10/7
美保関
トシロはじっと海を見つめていた。何故自分が大国主にならなければならないのだろう?ミナカタやタカヒコら兄達のほうがよほど大国主に向いている。末子相続が出雲の掟である以上仕方のないことかもしれない。ミナカタは出雲に残り宰相としてトシロを補佐してくれることになっているが年の離れた異母兄はトシロが物心ついたときには天之日槍を撃退した「播磨合戦」で勇名をあげ、倭の全土に知らぬものない英雄だった。ミナカタとはどうにも遠慮の方が先だってしまいろくに会話をしたこともなかった。タカヒコにしても幼い頃から漢籍に通じ、長じてからも交易をめぐる小さな戦いでは戦果をあげている。実績や才能の面から見ると二人とも自分より優れていると思う。
「そうだ!タカヒコ兄に大国主になってもらおう!」
トシロが一度大国主になってしまえば誰もその決定に逆らえないはずだ。自分が父の命から逃れられないように・・・・・・・。
そんなことを考えながらぼんやり美保関の眼前に広がる海を眺めていた。
すると東の方角から船団がやってきた。大きな軍船をかこむように諸手船や輸送船が回りを走っていた。どうやら父大国主の率いる出雲の船団のようだ。トシロは興奮した。美保に来た時は父の越征伐の船に乗せてもらってきたのだ。
「もしかして、迎えにきてくれたのか?」 と思い、船団にむかって両手を大きくふった。
「おーい、おーい」 と何度か声をかけ手をふったが船からは何の返事もない。ただひたすら西に向かって船団ははしっていた。トシロは船団を追うように岡の上までかけあがって手をふると、軍船の舳先にたった男がこちらに気がついたようだった。男は船室のほうへはいっていった。そしてしばらくして舳先へもどってきたがトシロの方へは二度と振り向かなかった。
「やっぱり・・・・。」 「誰とも会話してはいけない」という禊のルールを思い出した。寂しさがこみ上げて、思わず涙が溢れてきた。日がくれるまで岡の上で泣いていた。
一人空しく美保の宮に帰って来ると明かりが灯っていた。
「どうして?」怪しんだトシロは宮の中をそっと覗いた。そこにはなんと母タギリヒメがいた。
「母上」思わずでかかったその言葉を飲み込んだ。「誰とも会話してはいけない」という禊のルールが頭をよぎったのだ。そのまま覗いているとどうやら幾人かが夜食の用意をしているような物音がしていた。そのうちの一人の女が母に話し掛けた。
「ヒメ様、トシロ様はどちらへ行かれたのでしょう?」
「そうね。どこに行ったのかしら?せっかく母が訪ねてきたというのに」
「そのうち戻ってらっしゃいますよ。もう日もくれましたし。」
「たった15日だけどかわったかしらね?トシロは。」
「それは、変わられたと思いますよ。何から何まで自分でやらなくちゃいけないのですから、杵築の宮のようにはいきませんもの」
「楽しみだわ。逞しくなったかしら?」 トシロは戸を開けて中に入って母に会いたいという衝動をなんとか押さえこみ、くるりと宮に背をむけ再び岡の方に歩いていった。
すると途中にある大木から小猿のようなものがするすると降りてきた。トシロはびっくりしてその猿をじっと見た。猿もこちらを見ているようだ。何かしら不思議な感じがしたのでそのまま猿をにらみつけるように見つめていると、月の光がトシロの立っている山道をほんのりと照らした。猿は二本足で経ちあがり1歩づつトシロのほうへ歩み寄ってきた。
「トシロじゃな?」 しわがれた老人のような声がした。トシロは辺りをみまわしたがここには自分と猿しかいない。
「何処を見ておる。おまえの目の前じゃ」 どうやら猿と思っていたが人のようだ。トシロは無言で猿のような老人の顔をまじまじと見た。老人は子供のような背丈で顔は猿にそっくりだった。杖を片手にしてはいるが足腰はしっかりしているようだ。
「よいか、わしは今からおまえに森羅万象全てのことを教えてやる。しかしおまえは何も口をきいてはいかん。それが掟じゃ。よいな?」
トシロは訝しげに老人を見つめていた。 「ふん、わしのことを怪しんでおるな?よいよい疑うということは考えておる証拠じゃ!はっはっはっ。」
トシロは不安な気持ちに襲われて振り向いて逃げようとした瞬間!
「まてまて、逃げなくてもよい。そなたの父もまたその父もここで修行したのだ。わしが師匠じゃ」
といつのまにかトシロが逃げようとした方向に移動していた。
(なんだこいつ?父とその父といえば歴代の大国主ではないか。よくもそんな大法螺を。祖父の代から生き続けたのいうのか?)
トシロが尚も警戒した視線をなげかけていると、
「なんだこいつ?父とその父といえば歴代の大国主ではないか。よくもそんな大法螺を。祖父の代から生き続けたのいうのか?と今思っただろう?」
トシロは思っていたことを言い当てられて狼狽した。
「よいか、わしにはおまえの思うことはまるわかりじゃ。人の心がよめるでの。おまえは何もしゃべらなくてもいい。心に思うだけでよいのだ。そうすればおまえは誰とも話さなかったことになる。よいな?」
トシロは(誰なんだ?こいつ?)と思った。
「誰なんだ?こいつ?と今思ったろう?教えてやろう我が名はサルタヒコ、お主の先祖の国造りを手伝ったスクナヒコナの裔じゃ。」
(スクナヒコナ様には御子はいなかったはず?)
「そうじゃ、本当の子孫ではない。わしはスクナヒコナの神の知恵をうけついだもの。この大智をおまえに授けるのがわしの使命じゃ。これがわしの最後の仕事なのだ。今後はおまえ達出雲族の知恵として宮へ持ちかえり教え広めよ。スクナヒコナの大智は福を呼ぶのも禍を呼ぶのも使うものの心得次第。スクナヒコナの大智のうち、何を民に教え、何を民から隠すかはそなたに任せよう。それを過たないためにそなたは大智の全てを理解しなくてはいけない。」
(そんなこといわれたって・・・・・。) 「お主の父も、同じ修行をしたのだ。ただしスクナヒコナの大智を全て教えたわけではない。すべてを教えるのはおまえが最初で最後だ。まだ信用できぬようじゃな。では今からわしについてこい。スクナヒコナの大智を見せてやる。」
トシロは怪しみながらもサルタヒコについていくことにした。
サルタヒコとトシロは小船で海にでて美保関の北の岸壁までやってきた。海から岸壁を見ると岸壁に洞窟の入り口のような穴があった。穴の大きさは小船がなんとか通れるほどであった。
「トシロよ。あれが黄泉の穴じゃ。あの奥にスクナヒコナの大智が隠されておる。」
二人は松明に火をつけ船で穴に進入した。しばらく暗闇の中を進んでいると小さな陸地があり、そこが行き止まりのようだった。サルタヒコは
船から降り、行き止まりの壁に持っていた杖を突き刺した。すると壁が人一人通れるくらいに開いた。さらに進むとその奥は小さな部屋のようになっていた。
「どうじゃ?」 サルタヒコが指差した部屋の壁を見ると、巻物の竹簡が堆く積まれていた。
「これがスクナヒコナの知恵の秘密じゃ。スクナヒコナが大陸の仙人から授かった法、商、兵、道、儒の全てが網羅された竹簡じゃ。倭の民にはまだまだ難しすぎてつかいきれない知恵ばかり。これをどう使うかはそなた次第じゃ。そなたの父は商と兵を学び大国主となった。木簡の中にある太公望の兵書などは暗記しておるはずじゃ。倭の地にもやがてこの全てが必要になろう。さて、今から15日のあいだこの木簡全てをおまえのために読み下し講義してやる。一言一句聞き逃さず学ぶがよい。」
こうして、トシロは大国主になるための最後の試練に立ち向かうことになった。
その少し前、美保の宮にはタギリヒメを追ってきたタカヒコがやってきていた。やはり掟を破るのをそのままにはしておけなかったのである。杵築での徴兵をワカヒコに任せ母タギリヒメを追ってきたのだ。
「母上、トシロにはお会いになれましたか?」
「いいえ、あの子はこの宮に帰ってきませんでした」
「トシロには大国主になるための試練があるのです。邪魔をせず私と共に杵築へもどりましょう。途中父上の船と出会いました。父上もトシロに会わずかえってくるようにとの仰せでした。」
「せめて、一目だけ・・・。遠くから見るだけでよいのです。タカヒコやトシロを探してきておくれ・・・・。」
「・・・・・。わかりました。一目だけですよ」
タカヒコは、母の願いを聞き入れてトシロを探すことにした。
父の船に乗っていたものの話によると美保の宮の裏にある岡の上にいたらしいのでそこを探すことにした。月明かりに照らされた山道を上っていくとやがて海が見える岡の上にたどりついた。
「トシロ!トシロ!」 声をかけたが返事はないし、岡の上には人のいる気配もしない。
「どこへ行ったんだろう?」 とつぶやきながら周囲を見回したが何も見つからなかった。ぼんやり夜の海を見ていると岡の真下の岸壁に光るものが見えた。
「なんだ?松明の火のようだ。まさかあんなところに?」
と思いながらもタカヒコは船が繋いである美保の港へ向かって一目散に駆け下りていった。タカヒコの直感は弟があの岸壁の下にいることを感じとっていた。何やら胸騒ぎがしてきたが「あそこへかなくては」との思いがタカヒコの意識を支配していた。