2003/10/31



出雲国譲りの真相30

大物主への道7

タカヒコは浅い眠りの中にいた。心地よい秋の夜風を受けながら、穴師山山腹のほぼ 真中に位置し、磯城一帯そして三輪山が見渡せる場所にある茂みの中で、つい眠り込 んでしまったのだ。タカヒコが想定した決戦時間は夜明け前。小勢しか持たぬという 事と、できるだけ後に部下になるはずの三輪山の兵達を傷つけないようにするためである。太陽が昇り始めると朝議のため人が起き出してくる。その前に三輪の宮を制圧、もしくは大物主と会う必要がある。そしてもう一つ、磯城の人々との初対面に際し、昇り始めた太陽の神秘性溢れる姿を、自分を受け入れやすくするための演出効果として利用しようとしているのだ。


この時代、大規模兵力の夜間移動は考えられない。いくら将がその必要を訴えても、兵はてこでも動かないであろうことはタカヒコでも、またその他の誰でも当然予測できることだ。従って大和川の入り口で臨戦態勢に入っていた橿原軍のほとんどは夜が明けきるまで動かないという判断もあった。案の定、鳥見山を巡回していたニギハヤヒが率いていた一団は、穴師山に潜んだタカヒコらに対して、数名の物見を残しただけで引き上げてしまった。タカヒコの思う壺である。一方、ニギハヤヒとしても、数10名の兵を真夜中まで動かすことの無理は承知していた。不満が出てくる直前に、防衛のための罠を施した後、物見だけを残して兵を解いたのだ。


兵を解いたとはいえ、慎重なニギハヤヒは自ら物見の一団に加わった。すぐさま異変に対応するためである。これはタカヒコにとっては計算外のことであった。そしてもう一つの計算外がじわじわと三輪山に近づいてきた。イリヒコ率いる橿原軍である。イリヒコは夜間移動という非常手段を講じる事ができるほど、橿原軍に信頼されていたのだ。


イリヒコは着々と兵を三輪山方面へと動かしていた。まるで祭りの宵宮のような松明の灯かりが、後世耳成山と呼ばれる神山の東から三輪山の方角へと、まるで光る蛇の体の如く伸びていた。その蛇の頭の部分にはイリヒコやタカヒコ謀殺を仕損じたヒオミらが居た。もう夜半を過ぎているので兵の意気も衰えている。このまま三輪山に侵入したとしても存分な戦いができるような状態ではないのはイリヒコたちにも十二分にわかっている。何しろ今日は午後からずっと臨戦体制なのだ。イリヒコが乗っている馬にも力がない。大和川からの強行軍で兵にも馬にもそしてイリヒコら幹部にも疲れが出ているのだ。


「ようし、今日はここで兵馬を休めよう。明日の夜明け前まで休憩しよう。」
と、イリヒコが馬上から叫んだ。それを聞いたヒオミは周囲の者たちに最後尾が耳成山の麓を通り過ぎた時点で休息をとるようにと指示を与え、最後尾に向けて伝令を発した。イリヒコ達も馬からおり、木々の根元に腰掛けて休息をとった。


「しかし、イリヒコ様、逃したタカヒコやナガスネらは何処へ隠れておるのでしょう」
「そんなことはどうでも良い。奴らもいずれ三輪山へと向かうことは決まっている。そこで打ち倒す以外に、我らの道はないのだ」
「まさか、先回りされているということはないでしょうか?」
「そうなら、ニギハヤヒから使いがあるだろう。大和川と三輪山を結ぶ道らしい道はこの道しかないのだからな」
「タカヒコらが山道を伝って行った可能性も」
「葛城や飛鳥の山の民ならまだしも、出雲の貴族がそんな道を通って三輪山に我らより先に到着できるとは思わないが」
「そういえば、葛城や当麻の山人達が静かなのも気にかかります。」
「奴らがタカヒコらを案内したとでも?」
「そういう可能性はあるのではないでしょうか?」
「山人たちは、ニギハヤヒが押さえているということだ。」
「ニギハヤヒ殿の手配に抜かりが無ければよいのですが。」
「まあ良い。夜明けまで休め。ここでどうこう言っても埒はあかないのだからな。少しでも休んで明朝には三輪山を攻めなくてはならぬのだ。」
「はい。イリヒコ様もごゆっくりなさいませ。私も休ませていただきます」
と、ヒオミがイリヒコの前から去ろうととしたとき、兵の最後尾のほうから時ならぬ喚声が沸いた。


「何事?」
そこへ、最後尾に向かった伝令が戻ってきた。
「何があった?」
「後ろから騎馬の者がもっておったらしき松明の火が追いかけてきたそうなのですが」
「騎馬?義父上からの伝令か?」
「いえ、それが、途中で耳成山の山道へと消えていったと・・・」
「何?」
「何やら松明を持っておったのは熊のような大きな体躯の持ち主だったそうなのですが、最後尾の兵達は、やれ山の神だ、やれ神火だ、三輪山の神がお怒りだと・・」
「混乱しておるのか?」
「はい。」
「よし、私が静めにいこう」
と、イリヒコが馬に跨ろうとしたとき、騎馬が一騎近づいてきた。


「イリヒコさま、大丈夫でございます。私が収めて参りました。もう後ろの兵達も休息にはいっているかと思います。」
「おっ!そなたはタカクラジ殿」
「はい、最後尾にまぎれてついてきました。わが父にとっても一大事。この目で顛末を見届けたいと思います。人質はわが弟ウマシマチ一人で十分でしょう。」
「それは、心強い。」
「イリヒコ様、これをお納めください」
と、タカクラジは腰に佩いていた鉄剣を差し出した。

「これは?」
「我が父、ニギハヤヒが私に与えてくださった宝剣にございます。鞘は父のものとおそろいの仕立てです。これを見せれば纒向の西の関所もすんなりと通れましょう。筑紫の刀工が鍛えた名剣で一名をフツノミタマの剣と申します。」
「なんと、それは心強い。在り難く戴こう。」
「しかし、何者だったのか?その神の火を持つ騎馬とは。」
「おそらく」と、タカクラジが殺した声で答えた。


「コヤネの息子タケミカヅチかと思います。私は一度、纒向で会ったことがあります。あのような偉丈夫は、ナガスネヒコ殿以外にはミカヅチ以外に考えられません」
「ぬう!やはり生きておったか!!!あの裏切り者。」
と、悔しそうに、ヒオミがうめいた。
「ミカヅチに先を越されたか。まあしようがない。幾ら強かろうと一人では何もできまい」
と、イリヒコは呟いた。悔しげに俯いたヒオミがタカクラジに向かって問いかけた。
「コヤネ殿はどういうおつもりなのか?」
「昨夜のあの様子ではコヤネ殿はまさか、息子のミカヅチがタカヒコに付いたとは思っておるまい。大体、父上もタカヒコ殿を大和に入れるなとナガスネらには命じていたようですが、殺せとは命じてはいなかった。このあたりの甘さが裏目にでました。」
と、タカクラジは答えた。


「そうでしょうな。ニギハヤヒ殿お気に入りのナガスネまで出雲方に寝返るとは ・・ ・」
「もう良い。ヒオミ殿。タカクラジ殿今更そんなことを悔いてもどうしようもあるまい。先にも言った通り、我らに残された道は三輪山での決戦しかなかろう。今は少しでも休むのがよいでしょう。」
と、幼いころから天之日矛軍団の一員として歴戦を重ねてきたイリヒコは冷静に両者を諭した。イリヒコ軍は、このまま夜明け前まで休息をとるという既定の方針通りの行動をとることになった。


出雲の兵や播磨の兵よりも数では完全に勝っている。この戦力差と地の利を行かせるイリヒコ軍は少々の出遅れは挽回できる。かえって慌てふためいてこのまま三輪山に向かうほうが危険なのだ。その頃、耳成山に一端入り込んだミカヅチとタニグクは馬を乗り捨てて、山を降り、三輪山に向かっていた。もう決戦は目の前である。一騎当千の兵とはいえ立った二人でイリヒコ軍と交戦できるはずもないし、はぐれたタカヒコらの向かうのは三輪山しかないという考えである。


二人は真っ暗な夜道を歩いていた。
「ミカヅチ殿、三輪山に直接向かうべきでしょうか?」
「どうしたものか?わが父コヤネに対面して真意を問いただしたいのだが」
「大丈夫でしょうか?あの大軍からして橿原の兵達は総力戦のようです。三輪山の内部でも何か大事が起こっているのは間違い在りますまい。コヤネ殿はおそらくニギハヤヒの意に沿っているはず」
「それはそうだろう。ナガスネヒコ様も私もタカヒコ様を大和に入れるなという密命を帯びて出陣したのだ。ニギハヤヒ殿は一体何をお考えなのか?タカヒコ様のご器量を直接目にすれば父もニギハヤヒ殿も考えを改めるのではないかと思うのだか・・」


「どうでしょう。橿原を動かしたのはニギハヤヒ殿に間違いないのでしょう?もうこうなってしまっては、あちらも今更後には引けぬはずでしょう?」
「しかしなぁ。タカヒコ様のご器量は大和の王に相応しい。それはナガスネヒコ様も伊和様も認めてらっしゃる」
「もはや、タカヒコ様のご器量といつた問題ではなくなっていると私は思います。ですからどういったことになろうと、タカヒコ様のお命だけは守り通さなくてはなりません。このままでは私も出雲には帰れませぬ」
「そうだな。我ら武人がどうこういっても政はどうにもならぬ。今はタカヒコ様のお命を守るということを念頭に動こう。」


二人は、三輪山への歩みを速め、深夜の闇へと潜んで行った。
「ニギハヤヒ様、こんなところで何を?」
と、コヤネは三輪山の北側に位置する政庁前に設営された砦の上から周囲を見まわしてるニギハヤヒに声をかけた。


「いや、眠れないのだ。どうしても気になってしかたがない。」
「夜襲を警戒されているのですかな?」
「うむ。何やら胸騒ぎがしてる。」
「先ほどは穴師山まで出張られたと聞きました」
「タカヒコというのはかなりのやり手らしい。他のものには任せておけぬ。さきほど届いた報告ではタケミカヅチも奴についたとか。」
「おや、私までお疑いなされるので?」
「いや、そうではない。コヤネ殿は私のために橿原の気難しい貴族たちを篭絡してくれた。疑うなどとということはない。しかしミカヅチとナガスネは万夫不当の兵 。この二人のことをコヤネ殿にお任せしたい」
「私もニギハヤヒ様を裏切るかもしれませんよ?」
「そうしたければ、するが良い。しかし今の私にはそれしか手がないのだ。」
「冗談ですよ。私にとってそして常陸の国にとって、出雲の大国主さまより、また大和の大物主さまより、ニギハヤヒ様のほうが大事です。息子は私が推し留めましょう。奴はまだまだ子供でございます。会うことさえできれば、私が我が子ミカヅチの暴挙をとめまする。ナガスネ殿も橿原軍とのごぜりあいで大怪我を負ったとききます。大した事はできますまい。」


「そうだな。」
「ところで、タカヒコ殿が穴師山に入られたのは間違いないので?」
「当麻の者達が注進してきたのだ。どうやら葛城の山人の中のはぐれ者と行動しているようだ。鳥見山のトミビコもタカヒコに加勢するのは間違いない。鳥見山の集落は裳抜けの空だったからな。」
「なるほど、彼らの案内で穴師山に潜伏したと?」
「おそらく。タケツノミの故事に習うつもりなのだろう」
「闇夜のカラス・・・・。」
「うん?」
「実は、さきほど夜目の効く配下のものを穴師山にもぐり込ませました。ヤタという男です。奴なら穴師山の潜伏先を見つけ出すことでしょう。ご安心ください。」
「何と手際の良いことだ」
「私は、ニギハヤヒ様に賭けております。是が非でも大倭の王になってくださいませ。」


「私は王にならなくても良いのだ。旧態のままの倭国ではやがて動乱が起こるのは目に見えている。このマホロバの国が繁栄することが私の願い。」
「そのために出雲の影響を排除するというニギハヤヒ様のお考えに賛同しておるからこそ、わさわざ東国から出向いているのです。」
「そうであったな。コヤネ殿。万が一、私が志半ばで倒れるようなことがあれば 、橿原のイワレヒコ一族を上手く利用して、大倭の国を治めてくれ。各地に散った我 が眷属、物部の者達にもそれは既に含んでおる。」


「そのような、遺言めいたことは無しにしましょう。まずはタカヒコを殺すか追い出せばそれで良いのです。」
「うむ。少し弱気になっておった。大物主様の御心に沿えぬことは心苦しいが、大和を出雲を凌ぐ国にし、倭国全土を統治するにはこのあたりで出雲をおいおとさねばならない。」
「そして、最後の仕上げは筑紫邪馬台国の占領にございますな?」
「そう、それが倭国統一の道なのだ。大国主はついに筑紫に攻め込むらしい。邪馬台国が出雲の支配におかれるような事にだけはしてはいけない。それを阻むには、大和は今こそ、出雲から独立せねばならぬのだ。」


橿原のイワレヒコ一族は、現在の筑紫邪馬台国連合主流派の伊都国王族、出雲大国主一族、大和大物主派の三極の大勢力、また「今来」の渡来人として列島を席巻した天之日矛ら、どの勢力とも血縁がある「傍流の貴族」である。イワレヒコらはどの勢力とも深い血縁をもつ一方、どの勢力の主流派にもなれない「宙ぶらりんの貴族」なのだ。


しかし、その細い糸のような繋がりはどれか一つが消滅したばあい、その後釜の座に導いてくれる運命の糸でもあるのだ。このような一族はイワレヒコ一族だけである。現在の三極体制が崩れた場合、彼らの血族的価値は飛躍的に上昇する。だからこそ大物主に忠誠を誓っているニギハヤヒからは邪魔者であった。


ニギハヤヒは彼らを大物主派の人々と血縁関係をより深くすることによって取り込もうとした。この時代の列島支配にはそれほど「血縁」とは重いものである。大物主派に彼らの血を取り込むことは、彼らの血筋より、大物主の血筋が上に立つということである。イワレヒコは自分の血のそういう価値を知ってか知らずか、ニギハヤヒと距離をおいてきた。もちろん大物主がバックについてるニギハヤヒと争そっても勝ち目がないのをしっていたからでもあるのだろうが。。。。。いずれもにしても、イワレヒコは先代の大物主との血縁を深める一方で橿原の地で半独立の体制を保ち続けていたのである。


コヤネは、このニギハヤヒとのやり取りの中で一つの事に気が付いた。ニギハヤヒが万が一敗れることになった場合、イワレヒコ一族を利用することによって東国支配権の確立が図れるのではないかということである。ニギハヤヒの代理としてイワレヒコの館に赴いたことは、今後の彼らとの付き合いを深める上で自らの立場を有利に働かせる切っ掛けになるのではないかということに。


しかしそれには、より一層の深謀遠慮が必要だ。後、コヤネの中央に残ることになった子孫たちは、壽詞職という列島内部勢力の間においての外交官的役割を一族の識として持つ事になる。そしてその立場を利用し列島が一つの王国としてまとまる途上において、子孫達は重要なポジションを占めつづけることになるが、それはまた別のお話し・・・・・・・・・・。


ヤタたち偵察員が、戻ってきた。タカヒコらを捕捉したのだ。といっても攻撃を仕掛けるほどの人数ではなかったので、穴師山中にいるタカヒコ、トミビコらの配置を確認しただけである。山道を大人数で駆け上がってはタカヒコらに気づかれる。かれらが何処に潜んでいるかわかると三輪山へどの道筋を使って侵入してくるかがわかるからそれに対して手を打てばよいのだ。


まもなく夜明けだ。ニギハヤヒは、まだ寝込んでいる兵達を起こし、穴師山への真正面に整列させた。夜明けと共に穴師山に向けて先制攻撃を仕掛けるのだ。夜明けまでの数分間、ニギハヤヒは執務室にこもった。薬香を嗅ぐためである。大陸産のケシの実の未熟なものに傷をつけると乳状の液を乾燥させて作ったこの薬香は後に阿片と呼ばれる代物である。ニギハヤヒはこの数日間、薬香のお陰で疲労と眠気を麻痺させてきたのだ。逆にいえば、薬香がないとニギハヤヒは今にも崩れ落ちそうなほどの疲労感にとらわれているだ。


「ニギハヤヒ様、まもなく夜明けです。」
室外から、兵の呼ぶ声がした。一時のまどろみの中からニギハヤヒの意識が戻ってきた。すっくと立ちあがったニギハヤヒの目は疲れを知らぬ獣の如くらんらんと輝いていた。いよいよタカヒコと、いや出雲と対峙するときが来たのだ。ほんのりと東の空の端が赤くなり始めていた。まもなく太陽が三輪山の陰から顔を出すだろう。その前に出動させねばならない。タカヒコに無用なパフォーマンスをさせるわけにはいかない。


ニギハヤヒは整列した100名ほどの精鋭の前にたち声高に叫んだ。
「さあ、みなの者!大倭の大物主様に仇を成そうとしている者供が、穴師山に潜んでいる。これを見つけ出して征伐せねばならぬ。鳥見山のトミビコも謀反を起こそうとしている。さぁ今からこのヤタのカラスの案内に従って賊を討つのだ!」


兵達は、その声に雄たけびで答えた。ヤタの率いる数人が砦からまず出発した。それに続くように大和の精鋭達は穴師山に向かっていくのだった。