2003/11/3



出雲国譲りの真相31

大物主への道8

「タカヒコ様、起きてください。もう東の空が赤くなってきました。」
タカヒコに付き随っていたタカマヒコが、木にもたれかかって居眠りをしているタカヒコをゆすり起こした。


「日が中天に上がる前に三輪山に入り大物主さまに会わねばならない。目と鼻の先ではあるが邪魔者はこちらにもいるだろうししな。」
「そうですよ、タカヒコ様。ところで私に一計があります。タカヒコ様の衣服と私の山人の衣装を取り替えましょう。」
「それは、もし万が一のときに私の身代わりになるということか?」
「そうです。ニギハヤヒは知恵者にございます。私達の作戦も既に見破られているかもしれません。願わくば我が一命をタカヒコ様のためにお使いください。」
「なんと!」
「私はどこまでいっても下賎の身。もし、引き立てていただいてもいろいろと難しいことがございましょう。」
「・・・・そなたに死なれるようなことがあれば妹はどうするのだ?」
「それだけが心残りにございます。タカヒコ様が無事大物主になられ、もし私が死ぬようなことになった場合、一つだけお願いがあります。」


「願い?」
「はい、我が妹のカヤナルミをタカヒコ様の宮にお入れくださいませ」
「わかった。万が一そのようなことになったら、カヤナルミの事は引き受けた。」
「うれしゅうございます。私もこれで命を惜しまずタカヒコ様のためにつくしましょう」
と、二人が語らっているところに、三輪山の東端に布陣しているトミビコの使者がやってきた。トミビコの配下のものたちもニギハヤヒの動きを察知したのだ。すぐさま行動に移らねばなるまい。タカヒコとタカマヒコは衣服を取り替え、下山をはじめた。こちらは山の戦闘になれたものたちといっても、タカヒコらは総勢10名。戦闘員として教育を受けたものはほとんど居ない。


「さあ、行きましょうタカヒコ様。戦いの役には立たないかも知れませんが、私は山育ち、迷わず三輪山の正面までおつれしましょう」
と、カヤナルミを背負ったタカマヒコが促した。まだ光の届かぬ山道はほの暗い。タカヒコは昨夜トミビコから譲りうけた金鵄の剣を握りしめ立ちあがった。タカマヒコはカヤナルミを背負っているというのに俊敏に足元の見えにくい穴師山の山道を降っていく。タカヒコやトミビコの配下の者はなんとかタカマヒコの早足についていってるというありさまだ。タカマヒコは時折、立ち止まり反対側から上がってくる物音がしないかどうか確認しながら順調に降っている。しばらく狭くて急な獣道を通ると広い道に出た。どうやら穴師山の西端に近いところらしい。案外と山道は整備されているのに気が付いたタカヒコが、トミビコの配下のものに問うた。


「この道は獣道とは呼べないくらい広い道だね。」
「この道は木津川から物資を運ぶ道です。布留のあたりから穴師山の西側を巡って三輪山まで一本道です。もうしばらく降ると厩もあります。」
「厩?馬も通れるのかい?」
「勿論です。途中馬が越えるのが無理なところが何箇所かありますが、そこには厩があって人足もおります。」
「なるほど、出雲の加茂のようなところだな。そこで馬に乗って降れば早いかな?」
「このままこの道を通るなら、はやいでしょうが、待ち伏せをされている可能性も高いですから」
「うむ」
「タカヒコ様心配いらないよ、もう少し降ったら横道に入るから。トミビコさんたちと合流するのに都合の良い東の方角にいきましょう。」
と、タカマヒコは振りかえって叫んだ。


そのまましばらく広い道を早足でかけおりると、下の方から人が登ってくる気配がしてきた。タカマヒコは道に寝そべり地面に耳をつけた。背中にいたカヤナルミはするすると近くにあった高い木の上にのぼった。


「まずい。かなりの大人数です。」
「あああっ兵だよ。お兄ちゃん」
「タカヒコ様、ここから、横道に入りましょう」
と、タカマヒコは獣道を指差した。タカヒコたちは大慌てで横道に入った。少しばかり入ったところで、身を隠すのにちょうど良い高さが1メートルほどの岩座をみつけ、タカヒコとタカマヒコたち数人はその下に潜りこんだ。入り切れない者たちは先に進んでトミビコたちと先に合流することになった。ここからなら広い道も見渡せる。兵達が通りすぎたら動きだすためにも都合が良い。


かなりの兵数だ。およそ50名以上はいるだろう。タカマヒコは先頭を行く男に気が付いた。
「ヤタ?」
「何だ、顔見知りなのか?」
「母の1番下の弟です。」
「つまり叔父ということだな?」
「あんな奴叔父でも何でもない」
と、タカマヒコが目に涙をためながらヤタの方を睨みつけた。


12年前、ヤタは葛城の山人を裏切り、橿原にタカマヒコの父母の居場所をご注進した男だ。そのご注進のお陰か、橿原を通じて三輪山に出仕している。タカマヒコ兄妹にとっては怨敵といっても良いほどの男だ。タカヒコ達は息を潜めて兵達が通りすぎるのを待った。全員が通りすぎて後しばらく待ち、まずタカマヒコが岩座の下から這い出てきた。敵がいないか辺りを見まわした。タカマヒコの視線が振りかえって岩座の上の方を向いて止まった。タカヒコは異常を察知し、カヤナルミを動かぬよう抱きしめ、穴の中にいる残りの者を手と目で制した。


「はっはっは。貴方が出雲の貴公子といわれるアジスキタカヒコ様だね?こんな目立つ岩の下の穴の中にひそんで見つからないと思ったか!ここはなあ。古のカモタケツノミ様が、纒向の国見をしたという岩座だよ。俺は葛城の山人、大和の山なら知らぬ場所はないのだよ。さあ、大人しくしな。」
と、岩座の天辺からタカマヒコに向かって声が発せられた。ヤタだ。気づかぬ振りをして舞い戻ったのであろう。ヤタはタカマヒコの事などすっかり忘れているようだ。


12年の月日は赤ん坊だったカヤナルミを子供に変え、子供だったタカマを立派な青年に変えてくれたのだ。タカマヒコはしめたと思った。これでタカマヒコをタカヒコと勘違いしてくれたらもうけものだ。タカマヒコは一昨日、タカヒコから聞いた名乗りをそのままそらんじて見せた。


「いかにも、私は出雲大国主の子、アジスキタカヒコと申す者。そなたは何故私の名を知っておる。しかも知っておいてその無礼はどういうつもりなのか?この出雲造りの鉄剣の錆びにでもなりたいのか?」
と、タカマヒコはタカヒコになり切ったつもりで大見得を切った。タカマヒコを高貴な人間と思い込んでいるヤタは一瞬ひるんだが、大声で言い返した。


「私は葛城のヤタ、三輪の里ではカラスで通っている。大和大物主のご命令で、罪人である出雲のタカヒコを討ち取りに参った」
「葛城の者のくせに、三輪の里に住んでいるのか?」
「けっそんなことはどうでも良い。山人の暮らしに嫌気がさしたから三輪の里人になったまでよ」
「で?嫌気が差したはずの山人の仕事を当てられているのか。ふっ」
「くそっ何で笑う!馬鹿にしやがって!!!」
「お前一人で私を討ちに参ったのか?先ほどの兵はどうした?」
「そんなこと今から死ぬお前には関係ない。」
「勲功を一人占めにする気だな?何と浅はかな男よ。」
「うっうるさいっ!!!里人なんて幾ら居ようと、戦闘が強かろうと、山の中では役に立たねぇ。馬道を山上の厩まで行ったら引き返してくるだろうよ。」
[ふふん。それまでに、私を殺してしまうつもりだな?果してできるかな?」
と、にやっと笑ったタカマヒコは、岩座に飛び乗った。そのまま鉄剣を振りまわしヤタに切りかかる。ヤタは身をよじって一太刀目をかわした。タカマヒコはそのままの勢いで岩座の反対側に飛び降りた。


「おい、どうした?ヤタとやら??」
「くそっ、貴族の癖に身のこなしの良い奴だな。抜かったわ。」
と、言いながらタカヒコらが潜んでいる反対側に飛び降りた。タカマヒコは待ち構えていたように剣を振るうが簡単に後ろに飛びのいてかわされた。すこし間が開いたのを確認したタカマヒコはタカヒコらからヤタを離そうと広い道へと飛び出し、山上に向かって駆け上がった。


「馬鹿め、そっちには兵がいるぞ!」
と、ヤタは追いかけながら叫んだ。ヤタという男はどこまでも手柄を一人占めしたい男らしい。ヤタはタカマヒコを追ってタカヒコたちから遠ざかっていった。


二人の気配が遠ざかったのを確認したタカヒコたちは、岩座の下から這い出した。トミビコの手の者が案内にたった。ここから麓までは後数分下れば良い。ニギハヤヒの兵の第2陣でも出くわさない限り、三輪山と纒向の都はもう目の前である。麓までは順調にやってきた。だが、正面にはニギハヤヒの兵たちが展開している。万が一山狩り部隊が討ち漏らしたとき、ここで食いとめる算段なのであろう。こうなってくると三輪山の入口にも兵が展開している可能性が高い。そこまで辿りつけばトミビコもきているだろから、何とかなるかもしれないが、今はここを抜ける手立てを考えなくてはいけない。


そのとき、三輪山の影から太陽が顔を出した。周辺を探索しながら展開している兵たちも太陽に気が付き、一斉に太陽の出てくる姿を拝した。太陽は光の筋を発し、その光の道はタカヒコたちの潜んでいる場所にも届いた。タカヒコはその光を受けた一瞬のうちに出雲を出るときに出雲の父なる山々から昇る太陽に誓った「出雲の敵は全て私にお与え下さい」という、自らの願いの言葉を思い起こした。タカヒコの体が自然に動き出した。黄金色に眩く輝く銅剣『金鵄の剣』を頭上に振りかざしながら兵が展開している路上に踊り出た。


「われこそは出雲大国主の息子、アジスキタカヒコなるぞ!!」
太陽を拝んでいた兵は慌ててタカヒコの声がする方向へと向き直った。すると、タカヒコが振りかざしていた金鵄の剣に反射した太陽の光が兵たちの目を射抜いた。


「うっ眩しい」
数10名いた兵たちのほとんどは、反射の光の眩しさに目がくらみ、そのまま立ちすくんでしまった。その様子を見渡したタカヒコは、金鵄の剣をかざしたまま兵達に向かって厳しく言い放った。


「やあやあ、ここにいる兵たちよ、お前達は三輪山の兵か?わざわざ出迎えご苦労。さあ、我らを三輪山へと案内せよ!」
そして、まだ潜んいたカヤナルミたちを自分の側へと来るように促した。その様子を暫し呆然と眺めていたこの兵達の司令官らしき男が叫んだ。


「何を不埒な、ニギハヤヒ様から出雲のタカヒコを名乗る不届き者が侵入してきているから退治せよとご命令を受けているのだ。兵達よ、あの男を叩き殺せ!!さあ行くのだ!!!」
その声に反応した数名がタカヒコたちに切りかかってきた。タカヒコはカヤナルミをトミビコの手のものに任せ、手にしていた金鵄の剣で一太刀目を叩き落としたかと思うと、舞うように向かってきた兵たちを交わしながら一撃を食らわし、次々と兵たちを撃退した。


「どうした!三輪の兵とやらはこんなにもだらしないのか!私が大物主の座についたら鍛え直してやる。」
と、司令官らしき者の目前に踊り出て、司令官をしたたかに打ち据えた。転びながら逃げ出した司令官は全員で取り囲めと命じた。展開していた兵たちがタカヒコの周りに集まってくる。流石のタカヒコも数10人に一度に討ちかかられてはたまらない。


金鵄の剣を両の手で握り締めた。手に汗をかいているのはタカヒコ自身にも認識できた。まさに絶対絶命だ。そのとき、三輪山の方角からトミビコたちが騎馬を駆って表れた。トミビコたちは兵達の後ろから急襲したためタカヒコを囲もうとした兵達のほとんどは馬に蹴散らされてしまった。


「タカヒコ様、ご無事で!」
「おお、トミビコ殿良いところに来てくれた。」
タカヒコたち全員はトミビコたちの馬に乗りその場を離脱した。タカヒコはトミビコの馬に相乗りした。


「三輪山に侵入しようとしたのですが、失敗しました。三輪山の砦には橿原のイリヒコたちの兵まで到着し、蟻の入り込む隙さえありません。数百名の兵が纒向の都にひしめいております。」
「そうか、ここまで、手を打たれているとは、私も思わなかったよ」
「さて、これからどうしましょう?」
「逃げてもしようがない。出雲の敵は私が倒さなければならない。」
「とおっしゃいますが、あまりの大軍にございます。鳥見山の兵全員を集めてもどうにもなりません。」
「ここらに展開している兵だけなら蹴散らすことも可能ですが・・・」
「一人でいく」
「はっ?今なんと??」
「真正面から大物主様に面会を願い出るしかない」
「そんなことは通用しますまい。大物主さまの宮の前まで到底近づくこともできません。」
「しかし、それ以外の手はない。お前達は、ありったけの弓矢を用意して、援護してくれ。それとカヤナルミを安全なところへ隠してくれ。私はこれから一人で行動する。」


タカヒコはトミビコと、砦の正面に立つタイミングだけを討ち合わせ、一人三輪山のほうへと歩いて行った。
その頃、夜のうちに纒向の都に潜入していたミカヅチは、タカヒコを探すというタニグクと別れ、兵達の目が穴師山方面に向いていることを幸いに、ミカヅチの父コヤネの宿舎に一人でもぐり込んでいた。香炉から仄かな香りが上がっている密室で親子は対面した。


「父上、これは一体どうしたことにございますか?」
「ミカヅチよ。お前は何も考えなくて良い。今ニギハヤヒ様が失脚することは許されないのだ。」
「タカヒコ様はすばらしいお人です。これからの倭国にはなくなてならない人です。まさに大和の大王に相応しい人物です。ニギハヤヒ様が有用な人物であるのなら、きっと失脚させたりはしますまい。私やナガスネヒコ様を寓されたように」
「うるさい!ニギハヤヒ様は宰相だ。一介の将軍風情のお主たちとは訳が違うのだ。許されるはずが無いわ。それが『まつりごと』の本質だ。そうなれば私が今までやってきた常陸や東国の経営も無駄になってしまう。お前にはそこのところが全くわかっておらん。今やお前はニギハヤヒ様からみれば裏切りものだ。この不名誉を挽回するにはお主がタカヒコの首を取れ」


「そっそんなことはできません。」
「ではしかたないな」
と、コヤネは裾で自らの鼻を覆い隠すとおもむろに香炉の蓋の部分を取り外し、部屋を出た。香炉からは白い煙が立ち昇り、あっという間にミカヅチ一人が残された密室に充満した。その煙を吸い込んでしまったミカヅチは、酩酊したかのように倒れ込み意識を失った。眠り薬の香炉であった。これでタカヒコは味方になりうる人物を失ったことになる。


太陽が完全に昇ったころ、纒向の都の砦ではイリヒコ、ニギハヤヒ、コヤネ、タカクラジ、ヒオミらが揃い今後の動きを考えていた。見えない敵をどう片付けるか、またどうやっておびき出すかで、それぞれ頭を悩ませていた。


「タカヒコ殿は何処へ隠れたのでしょう?」
と、イリヒコが切り出した。
「穴師山では一杯食わされましたからな。噂に違わぬ傑物ではあるようです。」
と、ニギハヤヒが返答した。実際、古くから言い伝えられている大和の始祖ともいうべきカモタケツノミの登場を思い起こさせるようなタカヒコの堂々の登場は三輪山の守備兵たちを同様させている。人の噂はとめられない。


「ところで、大物主さまの方は大丈夫なのでしょうか?」
と、コヤネがニギハヤヒに問うた。
「先ほど、ご様子を伺いに行ったのだ。今日は気分が良いと仰せになられて、正午にはタカヒコを迎えに都まで降りるとまで仰っていた。」
「それは、まずいのでは?」
「確かに、まずい。正午までにはタカヒコを始末せねばなるまい」
「かといって、このあたり一帯の山狩りを行うわけには参らないでしょう?正午までにはとても間に合わない。」
と、言いながら鎧姿のイリヒコがニギハヤヒの正面までずいと身を寄せた。
「私に、お任せ願えないでしょうか?」
イリヒコは、ニギハヤヒの眼をじっと見据えた。
「何か良いお考えでも?」
「彼はかなり大胆です。たった数10名とはいえ自分を害そうとしている兵の前に平然と現れたそうですしね。彼の性格を逆手にとって私が呼びかけてみましょう。この砦近くに潜んでいるのは間違いないのですから。」
「なるほど、しかし出てきては討たれるのは間違いないのに素直にでてくるものでしょうか?」
「彼についてのここまでの情報を整理すると、彼のやることはとても私の考え方と似ているのです。私なら大物主さまの命が明日をも知れないとしたら兵が無いから引き返すようなことはしません。そんなことを考慮にいれるなら播磨で大軍を設えるでしょう。彼にとって今1番優先すべき大事な事は、自分の安全ではありません。大物主さまに一刻も早く会うことでしょう。大物主さまに会わせてやると言えば必ず出てきますよ。」
「むう。」
ニギハヤヒは困惑していた。確かにイリヒコのいうことも可能性はある。が、三輪山中腹の宮にいる大物主に感づかれても困るのだ。返答に困っているニギハヤヒに助け舟を出すようにコヤネが発言した。


「橿原勢には、今イリヒコ様が提案された策で動いてもらいましょう。われわれ東国兵と三輪山の兵は当初の予定通りに探索を行いましょう。正午までにけりを付けるにはいろいろやってみるしかございません。」
「そうだな。。。ではイリヒコ殿、砦の正面は橿原勢にお任せいたしましょう。われわれの手勢は砦の内側の守備に配置し、残りを穴師山、纒向山に放ち探索を続けさせます。」


ちょうどその頃、大和川の砦では、イワレヒコ一族と河内のアカガネ率いる河内兵との間で激しい戦闘が始まっていた。砦に拠っている橿原勢は精強で、数の上では勝っている大和川を俎上してきた河内兵を次ぎから次ぎへと撃退していた。このままではアカガネ軍によるタカヒコ救出の応援も間に合いそうにない。イワレヒコ一族率いる橿原勢はナガスネとミカヅチを擁するタカヒコを逃がしてしまった汚名を晴らすという気もあって、より気合も充実していたのである。意気揚揚と船団を率いて攻撃を仕掛けたアカガネは焦っていた。まだ一集団の上陸も果せていないどころか、河内兵たちが橿原勢畏れ始めたのだ。こうなっては戦らしい戦にもならない。数度の総攻撃を跳ね返されたアカガネは、一旦下流まで船団を戻さざるを得なくなった。


カヤナルミは、トミビコの配下の者と飛鳥に向かっていた。とりあえず、三輪山の南まで行けば戦乱に巻き込まれることはないし、飛鳥の北に位置する鳥見山はトミビコたちの本拠地でもある。ここまで逃げおおせればもう大丈夫だ。


カヤナルミを飛鳥へと急がせたトミビコは、鳥見山から取って返し再び三輪山の北磯城の里にまぎれ込んだ。纒向の都から非難してきた里人が磯城の里には溢れかえっていた。もしやタカヒコもこの集団にまぎれて磯城に来ているかと思ったのだ。手分けして磯城の里を探したがタカヒコはいない。避難民は老人か女子供ばかりなので、若い男がいればすぐわかるはずだ。トミビコは絶望を感じながら再び三輪山へと向かったが、三輪山への最短距離の道々には兵が配置されており簡単には近づけない。


大物主の宮では、昨夜のうちにしのび込んだナガスネヒコと伊和大神が麓の情報をまだかまだかと待ち構えていた。病身の大物主は今日は体調がよいらしく正午には麓におりてタカヒコを迎えるつもりなのだが、自分一人では歩くこともできない状態である。ヒオミとの戦闘で大怪我を負ったナガスネヒコもまともに動けない。伊和大神とて老体である。ニギハヤヒを通してしか、兵は動かせない。タカヒコを見つけ出してここに連れこむのも、昨夜のうちならともかく、前面に兵が展開している今となっては不可能だ。


穴師山に逃げ込んだタカマヒコにももう限界が忍び寄っていた。ヤタに追いこまれ探索隊の兵にじわじわと囲まれていた。行き止まりの崖から飛び降り、穴師山の西側を巡る道に転がり出たタカマヒコは、近くにあった大木の裏にすばやく身を隠れした。息を整えたタカマヒコは覚悟をきめた。せめて憎いヤタと刺し違えてやろうと決心したのだ。


「おい!ヤタ!!!」
大木の陰から踊り出たタカマヒコは、ヤタの名前を呼びつけたが、返事はない。崖の上から遠巻きに様子を伺っている兵達の息遣いだけがタカマヒコの耳に聞こえた。獲物をハッキリとし視認した兵達は、崖からわらわらと降りてきた。崖の方に体を向け、降りてくる兵達に向かってもう一度叫んだ。


「ヤタ!!居ないのか?俺はもう逃げるのを諦めた。ここまで俺を追い詰めたお前に手柄をやろう。さあ、もう逃げも隠れもしない。かかって来い!」
と、タカマヒコは宝石のちりばめられた鞘を投げ捨て、鉄剣を両の手でしっかりと握り締めた。その時、木津川の方角から飛ばしてくる馬の足音のようなものが聞こえたような気がして、崖から眼を離し、木津川のを振り向いた。そこには、兵を二・三人従えたヤタが不敵な笑みを浮かべ立っていた。


「はっはっはっ。もう鬼ごっこには疲れたようだな。出雲の貴公子さんよ。葛城の山人だった俺の脚を上手くまけるとでも思ったのかい?まああんたも貴族にしておくには惜しい脚だがな。見ろ、こいつら里人出身の兵達を、あんたを追いかけるだけでもうふらふらだ。残念だったな、追っ手に俺がいたことを恨むんだな。」
と、話しながら、ヤタはタカマヒコの立っている場所までゆっくりと近づいてきた。


ヤタの剣がタカマヒコの脳天めがけて振り下ろされる。「ギン」と鈍い音が響く。両腕にヤタの力が乗っているのが解かる。タカマヒコの両腕の震えがヤタの剣筋の強さを示している。辛うじて一太刀目は剣で受けた。ヤタは軽く後ろに跳んでニ太刀目を討ち込む態勢を整えた。よろめいたタカマヒコに兵が襲いかかろうとする。それを見たヤタは兵達を制した。


「おい、。お前たちは引っ込んでいろ。万が一俺がこいつにやられたら一斉におそいかかりゃあいいだろう。これは一対一の勝負なんだ。俺が終わるまで手を出すな!」
兵達は不服そうな表情を浮かべながらも従った。彼ら里人には山中を走るように移動するのは、かなり堪えたはずた。安堵の表情を浮かべへたり込む兵もいた。


「さあ、勝負だ!」
ヤタはタカマヒコに向かって剣を付きだした。タカマヒコは兵ではなく、葛城の山人だ。従って剣の使い方も剣を持っての戦い方も録に知らない。一方ヤタは三輪山に使えてもう12年も経つ。それなりに剣技も習っているのだろう。ヤタの剣は銅剣、一方タカマヒコの剣は出雲の鉄剣、この戦いにおいてタカマヒコが勝っているのは剣の材質だけのようだ。


タカマヒコは何とか、気力を振り絞り剣を構えた。再びヤタの攻撃が始まる。一方のヤタにしても鉄剣を持つ相手との戦いははじめてなので、警戒しているようだ。銅剣ではかなり強い一撃を食らわさないと相手に留目はさせない。鉄剣なら一撃で致命傷を与えられるということは聞き及んでいたからだ。


大きく踏み込んだ一撃、タカマヒコは再び剣で受けようとしたが間に合わない。ヤタの銅剣はタカマヒコの左肩に食い込んだ。「グシャッ」という鈍い音がタカマヒコの体中に響いた。鎖骨を砕かれたようだ。右手に持った鉄剣を振りまわしてヤタを遠ざける。が痛みのせいか、剣を振るったのと同時にバランスを崩して倒れ込んだ。左腕を使って起きようとしたが、左腕が動かない。そこへヤタの留目の一撃が振り下ろされた。


(俺はここで死ぬのか??)
頭に銅剣の一撃をくらいながらぼんやりと、そんなことを考えた。額が割れたのかタカマヒコの目に血がしみ込んだ。
(うんまだ死んでないのか?)
剣を杖にして立ちあがった。そしてヤタの居るはずの方向を向いて立ちあがった。右手一本で鉄剣を握り、切っ先をヤタのほうに向けた。


(見えない?どこにいる?)
血が、再び目に入ってきた。立ったまま体中に神経を張り巡らす。どうやら左側頭部を銅剣で殴られたらしい。鈍い痛みが少しづつ強い痛みへとかわっていく。
(こりゃ駄目だ)
と、思って鉄剣を投げ捨てて左側頭部を右手で触ってみた。どこもへこんでないないようだ。どうやら切っ先でなく銅剣の横っ面で思いきりはたかれたらしい。タカマヒコが戦いを諦めたそのとき、目の前で大きな音がした。誰かの叫び声が聞こえてくる。


(ヤタの声か)
と、思った瞬間、誰かが思いきり体当たりしてきた。その体当たりに耐え切れずタカマヒコは倒れ込んだ。体当たりしてきた人間はタカマヒコの体に覆い被さっている。右手で目の回りの血を拭い自分に覆い被さっている男の顔を見た。


(ヤタ?どうして??)
と、ヤタの体を押しのけようとしたが、タカマヒコにはもうそれだけの力はなかった。
(誰かが助けてくれたのか?)
そう思って目を凝らした。するとヤタの体が無造作に引き剥がされたその瞬間タカマヒコの顔を覗きこんでいる熊のような大男の顔が見えた。


(誰だ?)
タカマヒコの意識はそこまてでついに途切れてしまった。