●三官五銖銭について
三官五銖銭は、前113年(元鼎四年)から後5年(元始五年)に鋳工された貨幣で、郡国五銖
銭及び赤側五銖銭とは異なり、朝廷以外の鋳工を禁じた貨幣です。
朝廷は、御苑であった上林苑に大規模な鋳銭所を設置し、水衡都尉(漢代の官職名)に所属する
三官(鍾官、技巧、弁銅)に鋳銭を行なわせ、三官にて鋳工された五銖銭以外の五銖銭(郡国五銖
銭、赤側五銖銭)の流通を禁止し、諸郡国の鋳銭所を廃止させると同時に、銅原料(旧銭も含む)
を三官に集めさせました。この政策により郡国、民間での盗鋳、私鋳は激減する様になりました。
三官五銖銭は上林苑の三官によって銭の大小、軽重、厚薄に厳格な規定を設けて鋳工されました。
基本銭は、銭径:2.5cm、外郭の厚さ:0.1cm、外郭の幅:0.1cm、重さ:3.5g
として鋳工されました。
三官五銖銭はその鋳工時期により、三官一型(武帝三官五銖、昭帝三官五銖)、三官二型(宣帝
三官五銖(前期、後期有り))、三官三型(元帝三官五銖、晩期三官五銖)に分類されます。
各種三官五銖銭には、郡国五銖銭、赤側五銖銭と同様に各種符号(穿上一横、四角決文等)を鋳出
されており、発掘等により確認された鋳範より、各種符号は鋳銭所を示す記号との説があります。
※武帝期の鋳範は鋳銭官署銘、昭帝期以降の鋳範は年号が記しています。武帝期の鋳範によると、
「官」と記された鋳範(官=鍾官)より「四角決文」、「功」と記された鋳範(功=技巧)より
「穿上一横」が確認されています。
●三官一型五銖(武帝三官五銖銭、昭帝三官五銖銭)
三官一型五銖銭は、武帝期、前113年(元鼎四年)から昭帝期、前74年(元平元年)に鋳工
された貨幣です。
武帝三官五銖銭は多くを砂範にて鋳工、昭帝三官五銖銭は泥範にて鋳工されました
武帝三官五銖銭の多くは「五」字縦画の交筆部は直線に近く交わります。砂範による鋳工の為、
特に「銖」字は明瞭でないものが多い傾向にあります。また、穿上一横等の各種符号銭が鋳工
されました。一方、昭帝三官五銖銭は「五」字縦画の交筆部は湾曲が大きく痩長で、交筆部は
一本の直線状の様に交わります。
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面
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背
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面(四角決文)
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背
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武帝三官五銖[光]
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武帝三官五銖
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面(四角決文)
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背
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武帝三官五銖
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面
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背
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面(穿上一横)
(称:上横文)
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背
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三官長字五銖[光]
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三官長字五銖[光]
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面(穿上一横)
(称:上横文)
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背
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面(穿上一横)
(称:上横文)
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背
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三官長字五銖[光]
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三官長字五銖
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面(穿上一横)
(称:上横文)
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背
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面(穿上一横)
(称:上横文)
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背
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昭帝三官五銖[光]
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昭帝三官五銖[光]
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面(穿上一横)
(称:上横文)
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背
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面(穿上一横)
(称:上横文)
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背
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昭帝三官五銖
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昭帝三官五銖
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●三官二型五銖(宣帝三官五銖銭)
三官二型五銖銭は、宣帝期、前73年(本始元年)から前49年(黄竜元年)に鋳工された貨幣
で、鋳工時期により前期と後期に分けられます。
宣帝三官五銖銭は「五」字縦画の交筆部は湾曲が大きく、上下両端が内向きあるいは平行で、
製作は精美です。
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面
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背
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面(穿上一横)
(称:上横文)
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背
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宣帝三官五銖[光]
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宣帝三官五銖[光]
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面(穿下半星)
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背
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面(穿下星)
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背
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宣帝三官五銖[光]
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宣帝三官五銖
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●三官三型五銖(元帝三官五銖銭、晩期三官五銖銭)
三官三型五銖銭は、元帝期、前48年(初元元年)から平帝期、後5年(元始五年)に鋳工
された貨幣です。
「五」字縦画の上下は外向きに張り出す特徴があり、後の東漢(後漢)五銖銭に受け継がれる
書体となります。(しかし、明確に該当する五銖銭は現在不明です。)
晩期には西漢の混乱を象徴する様に、それまでの五銖銭の外輪を削り取った「剪輪銭」が数多く
見られる様になり、後8年(居摂三年)に西漢は滅亡する事になります。
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面(穿下半星)
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背
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元帝三官五銖(仮)
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面
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背
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面
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背
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晩期三官五銖(剪輪銭1)
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晩期三官五銖(剪輪銭2)
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本ページ中の、[光]と記載されている古銭は、光華蔵品を示します。 |
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