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出雲国譲りの真相 14


寿詞(よごと)

三和山の麓、磯城纏向の大物主の宮では、常陸から朝貢してきたコヤネが大物主に対して寿詞(よごと)を唱えていた。「常陸の全ては大物主の支配下にはいれたことを喜んでいる。先祖の神霊も喜び勇んでこの大和へやってきた。今日からは我が先祖は大和に宿り我ら一族も大和を祖先の地として敬います」というような言葉を述べた。寿詞は服属儀礼の中でもっとも重要なものである。そして先祖の霊を大物主の霊に宿すのである。このときに柏手をうつのであるがこれはいわゆる身をあわすということである。身を合わせるということはこの場合大物主の中にコヤネらの先祖霊が宿るということだ。つまり大物主を祖先神として崇め奉るということである。祖先信仰は倭国のどの部族でも共通している信仰である。どんなに強大な力をもつ渡来人でもすぐさま王になれない理由のひとつでもあった。倭の地に広く知られた祖先神をもってはじめて王になる資格を手にいれたことになるのだ。


自分の実力ではどうにもならない部分でもある。祖先神を簡単に手にいれる方法は婿入りすることである。ニギハヤヒは大物主の娘に婿入りしたが家系にはいれてもらってない。ニギハヤヒの子の代にならねば王の資格は手にいれられない。手にいれたとしてもニギハヤヒはもうこの世にはいないのである。渡来人が王になれるもう一つの手はもともと王であるということだ。倭の地に広く名が広まっている大陸や半島の王族であれば王を名乗る資格があるのだ。アラシトの場合はこれにあたる。韓半島の王の血を引いているからである。王になれるほどの武力と富を得ていても資格がないと倭の民はこれに従わない。無理やり服従させても逃散されてしまうだけである。血統は交易の時の信用と同じ「無形の力」である。


コヤネのあまりに見事な節回しと美声に聞きほれた大物主は、その場でコヤネに寿詞に関する職を与えた。寿詞職というのは非常に大事な職である。服属儀礼をつかさどるということでもあり、今でいう外交官の役目も担っているのだ。敵対する部族や周辺部族の祖先神を調べ知っておかなくてはいけない。服属したふりをするような場合もあるからだ。嘘の祖先神名を寿詞にいれられば寿詞は何の拘束力ももたないからだ。祖先神を偽っての服属は無効なのだ。だから祖先神を明かさないで交易や交渉をする場合「人質」が必要になる。巨大な勢力同士の場合外交だけで服属するということはありえないからだ。優劣をつけるのは戦争だけである。祖先神をどうしても明かさない場合負けた側の王族は皆殺しである。 このような重職に服属したばかりのものを充てるのは、ニギハヤヒが常陸の後見であるのと、大和は鉄資源が喉から手が出るほど欲しかったからである。


吉備の鉄山はアラシトに奪われているし、出雲の鉄山を当てにしていると武器調達が間に合わない場合があるからだ。出雲が直接戦争しているときに鉄を無心しても後回しにされるのだ。近年東国の諸部族は集団化して敵対してきている。今までのような装備 では心もとないのである。一方常陸の方では鉄山はあるが鋳造技術がまだまだ未熟でありそれを使いこなせていなかった。つまり両者の思惑が合致したから今回の服属が成立したのだ。 ニギハヤヒの居室には、今日正式に服属を許されたコヤネが挨拶にきていた。ニギハヤヒには宮はない。大物主の宮でもある大和の政庁に居候している格好だ。


「ニギハヤヒどの、いろいろとご足労おかけ申した。お約束していた鉄山の砦と集落を早速たてましょう。」 「コヤネどの、ありがとうこざいます。では尾張にいる私の眷属のうち製鉄の知識があるものをそちらへ派遣いたします。」 「幾人くらいになりますか?」 「護衛の兵を30名、技術者30名とそれぞれの家族ですので総勢200名くらいです」 「これで、東国の押さえも万全ですな」 「いやもそうともいえますまい。陸奥のまつろわぬ者たちは先年のナガスネヒコの討伐以来おとなしくはしておりますがこの冬を越して春がやってくればまたぞろ農作物の略奪にあらわれるかもしれませぬ」 「いやいやあのナガスネヒコどの強さをみてからは、おとなしいものです。これで鉄山砦が完成すれば怖いものなしです」 「ところでコヤネどの霞ヶ浦の地に港は造れませぬか?鉄製武器の搬入搬出にも便利ですし、陸奥への進軍を始めるときにも役にたつはずです。」 「それはいいですな、ただ霞ヶ浦はすこしまずい、北の筑波にはまつろわぬものも多いですし。それなら北浦の香嶋(鹿島)のほうがよいでしょう。」


「香嶋といえば、古くから日の神を祭った祠のあるところですね」 「よく、ご存知で。先年あの辺りの部族を倒し、ただいま環濠を掘っているところにでこざいます。ゆくゆくは常陸の都にしようと思っておりましたが、そういう申し出ならばひきうけましょう。」 「ありがとうごいます。香嶋なら東国、陸奥をおさえる良い前線基地にもなります」 ニギハヤヒは早速大物主の許可をとり、河内港の建設を指揮した自らの眷属モノノベを香嶋へ派遣することを決定した。この関東北部の拠点はずっと後世まで北方異民族の侵入を阻むことになり、または北方への進軍の中継点となりつづけるのである。


コヤネの長子ミカヅチは、父とは違い完全な武人肌の男だ。小柄な父とは違い大陸からの移民を母に持つ彼は当時としては珍しい大男である。まだ若いので武功らしいものは立てたことはないが膂力だけみればナガスネヒコやミナカタにでも対抗できそうだ。この場合、質に入るのはミカヅチのはずであったがコヤネのたっての願いでコヤネ自身が大和に残ることになっている。どうやら単純なタイプらしい。大和や河内の華やかさをみれば脱線するかもしれないという親心である。コヤネはミナカタを服属儀式が済み次第、常陸に返そうとしていたがニギハヤヒから「ナガスネヒコより、武略の講義を受けてはどうか?」と誘いをうけ、今夜からナガスネヒコが進駐している河内の港へ行っていた。


「おお、ミカヅチよ大きくなりおって! 」 ナガスネヒコは懐かしそうにミカヅチに声をかけた。 「やっと大物主様との謁見がおわりました。常陸のことも心配なのですぐとんぼ帰りするつもりでしたが、ナガスネヒコ様より武略の講義を受けよと命令されましたので早速やってまいりました。 ナガスネヒコが東国征伐のため常陸にいたころはまだまだ子供であったミカヅチが立派な青年の年になっていた。あれから10年近い月日が経ったのだ。背丈などはナガスネヒコよりありそうだった。 「そうか、では今日からみっちり兵法をしこんでやるところで」 「お願いいたします」 「ところで東国のほうはあれからおちついておるか?」 「はい、まだまだ東国は治まったとはいえないものも、我らにさからう者はごく少数です。武蔵や筑波の峻険をたよりに抵抗はつづけてますが、平地のほうまで押し出してくることはほとんどありません」 「あまり、蝦夷のものを追い詰めてはならぬぞ、おとなしくしておるのなら交易の相手にでもすれば良い。山でとれるものと平地でとれるものを交換するのは当然のことだからな」 「このたび香嶋あたりに砦と港をつくることになりました。交易の品は豊富なほうがよいですものね」 「そうじゃ、次代の常陸を担う者だけはある。なかなかの見識じゃ」 「もともとは、蝦夷のものとて交易相手でした。祭祀と交易は別でこざいます」 こうして、ミカヅチは後数日河内に滞在することとなった。


滞在の延期は、ミカヅチにとって大きな影響をあたえることとなった。兵法、戦闘技術の成長はもちろんのこと目前に迫ったイリヒコの継嗣の祝宴でミカヅチは重要な役どころを担うことになるのである。常陸の王子ミカヅチの転機である。