石の森 第 110 号     石の声(10)  書評 ページ  /2002.7

 石の声

金堀 則夫


▼『交野が原』五十二号で「わが姓の覚書」を書いたあと、インターネットで「かなほり」 を検索したとき、函館市に金堀町があり、函館市金堀小学校のあることがわかった。『日本 歴史地名体系』(平凡社)で各都道府県の「金堀」という地名を調べたとき、北海道を見落 としていた。早速『角川日本地名大辞典』で調べてみると、金堀町は、もと函館市大字亀田 村の一部で、町名は、地内から大森浜に注ぐ川の名前によるとあった。川名は、砂鉄がとれ たことから付けられ、昭和六年からの町名である。金堀町には函館少年刑務所、市営競輪場、 警察学校があり、自衛隊の居住による人口増から昭和三十一年に函館市立金堀小学校が創立 されたとあった。
▼『ふるさと交野を歩く―ひろい話B』を読むと、古代に岡山県の北部および西南部地域と 交野とは鉄を通じて繋がりがあるという。美作国一宮の中山神社縁起起文によると創建に肩 野物部氏が関わっている。交野市古文化対策室の真鍋成史氏が発表した『古代交野と鉄』に よると、交野の森遺跡(鍛治遺跡)の鉄資源は一体どこからか、不明である。古墳時代の鉄 産地が、交野周辺では見つからず、文献資料によると岡山県久米郡が供給地ではないかと考 えられる。森遺跡の鍛冶原料が、交野の磐船神社、哮が峰に伝わる交野物部氏とが関わって いるのである。これは興味深い話で、久米郡中央町にある金堀(かなぼり)が、星田にあっ た「金堀(かなほり)」、またどちらにも「鐘鋳谷」という地名がある。『久米郡誌』の大 字地名に、「金堀」は、「神功皇后の時、忍熊別そむき弟彦王がこれを討って、播磨・吉備 の境に進撃したとき、藤野県主(あがたぬし)が、この地に金鉱を得て王に献したことから この地名になった。」とある。古来久米郡には銅、砂鉄等の鉱脈があった。では、交野・星 田の「金堀」は一体どうだったのか知りたいものだ。


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