要約者前書き

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アイ・ドリーム・オブ・ワイヤーズ
"I DREAM OF WIRES"

スコット・デヴィッド・アニオロフスキ (Scott David Aniolowski)

ゲイリィ・ニューマンへの格別の感謝と共に

 ある秋の夕暮れ、十九歳の大学一年生であるクリスチャン・バーネットは、ブリチェスター大学の学生寮への帰途についていた。彼は、長い前髪に黒い皮のジャケット、金属製のアクセサリーという「今時の」格好をした細身の青年である。

 大学に隣接する公園を抜けようと通りを横切っていた彼は、ぼろ服をまとった人影に出会った。クリスチャンは彼に声をかけてタバコを恵んでもらうが、それは硫黄のようなまずい臭いのする代物だった。そしてライターの火に一瞬浮かび上がった、すすで汚れたほとんど特徴のない無表情な顔がクリスチャンに話しかけてきた。

「微笑む事を私に思い出させてくれ
「何だって?」
「泣き叫べ、と時計に言われたんだ」と見知らぬ男はさらに言った。
「ここで何やっているんだ?」
男は何も答えず、振り返ると歩き去った。
「いかれた奴だ」彼はタバコのぬるい煙を吸い込んだ。

 娼婦や麻薬の売人、そして恋人達のうろつく公園を抜けると、クリスチャンは学生寮の狭い相部屋に戻った。そこには彼のルームメイト、彼よりも背が高くて筋肉質の若者ブライアンがいて、クリスチャンの「肖像画」の製作に取り組んでいた。ほとんど描き終えたというそれを、彼はクリスチャンに見せる。

ブライアンは彼のルームメイトの、さまざまな写真によって芸術的なモンタージュになっているモノクロ写真を掲げた。機械仕掛けを写した画像のカットが、クリスチャンの姿の上につぎはぎされている。彼の胴体からは歯車とワイヤーが突き出し、片方の目は小さな時計の文字盤に置き換えられていた。それは機械人間の肖像画だった。「僕は『人皮機械』と呼んでいる」彼は言った。

 クリスチャンがその出来をほめると、ブライアンは、製作に集中すればこの肖像画は明日には完成するだろうと言った。クリスチャンは今日の夕食や週末の予定等について彼としゃべりながら、小さな白黒テレビのスイッチを入れる。ホラー映画か何からしい一場面が映し出され、やがて角のある悪魔の姿が現れた。

「もしも神が死んでいたとして、どうする?」テレビから声が聞こえてきた。ブラウン管の向こうの悪魔がクリスチャンの方に振り向く。「新しい導き手の歌を歌ってくれ」悪魔はそう求めた。

彼はブライアンの方を見た。ブライアンには何も聞こえてはいなかった――明らかに何も見てはいなかった。彼は首を振り、ブラウン管を見つめた。悪魔が見つめ返してきた。ぎざぎざの歯をむき出しにしたにやにや笑いをその顔に浮かべて。それはブラウン管へと近づき、そこを通り抜け、かぎ爪のついた節だらけの手がブラウン管の外へと伸びてくる。その手は彼ののどをつかむとテレビの方へと引っ張っていき、彼の顔は冷たいブラウン管にぴったりと押しつけられた。目と目があう。「皆に知らせるのだ、チクタクマンの事を」悪魔は勝ち誇ったように笑った。

肺から空気がしぼり出されてしまったかのように、クリスチャンはあえいだ。恐怖に駆られ、彼はブラウン管から顔を引きはがす。束縛が解かれ、床にしりもちをつく。再び小さなテレビ画面を見た時には、番組は通常通り放送されていた。悪魔はすでに去っていた。

 ブライアンが彼の方へと振り向いたので、クリスチャンはただすべっただけだと釈明した。彼は、単に幻覚を見たのだと自分に言い聞かせ、安いドラッグを使うのは避けようと決心する。そして夕食を食べるために、ブライアンとともに外出した。

 ブライアンが夕食のためにクリスチャンを連れて行ったのは、ダンスフロアを備えたレストバーだった。スポットライトの光とシンセサイザーの調べで満たされた店内に入ると、小柄な体を白いチュニックとズボンで包み、唇と目の周りに紺色の化粧を施したドアマンが、ほとんど機械的とも言えるほどの奇妙な声で二人を出迎えた。「『ゾム・ゾム』へようこそ

 大学のすぐ近くにあるにもかかわらず、「ゾム・ゾム」という店名はクリスチャンの記憶になかった。いぶかしむクリスチャンをよそに、ブライアンはゲイリィと呼ばれるそのドアマンに、自分達を正面の窓際の席に案内させる。店内に鳴り響くテクノ・ポップがうるさくない場所だった。そこでウェイターが来るのを待っていると、クリスチャンの友人の若い娘、ザラが声をかけてきた。彼はルームメイトのブライアンを彼女に紹介しようとするが、何故か彼の姓を思い出す事が出来ない。口ごもる彼の代わりにブライアンが自ら名乗った。「コリス――ブライアン・コリスです」

 「ブライアン・コリス」という名前は、しかしクリスチャンにとって親しみのあるものでは全くなかった。だが、知っているはずのブライアンの本名を彼は思い出せない。そして、ブライアンに関する事を他に何か思い出してみようとあせってみて、何も記憶に無いという事に気づいた。

 その時、全ての景色がぼやけ始め、周囲の音も歪み、まるでレコードの回転数が落ちていくかのように引き延ばされ、くぐもったどよめきになっていった。奇妙な落下感覚に襲われたクリスチャンは身体を支えようと手を伸ばしたが、何もつかむ事が出来ない。やがて、レストバーの店内とは異なる、別の光景が現れ始めた。

真っ白くまぶしい閃光の中、いくつかのぼやけた人影が彼の上におおいかぶさるかのように立ち、低くうなるような声を発していた。彼はしゃべるために起き上がろうとしたが、出来なかった。目に見える全てのものが明るく輝き、白くもやがかっている。彼の頭の中で、異界の声が虫の群の羽音のようなブンブンという音をたてていた。彼の目はまぶしさのためにうるみ、耳はブンブンという音に痛んだ。彼に理解出来るものは――ほんの少ししかなかった。
「ススイイイミンンシツツ」歪んだ声の中に、そう発するものがあった。

機械とワイヤーからなる姿が形をとり始めた。キーボードとケーブルと明滅する回路の、機械的な光景だ。そして白熱する太陽。

 クリスチャンの視界は突然明晰になった。彼はブライアンとともに「ゾム・ゾム」の席に座っている。「ぼんやりするなよ」というブライアンの声に、彼の口からは何故か「夢幻侵食」という言葉が漏れる。我に返ったクリスチャンは、自分達がいつの間にかメニューの注文を終えていて、ザラもどこかへ行ってしまっている事に気がついた。

 やがて運ばれてきた料理を食べつつ、クリスチャンは窓の外を見ていた。すると見覚えのある黒い人影が現れ、窓越しにこちらを覗き込むと、黒く汚れた歯を見せてぎこちなく笑いかけてきた。「異界のものに祈るのだ」そう言ってくすくす笑うと、人影は向きを変えて歩き去った。二頭の犬がその後を追いかけ、彼の手をなめていた。

 クリスチャンはつい「いかれた奴だ」と言い、その声にブライアンは肩越しに後ろを振り返ったが、男の姿はすでに消えていた。クリスチャンは今見た人影について説明し、彼とは以前にも別の通りで出会った事があると話したが、ブライアンにはそんな男を目撃した事はないと言われてしまう。

 食事も終わり、二人は学生寮への帰途に着いた。その道すがら、クリスチャンはブライアンに出身地を尋ねる。彼は、リヴァプールから沿岸沿いにさかのぼった、パイン・デューンズの近くだと答えた。だが、その答えもクリスチャンにはなじみのないものだった。さらに質問を続ける彼を、ブライアンはいぶかしむ。クリスチャンは、今夜は奇妙な出来事がいくつも起きていて、今は何も思い出す事が出来なくなっているのだと話した。睡眠不足だ、よく眠れば明日の朝にはすっきりしているとブライアンは答えた。

 そうするうちに、二人は劇場の前に長蛇の列を作っている人々と出会った。それはミュージカルを見ようとしている客達だった。劇場の前世紀的な外観は夜の闇の中に不気味にそびえ、その屋根からは巨大な白い仮面が人々の列をあざけるように、通りの坂道を見下ろしている。

坂道を1ブロックほど上ったところに、タキシードを着た人影が立っていた。長い外とうをはためかせていて、近づいていくと、クリスチャンは彼が顔に白い仮面をつけているのがわかった。彼はブライアンを見つめていたので、二人は肩をすくめた。
「きっと劇場から来たんだよ。たぶん宣伝のためにね」ブライアンは言った。
外とうを着た人影は彼らに向かって両腕を広げた。「睡眠室はいまだにおまえ達を待っている」彼は言った。
「誰だおまえは?」クリスチャンは叫んだ。
「我々は冷蔵された夢だ」反響する声で男は答えた。顔の上半分をおおっていた仮面を彼が取り去ると、その下にはあの浮浪者の黒い顔があった。
「おまえか! どこかに行っちまえよ、このくそ野郎」クリスチャンはあざけった。
「私は死ぬ:おまえは死ぬ」彼は答えた。
「いったい何がやりたいんだ?」
黒い人影はその無表情な顔を引っぱると、皮膚を肉ごと後頭部に向けてはぎ取り、ワイヤーや歯車からなる機械仕掛けをむき出しにした。「私は脳を終了し、もう一人の友人は死ぬ」彼は笑った。
「チクタクマン」ブライアンがあえいだ。

***

 翌朝、学生寮のベッドの上でクリスチャンは目を覚ました。ブライアンは起きていて、昨夜は公園で機械人間達が一晩中「死、死、死」と合唱していたので眠れなかったと彼に話した。クリスチャンは昨夜の記憶がはっきりせず、ブライアンに経過を尋ねたが、自分達は夕食を食べに外出し、帰宅後クリスチャンはテレビを見、自分は肖像画を完成させていたと言われる。彼はさらに、昨夜路上で出会い、ブライアンが「チクタクマン」と呼んだ黒い男の事を聞いたが、彼は何の事かわからないようで、君は夢を見ていたのだと返答してきた。

「チクタクマンというのは何者なんだ?」
「君のお母さんやおばあさんは、チクタクマンの登場する物語を君に話したりはしなかったのかい?」
「いいや」
「彼は時計仕掛けの男――半分人間で、半分は機械なんだ。悪い子どもをさらっていく子取り鬼さ。『人皮機械』とも呼ばれている。君が彼の夢を見たのはおそらく――君の肖像画のせいだよ。僕が『人皮機械』という題をつけたから。覚えてないかい? あの機械人間を?」
「俺は何で君について何も思い出せないんだ?」

クリスチャンの視界は再び曇り始めた。周囲の音が、低く歪んだ轟音に置換されていく。彼は平衡感覚を失い倒れこんだ――後方へ、もしかすると前方へと。彼の触覚は混沌としており、方向感覚や触感は異質なものになっていた。あの白々としたまぶしさと、そしてぼやけた人影が再び現れた。彼は動こうとしたが、またしても出来ない。人影に対して叫んでも、のどからは何の声も出なかった。あたかも非常に長い間暗闇の中にい続けた後、陽光の元に出てきたばかりの者のように、光が彼の目を悩ました。だが、彼の目はゆっくりと順応し始めた。

影のような姿のうちのいくつかは、花に群がる蜂のように一つの機械の周りに集まり、陰極の発している不快に点滅する輝きを浴びていた。ワイヤーとケーブルのもつれた網が、機械の塊から生え伸びている。しかしそれらは彼のかすんだ視界を越えたところで、終端処理されるか接続されるかしていた。それはまるで、あらゆる方向につると枝を拡げている電気仕掛けの巨大植物のようだった。

それらの姿のひとつが群れからはずれ、曲線を描いて彼の方へと近づいてきた。その姿の、まばたきをしない大きなガラス質の目の中に、若者は自分が映り込んでいるのを見る事が出来た。その頭部にはワイヤーが接続されており、胸部に付いているワイヤーもかろうじて見えた。
「フフファィィヴヴヴヴ」その姿が、低く単調な声で言った。

「検索を起動」合成音声が聞こえてきた。「場所の不正です」声は続く。それはクリスチャンの頭の中に聞こえていた。「バーネット・プログラムを起動します」

そして彼の視界は鮮明になった。彼は窓の前に立っている。
「……遅れてしまう前に、すぐに出るよ。」ブライアンが言葉を切った。
クリスチャンは彼を見つめた。
「君も来るかい?」
彼は背中からベッドへと沈み込むと、頭を激しく振った。「俺は狂い始めているのかもしれない」彼はむせび泣いた。

***

 通勤でにぎわう早朝の通りを、クリスチャンは昨夜に夕食をとった「ゾム・ゾム」へと出かけてみたが、店内には誰もいなかった。そこに昨夜のドアマンが再び現れる。クリスチャンは昨夜の自分の行動について尋ねようとしたが、ドアマンはその機械的な声で、謎めいた言い回しの受け答えをするだけだった。やがて彼は立ち去り、クリスチャンは落胆しつつ、通りに冷たくそびえる建物や現れては空しく消えていく通行人達を見つめた。

その光景が、色づく小さな砕片やフラクタルの小片へと崩壊し始めた。彼の目の前で、マンデルブロ図形のパズルのように解けていく。

雷鳴か爆発のような音が遠方で轟いた。サイレンが鳴り響き、叫ぶ大声が聞こえる。「犬達を呼び出します冷たく機械的なそれは、しかし明らかに女性のものだった。どこからかパトカーのサイレンが聞こえ、犬達が吠えている。空は石炭のように黒くなり、風は熱く、電気回路の発するような臭いが混ざっていた。

そして、通りに一人残されていたクリスチャンは、全てを焼き焦がす赤紫色の光の中に投げ込まれた。巨大なネオン管が焦熱と光を放ちながら大蛇のようにのた打ち回っている。白熱するコイルが彼の周囲に垂れ下がり、たった一度収縮するだけで彼の肺から空気をしぼり出し、その身体を空中へと引き上げた。足元の通りは溶けて流れ去り、光沢のある金属へと置き換わっている。はるか彼方からは、黒いスーツの上に外とうをはおり、高く尖ったかかとの靴をはいた、男とも女ともつかない一群の人影が行進してきた。人影はどれも、上部が平らになった髪形にアーモンド形の黒いサングラスをかけているという、同じような姿をしている。古い映画に登場するドイツ軍のような足並みの行列は果てしなく続き、頭がおかしくなるほどのテンポを刻むメトロノームのような調子で、かかとが踏み鳴らされた。頭上では、回路基盤の空に満天のダイオードの星がきらめいている。
彼は足を蹴り出したり身をよじったりして、コイルの束縛に抵抗した。「俺達はガラス細工なんだ」彼は叫んだ。「だから、俺達はもろいんだ

馬に引かれた大型の四輪馬車が、雷鳴のような音を立てて角を曲がってきた。そのひづめと車輪からは火花が散っている。馬達はにごった排気ガスの息を吐き出し、その両目は懐中電灯のように明るく輝いていた。その背後からは、悲痛な鳴き声で吠え立てる一組の猟犬達が追いかけてきていた。それらは半ば機械の身体を持つ、時計仕掛けの恐るべき獣達だった。

ガラスの砕ける音がして、若者はドサリと地面に落ちた。馬達が彼の方へと迫ってくる――ひづめの下で地面が震えていた。彼が動けるようになる前に、馬達は彼の上にのしかかってくるだろう。自分の呼吸音が耳の中で爆発する。彼は目を閉じ、身を守ろうと空しく両手を掲げた。

静寂。

ゆっくりと、彼は目を開いた。ひづめは彼の頭から数インチの所にあった。顔を上げると、動いていないメリーゴーランドの馬の塗装された顔が見えた。そこには黒い四輪馬車と、プラスチック製の四頭の馬が立っている。震え、汗にまみれながら、彼は立ち上がった。行進するクローン人間達やうなり声を上げる機械犬は、どこかに行ってしまっていた。

「『ゾム・ゾム』へようこそ」今やおなじみの、シリコン製の夢のような声が聞こえてきた。
彼が振り返ると、白と青に身を包んだ小柄な人影がいた。彼は紫と赤のけばけばしいネオンに彩られた建物の前から、群集に混じって若者の方に手を振っていた。

長い黒のトレンチコートを着て中折れ帽をかぶった人影が、四輪馬車の御者席から跳び下りてきた。それはブライアンだった。彼は帽子をクリスチャンに預けると、馬車の扉を開き、手袋をはめた手を乗客の方に差し伸べた。黒い人影が馬車から降り立つ。その目は二つの小さな時計の文字盤だった。
「生命ある機械だよ」ブライアンがクスクスと笑う。
クリスチャンは後ずさりした。
「私は君との接続を遮断する」時計の目をした黒い男はそう言って笑った。

クリスチャンは逃げ出そうと振り返ったが、何かが彼の腕をつかんだ。それを振り払おうと彼はもがく。
「クリス、来いよ」ブライアンがルームメイトを揺さぶった。
彼はそれを振りほどくと落下した。下には草の生えた湿った地面があった。彼らは公園の中に落ちていた。午後の暖かなそよ風が、ほとんど裸になっている木の枝から、カサカサに乾き枯れている、数少ない残りの葉を散らしている。

 地面に倒れこんだクリスチャンを引き起こそうと、ブライアンは手を伸ばした。彼らは授業のために教室へと向かっている途中だったのだ。だがクリスチャンは「俺に近づくな」とブライアンに叫び、彼がチクタクマンと一緒にいたと口走る。彼はいまや自分が狂っているのではない事を確信し、叫ぶ。「俺は機械仕掛けの夢を見ているんだ

 そして困惑するブライアンにクリスチャンは「睡眠室」の事を問い詰める。その時、彼の頭の中にあの合成音声が聞こえた。「不正な動作。人格の誤作動です。場所を発見し、修正します」それでも彼はなおもブライアンに、彼もまた自分を取り巻く環境の一部分であり、今何が起こっているのかをよく知っているはずだと詰め寄った。たまらずブライアンはクリスチャンの前から逃げ出し、公園を横切って走っていく。

クリスチャンは後を追ったが、草がワイヤーと化して彼の足にからみつき、その速度を落とした。ねじれたケーブルで出来た木の枝では、金属製の葉がチャイムのように鳴っている。公園には山高帽をかぶり古い母校のネクタイを締めた機械人間が集まり、略奪機械が犠牲者を求めてうろついていた。

「ファイルにアクセスしています」再び声が聞こえてくる。彼はそれを頭の中から締め出そうとした。

 頭の中に響く声に抗いながら、クリスチャンはブライアンを追いかけて通りに出た。だがそこに路面電車が角を曲がり突っ込んでくる。クリスチャンはブライアンに警告の叫び声を上げるが、すでに手遅れだった。全ての光景がスローモーションの夢のように見え、次の瞬間、時間と空間が凍てついた。巨大な機械仕掛けの捕食者が犠牲者の肉体をしとめ、去っていった。

 群衆が集まる中、口から血を流して地面に横たわるブライアンのそばにクリスチャンはひざまずき、その頭を抱き上げた。ブライアンは目を開けると、あえぎながら言った。「この機械は作動を停止する」

ブライアンは頭を振った。「神の映画を見る時間だ」彼はせき込み、もっと顔を近づけるよう友達に身振りで伝える。「ファイブ、友人は電気仕掛けか?」彼は何とかささやいた。流れ出る血が粘りを帯び、黒くなっていく。そして時計の針は止まり、彼は静かになった。

クリスチャンは通りの真ん中で、友人の壊れた身体を抱きつつ座り込んでいる。周囲では世界がグルグルと回転していた。わき腹がズキズキと痛む。皮のジャケットが濡れていた。その下に手を伸ばしてみると、暖かい湿り気と裂けた肉に指先が触れた。黒く粘つく油が彼の手を覆っている。裂けた肉の下からは、切れたワイヤーと壊れた歯車がむき出しになっていた。

「俺も死んだ機械だ」彼はじっと座ったままむせび泣いた。群衆の顔や姿がおぼろげに消えてはまた現れる。彼の耳には音楽や悲鳴、そして機械の発するような耳障りなすすり泣きの声が聞こえてきた。視界が白いノイズに覆われていく。めまいを覚え、彼は固い敷石の上、ブライアンの動かない姿のとなりに身を横たえた。

「フフファィィヴヴヴヴ」低く単調な声が聞こえる。

彼は周囲を見回した。そこは白く明るい場所だった。天井に満ちているゆらめく光が、彼の顔を照らしている。彼は起き上がろうとしたが、何かが頭と腰を拘束していた。寒気と、冷たい金属が彼の背中にあたっている感じがあった。胸から向こうは何も見る事が出来なかったが、腰から下を覆う布の温かみを感じた。

彼の視野の周辺には、他の人影があった。腰から上が裸の人間達が、金属の机の上に寝かされている。どの人間も皆、手首と額をベルトで固定され、頭と胸には入院患者のように電線が接続されていた。いったい何人いるのか彼にはわからなかったが、全員が眠っている。

そして彼は機械の一群を――もしくは一個の巨大な機械を――見た。人々を拘束している車輪付き担架は、いくつものモニターやキーボードとそれらをつなぐ配線から成る島の周囲に配置されている。各人の頭と胸に貼り付けられた電極からは電線が伸びて、コンピューターに接続されていた。その姿はまるで、ワイヤーを張り巡らせて作った巣で蠅を捕らえている、機械の身体を持つ蜘蛛のようであった。クリスチャンもまた、それらの蝿の中の一匹である。

異形の姿が彼の周囲をうろつき、単調な騒音が彼の耳に聞こえていた。彼は目を閉じ、この明るさと奇妙な姿を彼の頭の中からしぼり出そうとした。ゆっくりと音声が明晰になっていく。いくつかの声が彼のまわりで会話していた。人間の発する知性的な声だ。彼が再び目を開けると、周囲に立っているのは異世界からの探検家などではなく、白衣を着た人々だった。

「被験体5番が覚醒しました」女性が報告していた。彼女の黒髪は頭の後ろにまとめられ、ヘアバンドで固くとめられている。彼女はクリップボードを自分の方に取り上げた。
「プログラムを点検してくれ」眼鏡をかけ頭の禿げ上がった男性が彼の方に近づくと、目を凝らしてじっと見つめた。彼の肌に触れる男性の手は冷たかった。
「俺はどこにいるんだ?」
「心配しないでください、バーネットさん。大丈夫です」黒いヘアバンドの女性の言葉だ。
「ここが睡眠室か」クリスチャンは言った。
「ここはダグホール・コンピューター研究室です。あなたは大学にいるのですよ」頭の禿げた男性が訂正した。彼は小さなペンライトでクリスチャンの右目の中を、続いて左目を照らした。「被験体は完全に意識を回復している」
「あんた達は俺に何をしているんだ?」
「夢による意識への侵食が見られる。プログラムを終了させるのが時期尚早だった。被験体の再導入の準備を」頭の禿げた男性は報告を続ける。
「おい、答えろ」彼は拘束を解こうともがいた。額に接続されていたワイヤーが外れて落ちる。
「しぃーっ、落ち着いてください」ヘアバンドの女性がなだめた。
「あなたはこの実験の被験者として志願したんですよ。お忘れですか?」白い豊かなあごひげを伸ばしている男性が言った。
「うそだ、俺から離れろ」彼は足を跳ね上げ、もがいた。ひげの男性と別の女性が彼を押さえつける。
「ガスをこちらに」乱れた電線を再配置すると、頭の禿げた男性が叫んだ。
クリスチャンの口と鼻の上に、誰かがマスクを押し付けた。シューという音が彼の耳に聞こえてくる。

「この暗きファサードは終了しますそれは彼の頭の中に聞こえていた声だった。だが、今やそれは、彼の頭の中にだけ存在するものではなかった。それはコンピューターから聞こえてきていた。
「おまえがチクタクマンなのか」若者はマスクの下でモゴモゴとつぶやく。
「あなたは私の夢に踏み込みます機械が言った。
「ねぇ君、君は探検家なんですよ、」頭の禿げた男性がなだめるような口調でささやく。「史上初めて、人工知能と直接的に接触するという。人工知能があなたの精神に入り込み、潜在意識において世界全体を創造しているのですよ」
目に映る全てがぼやけ始め、周囲の音も単調なものになっていく。クリスチャンの身体全体がうずいていた。

「思考体2番。照合します。バーネット・プログラムを起動します」
眠気がしのび寄り、彼はそれに抗おうと空しくもがいた。もはや、白くかすんだものとブンブンという音の他に、感じられるものはほとんど何も残っていなかった。やがてフラクタルの断片が精神の中に広がっていくのが見えた。ついに眠りに押し流され、彼は静かになり、胸が規則的に上下するだけになった。

「神の音声の暗殺チクタクマンが言った。

クリスチャン・バーネットは眠り、そして見ていた――機械仕掛けの夢を。


要約者による雑感

チクタクマン、ニャルラトテップの化身
BRP版「クトゥルフの呼び声」用データ、サプリメント"RAMSEY CAMPBELL'S GOATSWOOD"より

2004/07/27

藤九郎様のサイト「妖蟲世界」で初めてその存在を知り、けえにひ様に"The Creature Companion"を閲覧させていただき、さらに興味を引かれたニャルラトテップの化身チクタクマン。関連資料の収集がまだまだ不足していますが、とりあえずなんとか登場作品の要約を公開する事ができました。

謝辞にもあるように、この作品には至るところでシンセ・ポップ歌手ゲイリィ・ニューマン"Gary Numan"の歌曲への言及があります。登場人物のセリフや固有名詞、状況の描写等に、ニューマンの曲名やアルバム名、歌詞が使用されているのです。残念ながら、洋楽に疎い私には、これらの歌詞をその雰囲気を保ったまま訳出する事はできませんでした。HTMLのソースを見ていただくと、該当する歌詞の部分には原文が併記されています。

以下にGary Numan関連の参考リンクを挙げておきます。

それにしても、「アイ・ドリーム・オブ・ワイヤーズ」という表題は悲しいものがあります。「接続された男(20世紀SF風)」「悪夢回路(怪奇大作戦風)」「機械なる夢を見る(古典SF風)」「奇機怪械(タイトー風)」等といろいろ考えてみたのですが……より適切な邦題を求む。

Googleで"Tick Tock Man"を検索してみると、他に、ディーン・クーンツ「ドラゴン・ティアーズ」(主人公を追い詰める謎の殺人鬼「チクタクマン」が登場)、ハーラン・エリスンの短編「『悔い改めよ、ハーレクィン!』とチクタクマンはいった」(時間に厳格な超管理社会の物語)、スティーヴン・キング「ガンスリンガー」が見つかりました。

しかし、「子取り鬼チクタクマン」等という言い伝え(都市伝説のたぐい?)は、本当に実在しているのでしょうか。

CRPG「女神転生」シリーズの「ペルソナ2・罰」に登場する、主として時計を扱うアンティークショップ「時間城」の主人「伯爵」(「銀河鉄道999」に登場する鉄郎の母の仇が元ネタです)は、時計の文字盤の透かしが入ったモノクル(片眼鏡)をかけています。彼は実は、このシリーズの最終ボス「ニャルラトホテプ」の化身のひとつなのです。デザイナーはチクタクマンの事を知っていたのでしょうか?

短編故に書き込み自体は少量ですが、人間によって創造された存在が人間の制御を離れて暴走し牙をむくという「機械知性vs人間」と、自身が何らかの仮想現実にとらわれていると考えた人間がそこから現実へと逃れようとするという「人工現実vs本物の現実」の二種類の対立が含まれているという点で、この作品は映画「マトリックス」に似ていると思います。

「機械知性vs人間」の参考作品としては、私の偏ったわずかな知識からとりあえず、映画「2001年宇宙の旅」「ターミネーター」「デモン・シード」「ヴァイラス」、小説「殺人摩天楼」(フィリップ・カー)、漫画「街がいた!!」(藤子・F・不二雄/SF短編)、特撮番組「怪奇大作戦」第20話「殺人回路」を挙げておきましょう。

「人工現実vs本物の現実」の参考作品としては、映画「トゥルーマン・ショー」「エルム街の悪夢」「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」ぐらいしか挙げられないのですが、自分の周囲の友人や隣人が実は偽物だったという要素については、映画「ボディ・スナッチャー」(原作はジャック・フィニィの小説「盗まれた街」)も参考になると思います。

機械的なプロセスを用いて人間に催眠術をかける事は(能力的に/倫理的に)可能なのでしょうか?

「[でうす・えくす・まきな]ハにゅーよーくデアル。にゅーよーくハ[でうす・えくす・まきな]ヘ[改変]サレル。」

註釈:

2006/12/27

「2ちゃんねる」SF・ファンタジー・ホラー板の「H.P.ラヴクラフト」スレッドで提供された情報によると、チクタクマンという名前のそもそもの由来は、ライマン・フランク・ボームの「オズのオズマ姫」(早川書房、原題は"Ozma of Oz"、ポプラ社の文庫では「オズの魔法使いとオズマ姫」)に登場するゼンマイ仕掛けの自動人形チクタク"Tik-Tok"ではないかとの事です。作中では"machine man"あるいは"mechanical man"と称されていました。

「オズのオズマ姫」が発表されたのは1907年、「ロボット」の語源であるカレル・チャペックの戯曲「RUR」が発表された1920年よりも以前の事でした(ちなみにクーンツの「ドラゴン・ティアーズ」は1994年、エリスンの「『悔い改めよ、ハーレクィン!』とチクタクマンはいった」は1965年の作品)。チクタクは、創作作品に登場するオートマトンの中でも、かなり初期のもののようです。


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