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出雲国譲りの真相 20


揖保のアマテラス(その一)

アラシトは野営のためのテントの中で、旧天之日矛の面々と謀議していた。シイネツヒコと別れた昨日の朝から少しの仮眠だけしかとっていない。吉備の報告はすでに上がってきていた。あとは大和へやった者の帰りを報告を待ち最終決断を下すだけである。吉備の様子は表向き平穏無事であったが児島の民たちは半分近くがすでに逃げ出していた。シイネツヒコと争う事をしたくない者が早々と逃散していた。シイネツヒコ配下の舟は児島の周辺にに早くも配備され、シイネツヒコからの攻撃開始の命令をまつばかりである。戦えばアラシトが数年かけて造営した児の港も風前の灯火であった。吉備を取ったときも内陸に城を造営しそこを本拠地とし数々の謀略と港での陸上戦闘を繰り返すことによりやっとの思いで吉備沿岸の海人たちを配下にすることができたのだ。吉備の陸の民アラシトの持つ先端技術に敬意を表し王として仰いでいたが、海人たちの側からみれば、アラシトらは彼らの王というより、荷主のようなものだった。本当の海人の王シイネツヒコが動いた以上アラシトに対する義理立ては必要ない。アラシトらと直接婚姻を結んだ海人の部族以外は殆どがシイネツヒコに着いたのである。


歴戦の兵である日矛たちも今回は戸惑っていた、海戦の経験も積んではいるがもともとが陸兵である彼らは出雲との山陰から越かけての上陸戦でも無残にやられている。敵に海戦で作戦行動を取られれば勝てる自信はない。何よりアラシトらが留守にしている間に吉備海軍の半分は敵に寝返ってしまっているのだ。数の上でも太刀打ちできない。勿論敵が陸に上がれば話しは違うがシイネツヒコはそんな愚は犯さないことは目に見えていた。内陸の城に篭れば負ける気はしないがそんな局面にはなりそうもない。


「どうしてこんなに簡単に寝返りされてしまったのだ!」
アラシトは怒気を含んだ声で叫んだ。
「それが、倭人の掟なのでしょう。何より血縁を重んじるという。我らはあせり過ぎたのかもしれません。大和や出雲、筑紫の勢力に目が行きすぎました。もっと地元を固めるべきでした。」
と吉備から帰った者が答えた。
「血縁?そうか!一旦出石に落ちるか。あそこのタジマモリのところには我の子も嫁もいる」
「しかし、それにはアシハラシコオの前を通らねばならぬでしょう。この小人数の所を襲われれば無事に出石につけるかどうか・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「どうなさいます?」
「・・・・・・・・・・・」


流石のアラシトも今回の予想もしなかった敵の登場には困惑していた。はなからシイネツヒコが敵に廻るのがわかっていたのならここまで惨めなことにはなるわけがなかった。大山祇の死後、空中分解したと思っていた瀬戸の海人がこんなにも簡単にまとまるとは思いもよらなかったのだ。しかも彼らは筑紫とは好意的な付き合いをしていた。
「吉備に戻るか?」
とアラシトはぽつりとつぶやいた。自ら吉備にもどれば吉備をシイネツヒコに奪われるという最悪の事態は免れるだろう。しかし出雲との戦に全てを賭けているオモイカネたちを見捨てることになるし、何より今まで倭国統一に動いてきた全てを白紙に戻さねばならない。筑紫と大和を利用して倭国の実権を握るという計画は水泡に帰すのである。ここに居るだれもが沈黙してしまった。気まずい沈黙を破るように馬の足音が近づいてきた。大和からの報告かと思いアラシトは幔幕の外に大和方面である東の方を見た。


「うん?」
アラシトの後をついて幔幕からでてきた者たちも訝しげに東の方を見ていたが、どうやら東からの音ではなく、北つまり揖保川の上流方向からの音らしい。北に向き直ったが、蛇行して流れている川沿いの木々が邪魔してよく見えない。しかし1頭や2頭の馬でないことは足音からも十分理解できた。
「まずい!」
誰かが大きな声で叫んだ。その声で我に返ったアラシトは、一瞬の内に何がこちらに向かって来ているのか理解した。
「アシハラシコオだ!!!!!!」
誰かがまた叫んだが、流石歴戦の天之日矛の面々である。アシハラシコオたちの姿が見えるまでには10名全員が馬に跨っていた。上流から姿を現したのは5・6騎のシコオである。数では日矛たちの方が上だ。向こうも日矛たちに気付いたようで、少し離れたところで馬の脚をとめた。


アラシト達は、突撃態勢のまま待ち構えたが、どうやら向かってはこないようだ。しばしの間にらみ合いが続いたがシコオ達が馬首を北に向けた。彼らの本拠地に戻るようだ。アラシトらは胸を撫で下ろしたが、このままではまずいことに気がついた。シイネツヒコとの会談までは時間を稼がなくてはいけない。仇敵であるシコオの軍が伊和の里から押し寄せてきては、作戦もくそもない。戦いは避けられず混乱状態になるだけだ。
「今、やつらにここにいる事を知られるとまずいな・・・・。よし、全員やつらを追え!伊和の砦に奴らが帰り着くまでに討ち果たすのだ!突撃だ!」
アラシトの号令のもと、日矛たちは馬を駆ってシコオたちを追った。日矛たちの馬は半島産の駿馬揃いで、倭国の野馬から育てたシコオの乗る馬より数段早い。伊和の砦までには十分に追いつくだろう。


ここ伊和の砦は、因幡と播磨を結ぶ山道沿いにある谷に作られた砦である。伊和の里は揖保川の上流域全ての民を統括する。播磨国内でも人口の多いところだ。播磨の海岸沿いは瀬戸内の海人との交易で賑わってはいるがだだっ広い平野は守るに難しい。そこでここ伊和の地が選ばれたのである。交易の中心地は伊和から10里ばかり下った日女道というところで、ここはかつてスクナヒコナが開いた市が今でも続いている。播磨は稲作文化が広まっている豊かな国ではあるが周囲が敵だらけということもあり、政治的には空白地帯になりやすいのである。しかし陸上経済の発展は進んでおり、山陽道、因幡道などが交差する交通の要地である。播磨の伊和の大神はこの広い播磨平野を守護していた。


播磨には大きな川が幾流かあり、その川の流れを利用して筏や小船で移動し、交易もしていた。山の民でも海人でもない、まさに平野の民である。吉備から播磨の平野部分を中心に稲作を行う民が大陸などから移住してきていた。移住者が多いというのは、豊かな反面無法地帯にもなりやすい。ここで得られた収穫は伊和の大神が集めその利益により「アシハラシコオ」とよばれる兵を養い治安の維持も請け負っていた。伊和の大神は出雲系の豪族であり、初代大国主がスクナヒコナと共に国造りと倭国統一のため倭国各地を移動していたときに播磨の王に指名されそのままここに居座ったのである。


その伊和の砦に出雲からの客が来ていた。タカヒコ一行である。タカヒコは播磨に留まらず一気に大和入りする事を望んでいる。大物主の危篤の報が出雲に届いてからもう丸三日となった。大和からは近江まわりの早舟だったのでタカヒコたちの山越えより1日早くついたのだがそれでも使者が大和の地を出発しておよそ5日間は経っている。わざわざ陸路を選んだのはアシハラシコオの軍を大和へ同道するためである。


「何!100名も出せぬだと!!」
タカヒコは応対に出た、伊和の古老に怒鳴った。
「何故じゃ!大国主様より命はうけておられよう。100騎と歩兵200の合わせて300の軍を用意しておくようにとの仰せだったと思うが?」
「そ、それが出石に不穏な動きありとの報せが参り、伊和の大神様が殆どの兵を率いて行かれたので、ここには150名の兵しか残っておりませぬ。」
タカヒコは天を仰いで嘆息した。出石といえば吉備の日矛と誼を通じたタジマモリの本拠である。確かに吉備と出石の両側から攻めこまれては播磨のシコオも八方ふさがりである。吉備のアラシトが軍を動かしていない今、但馬を攻めるのには文句は言えない。しかし大国主の命を破って300の兵も出せぬとはタカヒコには信じられなかったが、ここまで来て後戻りはできない。大和はもうすぐそこである。


「しようがない。しからば連れていけるだけの兵を全部御借りしたい。伊和の大神様にもご挨拶したかったが、我らにはもう時間がない。伊和の古老よ無理を申してすまぬ。」
「いえいえ、伊和の大神様もさぞやあなた様にお会いしたかったことでしょう。では騎馬を50騎と、馬を別に100頭御渡し申そう。途中で乗りかえられるがよかろう。明石の厩にすでに100頭用意してござる」
「忝い、ここから明石までは如何程かかる?」
「馬を飛ばせば1日も掛かりますまい。そうじゃ途中の日女道の市におよりになられ兵を募られよ。あそこには農夫も海人も大勢おり、暇を持て余した荒くれもいろんな者がおります。中には役に立つものもおるやもしれません。」
「解り申した。在りがたき助言痛み入るが、あいにく人を集めておる時間ももったいない。ところでこの前に流れておる川を下ることは出来ぬか?」
「できまする。筏に馬に乗れぬものを乗せ下流の揖保の里で落ち合った方が早かろうとおもいます」
「では、手はずを頼む、」


タカヒコは、アカルヒメとホアカリらを別働隊として筏に乗せ、自らは加茂の民と伊和の民を率い騎馬で進むことにした。目標は揖保の里、相野である。ここは陸路が交差し、揖保の川も流れる地点でもある。山の民と平野の民の交易も行われる集落で筏の到着場所でもある。


タカヒコは馬を飛ばし通常の半分ほどの時間で相野についた。筏はまだ到着していない。しばらくここで待つことにして、ちょうど相野で開かれていた市場で休憩をとっていた。すると下流の方から全身血まみれになった騎馬が走ってきた。
「あれは何だ?」
と市場にいた人々がざわめきだした。
タカヒコが、血まみれの騎馬の方に目をやった瞬間、騎馬の男はどさっとばかり馬から崩れ落ち、そのすぐ後ろには、角突きの兜を被り、長柄の矛を手に持った10騎程の騎馬の集団が現れた。それを見た年老いた農夫が驚きの声を上げた。


「うわーっ!ひ、日矛だ!」
と、その市場にいた者たちが騒ぎ出した。すわっとばかりタカヒコに従ってきた加茂の民たちがタカヒコを守るように周囲に散った。シコオたちも馬に跨り現れた集団の退路を断つように展開した。日矛たちはあっという間に囲まれてしまったのである。こちらもアラシトを守るように陣形を整えた。タカヒコは、加茂の民の間から身を乗り出し、日矛たちの正面に立った。市場にいた民衆と兵たちは静まりかえり固唾を飲んでタカヒコとアラシトをにらみ合いを見つめていた。