2003/11/8
大物主への道9
三輪山砦の上では、イリヒコとタカクラジ、ヒオミが纒向山、穴師山の方角に向かって立っていた。タカヒコに呼びかけるためである。まずイリヒコは兵たちに向かって命令を降した。
「よいか、橿原の精鋭たちよ。今から出雲の貴公子アジスキタカヒコ様がこの場にご降臨下さる。決して討ち果たそうなどとは思ってはいけない。私は彼と話がしたいのだ。もし表れたのならここまでお連れ申し上げるのだ。よいな!」
兵達は、どよめいた。何しろたった今まではタカヒコを討ち果たすことを指示されていたからだ。しかし総大将たるイリヒコ直々の命をうけたこともあって、どよめきはやがて無くなった。ヒオミだけその場を離れ、砦の陰に身を隠し、弓に矢を番えキリキリと引き絞った。その様子を眺めて、命令が行渡ったことを確認したイリヒコは、穴師山の方角に向けて一際大きな声で呼びかけた。
「アジスキタカヒコノミコト様、私は、大和の国橿原のイワレヒコ一族に名を連ね、次代の橿原を率いることになっているミマキイリヒコニエノミコトの申します。貴方様のご活躍は聞き及んでおります。大物主様のご病状はますます悪化されました。われわれは小さな面子を守るために戦う場合ではありません。」
そこへ、ニギハヤヒも表れた。ニギハヤヒもイリヒコに習い穴師山に向かって叫んだ。
「私は、ニギハヤヒノミコトです。アジスキタカヒコノミコト様にはこれまで無礼な振るまいをしてきましたこと、心からお詫び申し上げます。早く我が主君大物主様とご面会ください。」
辺りがシーンと鎮まり返った。誰も動かない。勿論返事も来ない。
「何の反応もなしか」
と、ニギハヤヒはイリヒコに話しかけた。
「まあ、警戒しているのでしょう。もうしばらく反応を待ちましょう。」
その、イリヒコの呼びかけをタカヒコは先ほど再会したばかりのタニグクと二人で聞いていた。避難して誰もいなくなった里人の家の中に二人は隠れていた。家の周囲には当然のように橿原の兵が展開している。
「タニグク、私は出て行こうと思う。」
「お待ち下さいませ。これは絶対に罠でございます。それが証拠にミカヅチ殿はついにコヤネの宿舎から出て来ませんでした。ミカヅチ殿は閉じ込められておるに違い在りません。」
「しかし、ここに隠れていたとて何も進展はせぬ。」
「それは、そうですが・・・・・。」
「こんなことをしている間に大物主さまが身罷られるようなことになっては本末転倒だ。」
「何を仰います。タカヒコ様が罠にかかって命を落とすようなことになればそれこそ本末転倒にございます。ご自重くださいませ。」
「しかしなあ」
タカヒコは焦っていた。いろいろと思い巡らすがいい考えも浮かばない。それはタニグクにしても同じだ。しばらくの間じっと考え込んでいたタカヒコは、何か思いついたように立ちあがろうとした。
「よし。出るぞ。」
「ええっ!」
「こんなところに隠れていてもいずれ見つかるだろう。とにかくイリヒコとニギハヤヒの顔だけでも拝んでやろう。」
と、歩き出そうとするタカヒコをタニグクは必死で押しとどめた。タカヒコはタニグクに向けてニコッと微笑んだ。
「狙ってくるとすれば、砦からの弓だろう?その射程距離にさえ入らなければ大丈夫だ。今イリヒコとやらは兵達には手を出すなという命令を出したばかり。逆に考えると、命令を撤回できない今しか出る機会はないのだ。」
そういうと、タカヒコは民家の戸を押し開き戸外へと踊り出た。タニグクは後に続くしか仕方なかった。幸い、この民家の目の前には兵はいなかった。タカヒコはずんずんと、兵達のいるところへと歩を進め、一人だけ離れて休息しているかのような老兵に声をかけた。
「おいっそこの兵。私が噂のアジスキタカヒコだ。お前たちの大将のところへ案内せよ」
兵は吃驚して後ずさったが、山人の格好をしているタカヒコを見て鼻で笑った。
「何を馬鹿なことを言うておる。お主のような貧しい格好をしているものがどうして出雲の大国主様の御子であろう。さっさと磯城の里へでも避難するが良い。」
「どうしても信じないのだな?」
「ああ、今忙しいんだ。お主の世迷言に付き合ってる暇はない。」
「証拠を見せてやるから、ちょっとこっちまで来い」
「証拠だと?」
と、言いながらタカヒコの方に近づいてきた。
「ああ、これだ。これは金鵄の剣という。カモタケツノミ様がトミビコら一族に与えたという由緒のある剣だ。近くまで来て見ろ」
訝しげながら近づいてくる老兵をタニグクが後ろ手に取り押さえ、声を出さないように締め落とした。
「タカヒコ様、なんて無謀な!」
「お前こそなんていうことをするのだ。老体にむかって。まあ良い。この格好では信じてくれぬようだから、この兵の来ている皮の鎧を頂こう。そうだ、お前もこいつらの衣服と鎧を奪え、そして二人でまぎれ込もう。」
二人は、同じような手を使って、兵からもう一丁の鎧を取り上げた。そして目立たぬように三輪山の砦に近づき、砦の真下にいる兵列にまぎれ込んだ。
その頃、大物主の居室ではオトシキからの報告で、伊和大神とナガスネヒコが砦で行われているただならぬ事態に気が付いた。二人は、居ても立ってもおれず、傷つき疲れた体を引きずり砦まで出ることにした。幸い三輪山内部の兵のほとんどが穴師山や鳥見山、纒向山への探索に駆り出されていたうえに、兵達も砦の騒ぎに興味をもっているらしく、二人の砦までの移動はすんなりと行った。
タカヒコとタニグクがちょうど砦の真下までやってきたとき、痺れを切らしたイリヒコがもう一度同じ言葉でタカヒコに呼びかけをした。その直後、砦の上り口から伊和大神とナガスネヒコが現れた。イリヒコらは一瞬狼狽したが、弓矢を準備していたヒオミがナガスネヒコに向けて矢を放った。手負いのナガスネヒコはこれを避けることができず、矢はナガスネヒコの左肩に突き刺さった。
「うぐっ!」
ナガスネヒコは射ぬかれた衝撃で、後ずさりした。ヒオミが伊和大神に二の矢の照準を合わせているのに気が付いたナガスネヒコは、伊和大神を抱きかかえるように庇った。ヒオミの二の矢はナガスネヒコの背中に「ブスリ」と突き刺さる。伊和大神は叫んだ。
「タカヒコ殿、罠だ。もしこの近くに居るなら逃げなさい!!」
伊和大神の声が、砦の真下近くまでまぎれ込んでいたタカヒコの耳にも届いた。矢を番えるのをもどかしく感じたヒオミは弓矢を捨て去り、剣を抜き伊和大神に斬りかかった。ナガスネヒコは気力を振り絞り、ヒオミの前に飛び出した。「ブスリ」ヒオミの切っ先はナガスネヒコの腹部をえぐった。ナガスネヒコはヒオミの肩を握り突き飛ばした。ナガスネヒコの腹からは血が滴り落ちている。ナガスネヒコは伊和大神を抱きかかえ砦の階段を降りようとするが、再びヒオミが後ろから斬りかかる。振り返りざま、ヒオミ突き倒したが、前身に激痛が走った。
(これまでか・・・・・)
と、思いを決めたナガスネヒコは、伊和大神を先に逃がし、砦の階段の降り口に仁王立ちになった。階段の下にはエシキ、オトシキ兄弟が10数名の弓兵を率いて待っており、伊和大神を守り、大物主の居室方向へと逃げさせた。砦の内部はエシキ・オトシキらの工作が功を奏し階下は混乱していた。ニギハヤヒの直属兵たちのほとんどが探索のため出払っていたのもエシキらにとっては幸いした。
仁王立ちになったナガスネヒコにニギハヤヒが言放った。
「ナガスネヒコよ、そこを退くのだ。」
ナガスネヒコは口からも血を吐き出しながら答えた。
「我が主であるニギハヤヒ様、これ以上のことは諦めてください。タカヒコ様と手を携え、大和の国を盛り立てて行くことはできないのですか?」
「できない。」
ニギハヤヒは言下に答えた。ナガスネヒコは目に涙をためながら剣を握り締めた。ナガスネヒコにとって、ニギハヤヒは義兄弟であると同時に尊敬すべき宰相である。彼のタカヒコ謀殺という決心が自分の説得で揺るがないのは、今、彼の真っ直ぐな眼と身つめあう合うことで十二分に理解できた。
「ニギハヤヒ様、ここで私と共に死んで下さい」
ニギハヤヒはその願いに沈黙で答えた。
少しの間を置いて、ナガスネヒコは残る体力を振絞ってニギハヤヒに斬りかかったが、出血のせいか目がかすみ一撃目を空振りし、そのままもんどりうって倒れ込んだ。邪魔をしていたナガスネヒコの巨体が倒れたせいで砦の上から階段の下が見渡せるようになった、そこにはエシキ、オトシキが率いる大物主の直属兵10数名が小弓を持ち階段の上を狙っているのが見て取れた。
「くそっ!」
イリヒコが、階下の様子を見てうめいた。その時、砦の外にいる橿原の兵の方から声がかかった。
「イリヒコ様、砦の中で何かあったのですか?砦の門を開けてくだされば応援部隊を送り込みますが?」
イリヒコはこのままでは、危ないと見て応援部隊を招き入れる号令を出した。砦の門の開閉を担当する兵が、イリヒコの号令に答えて門を開ける。その時、門の近くにいた男が1番に斬り込み、門兵を殴り倒した。それに続いた二人目の男は中に入り込んですぐさま門を閉じた。
最初に飛び込んだ兵は、門を背後に目の前にいた弓兵を指揮しているエシキ向かってに叫んだ。
「われこそは、出雲大国主の息子、アジスキタカヒコなるぞ!」
タカヒコの名乗りの言葉は砦の内外に響き渡った。砦の上に立っているニギハヤヒら首脳陣も事態を把握しきれず、唖然としてしまった。名乗られたエシキにしてもそれは同じで、弓を下げさせることも忘れ、しばし呆然と立ちすくんだ。再び砦の門の外に締め出された橿原の兵達の方がかえって事態を良く飲み込めたようで、一瞬の沈黙の後、慌てて門に攻撃を仕掛けた。砦の内外は今日一番の喧騒に包まれた。エシキの後ろに控えていた伊和大神が叫ぶ。
「エシキよ、やっと総大将のおなりだぞ!さあ弓兵たちを下げるのだ。」
言われて、エシキは慌てて弓兵に待機の命令をタカヒコの前に跪いて四拍手を打とうとした。タカヒコはそれをとどめてこういった。
「挨拶は後で聞く、さあ、ニギハヤヒとイリヒコの前に案内せよ!」
「ははあっ」
エシキは率いてきた弓兵を門の守りに付かせると、砦の上に続く階段まで、タカヒコを案内する。タカヒコとタニグクは軽やかに階段を上り詰めた。上り詰めた先には虫の息になって倒れているナガスネヒコを見つけた。タニグクはナガスネヒコを抱き起こした。まだ意識はあるようだが、この出血ではもう命が持たないことは一目瞭然だ。タカヒコはナガスネヒコの腕をとり「よく、頑張ってくれた。死ぬな。さあ、タニグク、ナガスネヒコを下に降ろし
て手当てを施せ。」
言い終わらぬうちに、我に返ったヒオミがタカヒコの背後から切りかかる。タニグクは危ない!と叫んだが両腕は巨体のナガスネヒコの背中を抱いているので動かせない。タニグクからはタカヒコが体をずらして除けたように見えた。慌ててナガスネヒコを床に降ろしたが、タカヒコの立っていた方から血が流れてきたのが見えた。
恐る恐る顔を上げると、ヒオミの体に、深々とナガスネヒコの剣が突き刺さっているのが見えた。ナガスネヒコの片手の一撃がヒオミの攻撃を防いだのだった。ナガスネヒコは言葉こそ出ないが口の動きでタカヒコに訴えた。
「ここで、死なせてくれ」
と、タカヒコには見えた。タカヒコはタニグクに命じ、ナガスネヒコをその場に座らせた。ナガスネヒコの前に立ち、金鵄の剣を振りかざしたタカヒコはニギハヤヒらの方を向いた。
「そなたが、大物主さまの宰相としてその名も高いニギハヤヒ様か?」
「いかにも。アジスキタカヒコ様、お見知りおきを、お願いいたす。」
と、ニギハヤヒは臆せず堂々と答えた。
「何ゆえに私の大和入りを邪魔致す?この大和の国を乗っ取らんとする存念か?」
「乗っ取り?そのような、小さな了見ではない。出雲のやり方では、倭国は決して一つにはなれぬ。出雲を排除すること。それが倭国を統一するためには不可欠なのだ。」
「何だと?大国主様をないがしろにする気なのか?」
「そうだ、出雲のやり方は古すぎる。」
「笑止。『まつりごと』古いも新しいもない。徳を以って世を治めるのが王の王たる役目である。」
「そんなことだけで、倭国は纏まれますかな?現実問題として、東国の諸王は不満を囲っている。筑紫島は邪馬台国連合が割拠して、クナ国と争い戦乱が治まらない。瀬戸内とて、幾多の海人が乱立して、海賊行為が横行している。これを正すには政道を正し、法を以って臣民を率いていかねばなりますまい。古き出雲には無理でしょう?」
「中華に習っての法による国づくりか。。。。私は今の倭国にはそれは早すぎると思う。まずは大国主さまによる王化こそが国づくりへの早道だと思っている。少なくとも出雲では、スクナヒコナ様の大智にしたがって着々と国づくりを進めている。」
「立法と法の施行が施行時期が尚早であると?何時になったら時期がくるというのだ?そんなことを言っていたら何時までも倭国は東夷の野蛮国のままだ。誰かがはじめねば何時までたっても時期など尚早のままだ!」
「それを。貴方が創めるというのか?ニギハヤヒ殿?」
「そのつもりに、ございます。出雲のお歴々にはこのあたりで大和から手を離してもらいたい。」
「僭越至極。私は出雲の武神の化身となって、まず倭国に武を布く。法だの何だのは大国主様による王化が津々浦々まで行き届いてからの話だ。」
「武を以って世を治めると?そんな大事が成せましょうか?奴国が邪馬台国連合に飲み込まれ、出雲にスサノオが国を開いてから200年あまり、ここ大和にカモタケツノミ様がご降臨されて100年余り、初代邪馬台国連合の女王火神子が死して既に50年以上の月日がたつが、倭国には一向にまとまらない。それは何人の王が立とうと、いつまでたっても法が成り立たぬゆえです。」
「笑止。武を布かずして、また国の王化ができずして何の法だ!」
そうなのだ。タカヒコの言う通り、ある者が取り決めた秩序を他者に従わせるためには「武力」は不可欠だ。それがないと絵にかいた餅にすぎない。今、倭国の実力者達がぼんやりとではあるが「列島および朝鮮半島の南部は1つの地域である」という自覚を持ち始めたのは、スサノオ以来の出雲の交易による王化が日本列島の中央部および各地のの港に、また邪馬台国連合の影響力が筑紫島およびその周辺地域にじんわりと浸透していて、その両者が冷戦状況にあるからだ。筑紫が出雲を、また、出雲が筑紫を完全に支配した形ができあがらないと、倭国統一というのはとてもできない話だ。
しかし、もともとは魏人であるニギハヤヒにとっては、倭国というのは中華帝国の言うところの『東夷』に過ぎない。彼の出身地である旧魏国領域は今、三々五々の地域に分裂し、それぞれが中華の帝国を真似、幾つもの擬似帝国を形成している。後にいう八王の乱から五胡十六国時代である。彼は大和の国の法治国家とし倭国列島の代表王権とし、中華大陸に乱立する擬似国家と同等の国家として育てあげようとしているのだ。
タカヒコにとって、自分が存在し帰属すべき世界は出雲を中心とした世界だ。しかしニギハヤヒは違う。彼が存在し帰属すべきだと信じて疑わない世界とは飽く迄も中華世界なのである。倭国の王族の血を引くものを祭り上げ、それを奉じて中華世界に帰属した国家を作るということだ。タカヒコそして出雲国家の目指す布武政策の対象は列島、及び朝鮮半島南部のいわば環日本海世界である。両者が認識している倭国の概念はまるで違うのだ。
大極を見るということではニギハヤヒの考え方が正しい。だが、列島と大陸は海という天然の要害によって分かたれている。大陸出身者のニギハヤヒは倭国側から大陸に絡んで行かない限り大陸は倭国に見向きもしないという現実的事態を失念しているのだ。五胡十六国建国に擬した倭国建国と、倭国の統一政権樹立とは似て非なるものである。魏国の後継帝国であった晋が内部分裂を始めて以来、筑紫島の邪馬台国連合の倭人を除いて、倭人を形成する民のほとんどは中華帝国というものを現実視できていないのである。
「出雲の蛮王子アジスキタカヒコを打ち倒せ!」
二人の言い争いを聞いていたイリヒコは、砦に侵入しようとしている橿原勢に指示した。イリヒコにとっては、倭国全体の行く末よりも橿原の勢力拡大の方が大事なのだ。こんな言い争いは、彼にとってまるでメリットはない。せっかくの兵力的優位を生かし、タカヒコを亡き者にすることの方が、今の彼にとって唯一の現実的対処である。後には引けない。
「かかれ!」
橿原勢は、民家を壊し、その柱を取りだし、数人で槍の如く構え砦に突進をはじめた。また壊した民家の部材を梯子代わりにして砦によじ登り始める者もいる。砦の陥落は間近である。タカヒコを支援する兵はホンの10数名、一方砦の外部から攻撃を仕掛ける橿原勢と東国勢は総勢500名ほどの大軍だ。「ズーン」と大きな振動音が何度も砦に響き渡る。
「タカヒコ様!大物主さまの宮までお退きください!!!もう門が持ちません!!」
階下を守っているエシキが叫ぶ。タカヒコ達の立っている場所も橿原勢の突進のたびに揺れている。タカヒコが視線をニギハヤヒの目から離し、階段の方に顔を向けた。その隙を待っていたのかのようにコヤネとタカクラジがタカヒコに両脇から襲いかかる。タカヒコの横に立っていたタニグクがコヤネの太刀をはじく、タカクラジの向けた刃がタカヒコの左肩の辺りに食いこんだと思った瞬間、逆にタカクラジは宙に飛ばされ、砦の下へと転落した。
タカヒコとタニグクの間でへたり込んでいた血まみれのナガスネヒコが立ちあがりタカクラジを突き飛ばしたのだ。タカヒコは崩れかかるナガスネヒコを抱きとめようとしたが、ナガスネヒコはその手を振り解き1歩、2歩とニギハヤヒに真正面から近づいていく。ニギハヤヒは剣をナガスネヒコの腹部に突き刺した。血を流し尽くしたのか血が噴出すことはない。もはや痛みさえ感じられなくなったのか、自らの腹部で剣を飲み込むようにナガスネヒコはさらに前へ出る。背中から剣先が飛び出した。
それでもナガスネヒコは歩みを止めない。
「剣を捨ててお逃げなさい。」
そのただならぬ様子を横目で見ていたイリヒコがニギハヤヒに向かって叫ぶ。しかしニギハヤヒは蛇に睨まれた蛙のように身動きができない。
「ニギハヤヒさま・・・・・」
そう一言呟くとナガスネヒコは両手でニギハヤヒを抱きしめた。ナガスネヒコの背中から突き出た剣先が伸びた。ナガスネヒコの口からあふれ出た血がニギハヤヒの顔に掛かる。イリヒコは横合いからナガスネヒコに斬りかかりニギハヤヒと引き離そうとするができない。タカヒコがイリヒコの剣を金鵄の剣で叩き落した。ナガスネヒコは一度大きく息を吸い込んだ。そして、ニギハヤヒを抱きしめたまま、砦の壁に突進する。壁は無惨にも砕け、二人の体は宙に舞い、そして地面に叩き付けられた。
「なんということだ!!!」
とコヤネは驚きのあまり、叫びながら砦の下を覗きこむ。タカクラジは剣を杖代わりに立ちあがろうとしている。
「ニギハヤヒ様は??」
コヤネの視線は抱き合うように墜落し、ピクリとも動かない二人を捉えた。コヤネの横から覗き込んだイリヒコは下にいる兵にニギハヤヒとタカクラジの介抱を指示した。
「タカヒコ様、もう駄目です!!」
階下からエシキの声がする。タニグクが呆然と壊れた壁の辺りを見つめているタカヒコを促し、階下へと引っ張って行こうとした。
「おまちなさい。タカヒコ殿」
コヤネがタカヒコの方を振り向いて言った。
「この倭国を、天地の始めて現われしときの混沌の世の中に戻すおつもりか!!」
タカヒコは何か言い返そうとしたがタニグクが無理やり階下に押しやった。タニグクとタカヒコは下で待っていたエシキらの集団に紛れ込み、大物主の宮の方角を指して三輪山を昇っていった。
直後、門は終に破壊され、あっという間に橿原勢と東国勢が砦の中へ充満した。砦の下で陣頭指揮にあたっていたタケヒが指示を得るため砦の上に上がって来た。イリヒコはとりあえずヒオミの亡骸を階下へ下ろすことを命じた。
「イリヒコ殿、これから如何されますか?」
と、二人だけ残された砦の上でコヤネはイリヒコに問うた。
「やるしかございませんな。」
と、大物主の宮があるあたり、三輪山の中腹を見つめたままイリヒコは答えた。
その言葉にコヤネは静かに、そして強く頷いた。行動を始めたとき三輪山の影から顔を出し始めたばかりだった太陽は既に中天に上っている。雲一つない晴天に、つむじ風がぴゅんと吹いて、ぐらぐらになっていた砦を揺らせた。二人はそのつむじ風が、ニギハヤヒの魂を三輪山の上に連れて行くのだな、と、なんとなく感じた。