赤側五銖銭は、前114年〜前113年(元鼎3年〜4年)に鋳工された貨幣で、赤側五銖銭
1枚を郡国五銖銭5枚に相当する貨幣として発行されました。官に租税の貨幣を納める場合や、
官からの歳費決済には赤側五銖銭以外の使用を強制させ、違反者には刑罰が処せられました。
しかし、赤側五銖銭は郡国五銖銭と同一の大きさ、重量にも関わらず、5倍の価値を持った
名目貨幣であった為、一時的に国庫の収入は増加したものの、今度は赤側五銖銭による租税が
本格的に行われる様になると収入は実質的に減少する事になり、また、民間で巧みに盗鋳、使用
する様になった為、前113年(元鼎4年)郡国五銖銭と共に廃止されました。
旧来より赤側五銖銭の判別については、赤銅色の銭郭とした説、赤銅製とした説、彫りが深く
精美な製作とした説、銭面が傾斜しているとした説など、様々な諸説がありましたが、いずれに
しても、郡国五銖銭の5倍の価値を持たせた赤側五銖銭を、誰もが明確に判断できる特徴を
持っていなければ通用に際し不都合がある事を考慮し、かつ、現存する存在量から再考すると、
「長頭銖」の五銖銭が一番条件に合致しています。しかも、朱頭の形状は誰が見ても判別は可能
です。
※最近まで赤側五銖銭として「三官長字」をあてていましたが、その後、「三官長字」は他の
三官五銖銭と比較して少ないながらも、絶対量は決して少なくない点、収集家ではない一般の方
では、郡国五銖銭と三官長字銭の違いがわかりにくい(容易に区別ができない)事から再考し、
「長頭銖は赤側五銖銭」との結論に達しました。