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大和の陰謀
淡路島の北岸、岩屋の高地集落は大騒ぎしていた。「どうやら吉備と筑紫の勢力が合併したらしい」という噂は、船より速く瀬戸の小島から小島へ広がってきたのだ。瀬戸の海人族は殆ど吉備のアラシトの配下になってはいたが播磨灘から紀伊までの一帯は、大和や播磨の出雲勢力の手前もあり中立状態を保っていた。つまり淡路あたりが大和にとって対吉備、対筑紫の最前線の防衛ラインである。ここさえ封鎖すれば敵船団の無傷での河内入りは阻止できるのだ。岩屋と対岸の垂水の集落は見張り台の役目をしていた。ここを通り掛かる敵に攻撃を仕掛けると同時に播磨や大和に伝令を送るのだ。そうすればいきなりの攻撃を受ける事はない。ヤマタイ連合から見るとここを無傷で抜ける事が大和占領への第一段階である。いままで吉備が何度か攻めてきた時もここで防がれている。
摂津を守る大和の将軍はナガスネヒコである。彼はタケミナカタと播磨合戦(日矛の撃退戦)の勝利を祝う祝宴の席で余興として相撲の手合わせしたときも引けをとらなかった程の豪の者である。大和軍の最強将軍でもある。以前は東国方面担当で東北地方まで進軍し大和の勢力を未開地であった関東周辺までのばしたのも彼である。ニギハヤヒの命により、吉備の不穏な動きを牽制するため河内湾の守護を任されたのである。
吉備児島の港に入ったアラシトは、自ら少数精鋭を率い大和に潜入しイワレヒコに加担するつもりである。その第一段階として大和の軍を三輪山から遠ざける必要があるのだ。宇佐の水軍は、いわば餌である。大和の軍が餌に気をとられた隙をついたほうがクーデターの成功確率は上昇する。もちろんイワレヒコやイリヒコは大物主を弑殺するまでは考えてないようだがアラシトはそれさえ視野にいれている。一気に大和をヤマタイよりの勢力に変えるチャンスなのだ。大和とヤマタイを合体させる事ができればアラシトの率いる吉備の国は安泰である。しかも合体の立役者として、後日できるであろう連合政権下での発言力も大きくなる。
「この際、大物主とニギハヤヒを一気に打ち殺したほうが倭国統一の近道だ。」とアラシトは手力雄に話しかけた。「そうは、申されましても筑紫を完全に掌握してない状態では大和の争いに深入りするのは禁物です。」「ふん。将軍らしい言い分じゃ、軍を動かすばかりが能ではないわ。そうじゃ、そなた紀伊を大回りして伊勢に入り、山ごえして大和を目指せ。かのイワレヒコが大和入りした道を通っての。東国方面はナガスネヒコが河内にでばっている所を見ると手薄なはずじゃ。」「伊勢ですか?あそこにはイワレヒコ様に付き従った日向の海人がいるとか聞きますが。」「それが狙いじゃ。まず、わしが大和入りしてイワレヒコにお主らの先導を伊勢の民にしてもらえるよう話しを通しておく、今から紀伊回りをすればちょうどいい頃合いに伊勢に着くじゃろう。」「期日を決めて、河内と伊勢から大和に攻め入るのですな。」「そうじゃ、その前にニギハヤヒを除かねばならん。奴はくせ者じゃでな。」「アラシト様より上のくせ者は倭国広しといえど一人もいますまい」
手力雄は、はっと思い出したようにアラシトに問い掛けた。「ところで、ひとつお聞きしたい。大和に行かれたイワレヒコ様は本当に初代火神子様のお子なのでしょうか?」「どうかな。それはわしやお主などの知る所ではない。ただ日向の王の血筋である事だけが確かなのだ。日向の王は初代火神子様の弟君の一族じゃ。もし火神子の子でなくとも火神子と同じ血が幾分か流れておろう。」「しかし、噂では霧島の火神子(前狗奴国王)と日向の地を巡る争いをしたとき、「うけひ(誓火)」をして身ごもられたとか聞きました。」「では、父はだれであろうの?」
と、アラシトは意味ありげに笑みを浮かべ手力雄に問い返した。手力雄は怪訝な顔しながら答えた。「そ、それは火の神でござろう?火神子様は火の神に仕える方ですから・・・」と答えた瞬間、アラシトは腹を抱えて大笑いした。「わっはっは。これは驚いた。手力雄殿は子づくりの妙味もしらぬようだ。」と、大笑いしたが、これ以上この話題には触れようとしなかった。
そのころ大和では、イリヒコが橿原宮の後継ぎになるための祝宴の手筈が着々と進められていた。祝宴の期日はちょうど一月後である。それまでに農作物の収穫を済ませ、大物主に貢ぎ物を納める事により大和の今年の祭礼行事は大晦日の祭事を残してすべてが終わる。東国や畿内から集まった貢ぎ物は、大物主がよりすぐった品物が陸路で出雲へ送られる。農作物などのかさ張るものは河内の港で交換されるのだ。ニギハヤヒは大陸仕込みの商法で河内一帯を大交易地にしようとしていた。筑紫には宇佐と伊都という二大交易港があり、出雲にも美保と神戸がある。後進の大和としては一箇所に集中して開発を進めたということになる。大和の地を開いた加茂武角身以来、河内は大和にとって重要な港ではあったが規模は小さかったのだ。河内を整備すると同時に、ナガスネヒコの功績により大和の支配下となった伊勢、尾張に魏から共にやってきた自らの眷属を配置し日本列島の太平洋側の航路は大和のいや実質ニギハヤヒが握っていた。いつでも大物主にかわり大和を手に入れることができるほどの権力を手にはしていたが、交易にもっとも必要な「信用」だけがニギハヤヒにはなかったのだ。遠くはなれた東国と交易するには必要な「大和の大物主」「出雲の大国主」の看板がもつ「信用」が魏国からの渡来人ニギハヤヒには不足していたのである。
「何、橿原からの使いじゃと?」 ニギハヤヒは、不思議そうな顔をして小者に聞き返した。橿原のイワレヒコら一族とは交易、政治の方針を巡って対立しているからである。筑紫島出身のイワレヒコは何かというと倭国の伝統を言いたて、魏国仕込みのニギハヤヒのやり方に文句をつけてきた。自らはヤマタイの王族の血を引き、妻も大物主の血をひく彼らの一族はその血統的な誇りにかけて革新的なニギハヤヒの政策は鼻についたのだ。「貴族はお飾りとしておとなしくしておればよいのだ。そうした方が失敗もなく穏やかに過ごせるものを」常日頃からニギハヤヒはイワレヒコ一族に対してそう思っていた。つまり犬猿の仲である。そのイワレヒコからの誘いは明らか過ぎる程に怪しかった。身に危険を感じた彼は、ナガスネヒコ配下の豪傑エウカシとオトウカシ兄弟を共に連れて行くことを了承させ宴に参加することになった。彼らは加茂武角身と初代大物主が入植する前から大和地方に居た部族であり、大物主やイワレヒコに対する不満感を持っていた。ニギハヤヒはそこに付け込み彼らをてなづけたのである。
大和の軍の前線部隊でもあるウカシ兄弟らの戦闘力は抜群であり、もし万が一何かが起こっても十分に対処できると踏んだのだ。一方、イリヒコらもウカシ兄弟に近づいていた。ウカシ兄弟を離間策によって分断し、その戦闘力を削ぐつもりなのだ。ニギハヤヒ暗殺後に乱戦が起こればウカシ兄弟の戦闘力は脅威になる。大物主をはさんで暗闘が繰り広げられていた。大物主はイワレヒコ、ニギハヤヒ双方の思惑を感知していたが、二人の争いは自分に後継ぎがいないためだと思いこみ、出雲から養子を迎えようとしていたのだった。
養子に白羽の矢がたったのは大国主の息子の一人タカヒコである。血気盛んで有能だといううわさのタカヒコは大和を開いた加茂武角身を彷彿とさせた。異母兄に八千矛軍総大将タケミナカタ、同母弟に次の大国主になる予定のトシロという兄弟をもつ彼は出雲の地ではやがてその有能さ故に身の置き所がなくなることは目に見えていた。しかも次代の大国主と大物主が同母兄弟となれば出雲と大和の関係もより一層良好なものとなると考えてのことである。大和の国を代表する大物主・イワレヒコ・ニギハヤヒの三人はそれぞれ別の思惑を胸に、秋の収穫祭とその後に控えたイリヒコの橿原継嗣の儀式をまっていた。
そんなある日、東国でいち早くナガスネヒコを通じ大物主の配下となった常陸のミカヅチ・コヤネの親子が税の納入のため大和にやってきた。ニギハヤヒの手引きである。東国からの朝貢を成功させる事はニギハヤヒ自身の株を上げることに繋がるからだ。ミカヅチ親子は大和の威勢が届く東国すべての代表として選ばれたのだ。その理由は出雲に匹敵する鉄資源を彼らが持っているからに他ならない。しかしミカヅチ親子にも大和入りする目的があったのだ。大和における政への参加である。コヤネは自ら大和に質としてはいる事を望んでいた。質として働き功績をあげることにより信用を得、鉄資源を交易品として常陸へ富をもたらし関東以北にある敵対勢力より優位にたつのが最大の目的である。