2003/12/7



出雲国譲りの真相34

大和の王1

宮を囲んでいる兵達は、門前に集合し、隊列を整えた。およそ50名ほどの勢力だ。戻ってきたタカヒコたちの兵力は遅れたもの、討たれたものもいたため、10名ほどしか残っていない。しかも山道を駆け上ってきたせいもあり、皆、肩で息をしている。


「そこを退け!」
タカヒコは声を荒げるが、橿原勢は隊列を固めたまま動かない。隊長らしき兵が前に出る。


「そなたが、タカヒコ殿の名を騙り、大和を荒らすものだな。ここは大物主様の宮だ。そなたのようなものを通すわけには行かない。」


トミビコが隊長に斬りかかる。再び戦闘が始まったが多勢に無勢、タカヒコらは少しづつ後退せざるを得なかった。そこへ、下からイリヒコ率いる本隊が上がってきた。もう逃げ道はない。完全に囲まれてしまった。イリヒコは手を出すなと全軍に命じ、衝車の上からタカヒコに向かって話しかけた。


「これは、タカヒコ殿、またお会いできましたな。」
隊列の後ろの衝車に乗ったイリヒコは憎憎しげに、タカヒコに向かっていった。


「僅かの兵でここまでよく、頑張られました。貴方の役目はこれで終わりです。東国は勿論、東海の伊勢、尾張も、コヤネ殿の嫡子、クモオシ殿の工作で、私達に味方してくれるそうです。紀の国も動かない。もはや貴方達に味方するものは大和の周辺には誰もいないのです。大人しく、その命を差し出しなさい。」


「何を!!!我が播磨はタカヒコ殿のお味方だ!!」
宮の中に隠れていたはずの伊和大神が、宮の矢倉に上がり、イリヒコめがけて弓を引き絞りながら、叫んだ。ぴゅんと矢が放たれた。矢は一直線にイリヒコの衝車めがけて飛んできたが、イリヒコは素手で飛んで来る矢を掴み取った。矢をしげしげと眺めながらイリヒコは伊和大神に語り掛ける。


「そんなところにいらっしゃるのは伊和大神様ですか。。。何と非力な矢であることか!この矢の勢いが如く、貴方たちの時代は終わったのです。摂津まで出張ってきておった貴方の配下は、既に追いかえしましたぞ。伊和大神さまからのご命令で播磨にもどれというと、大人しく帰ったそうです。なんと間の抜けた応援か。」


「何だと!!そんな馬鹿な。。」
と、伊和大神は愕然とする。もちろん、イリヒコの嘘である。播磨のアシハラシコオたちは、愚直なくらいの集団なので主の命令なしに退却するということはない。しかし追い詰められていると感じている伊和大神は動揺した。実際のところ、陸路から大和へ向かえと命令されていたアシハラシコオの軍は摂津から淀川水系に沿って一旦は山城方角に向い、険しい山河を乗り越え、大和に向かって移動していたのだった。イリヒコは動揺している伊和大神に向かってさらに言放つ。


「そうだ古い言い伝えでは返し矢は必ずあたるそうです。試しにこれを射て見ましょう。」
イリヒコは、部下から弓を受け取ると、ゆっくりとした動作で矢を番える。キリキリと弓を引き絞り照準を伊和大神に合わせる。


「危ない!除けて!!!」
トミビコが伊和大神に向かって叫ぶ。

「ぴゅん!」
という乾いた音が、あたりにまで響いたような気がする。矢は一直線に伊和大神めがけて飛んでいく。返し矢はズブっと伊和大神の左肩に突き刺さる。その衝撃で伊和大神は矢倉から落ちたようだ。


「おのれ!イリヒコ!!」
タカヒコは、大軍に向かって叫ぶ。


「降りてこい!イリヒコ。もういちど勝負だ。」
「何を馬鹿なことをおっしゃる。タカヒコ殿。貴方の命は私の号令1つでどうとでもなるのだ。試してご覧になりますか?」
と、不敵な笑みを浮かべる。タカヒコは更に前に出ようとするが、トミビコらがタカヒコを中心に円陣を組んだので、動けない。イリヒコはその様子を眺めながら、タカヒコたちに向かって矢を一度だけ放つように命令した。数百の矢がタカヒコたちに向かって発射される。円陣を組んだタカヒコ軍のものたちは矢を叩き落として防いだが到底間に合わない。数人が矢に射られ倒れ込んだ。幸いタカヒコだけは無傷だ。それを確認したイリヒコは弓兵を止める。


「タカヒコ殿は、どうやら武勇に優れてらっしゃるのを誇りにされているようだ。我が軍の精鋭10名と戦ってみませんか?貴方が勝てば大物主さまと伊和大神様の命はお助けしましょう。やりますか?」


そういった、イリヒコをコヤネが諌める。
「何を、おっしゃるのですか、イリヒコ様、今更そんなことをしても無意味でしょう。一刻も早くタカヒコ殿をお討ち取りくださいませ。」
「何を慌てている。コヤネ殿。タカヒコの神懸りをここで打ち破っておく必要があるのだ。このまま多勢をもって無勢のタカヒコを押し殺しても、彼の英名は残ってしまう。それは将来の禍根ともなりうるのだ。」


「そうは仰いますが、万が一、我が方の10名が討ち取られてしまっては一層の英名を与えることになりかねません。」
「大丈夫だ。見ろ、奴は既に疲労困憊。そんなことは起こるはずもない。」
「それは、そうなんですが。。。。。。。。。」
コヤネの反対もむなしくイリヒコは御前試合よろしく、タカヒコと橿原勢の兵を戦わせることにした。タカヒコとしても、断ることはできない。戦いの邪魔をさせないようトミビコ、タニグクたちは縄をかけられ木に括られた。


仇敵ともいうべき伊和大神を射ぬき、出雲の王子タカヒコの無様な状態に追い込んだイリヒコは、こみ上げてくる喜びに舞い上がっている。彼はコヤネらに指示を与えつつ自らの人生を思い起こしていた。父母を亡くした幼い少年のころ、父兄として慕っていた半島の新羅出身のツヌガアラシト率いる天之日矛軍の一員として、倭国各地を点々としながらも苦しいけれどそれなりに楽しい時期を過ごしていた。それが播磨の伊和大神と天之日矛との間に起こった戦争によって、イリヒコはその生活基盤を壊されたのだ。その戦のあと、大和の国に逃げ込み、橿原のイワレヒコに助けられ青年と成長した。その武勇と知略を買われイワレヒコの末娘の入り婿として橿原に一族として迎えられ、数日前には橿原勢力の頭首となった。そして今また大和の国の王たらんとしている自分の境遇を思い起こしていたのだ。彼は少しばかり興奮し舞い上がっている。


やがて、戦いの舞台が設えられ、戦いが始まった。一人、また一人とタカヒコは橿原の兵を打ち倒して行く。既に8名の兵を倒したがもう疲労は極限状態である。兵達は時ならぬ勝ちぬき試合の開催にすっかり気分が緩み始めた。


コヤネは、既に大和の王になったかのような振るまいを始めたイリヒコに危険を感じている。ニギハヤヒならこんな馬鹿な真似はしなかったろうと思うと、ここは自分がなんとかしなくてはいけないと考えた。タカヒコと兵士との戦いがつ続けられている間にコヤネは、麓の宿舎に一旦もどった。万が一を考え、薬で眠っているタケミカヅチを起こし、催眠術をかけた。タカヒコとの記憶を全て失わせたのだ。しかし急な思いつきだったので十分に術が効いているのかどうか解からない。そうこうしている間についに9人目が倒された。太陽が下りかける。日の入りまであと3時間もないだろう。イリヒコもいらだっている。万が一10人全員が打ち倒されても最後には兵力を以ってタカヒコらを押し殺すつもりではあったが、腕利きの兵10人全員が倒されることなどないと思っていたからだ。大和の国の王座に手を掛けたという興奮が慎重なはずのイリヒコの判断を少しづつ狂わせている。


「さあ、10人目だ・・・・。」
タカヒコは剣を杖代わりにして立つのがやっとの状態である。コヤネがミカヅチを連れて戻ってきた。今のところ術は効いている。コヤネが確かめたところ、ここ二・三日の記憶つまり、ミカヅチはタカヒコとであった事を忘れている。


「お待ち下さいませ」
コヤネが、10人目の兵を出そうとしているイリヒコを押し留めた。
「我が息子、ミカヅチを10人目の相手として推薦したい。」


その一言で試合が中断された。コヤネは、イリヒコにミカヅチが記憶を失いタカヒコの事を忘れていることを説明した。イリヒコとしてもナガスネヒコ亡きあと、最強の称号を得ることが見えているミカヅチが10人目で出てくれるのは、在り難い。しかし、戦いの途中、記憶が戻ったりすれば一大事である。イリヒコは一騎当千、万夫不当とされる兵が醸し出す恐ろしさを、午前中に感じたばかりなのである。ミカヅチが正気に戻り、タカヒコを逃がすことに力を発揮したとしたら・・・・・。ここにいる300の兵の包囲をミカヅチとタカヒコの二人で突き破ることも可能に思えるのだ。


「大丈夫だろうか?コヤネ殿。」
「こんなことになるのが嫌で、お諌めしましたのに・・・・。術が解ければ、猛毒の毒矢でミカヅチを射殺すしかありますまい。1番腕の良い弓兵を、後ろの大木の上に配置しました。戦うしか能がないとはいえ我が子にこんな仕打ちをするのは忍びないのですが、いたし方ありますまい。ミカヅチが幾ら強いと申しましても、あれも人の子です。熊をも一撃にて撃ち殺す毒矢でいれば一たまりもありますまい。。。。。。」


「うむ。コヤネ殿、私がこの国の王になれたらご嫡子クモオシ殿はじめコヤネ殿の一族を優遇させていただこう。」
「お願いいたします。。。」


「ミカヅチ!無事だったのか!!」
対戦相手として目の前に現れたミカヅチに対して、タカヒコは声をかけた。しかし何処か酩酊しているかのようなミカヅチはタカヒコの言葉に無反応だ。ミカヅチはじろっとタカヒコの顔を見まわしてからコヤネの方を振り向いて聞いた。


「父上!この、男を倒せば良いのですか?」
「そうじゃ!大和の国、ひいては我が常陸の国のためこの男を倒すことが、お主に授けられた命令だ!!」
「わかりました。」
恭しく、コヤネの方角を向いて頭を下げたミカヅチは、ゆっくりと手にした剣を振りかざし、タカヒコに向かって言放った。


「私は、常陸の国の王、アメノコヤネの一子、タケミカヅチと申す。名を名乗られよ。」
「何を言っている。私がわからぬのか?ミカヅチよ!」
その言葉を聞いてじっとタカヒコの顔を見るがミカヅチには、タカヒコのことがわからない。それを見ていたコヤネが声をかける。


「誰でも良い、とにかくその男を打ち倒すのだ!!!」
その声に反応したかのように、ミカヅチがタカヒコに斬りかかる。タカヒコの疲労は、極みに達している。肩で息をしながら剣をかわすことで精一杯でミカヅチに声をかけることさえできない。


「よし、これで大丈夫でしょう。タカヒコに話しかけられ、術が解ける事だけが怖かったのですが、タカヒコにはその余裕も残ってはおりますまい。」
コヤネがイリヒコに話しかけた。イリヒコも安堵の表情を浮かべる。一撃、ニ撃とミカヅチの鋭い剣先はタカヒコの体を掠めるが、タカヒコの剣技もなかなかのものである。体の奥底にまでしみ込んだ動きは、本能的に剣先をかわしつづける。しかし、攻撃を仕掛けることもできない。このままでは、ミカヅチの剣に真っ二つにされるのも時間の問題だ。タカヒコの脚がよろめく。ミカヅチは剣を上段に構えタカヒコの頭上に振り下ろした。


「ガキン」
と鈍い音が響く。間一髪タカヒコは剣で受けとめた。しかしミカヅチの一撃は重すぎた。どうやら左の肩が抜けてしまったようだ。さらにミカヅチは留目とばかりに大きく振りかぶった。そしてそのままもう一度振り下ろす。タカヒコは剣を捨てて転がって逃げた。ミカヅチの剣が地面に突き刺さった。タカヒコの精神力はついに途切れてしまい、そのまま気を失ってしまった。


その時、イリヒコ軍の後背から叫び声が連続して起こった。ミカヅチも異変に気がつき、コヤネの方を振りかえる。どうやらタケヒ率いる殿軍が動いたらしい。喚声は少しづつ近づいてくる。伝令らしき兵が叫びながら到着した。

「大変です。タケヒ様が討ち死にしました。殿軍は壊滅しそうです。ご指示を。」
「なっ何だと!!!何があった??」
「砦に突如あらわれた騎馬の軍団を率いた男が現れ、タケヒ様が問答に出られ追い返そうとしたのですが、いきなり一刀両断にされました。」
「何者だ!」
「解かりません。タカヒコを出せと叫んでおるのですが。。。」


イリヒコの全身を何時か何処かで感じたような嫌な予感が走り抜ける。伝令のもたらした衝撃のせいでタカヒコとミカヅチとの対決は忘れさられてしまった。ミカヅチも気絶したらしいタカヒコのことを無視して、コヤネの側までもどってきた。


「まさか・・・・。」
といって、コヤネは息を呑んだ。続く言葉を出してしまうと、それが現実になって目の前の情景を一変させてしまうような恐怖にとらわれたのだ。両首脳が沈黙しているうちに得たいの知れない騎馬軍団は、イリヒコらの隊列の最後尾に襲いかかったようだ。橿原の兵達を「阿鼻叫喚の世界」に巻き込む悪神がすぐそこまで来ている。そんな気がした。


「全軍、麓からの攻撃に備えよ!!」
イリヒコは号令を出す。宮前に集合していた兵は全員が今までとは逆の麓側を向いた。弓兵も麓からの上り口に照準を合わせ弓を構える。その途端、山道を駆け上がってきた数十騎の騎馬が怒涛のように押し寄せた。山道の途上に配していた兵はすべて壊滅したようだ。「射て」というイリヒコの号令により矢が一斉に放たれる。が、騎馬軍団の面々はその矢をいとも簡単に打ち落とし、何事もなかったかのように宮前の広場に登場した。宮の前に整列している橿原の兵を目で威圧した後、先頭に立つ巨馬に跨った熊のような大男が衝車の方を向いた。コヤネが言葉に出さなくても、紛れもない恐怖の現実が目の前に表れてしまったのだ。


「何だ、お前らはどうして我が道を塞ぐ!!」
騎馬の大男は、馬に跨ったまま、叫ぶ。辺りを睥睨し、一番目立つ衝車に乗ったイリヒコに目をつけ、右手で持っていた槍の穂先で指名した。兜をかぶっているので大男の顔ははっきりと見えないがイリヒコは射ぬくような視線に恐怖を感じた。どこかで感じたような恐怖だ。だが、イリヒコには思い出せない。


「そこの男、お主が下におったタワケ者の大将か、何者だ!名を名乗れ!!何ゆえ我が行く手を阻むのだ!!」
大男は、尊大な態度でイリヒコに名を問うた。大男の跨っている巨馬は穴師山の厩につないであった大陸馬の種による駿馬に違いない。イリヒコもあの馬が欲しくて所望したことがあったのだが、試し乗りをすると振るい落とされてしまい、諦めたほど気性の荒い馬だ。余りにも気性が激しいので乗り手が見つからなかったため、厩に繋ぎっぱなしになっていたのだ。その馬を大男はいとも簡単に乗りこなしている。それだけでイリヒコにもこの馬上の大男が只者ではないことが解かった。イリヒコがコヤネの方を向くとコヤネは俯いて振るえている。


「どうしたのだコヤネ殿?」
返事はない。コヤネは男の正体を知っているのだ。イリヒコは大男の正体がわからないが嫌な予感はずっと続いている。それどころか男が近づいてくるたびにその予感は肌を刺激し、鳥肌があわのように全身を包む。握り締めた手の中には汗が滲んでいる。恐怖なのか?それとも畏れなのか?イリヒコの本能は、イリヒコの脳髄に危険信号を送っている。


イリヒコは返事をしないコヤネに小声でもう一度聞いた。
「コヤネ殿、あの男は誰なのです?」
「あっあれは。。。ひっ!」
大男の顔を見ながら答えようとしたコヤネは、大男と直接に目を合わせてしまったらしく答えを中断し再び俯いてしまった。


「どうした!名は何と申す!!」
痺れをきらした大男は衝車の近くまで馬を走らせた。整列していた兵は大男から発せられるオーラの圧力に精神的に屈っしてしまい思わず道を開けてしまった。
「三輪山に兵を充満させる不届き者は名も名乗られんほどのばか者なのか!それとも、三輪山の麓を制圧しただけで大和の王でも気取っておるのか?」
と、衝車の真正面に騎馬のままやってきた大男の大声が辺りに木霊する。大男はゆっくりと兜を脱いだ。兵はピクリともしないでその様子を見ているしかなかった。イリヒコの目が正面にたった大男の目とあった瞬間、イリヒコの脳髄は何時か何処かで感じたような、得体のしれなかい恐怖の原因の全てを思いだし、理解した。


「くそ!何をしている!!この男を討つのだ!!全員かかれ!!!」
イリヒコの号令に真っ先に反応したのは、橿原の兵ではなく大男と彼の部下の騎馬達だった。橿原兵が動くよりはやく、騎馬の男達は橿原兵を次ぎから次ぎへと馬上からの槍攻撃で、薙ぎ伏せ、そして突き倒す。ありの行列を踏み潰すが如くの有様である。戦闘に巻き込まれなかった橿原勢はその勢いに気おされ、イリヒコの乗る衝車のまわりの兵以以外は殆どが逃げ出してしまった。大男が「止めい!」と一喝すると騎馬軍の攻撃がピタリと止む。橿原の兵達よりかなり訓練されているようだ。


その衝車と大男の間を遮っていた兵は全て蹴散らされている。大男が衝車の直前までゆっくりと馬を進めてきた。その大男の前に衝車から飛び降りたこれまた大男が立ちふさがる。ミカヅチだ。イリヒコはミカヅチならあの大男を止められるのではないかと期待した。


「我は、常陸の国のタケミカヅチなり。お手合わせを所望致す。」
「ふんっ」
大男は馬に跨ったまま、ミカヅチの態度を鼻で笑い。ゆっくりと槍をミカヅチに近づけた。ミカヅチはその槍を両手でしっかと掴み、力任せに引っ張る。最初は余裕の態度だった大男は、ミカヅチの怪力に慌てる。ミカヅチが尚も力をこめて槍を引っ張ると大男は、馬上でバランスを崩し、槍から手を放し、慌てて馬から飛び降りた。


「ほう、なかなかの強者がいるものだ」
と、大男は嘯くように呟いた。
「よし、良いだろう。相手をしてやる。」
と、言った大男は騎馬軍に手だし無用と伝え、兜を着け、懐剣を握り中段に構えた。剣は出雲造りの鉄剣のようだ。鞘にも見事なヒスイの装飾が施してある。ミカヅチもゆっくりと剣を構えた。お互い隙を探っているのか微動だにしない。その時、コヤネが手配していた毒矢が大男に向けて放たれた。


「ひゅん」
という音が空気を劈く。大男もミカヅチも、そしてイリヒコも橿原勢もタカヒコたちも、コヤネと矢を射た兵以外の誰もが矢が放たれたことに気が付いてない。ミカヅチが大きく踏み込みこんで、最初の一撃を繰り出す。大男は軽く受け流し、そのまま体を翻して反撃の態勢をとった。その時大男の鎧の胸当の部分に毒矢が突き刺さった。その瞬間あたりの空気が止まる。ミカヅチは、攻撃の手を下ろし矢の突き刺さった大男の様子をうかがう。大男は一瞬アッケに取られたような態度をとったが、ゆっくりと左手で矢を引きぬいた。どうやら鎧で防がれ、傷はうけてないようだ。しかし、矢をじっと見た大男の態度がおかしい。毒矢だということに気がついたのだ。矢の柄の部分は刺状になっている。どうやらそこにも毒がたっぷりと塗られているらしい。その大男は鎧と衣服を脱ぎ捨てた。筋骨隆々の体躯である。傷がないことを確認した大男は、半裸のまま顔をミカヅチの方へむけ再び中段に構えたまま控えている騎馬軍に命じた。


「毒矢だ!卑怯者を捕まえよ!」
何人かが、馬を降り、背に括っていた斧を手に提げ、て矢が放たれた大木の下へと走りより、木を切り倒そうとした。樹上にいた弓兵は慌てて飛び降りたところを斧で一刀両断にされた。その悪魔のような所業に再び戦慄がはしる。副官らしき男は、橿原勢から武器を取り上げ1箇所に移動させた。


「さあ、これで邪魔する者はいなくなった。もう一度勝負だ!」
と、今度は大男のほうから攻撃が繰り出される。巨体のわりにしなやか動きから剣が繰り出される。ミカヅチは冷静に、的確に攻撃をさけたり、剣で受け止めたりして大男の攻撃を受け止める。激しい攻防が、大技が出るたびに入れ替わる。互角の戦いが延々と続く。見ている者全てが時間を忘れて魅入るほどの見事な戦いである。時間にして十数分経ったとき、大男の左手の動きが鈍くなった。ミカヅチはここぞとばかりに猛攻を開始した。その猛攻を受け止めつづけた大男は終に、右手一本で剣をもち左腕をだらんと下げてしまった。ミカヅチはそれを見て更に攻撃を仕掛けた。2度3度と大ぶりの剣を放ったが右手一本でその攻撃をいなされたミカヅチは、大男の左に回り込みながらの攻撃に切り替える。左腕を痛めているらしい大男の弱点を衝くつもりなのだ。


「やった!」
大男の左腕から血しぶきが舞う。ミカヅチは両手に、大男を斬ったという感触を得た。しかしその瞬間ミカヅチは、脚を掛けられひっくり返された。大男が脚払いを掛けたのだ。大男は動かなくなった左腕を楯代わりにミカヅチの剣を受けとめたのだ。立場が逆転する。大男は右手に握り締めた剣を倒れ込んだタケミカヅチに打ち込む。ミカヅチはその攻撃を剣で受けとめたが、その瞬間、両者の剣は真っ二つに割れた。激しい攻防に剣のほうがついていけなかったのだ。大男は半分になった剣を投げ捨てミカヅチの体を蹴りつづける。倒れているミカヅチは反撃ができない。蹴られつづけているうちにミカヅチはついに意識を失った。勝負はついたのだ。ミカヅチの負けを見て悄然とうな垂れたイリヒコとコヤネを、大男は捕縛するように命じた。そして大男もその場に崩れ落ちた。


「手当てを!」
騎馬軍団の副官らしき男が命じる。大男と倒れているミカヅチの周囲と衝車の周りを騎馬が取り囲む。衝車に乗っていたイリヒコとコヤネは捕縛され、大木に括りつけられた。
「毒が、鏃だけでなく、柄の中ほどまで塗られていたようだ。手がしびれる。」
大男が言うと、騎馬軍の一人が、掛けよって傷口の様子を見、毒矢の匂いを嗅ぐ。


「スルクです」
と、その小男は言って、傷口を見た。大男が左手の平を開いて見せる。手のひらには刺が刺さったような小さな傷があった。毒はここから染み込んだのか?そのせいで左腕の動きが鈍くなったらしい。小男は取りあえず酒で手のひらを消毒をし、剣で受けた傷の手当てもした。


スルクとは、猛毒「トリカブト」のことである。この植物は漢方では烏頭(うず)または付子(ぶす)と呼ばれ、毒である反面、痛み止めや強壮剤としても利用される。大男はすぐに気が付いたので左の手のひらから極少量しか体内に入らなかったので、大事には至らなかったが、鏃にあたっていた場合、命は無かったはずである。


「指先も動くようですから、少し麻痺しているだけで大丈夫でしょう。スルクは痛み止めにも使えますから、腕の大きな傷の痛みが軽くなっていいんでは?」
と、小男は大男に向かっておどけながら言った。大男は笑みを浮かべ小男をこづいた。


「しかし、剣が折れなかったら危ないところでしたな。このミカヅチと申す男はなかなか強い。」
「うむ。もう少しこやつが実戦なれしておったなら、転がっているのはわしの方だったかもしれん。殺すには惜しいが、暴れられても困る。さっきの奴らと一緒に捕縛しておけ。」
「はっ解かりました。しかし、今日は怪我人の手当てばかりだよ。」
と、ぼやきながら小男は仲間の方に行き人数を集め、倒れているミカヅチを縄で括り、イリヒコらが捕まっている大木の下まで運んでいって転がした。


「そうだ、タカヒコはどうした?」
大男は、副官らしき男に聞く。副官は今やっと思い出したような顔をして辺りを探し始めた。すると、衝車の反対側から、声がした。
「タカヒコ様、大丈夫ですか?タカマヒコです。解かりますか??」
気絶しているタカヒコに息があることを確認して、声をかけているのは、午前中にこの大男たちに助けられたタカマヒコだった。タカマヒコも両腕を痛めているのでタカヒコを抱き起こすことができないでいる。


副官が、タカヒコを抱き起こす。
「タカヒコ様、しっかり成されよ。。」
何度か、副官がタカヒコを抱きかかえたままゆすっているところへ大男が近づいてきた。大男はタカヒコの顔を覗き込み、一喝した。


「タカヒコ!起きよ!!!何時までぼうっとしている!!!」
その声によってタカヒコの意識が戻ってきた。タカヒコは薄目を開けて声の主の顔をぼうっと見て言った。


「あっ、、、」
タカヒコはそのまま、暫しの間、固まってしまった。