「訪問学級の先生の1日」

 

私は、教職に着いて24年になります。小学校・普通学級の担任として5年間勤めた後、希望がかなって特別支援学校(当時は養護学校)の病院内分教室に異動し、入院している子どもの教育に従事しました。現在は、東京都内の肢体不自由特別支援学校の訪問学級で訪問部の主任をしています。今年度の訪問部は、教員9名、在籍児童・生徒20数名の体制です。子どもたちの入退院によって、訪問学級の在籍数は変動します。

 

訪問学級は、入院していたり、障害が重く体調が不安定だったり、ご家庭の事情等で、コンスタントに学校に通学できない子どもたちのために、教員が病院や子どもの自宅を訪問して、授業を行う教育形態です。訪問先によって「病院訪問」と「在宅訪問」と分けて話題にされることもあります。本校は、校区にある2つの大学病院に入院する子どもたちの病院訪問を担当しています。

 

本校では、1人の子どもにつき、週3回、1回2時間の授業設定を保障しています。

1人の子どもを複数の教員で担任します。教員は平均して5人の子どもを担当しています。重度重複障害の在宅の子も、病院の教科対応の子もどちらも担任します。

 

 

では、10月のある1日の私の動きをご紹介しましょう。
なお、プライバシー保護のため、子どもたちの名前は仮名にしてあります。




06:30

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

07:50

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

08:30

08:45

移動

09:45

 到着

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10:00

 授業

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12:00

 

13:30

移動

 

14:30

 授業

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16:30

 

 

 

帰途

朝、家を出るのは6時半。職場までは、電車を乗り継いで1時間15分ほどかかります。車内では読書もしますが、まずその日のスケジュールの確認をする事にしています。

日によっては、訪問部のメンバーから「体調が悪く、学校を休みたいのですが…。」と携帯にメールが入ることがあります。その場合、他の教員で補教(代わりに授業を担当する)が可能かどうか、メンバーに打診したり、確認したりと、車内で携帯を使って「調整」をします。

「代わりに○○先生が、ユミちゃんの授業に行けるそうです。心配しないで、お大事に。」

こういう返信をもらえば、安心して静養できますね。教員にとっては、自分の健康管理も大切な仕事です。重い障害や病気の治療で感染しやすい状態の子どものもとに訪問するのですから、特に気をつけなければなりません。子どもが、風邪から肺炎になって命にかかわる事態に陥ることもあるのです。

教員が家庭の事情等で、どうしても急に仕事を休まなければならないこともあります。そういう時も、メンバーがお互い助け合って補教に出かけるようにしています。

 

毎朝途中駅で、小学部主任のN先生と待ち合わせています。ご一緒するのはわずかな時間ですが、貴重な情報交換の場です。中学部・高等部・自立活動部の各主任の先生たちとも、月1回設定されている「学部主任会」だけでなく、いつでも気兼ねなく話し合える関係を保っています。学校全体の教育活動がうまく進むためには、各部間の連携がとても大切です。

 

<学校到着>

玄関に入ると、まず出勤タイムカードを機械に通し、不在を示す赤い名札を返して、在校を示す白い名札にします。

 

2階の職員室に入って「おはようございます!」のあいさつ。机上には、前日私が帰宅した後に置かれた連絡事項のメモや回覧文書が置かれています。机上のPCの電源を入れて、新着メールや校内掲示板の内容をチェックします。それらに目を通し、優先順位を決めて処理していきます。

勤務時間は8時半からですが、遅くとも30分前には職場に到着して、仕事の段取りをしておくと、その日1日がスムーズにいくものです。

次に、訪問部の会議室兼教材室に移動して、今日の授業に持って行く教材の準備や確認をします。その間、部屋を出入りする訪問部のメンバーと言葉を交わし、教員自身や子どもたちの様子を聞きます。メンバーが気持ちよく仕事をしているか、子どもたちに変わったことはないか、最新の状況を把握して、必要な手を打つことも主任の仕事です。このような「部運営」に関して詳しく知りたい方は、以下の資料を参考にしてください。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~kakumi/ikuryowakayama201008.html

 

<職員朝会>

始業のチャイムが鳴り、職員室では全校職員朝会が始まります。続いて、小学部、中・高等部に分かれての連絡会があり、さらに訪問部だけの打ち合わせがあります。トータルで10分間ほどです。今日の午前中の訪問先は少々遠い病院なので、後5分で学校を出なければなりません。その間にも「ちょっと今いいですか?」と声をかけられることも…。

手荷物の最終チェックをして、T先生と一緒に「行ってきまーす!」と、職員室を後にします。

 

<学校発>

 学校の最寄り駅から私鉄と地下鉄を乗り継いで、訪問先のA大学病院まで小一時間かかります。T先生と情報交換をしながらの移動です。

 

<A大学病院着>

4階のエレベーターホールで、学校名の入った名札を首にかけます。小児科病棟のガラスのドアを入ってすぐにナースステーションのカウンターがあります。そこに設置されているキーボックスから「教員控え室」のキーを取り、ペーパーマスクをもらって着けます。この病院の小児病棟内では、年間を通じて、自分が風邪を引いていなくても、病棟スタッフと同じように、マスクを着けていなければなりません。つまり、マスクを着けたまま授業をするのです。

A病院の小児病棟では、訪問授業がある時だけ、プレイルームの半分をパーティションで仕切って「教室」にします。その作業をしている間に、T先生が病棟保育士さんから子どもたちの様子を聞いてきて下さいました。今日は、1年生のツヨシ君と5年生のシン君が教室に出て勉強できるとのこと。

 

地元の学校から訪問学級に転校してくる子どもたちは、小児がんや腎臓移植等で数ヶ月単位という長期間入院して治療を受けなければならない子どもたちがほとんどです。ツヨシ君やシン君も抗がん剤を使った化学治療を受けているので、副作用で免疫力が極端に下がる時期があります。そういう時は白血球数がある程度回復するまで、クリーン・ベンチという空気清浄機に入ることになります。ちょうどベッドごと上半身がビニールテントに囲われるようになり、数日間はベッド上で安静にしていなければなりません。そういう場合は、教員がベッドサイドに行って授業をします。

さて、「教室」をホワイトボードでさらに2つに区切り、机と椅子をセッティングします。それから石鹸で手を洗い、備え付けの手指消毒剤をすり込みます。机や椅子、使う教材は病棟が用意したアルコールペーパータオルで拭いて消毒します。これらが子どもたちを迎える準備です。

 

<授業開始>

 5年生のしんや君が点滴台を押しながら教室に来ました。彼は、抗がん剤の点滴をしながらの授業です。1時間目は「社会」。

私が受け持つシン君の授業は週1回だけで、主に理科と社会を教えます。主担のA先生が週2回、国語と算数を教えています。

今日は、これまで学習した自動車産業のまとめとして、壁新聞を書き始めるところからです。ホワイトボードに、シン君が記事にしたいことを聞いて、箇条書きにしました。

自動車新聞

・自動車の作り方(今と昔)

・自動車を作る時に出るゴミについて

・原料の鉄鋼石について

・自動車クイズ 

 

そこへ、女性のドクター(以下、D)2人が点滴のチェックに来られました。そのうちのお一人は、研修医のようでした。

D:「勉強中、失礼します。」

私:「どうぞ、どうぞ。」

少しの間、小声でドクター同士がやりとりしていました。こちらは関係なく授業を進めます。

D:「自動車…なんだか懐かしい…シン君、新聞を作るんだぁ。」

私:「完成したら、病棟に張り出してもらいますので、是非読んで下さい。」

D:「わぁ、楽しみ!」

シン君は、ちょっと恥ずかしそうに画用紙に向かって、黙々と段組みの線引きをしていました。でも、読者の期待に応えようと、やる気が出てきたようです。その後、とても丁寧な字で集中して記事を書き始めました。

 

45分間勉強したら、15分間「休み時間」を設定します。トイレに行ったり、水分補給をしたりする時間です。ところが、シン君は、私の電子辞書にインストールされている「大人のIQテスト」がお気に入りで、休み時間になると、ややこしそうな立体図形の問題に真剣に取り組んでいます。まあ、興味関心は様々なので、そういう休み時間の過ごし方もありますね。

 

後半は理科です。単元は「人のたんじょう」

最初に裁縫用のマチ針と手のひらサイズの黒い画用紙をわたして言います。

「この黒い紙に、針でプチッと、穴を開けてごらん。」

針は危ないので開けたらすぐ手元に引き取り、しまってから…

「キミの最初の姿は、この針の穴より小さかった」と、受精や受精卵の話に入ります。

本来、数時間かけて学習する内容ですが、訪問学級では授業時間数が通常の学級に比べて極端に少ないため、この単元もほとんどこの1時間でやります。内容の精選が不可欠です。どの教科においても、こちらが伝えたいエッセンスを子どもたちの心の中心にポトッと落とします。これからの人生において、何かしらの益としてもらいたいという思いで授業をしています。

 

理科の授業中に点滴台に2つぶら下がっている薬の1つが終わりました。教室から10メートルほど離れたナースステーションの裏手に行き、「すみませーん。シン君の点滴が終わりました!」と知らせます。ほどなく教室にナースさんが来て処置をしてくれます。空になった小さな薬の容器を取りはずしながら、シン君の手元ワークシートを覗き込み「へぇ〜、こんな勉強もしてるんだぁ。」と感心していました。子宮の中の胎児の様子がカラーのイラストになっていて、羊水、へそのお、胎ばんなどの言葉を書き込むようになっています。こういうプリント類は、シン君の地元の学校から授業で使っているのと同じものを送ってもらいます。「学校の友達と同じ勉強をしている」ことは、入院している子どもたちの安心につながるのです。

 

学習が終わってから、12時までの10分間ほど、1年生のツヨシ君、T先生、シン君、私の4人でトランプをして遊びました。ババ抜きの真剣勝負です。大人も子どももトランプを抜くたびに、ワァーワァー、キャーキャー大騒ぎ…楽しく遊んでから、それぞれの病室に戻ります。

子どもたちをベッドまで送っていき、教室に戻ったら、保護者に向けて連絡帳に今日の様子を記入します。再びシン君の病室に届けます。ちょうど昼食中…「わぁ〜おいしそう!」と覗き込んで、食欲はあるかな?とさりげなくチェックしたりもします。それからパーティションを元にもどしたり、教材の後片付けをしたり、授業記録を書いていると、12時半を回ってしまいます。

 

病院訪問については以下も参考にしてください。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~kakumi/ikuryorepo201003.html

 

T先生と病院の近くのお店で食事をし、次の訪問先に移動です。午後はT先生と行き先が違うので、「では、また明日」とあいさつを交わして途中駅で別れます。今日は学校には戻らずに、訪問先から直帰するからです。

電車がトラブルで遅れることもあるので、余裕をもって最寄り駅に着くようにしています。ホームのベンチで、次の授業のシミュレーションをしながら時間調整をします。玄関のベルを鳴らすのは、14:30のオンタイムです。通常、午後の訪問は2時スタートで4時までですが、この日は、途中から自立活動部の先生が合流するため、30分遅く始めて4時半までの授業設定です。

 

<アキラ君宅到着>

お母様が玄関の戸を開けてくださいます。アキラ君 (中学部2年生)は、重い脳性まひで緊張が強く、身体に変形や拘縮があり、知的障害もある生徒です。階段を上りながら、お母様から今日のアキラ君の体調について伺います。今日は、歯科に行って抜歯をされたばかりとのこと。

この時間帯は、胃ろうからソリタの注入中なので、身体を大きく動かすことはできません。まずは、少し頭の角度を変えたり、クッションの位置をずらしたりして、アキラくんがリラックスできるようポジショニングをします。

 

グロッケン (小型の鉄琴)で始まりの曲を演奏します。今日のメインの活動は、来月に迫った学校祭に展示する「染め物」の作品作りです。アキラくんは、白い靴下をレモングラスでクリーム色に染める予定です。絞り模様をつけるために、靴下の内側からアキラくんの指先で突起をつけてもらい、私が輪ゴムを巻いていきます。指先がきつくなる前に、ピュッと抜き取ります。アキラくんは、「あれっ?」という表情です。

抜歯の麻酔の影響もあってか…残念ながらいつものアキラくんの笑顔がみられません。

 

15:40に自立活動部のK先生が到着しました。

K先生は、肢体不自由の子どもたちの身体機能について豊富な知識をもつ専門家です。筋緊張の強いアキラ君ですが、K先生のマッサージやストレッチを受けるうちに身体がほぐれていきます。

K先生をはじめ数名の自活部の先生方が、学部の授業後に在宅訪問の生徒のところに月、12回来てくださいます。同じ都内でも自活部の訪問があるのは学期に1回という学校もあるので、本校の在宅訪問の子どもたちは恵まれていると思います。担任も自活部の先生から教えていただいたことを毎回の授業に生かし、積極的に取り入れています。

<授業終了>

在宅訪問について詳しく知りたい方は、以下を参考にしてください。

「在宅訪問の現場から」http://www5d.biglobe.ne.jp/~kakumi/ganbare107.htm

 

途中駅までK先生とご一緒に帰ります。昨年二十歳で亡くなった卒業生のタロウさんのことが話題になりました。タロウさんは、小さい時に受けた手術中に一時心停止となり、その結果、低酸素脳症という重い障害を負い、それ以来、病院の一室のベッドの上で、人口呼吸器につながれて生きることになったのです。

K先生はタロウさんの高等部1年の担任でした。私はその後の高等部2,3年の担任でした。タロウさんは、四肢を自分で動かすことはできません。視力も明暗が分かるかどうかで、眼球の乾燥を防ぐために、わずかに開いたまぶたの間には専用の軟膏が盛られるように塗られています。でも、枕元で音楽をかけると、舌先を動かしてくれます。ジブリ・ソングが好みのようでした。高校生にふさわしい当時流行っていた曲も聞かせました。

彼の授業では、この舌先の動きとパルスオキシメータ(脈拍数と血中酸素濃度の数値がリアルタイムでモニターに表示される機器)の数字が頼りでした。

洗面器にお湯を入れ、ミントやカモミールのハーブティーを入浴剤として、手浴や足浴もしました。タロウさんの脈拍数がリラックス状態を示す数値になると、「湯加減はいかが?気持ちいい?」なんて話しかけながら指のマッサージを続けました。

タロウさんは卒業の2年半後に病院で息を引き取りました。その命日が近づいてきたので、ご自宅にお花を届けに行きましょうとK先生と日程を打ち合わせたのでした。

帰宅する電車の中で携帯から久しぶりにお母様にメールをすると

「こちらこそご無沙汰しております。覚えていていただきましてありがとうございます 。○日にお待ちしておりますので、お忙しいと思いますが、よろしくお願いします。」と、すぐ返信がありました。

 

もう、1年経つんだなぁ〜…昨年は、中3、高12年間担任した生徒のヒカリさんが8月末に亡くなり、2ヶ月後にタロウさんと続いて教え子を見送って、精神的にかなりキツかったです。

先月は、ヒカリさんのお宅にお花を届けに伺いました。一人娘のヒカリさんに先立たれたお母様は、「3か月ぐらい前は、とてもつらくなって、後を追いたい…と思い詰めた時もありました。」と言われました。ヒカリさんの写真を見ては涙を流されながらのお話を、ただただ聞くだけの時が流れます。おいとまする時には「先生方にお話しできて本当によかったです。少し気持ちが楽になりました。ありがとうございました。またいらしてくださいね。」と笑顔になられました。今は少しずつパートのお仕事を始めて、ご自分の生活リズムを取り戻そうとされています。

このように担任していた子どもが亡くなった後に、遺されたご家族のグリーフケアに携わることも教員の大切な仕事です。

電車の窓から夕焼けの空が見えます。この仕事に就いてから見送った子どもたちの顔が次々に浮かびます。子どもたちが短い人生で残してくれた大切なメッセージを胸に、いつの日か天国で再会する時に恥ずかしくない生き方をしようと改めて思いました。          

(おわり)