2003/11/23



出雲国譲りの真相33

大物主への道10

イリヒコとコヤネは兵をまとめ直し、砦の内部に集結させた。三輪山への侵攻を決定したことを全軍の兵に伝えると、兵達の間に動揺が走った。イリヒコは飽く迄も出雲からやってきたタカヒコこそが、大物主の君側の奸であり、彼は名宰相の誉れの高かったニギハヤヒと大和の英雄ナガスネヒコを謀殺した張本人であるとした。タカヒコを取り除かなくては、大和の国には明日はないという主張を繰り返し、この軍事行動は決して大物主に反逆を企てるのではないということを主張した。橿原の兵といっても、大半は大和盆地で生を受けた大和人である。彼らにとって三輪山とその祭祀を司る大物主は神聖にして犯すべからず存在なのだ。東国兵たちも大和三輪山の大物主というのは神聖な存在であり、三輪山も神宿る甘南備山の総本山的立場にあるということは深く理解していた。神に刃を向けるという意識だけは除いておかねばならない。この戦いは三輪山の神を大和人に取り戻し、大物主の君側の奸を取り除くための聖戦であるということを認識させなくてはいけないのだ。


こういった工作をするのに、寿詞識についていたコヤネの存在は大きかった。彼は神の言葉を受け継ぐのである。出陣の儀式において、コヤネは例のように神懸り状態になって叫んだ。
「全ての民よ、三輪山の神を出雲の悪しき王子の陰謀より救い出してくれ、大物主を助けて出してくれ」


その儀式を見ていた兵達も、やがて興奮してくる。戦わねばならない。出雲の王子を倒し、大和の神をそして、王道を死守せよという意識が兵全体に漲った。全軍の士気が高まったところで、イリヒコは作戦を授けた。まず50名ずつの2つの軍を編成し、先発させ大物主の宮の左右に待機させた。イリヒコとコヤネは先発軍の配置が完了した時点で残り400名の主力軍を率い、真正面から最短距離を通って攻撃を仕掛ける。先発の両軍は、この正面攻撃の補佐と、宮から逃げ出した者を捕縛するのが役目だ。


大物主の宮では、伊和大神の立会いの下、大物主とタカヒコの面会が行われていた。
「よう来てくれた、タカヒコ殿」
大物主は寝台に座ったまま、挨拶を終えたタカヒコの手を取って喜んだ。出雲を出発して以来、誤算続きだったタカヒコの旅も漸く最小限の目的を達成できたことになる。出雲育ちのタカヒコにとっては、播磨、河内そして大和といった地域には出雲大国主の御稜が神々の玉垣である神山に守られた出雲地域のように行渡っていないのが実感できた貴重な旅でもあった。ここ大和はそれらの地域の中でも、王である大物主が老齢であり、明日をも知れない命であるということで、最も揺れている。このまま大和を放置していては、やがて出雲の玉垣でさえも揺るがしかねない事態になることも予想できた。大和の安定は即ち出雲のそして大国主に従属する全ての出雲世界の安定でもあるのだ。


「私の命はもう長くない。後のことはタカヒコ殿に任せます。本来なら夕刻から禊を行い、明朝の日の出を以って三輪山の神に誓いを立て大物主の位を禅譲するのが良いのだが、そんな状況ではないようだ。伊和殿はじめ皆のものよ、三代目大物主誕生の証人になってくれい。儀式は後回しだ。」
「在り難きお言葉にございます。」


タカヒコは、感涙し、大物主にひれ伏した。大物主は、寝台の横に飾られている衣服と冠を指差し、それを着るように促した。大物主の正装である。タカヒコは別室を用意されそこで簡略な潔斎の儀式を行ってから正装を身に纏い、改めて大物主就任の儀式を行うことになった。


タカヒコが居室を出た後、大物主は伊和大神から砦の事件を聞き、信頼を置いていたニギハヤヒとナガスネヒコの死など、山の麓の情勢を聞いた。年老いた大物主にとって、ニギハヤヒの死は、やはりショックだったらしく、暫し呆然とし、涙を流した。潔斎の儀式が終わるまで、寝台で休むことを奨められ大物主は再び眠りについた。


伊和大神はエシキから、兵が向かってきているという報告を受けた。当然予想された事態ではあったが、大物主の宮を襲うという暴挙はしないかもしれないという一筋の楽観的要素はこれで完全に無くなった。脱出するには山の頂上を越え、飛鳥方面へと出るしかない。ここで戦闘を開始しても兵力差は歴然としている以上勝ち目は毛ほどもない。かといってこの宮より上は禁足地である。道らしい道もないのだろう。あったとしても誰も道案内などはできない。


「ここに立てこもるしかないのか?」
と、問わず語りに呟くと、エシキが答えた。
「ここでは、無理でしょう。お世話や給仕のための女性も沢山いますし、武器は大量に保管してありますが砦のような設備は、門と敷地内の物見矢倉しかない。東の道から磯城の里方面に落ち延び、一旦脱出するしか手だてはありますまい。」
「そちらからは、兵は来てないのか?」
「はっ、現在は敵の気配はないようです」
「そうか、東の道から脱出するしかないのか・・・・」
と、伊和大神が呟いたと同時に、宮の門を叩く音がした。


「何事だ?」
「橿原勢が上がってくるには早すぎますな。見てまいります。」
エシキが門の外を覗くと、そこにはトミビコと、彼の配下の20名の兵がいた。
エシキは彼らを招き入れ、伊和大神のもとへ連れていった。
「何!!!東の道ももうふさがれているだと!!」
トミビコたちからの報告を聞き、伊和大神は思わず叫んでしまった。トミビコたちは、磯城の里から、東の道を通ってここまでやってきたのだが、途中で橿原勢を発見したのだった。橿原勢は里人の集団のため、脚が遅く、追いつかれたりはしなかったが確実にこちらに向かっているらしい。


そこへ、潔斎と着替えを済ませたタカヒコが現れた。
「おおトミビコ殿、応援に来てくれたのだな」
正装をしているタカヒコを見て吃驚したトミビコだったが、諌めるようにタカヒコに返答した。
「タカヒコ様、何を暢気なことをおっしゃっております。逃げ道は完全にふさがれたのですよ?私も弟、ナガスネヒコに負けないよう奮戦いたす所存ではありますが・・・・」
「勝ち目がないと?」
「・・・・・・」
伊和大神が口を挟んだ。
「タカヒコ殿には何か妙案がございますのか?」
「妙案?正面突破しかないでしょう。」
「正面突破だと!!そんな無茶な・・・」
と、伊和大神、エシキ、オトシキ、そしてトミビコは顔を見合わせた。一人タニグクだけが「またか・・・」という顔して、黙って俯いていた。


「今まで、これでやってきたのだ。これしかあるまい。なぁ、タニグク」
と、タカヒコは明るい声で、タニグクに話しかけた。タカヒコは出雲の神のご加護が自分を守ってくれている、だからこそ自分としては今できることをきっちりやるしかないと考えていた。援軍を待つ時間的余裕もないし、今から取ってつけたような策略を巡らしても効果がないことは解かっている。とすれば、せめて次期大国主になる弟の将来の仇になるかもしれない、イリヒコだけは倒しておきたいのだ。その決意は表情にも表れている。出雲からずっとタカヒコの行動に従ってきたタニグクとしては、その決意の表情をみると何も言うことはできない。黙っているとタカヒコはタニグクの様子に頓着もせず、伊和大神らに向かって言い放った。


「ここにおわすお歴々は、小勢といえどもみなが一騎当千の兵。橿原の軍勢ごとき何を恐れることがありましょう。第一、老齢の大物主様の居室を戦場にするなど以っての他でござろう。さあ、彼奴らがここを包囲する前に突撃を開始しましょう。」
「何を言っておる。タカヒコ殿は今から禅譲の儀式をせねばならぬのでしょう。」
「敵を追い払ってから、ゆっくりやりましょう。幸い大物主さまはお休みになられたようです。明日の夜明けまで、つまり今日の日暮れまで時間を稼げば良いのです。橿原勢とて、夜になれば退却するでしょう。夜間に山中で戦うことなどできない。さあ出陣しましょう!」
と、タカヒコは正装として纏っていた真白な絹でできたマントのような形をした羽織をふわりと脱ぎ捨てた。羽織の下には青銅の鎧を着込んでいた。


「どうです。これが祭祀王たる大物主の真の姿なのです。この鎧はカモタケツノミ様が大和入りされたときに着用されていたという鎧だそうです。誂えたように私にぴったりだ」
「おおおおっ!!」
その場にいたものは、みな、見とれてしまった。しっかりと手入れをされていたのであろうその鎧は、一部青みがかっている部分もあるが全体的に金色に輝いていた。


「さあ、ここを出て正面から堂々と討って出ようではないか!私はこの三輪山を武によって守らねばならぬのです。ナガスネヒコの勇敢な死を無駄にしないためにも、戦いましょう。」
タニグクはやれやれといった顔をタカヒコにむけた後、隣の部屋の扉開け放ち、トミビコらに向かって言った。
「この武器庫に青銅の矢も鉄の剣も鉄の槍も大量にあります。こうなっては戦う他ありますまい。タカヒコ様はお一人でも打って出られるおつもりのようですしね。」
その場にいた全員は顔を見合わせて苦笑いをした。確かにこのまま宮に立てこもっても負けるときは負ける。伊和大神などは、イリヒコらにしても大物主の宮に攻撃は仕掛けづらいだろうし、何日か持ちこたえれば河内、播磨、そして沈黙を守っている紀の国からの援軍がくるのではないかと思っていたが、トミビコやエシキの得た情報はそういう期待を裏切るものだったということもあって、もうタカヒコが出雲から持ってきた幸運、出雲の神々の加護に賭けるしかないと思うようになった。またそう思わせるだけの大量の兵器が武器庫には格納されていたのである。全員が武器庫に入り珍しそうにその所蔵品を眺めた。あちこちから驚きのため息が聞こえる。


伊和大神は武器庫に入り奇妙なものを見つけた。自らが播磨平野で利用している戦車のような形をしているのだがかなり大きく、且つ、細長い。縦に乗れば10人くらいが連なって乗れそうだ。正面に回って見てみると巨大な蛇の顔が、バイクのカウルのようについていて、その蛇の目がこの戦車を操る人間の覗き穴になっているようだ。横にも蛇の体に見たてたような防御壁が最後尾まで続いている。大きく開いた蛇の口からは槍が8本、蛇の下のように飛び出ている。遠くからみるとまるで大蛇そのものだろう。しげしげと眺めていると、エシキが声をかけた。


「伊和さま、それは彼の大陸の英雄、蜀漢国の宰相諸葛孔明が発明したという「木牛竜馬」を改良したもので大物主さまが8本の槍を矢の如く同時に放つことができるので、「ヤマタノオロチ」と名付けた戦車だそうです。振れ込みでは山道を馬以上の速度で下ることができ、口からは8本の槍を一度に発射できるということです。」
「何だと!これが噂に聞く木牛流馬なのか!!!どうしてここに?」
「先年亡くなられた伊予のオオヤマツミ様からの貢物です。20年ほど前に呉の国が滅ぶ時に、筑紫に移り住んだ呉国の金属職人がおりまして、この男の一族は元は蜀の国で典曹人(注)という役目をしていたそうなのですが、蜀が滅び、呉へ移住し、また呉国が滅び大陸から流れてきたと。呉の国でも木牛流馬を作ろうとしていたらしく、これはその職人が筑紫島に上陸した後、豊の国の香春岳で組み上げたものだそうです。大和の辺りには、まだこれ一体しかない戦闘用の戦車です。豊の国が戦乱に巻き込まれた時、オオヤマツミ様がこの典曹人を狗奴国に賓客として迎えさせたそうです。その仲立ちのお礼としてこの戦車を手に入れられたそうなのですが、ご存知の通りオオヤマツミは瀬戸内水軍の王。戦車は必要ないということで、大物主様に献上されたのです。」


「なっなんと!しかし、このような大きな槍が矢のように飛ばせるのか?」
伊和大神が、蛇の頭の部分を覗くと、「床弩」がすえつけられていた。「床弩」というのはは、簡単に言ってしまえば、特大型のアーチェリーのことだ。弦が引っ掛けられている木の棒を叩くと、棒が引っ込み、弦が槍を発射する形式になっている。
「一度、ナガスネヒコが試射致しましたところ、一撃で大木を打ち砕きましたが、」
「おおおっそれは心強いではないか!」
「そ、それが・・・」
「壊れているのか?」
「いえ、」
「はっきりせん、奴だな!」
「ナガスネヒコ様の膂力でないと、弩の弦が引けないのです」
「はっ?何人か束になって引けばよいではないか」
「一人しか発射口には、入れませぬ。今は引き絞った状態ですから、一度は発射できますが・・・・。」
「つまり、ニ回目の発射はできぬということか」
「それに、前回動かしてから既に5年以上たっておりますので、以前のように動くかどうかもわかりません。」
「5年も弦の張力が残っておるものか?」
「それは大丈夫でしょう。5年前の試射のときは10年以上たっておりましたが発射できました。」
「まあ、いずれにしても一度しか発射できぬのか。。。。。」
「良いではありませんか、伊和大神様。このような戦車は脅しとしても十分利用できます。」
と、その様子を傍らでみていたタカヒコが言った。伊和大神はそれに頷きながらも、エシキに向かってもう一言、聞いた。


「しかし、このような大きな戦車はどうやって動かすのだ?エシキは動かし方が解かっているのか?」
「いえ、それが・・・。前回、ニギハヤヒ殿も一緒に動かそうとしたのですが、結局人力で押すしかしようがありませんでした。ニギハヤヒ様は木牛流馬と同じ原理なら搭乗したままで動かせるはずだとおっしゃって、色々試してみたのですが、どうも動いてくれません。」


「なんと、不便な戦車よのう」
「ここからイリヒコらの軍勢に向かっていくのなら下り道のみ、押して動けば十分でしょう。さあ、のんびりしているとイリヒコたちが上がって参ります。」
タカヒコは伊和大神とエシキ、オトシキ兄弟とその配下10数名を宮の守りとして残し、トミビコたち20名とタニグク、そしてタカヒコの23名が正面からぶつかることになった。エシキはも伊和大神と眠ったままの大物主を昨夜ナガスネヒコと伊和大神が隠れていた居室の地下室へと隠した。伊和大神はまたここに潜むのかとぼやきながらも地下室に隠れた。


タカヒコ率いる突撃軍は、総勢23名といってもそのうちの10名ほどは「ヤマタノオロチ」の操作にかかることになる。動けるのは実質10名ほどだ。タカヒコたちは「ヤマタノオロチ」を先頭に、大物主の宮を後にして、麓に向かって出発した。その様子を宮の東西から見張っていた先発隊は驚いた。


何しろ、大物主の宮の門から大蛇が登場してきたのである。三輪山の神は、蛇体であるということは当然彼らも知っていたからだ。木々の合間そして少し離れたところから見張っているので、作り物であると認識しきれなかったのだ。神聖な三輪山で争そうという罪の意識が手伝ったのか、彼らには本物の大蛇が道を下っていくように見えた。空恐ろしくなった彼らは暫し呆然としてその場にすくんでしまった。


タカヒコたちは、下り道ということもあって、すいすいと山を下って行く。しばらく何事もなく下っていると、前のほうから兵が上ってくる気配が感じられた。トミビコはヤマタノオロチの速度を落とすように指示した。そして残りの兵に弓を構えさ
せながらゆっくりと歩かせる。麓から少しだけ上ったところにある政庁の1番上の建物が見えてきた。次ぎのカーブを曲がれば少し開けた広場のようになっている。タカヒコは、その広場の入口で待ち構えるように指示を出した。


イリヒコは、先鋒に楯を持たせて、そのすぐ後に強弓の兵を配置させていた。この隊形のまま、大物主の宮まで上がるつもりだ。相手は小勢である。怖いのは突然発射される弓矢による攻撃だけだ。橿原勢は山道の幅目一杯に楯を並べゆっくりと隊列を整えたまま、広場に侵入してきた。


「何?迎撃に出てきたと???」
タカヒコらに残された手は講和を持ちかけるか、援軍を待つ立て篭もり、最も可能性が高いと思われる逃亡、の三者択一だけだと踏んでいたコヤネは、偵察の報告を聞き驚きの声を上げた。


「大胆にも程がありますな。イリヒコ殿」
「援軍の可能性があるのか?」
と、イリヒコは一人ごちた。それを耳ざとく聞いたコヤネが答えた。
「その可能性は低いでしょう。河内のアカガネは大和川の入口での戦に破れ、川下へと撤退したと報告があったばかり。鳥見山を除くと、葛城、当麻、飛鳥のどの山人勢力たちも動く気配は無さそうです。」
「まさか紀の国が動くのか?」
紀の国は、スサノオの息子、イソタケルに始まる出雲系の国である。イソタケルの死後、有力な勢力は育ってはいないことになっている。根の国よろしく地下に潜ったのか、瀬戸内のシイネツヒコのように領地を持たぬ海軍となったのか、大和の国のすぐ隣だというのに、今一つ実情の掴めぬ地域なのである。


「まさか、今の紀の国には陸の兵はおりませぬ。」
「コヤネ殿は紀の国の内情をご存知なのか?」
「我が常陸の国は紀の国と直接の付き合いはございませぬが、紀の国イソタケルの後裔という集団が東国の信濃に住みついて降ります。安曇とかヒダカミというのがそれでございます。」
「安曇とな?確か筑紫島の伊都国の近くにも安曇族というのが居たように聞いておるが?」
「それは東国の安曇と同族にございしょう。イソタケルの後、裏倭国(太平洋側)の港を転々とし、出雲と同じく交易を生業としている一族です。東国の安曇は伊都国の専横を面白く思わない筑紫の安曇から別れたそうにございます。筑紫に残った安曇は筑紫唯一の出雲側の勢力です。大した兵力は持ち合わせておらぬが、伊都国とて、倭国内の交易路は確保したいという意思があって安曇族と協調していると聞き及んでおりますが。」


「その安曇族がタカヒコに肩入れする可能性はないのか?」
「それは解かりませぬが、海戦ならともかく、山中の戦いですので畏れるに及ばないと思います。」
「タカクラジ殿は何か知らぬか?」
と、イリヒコは全身打撲の痛みをコヤネ特性の薬香で誤魔化しながら従軍してきたタカクラジの意見を求めた。
「紀の国は、我が父が押さえておりました。私もつい1月前まで紀の国の熊野に派遣されまして、大物主さまの後継問題に動かないということを確約頂いております。
紀の国の主力はコヤネ殿のおっしゃる通り水軍です。吉野の山々を巡り、飛鳥、三輪山に大挙して出ることができるような兵力を持っているとは到底思えません。」
「紀の国を期待しているわけではないのか。。。」
「タカヒコ独特の捨て身の戦いなのでしょう。こちらも、堂々と正面切って打ち破ってやりましょう。」
「うむ。では、私が先鋒の指揮を取りに先に前に行くことにしましょう。コヤネ殿、タカクラジ殿、殿軍はタケヒが率いておりますので、中軍の指揮はお二人にお任せいたします。では、先に。」


イリヒコは、タカヒコと直接戦うことに興奮を覚えていた。先ほどの砦のやり取りではニギハヤヒとタカヒコの舌戦、ナガスネヒコの奮闘によってイリヒコは思うように動けなかった。イリヒコには、年齢が同じくらいのタカヒコに対して強烈なライバル意識が芽生えていたのだった。今度こそ自らの指揮でタカヒコの息の根を止めてやると心に決め、数人の供回りを連れ、先鋒軍へと進んでいった。


広場から上に登るための道の入口でタカヒコは待ち構えていた。ヤマタノオロチを弓兵の後ろに隠し、まずは弓矢での攻撃を仕掛けることにした。橿原勢先頭の楯の集団が同じリズムを維持しながら一歩一歩、じわじわと広場の中ほどまで進む。1歩、また1歩と射程距離に近づいてくる。タカヒコが号令をかけた。


「射て!」
10名の弓兵が一斉に射撃する。そのほとんどが橿原勢の楯に阻まれた。タカヒコが迎撃に出てきたことを知ったイリヒコは中軍から離れ先頭集団に合流してきた。イリヒコは相手の弓兵の攻撃が薄いことを知っていたので楯兵の間から、弓兵を前に出した。橿原勢の弓兵約100名が矢を番え、弦を引き絞り始めたとき、タカヒコが号令を下す。


「オロチを前へ!」
弓兵が引っ込みそこへ「ヤマタノオロチ」が登場した。
「なっなんだあれは!!!」
「だっ大蛇だ!!!!」
橿原勢はヤマタノオロチの異様さに驚き戦列が乱れ、弓を引き絞る手も緩んだ。


「何をしている!!射て!!あんなものは作り物だ!!!」
イリヒコが号令をかけるが兵列はすぐには立て直せない。それを遠目でみていたタカヒコがヤマタノオロチに号令をかけた。


「さあ!オロチよ!奴らを吹き飛ばすのだ!!」
オロチの口から、長槍が発射される。八本の長槍はものすごいスピードで、橿原勢の正面へと突き刺さった。並んでいた数10名の兵が槍に貫かれ、吹き飛ばされる。逃げ惑う兵たちの混乱は極みに達した。イリヒコの眼前に並んでいた楯兵も弓兵も、あるものは突き抜かれ、あるものは逃げ惑い、陣形は総崩れになってしまった。戦闘意欲を維持しているらしい兵はイリヒコの周囲を守っている数10名だけのようだ。


「今だ!」
タカヒコは、ヤマタノオロチのあまりに大きな攻撃力に驚嘆しつつも、勝機を見逃さなかった。金鵄の剣を振るい、先頭をきってイリヒコ軍へ突進していった。トミビコ、タニグクらもこれに続いた。戦う前は約20倍の兵力差だった。敵軍には未だ戦線に参入してない200名近い兵力が麓に残っているとはいえ、今この戦闘状況においては、ヤマタノオロチによるたったの一撃で互角の兵数になってしまった。戦意を考えるとタカヒコ軍の方が完全に優位にたったのだ。


「まずい!退却だ!」
イリヒコは采配用に持っていた幅広の銅剣を振るい、慌てて号令をかけるが、混乱のせいで周囲の兵もうまく動けない。そこへタカヒコたちが襲いかかった。タカヒコはイリヒコの姿を発見し、一直線にイリヒコのところへ向かってくる。イリヒコは退路が気になっているためタカヒコの接近に気がつかない。


「イリヒコ!覚悟せよ!!!」
タカヒコが走ってきた勢いに任せたまま、跳びあがってイリヒコに斬りかかる。イリヒコの横にいた兵が槍をタカヒコに合わせるが、軽くいなされる。そのままタカヒコの金鵄の剣はイリヒコに向っていくが、イリヒコは手にしていた幅広銅剣で辛うじてその攻撃をうけとめた。そこへタニグクらも突っ込んできた。両軍入り乱れての乱戦が繰り広げられる。ヤマタノオロチの出現と攻撃に浮き足立った橿原勢の殆どはタカヒコ軍の相手にならない。つぎつぎと追い払われる始末だ。


イリヒコとタカヒコは向かい合って剣を切り結ぶ。お互い銅剣なので一撃で留目を刺すような攻撃にはならない。ぱっと後ろに跳んで距離を稼いだイリヒコは銅剣を投げ捨て、腰に佩いていた筑紫造りの鉄剣フツノミタマの剣を握る。タカヒコは追いかけて斬りかかる。


「ギン」
二人の剣が、合わされた音が響く。フツノミタマの剣は金鵄の剣に食い込んだ。二人とも剣を引けない。こうなったらお互い力勝負である。つばぜり合いのような格好でふたりは押し合い、また引き合う。追いついてきたトミビコがイリヒコに斬りかかるが、イリヒコがかわそうと身を捩ったため、剣先はイリヒコではなく、ちょうど食い込んでいたフツノミタマの剣を叩いた。その衝撃で剣は離れる。引き合っていた二人は、ちょうど綱引きの縄が真中で切れたように、しりもちをついて後ろに転んでしまった。


「タカヒコ様、大丈夫ですか?」
タニグクが転んだタカヒコを助け起こす。イリヒコは離れたことを幸いに転んだまま、自軍の兵達の後ろに紛れ込む。その時、ヤマタノオロチ登場に続く今日2度目の異常が起こった。先発隊として大物主の宮付近に忍んでいた兵達の一部が、戦闘に参加してきたのである。形成は再び逆転する。


タニグクに助け起こされたタカヒコは、背後、つまり山上からの攻撃を確認するや、「逃げろ!」と号令した。タカヒコらはバラバラに山道へと逃げ出す。タカヒコ達は千載一遇のチャンスを生かすことができなかったのだ。山上から攻撃を受けたということはヤマタノオロチも敵方に奪われたということだろう。そこへ中軍を率い、コヤネが上がってきた。新手の登場である。しかも、コヤネの中軍は衝車と梯車という二台の大型戦車まで率いている。


衝車とは、四輪車の上に矢倉のようなものを乗せたもので、矢倉からは巨石が吊るされている。この巨石を振り子のように振る。それを城壁などにぶつけて破壊する戦車だ。梯車とは文字通り、はしご車のことだ。城壁や城門を、兵が乗り越えるときに使う。コヤネは、大物主の宮にタカヒコらが篭城しているとばかり思い、一気にけりをつけようと、戦車を用意してきたのだ。


この戦車はニギハヤヒが造らせたもので、普段は三輪山の麓の政庁にある。大陸ではかなり三国時代以前から使われている城攻め用の戦車だ。当時の倭国では、大陸のように町を城壁で囲むというような国造りは成されていなかったので、戦争用というより、専ら建設用の重機として利用されていたのだ。衝車は山の斜面を削り、平面を作るため、梯車は高層の建物を建てたするときに用いられていた。この建築重機は、「神の手」と持て囃され、倭国の古墳建造文化、高層木造建築文化の発展に大きな影響を与えた。工事が数倍早くなったのだ。


タカヒコらは、ヤマタノオロチを放置していた場所に集まり、大物主の宮へと向かった。幸い戦車とともに進軍する兵達の歩みは遅い。ヤマタノオロチを捨てたタカヒコらはその分身軽である。橿原勢を引き離し大物主の宮に辿り付いた。しかし、宮の門には既に橿原の先発部隊のうち残留していたものが数名、屯していた。


「おおっ!奴らが戻ってきたぞ!!門に集まれ!!」
宮の周囲に展開していた兵が集合しはじめる。邪魔臭いとばかりに先頭にいたトミビコが槍で兵たちを追い散らすが、ぞくぞくと周辺から応援に集まってきたため、門には辿りつけない。タカヒコ達は門前の兵から距離を取った。


(注)典曹人とは、三国時代の蜀の国の官名の1つとされている。塩府つまり塩の貿易を統括する官に属したとされる。塩は大陸において鉄に代表される金属器とならんで最も重要な官貿易品の1つである。三国志にまつわる伝説には関羽が塩の密売人をしていたというのもある。典曹人とは経済、貿易に関する職であった可能性がある。熊本江田船山古墳(5世紀)から出土したワカタケル大王の名が刻まれた鉄剣の銘文に、「典曹人」という文字が入っている。