作成:2004/11
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横浜 Y-35
写真1 建功寺縁起碑
徳雄山建功寺の縁起(写真1)
写真2 建功寺山門
写真3
大震火災殃死者供養之碑
写真3の大震火災殃死者供養之碑
神奈川県下の大震火災と警察によると、鶴見警察署管内の項で、
部内震前の戸数9,065、人口37,288人の内死者46、負傷者538、全潰930、半壊1,274を生じた。
とあり、東海道沿線中では被害は極めて少なかったと述べています。
力武常次 「地震・津波碑探訪」によると、
当寺は、関東大震災で本堂が半壊するなどの被害を受けた。明治23年-昭和5年の間第15世住職を務めた宏道和尚は、地域の救済活動に積極的に参加するとともに、本堂などの修復に力を尽くした。このことは後述の供養塔*が境内に建立されることとなった理由であるといわれている。
とある。
後述の供養塔*=大震火災殃死者供養塔のこと