石の森 第 110 号    石の声  書評(11) ページ  /2002.7

 塔和子詩集『希望の火を』を読んで

美濃 千鶴


 塔和子さんの詩を読むようになって、早いものでもう四年になる。その間に、五十年来の ハンセン氏病の元患者たちを苦しめてきた「らい予防法」が廃止された。「そして/この度 「らい予防法」という囲いの壁は/とりはらわれ/天下晴れて自由の身となったこの喜びを だいて/どこへ旅をしようか」(「旅」部分)。
 これまで塔さんの詩の中で。病について語られることはほとんどなかった。それは、塔さ んが「病気そのもの」ではなく、「病気から得たこと」を書いてきたからである。特に『記 憶の川で』『私の明日が』など最近の詩集では、自然という大きな生命体の一部として、自 らの生を語ることが多かった。そういう意味で塔さんの詩は、個の詩から普遍的な生命のあ りようを歌った詩へと変貌を遂げてきたといえる。しかし今回の詩集『希望の火を』には、 「雨」や「顔」など、島での日常やご主人との生活を描いた作品が多く見られるのである。
 こうした個への回帰は、生命そのものに向けられていたまなざしが後退したものと見るべ きなのだろうか。まずは詩集冒頭の作品、「満足」を読んでみたい。
 「思いをとげたという/一事の上にどっかと坐って/ほのぼのといる今日は/幸せだけが 寄ってくる/私はしたかった事を成し得たとき/心の中に住まわせている動物の中で/満足 という/最も大きな動物が/ゆったりといるのを見る/そいつはほえもせず/そおっとこち らをむいて/よかったですねと言っているみたいだ/そんなとき私は/おまえもそう思って くれるかいと/問いなおす/そして熱いあつい/返事をたぐり寄せては/まねしてみるのだ」 (「満足」全)
 「幸せ」ということば(詩集『希望の火を』には「幸せ」「幸福」という語がとても多い) を塔さんがこれほど豊かに綴れるのはなぜか。それは、この詩が自身の内なる神との対話を モチーフにしているからだ。塔さんの神は彼女を教え諭したり、余計な助けを与えたりはし ない。ただ、「よかったですね」と語りかける。それに対して塔さんは「おまえもそう思っ てくれるかいと/問いなお」しつつ、「熱いあつい返事をたぐり寄せて」いる。それはちょ うど、旅先ですれ違った人にちょっと道を確認するような行為だ。「思いをとげて」ここま で無事にやってこられたことへの「満足」。塔さんの「満足」は感謝の意に近いが、感謝よ りもさらに理知的で謙虚だ。「満足」と題されたこの詩が、自己満足から最も遠いところに ある理由、そして幾多ある流行の癒し系&\現がこの詩の足元にも及ばない理由は、おそ らくそこにある。
 詩集中には、「満足」以外にも、動物の出てくる詩がある。「囲いの中で」という作品は、 「私という女は動物園」という書き出しで始まる。囲いの中で走れない鹿や首を長くしてし あんするキリンが自分のなかに住んでこころをなだめてくれるのだが、「でもそんなことば かりではなく/蛇のような爬虫類もいて/こんなにもあなたを愛している/あの情熱の国か ら来た/私と出会っても/楽しくはないですかと/その気味悪い体を/すり寄せてくるのだ」。
 最初に挙げた疑問、すなわち個への回帰は後退なのかという問いに対する答えを、私はこ の詩のなかに見つけた。塔和子の詩の大きなテーマが生命であることは、この詩集でも何ら 変わっていないのである。これまでの詩集と違うのは、これまで自身の外側に見ていた生命 の不思議を、内側に求めようとしていることだ。そこには鹿のなげきやキリンの思慮ととも に、蛇の誘惑もある。島の生活や塔さん自身の内面が、そのまま生命の世界に通じているの だ。「らい予防法」廃止以後の塔和子の世界がどう変わっていくのか、一ファンとして楽し みにしている。


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