横浜市内にそれぞれ三箇所、合計六ヵ所造られた。
とし、次の図表が示されています。これらは関東大震災後の都市計画の中で生まれた公園です。
国施工の大公園 | ||
名 称 |
面 積 |
|
東京市 | 墨田公園 錦糸公園 浜町公園 |
5万6607坪 1万6978坪 1万3403坪 |
横浜市 | 野毛山公園 山下公園 神奈川公園 |
2万6810坪 2万2462坪 4003坪 |
『帝都復興事業誌 建築編・公園編』より作表 伊東孝著 東京再発見 岩波新書 1993より |
インド水塔
写真4 石板の英文字
写真5 花柄模様の天井
2003/5撮影
山下公園の北西端に異国の雰囲気を醸しだしている小さな建造物があります。
案内板には
インド水塔
この「インド水塔」は、昭和14年12月に完工したインド式水飲場です。
これは、関東大震災で被災した在留インド人が横浜市から受けた援助に感謝して、当時の横浜インド商組合から横浜市に寄贈されたものです。
と記されています。
写真4はインド水塔の花崗岩の柱に刻まれている由緒書きです。
和訳
飲み水の泉
横浜市へ寄贈。
1923年9月1日の地震で失った
同胞を記憶にとどめるために。
インド人コミュニティ
災害で負傷した人はもちろんのこと、負傷を免れた人も災害直後には、のどの渇き、寒さ、空腹などに苦しめられます。震災でなくなった人たちの苦しみに思いを馳せ、その結果として、入り口が四方に開放され花模様に飾られた「飲み水の泉」が生まれたような気がします。