作成:2009/11
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横浜 Y-11
写真1
旧横浜正金銀行本店(神奈川県立歴史博物館)表入口
写真2
同弁天通側 弁天通を北西方向に望む
道路を隔てた向かい側には、当時川崎銀行支店であったが焼失を免れた(現日本興亜 馬車道ビル)
旧横浜正金銀行本店(神奈川県立歴史博物館)の概要を下の表に示します。
旧横浜正金銀行本店(神奈川県立歴史博物館) | |
構造 | 補強煉瓦・石造り3階・地下1階建 |
設計 | 妻木頼黄(つまきよりなか) |
起工 竣工 |
1899(明治32)年3月25日 1904(明治37)年8月8日 |
建坪 | 2152m2(652坪) |
国指定 | 昭和44年 重要文化財 平成7年 近代史跡(当建築物と周辺地) |
改修工事 | 1925年 関東大震災後の復旧工事 1967年 神奈川県立博物館として使用 1995年 神奈川県立歴史博物館として使用 |
旧横浜正金銀行本店本館 神奈川県立歴史博物館パンフレット、案内板より |
図3 同 屋上ドーム
関東大震災で焼失した屋上のドームは1967(昭和42)年に再建されました
写真4
国指定重要文化財であることを示す正面玄関脇の石柱
写真5 同 上
撮影:2009/10
火災に退路を断たれ、広場などで多数の焼死者が発生した例は多いものの、横浜正金銀行の場合は建物内(地下室)に避難することによって多くの人命が救われた例です。
火災の火はガラス窓やガラス天井を溶かして建物の内部に侵入し、内部の木造部や調度品などを焼きましたが地下室は無事でした。しかし、 「いまにも窒息するほど苦しんだ」という記述の資料もあり、弁天通側の区画も焼けていれば地下室の避難者の命はどうなっていたでしょうか。
当時の状況を資料より抜粋します。
石柱(写真5)の写し