ピアノの音色に誘われて
ピアノの話を又、
といっても、今回はピアニストから。
「素顔のリヒテル」。
毎月一回吉田秀和さんが朝日新聞に書かれている音楽展望は、
今月このタイトルで、
「リヒテルと私」河島みどり著 草思社
を紹介しています。
2003年10月21日付朝日新聞25面
ヤマハピアノに触れている後半からが、吉田さんならではの文章。
リヒテルの不安がひしひしが伝わってくる辺りは、
ちょっとゾクッと来ました。
ピアノを弾く技巧については、素人なのでなにも知りません。(^^ゞ
「この一瞬の響きに」齋藤富佐子著を読んでも、チンプンカンプン。
〈それでも、読み進むのって、我ながらすごいと思う(笑)〉
こんな基本をマスターしても、まだまだなんですね。
先日のテレビドラマ「フジ子ヘミングの奇跡」を見ても、そう感じました。
ただ弾くだけでは、まだ。
弾く人の心が加味されて、曲が、演奏が、人々に聴かれるようになっていく。
演奏の際、リヒテルほどの名手でも、不安にさいなまれる…。
吉田秀和さんは次のように書かれています。
「この人たちがそんな思いをしてまで演奏家であり続けたのはなぜだろう。
演奏の後にどんなことが待っていたのだろう」
「楽譜そのものもピアノを超えた彼方から見えてくる何かから彼を守るために置かれていたかのように、私には、思われた」
話が、私の手に負えないところまで行ってしまいました。(^^ゞ
ピアノを弾くどころか、全然と言っていい程分かっていないのに、
何故、ピアノについて書くのか?
そもそもの初めに帰りましょう。
今思い出せる限り、初めてピアノに魅せられた曲は、
映画「スティング」の“The Entertainer”だったような気がします。
後に、ヘンリーマンシーニのオリジナル・アルバムで聴いた、
同じ“The Entertainer”で決定的になる。
映画で流れていたスコット・ジョプリンのピアノよりも、
ちょっと暖かく柔らかい、ヘンリーマンシーニの演奏、
そのピアノの音色に、目を廻したのでした。
わぁ〜、面白い!
このとき初めて気付きました。
同じピアノ曲でも、ピアノと演奏者が違えば、こんなに違う。
それから、機会があるごとに、ピアノの音色、ピアノの音楽というものに、
耳をすませてみると、どんどん世界が広がっていく。
心が遠くへ運ばれるようなジョージ・ウィンストンの世界。
鍵盤の上のタップダンスかと見間違うようなジャスピアノ。
深みのあるクラッシクは、意外に多彩。
可憐なリチャード・クレーダーマン。
武満徹さんにかかれば、現代音楽の磨ぎ覚まされた感覚もくっきり立ち現れる。
こんな素敵な世界、知らない人に教えたい!
そう思って、書いているのです。
後は、あなたのお耳次第で、
更にその先は、
私よりもっともっと詳しい方へバトンタッチ♪ |
2003.10.30 記
|