要約者前書き

原文はChaosium Inc."Call of Cthulhu Fiction"シリーズ、"Made in Goatswood"に収録されています。
また、以下の要約は同名のシナリオのネタばれになっている可能性が高いです。御注意ください。

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天球音楽
"The Music of the Spheres"

ケヴィン・A・ロス (Kevin A. Ross)

disaster, n. 1: 惑星または恒星の不吉な星座相。 2: 突然の異常な災難。惨禍。

 冷たい雨の降り注ぐ夜、ブリチェスター大学の一室において、電波天文学者ジェラルド・ニールはわき上がる興奮を抑えつつ、コンピューターから出力されたここ数日の観測データを半ば信じられない気持ちで見つめていた。

そうだ、疑う余地はない。これはネメシスに違いない。その大きさ、地球からの距離、運行の軌道、全てのデータが適合している。

十四兆マイルの彼方、牛飼い座の星々の間を滑り行く天体こそ、天空において最も探し求められていたものだった。恐竜達の殺戮者。科学者がネメシスと呼ぶ、いわゆる「死の星」である。

 ネメシスの存在を主張する理論は、十年ほど前にアメリカで発表されていた。物理学者ルイス・アルヴァレズは恐竜の絶滅の原因として、六五〇〇万年前に彗星か小惑星が地球に衝突して自然環境の恐るべき激変を引き起こした、とする新説をうち立てた。古生物学者のロープとセプコスキは、地球上では約二六〇〇万年という間隔で生物の周期的絶滅が起こっていると主張した。そしてこれらの仮説から物理学者リチャード・ミュラー博士は、地球上の生物の周期的大量虐殺を引き起こす彗星あるいは小惑星の衝突の原因として、太陽の周囲を二六〇〇万年の周期で巡っている未知の伴星の存在を仮定した。この伴星が太陽系の周辺にある「オールトの彗星雲」に突入すると、そこから大量の彗星がはじき出され、太陽系の各惑星及び衛星に降り注ぐ事になるというのである。永劫の太古より繰り返されてきたこの天上の大破壊は、そのつど地球上の全生物のほとんどを絶滅に追いやってきたと考えられた。

 ミュラーと彼の同僚達はこの伴星にギリシャ神話の神罰の女神「ネメシス」の名をつけ、世界中の天文学者達の協力を得て、数年間に渡って探索を続けていた。そしてついに、ブリチェスター大学の十字列形電波望遠鏡が、ミュラーの予測したデータに適合する天体を探知したのだ。

 問題となった褐色矮星の発する変則的な信号に最初に気がついたのは、ニールの若き同僚ステュアート・クロスリィだった。ニールは英国学士院特別会員としての影響力を総動員して、王立グリニッジ天文台からこの天体の観測データを取り寄せ、それが彼の期待に違わぬものである事を確証した。固有運動の無い軌道、スペクトル写真におけるある波長の欠落、薄暗い等級等のデータから推測すると、それは小さな、しかし相対的に地球の近くに存在している天体、つまり「死の星」と呼ばれているものでしかあり得ないのである。

 ニールは自分の発見が一九二九年の冥王星発見以来の天文学における偉業である事を確信し、やがて得られるであろう名声と栄光を想い描いていた。そして今週末を予定している公式発表の準備を翌朝から始める事にして、万が一にも立証における誤謬やデータの欠落が無いよう最終確認を行うために、疲労による頭痛に耐えつつクロスリィの研究室へと向かった。

ステュアートの研究室の明かりはまだついていた。そしてその中から聞こえてくる、おなじみの轟くような倍音に、ニールは顔をしかめた。クロスリィはネメシスから受信された電波信号を音声に変換する装置を作成し、研究員達がその出典の重大性を理解して以来、ずっと絶え間なく流し続けていた。

これは電波天文学者達の間ではよくある奇想天外な思いつきだった。そのような電波信号が何らかの仕方である意味をなし、あるいは実際に音声による通信を生みだすのではないかという考えだ。そして電波天文学者達は皆、そのような異界からの送信を最初に受信し、理解する人間になりたいのだ。

少なくともクロスリィは、そのような音声変換をそう真剣にはとらえていなかった。彼はさまざまな角度・時間・頻度・波長からいくつもの異なる記録を作成してきたが、特殊な信号を見つけた事は一度もなかった。それにもかかわらず、彼は常にそれらの轟くような低音域の旋律を流して、建物の中のほぼ全員を激しくいらつかせていた。時々彼は耳をふさぎたくなるような音量で鳴らす事さえあったが、幸いにしてそれはほんの短時間だけであった。

 ニールが部屋に入ると、クロスリィは書物や雑誌が山のように積み上げられた机の間から顔を出した。五十九歳のニールよりも三十歳ほど若い彼は、多くの点でニールとは正反対の人物であった。肥満体のニールとは対照的な痩せた体格であり、そして人付き合いを避けて独身で過ごしてきたニールに対して、クロスリィには若い歴史学の大学院生である婚約者キャサリンがいた。知的で魅力にあふれた彼女は、若き電波天文学者にふさわしい人物のようにニールには思えた。

 「死の星」のきしるような旋律を奏でていたカセットデッキの音量を下げ、クロスリィはニールと、今週末に予定されている記者会見のための打ち合わせを始めた。ニールはここ数日間クロスリィが、この発見の重大性に対する大学側の無理解や観測データの検証の煩雑から、特にイライラしている事に気づいていた。今回も彼はニールの話を興味なさそうに聞いていたが、やがて記者発表の参考にとキャサリンに収集してもらった、彗星に関するいくつかの歴史的資料を取り出し、興味深いそれらをニールに見せた。

クロスリィが取り出した書物はその外見から、装飾された中世の学術論文の一種らしかった。古い大冊の一ページには明るい色合いの挿し絵が添えられていて、その色彩はいまだに鮮やかだった――何? 三〇〇年? それ以上経っているのか? 暗い球状の姿が、藍色に塗られた満天の星空を横切り疾走していた。大地を揺るがすがごとく飛んでいく物体の下では、何人かの蒼白い人影が地面に倒れ、死んでいるかのように横たわっている。ニールは、同じような何人かの人影が球体の前方に、あたかも頭上を通り過ぎる物体を見つめるかのように立ちすくんでいる事に気づいた。

クロスリィは挿し絵の下の一節を指さした。「キャサリンは、これは黒死病の流行の時代にまでさかのぼるものだと言い、その爆発的な大流行の直前にフランスの上空で目撃された暗黒星について、いかに多くの報告があったかという事を話してくれました。この資料を読んでみたかったのですが、私のラテン語は完全にさびついてしまっているので。」

「私もだよ。」ニールはつぶやいた。挿し絵以外の部分は、能書の優雅な文字ですき間なく埋められている。

クロスリィは別の書物を広げた。そこには別の、先ほどのものよりもさらに原始的な線画があり、建物の頂上に立つ人影がより粗雑に描かれていた。簡素なローブを着ているその人物の風貌は、アメリカ原住民のもののように見えた。その頭上には星のような姿が、後ろに黒い雲をたなびかせつつ空を横切っている。

「アステカの王モンテズマですよ。伝説ではコルテスの到来の直前、彼の民は彼らが『煙る星』と呼ぶものを見たという事です。それから何が起こったかはご存じですよね――」

その後もステュアートが続けた眉唾物の話に、ニールはしかめっ面をした。机の上のカセットデッキでは電波放射の記録がまだ唸り声をあげていて、それが彼をイライラさせ始めていた。

 ニールはクロスリィの話をさえぎると、彗星が悪しき前兆と思われてきたのはいつの時代も同じだし、そのような時代遅れの話を持ち出しても記者発表の役には立たないと言った。しかしクロスリィは臆する事なく、今度は「英国天文学・天体物理学年報」を広げると、ニール自身が観測し発表した最近の超新星に関する研究記事を指し示し、その横にグリニッジ天文台から送られてきた一枚の写真を置いた。

ニールが反応する前に、クロスリィは年報のページを「超新星の息子?」と書かれた小見出しの箇所まで指でめくった。そのページの小さな写真には、中央に激しく爆発している明るい赤色の巨大な星が、そしてその下方にはより小さくてぼんやりと薄暗い物体が写っている。曖昧ながらもニールは、グリニッジ天文台が超新星の観測中に、新型のスペックルカメラの試験を行った事を思い出した。その装置は大気による映像の歪みを最小限に抑え、相互に接近して見える個々の天体の判別を助けるものだった。写真の中の小さな物体は、王立天文台が超新星の観測を始めたのとほぼ同時に出現したのだが、追跡調査を行う間もなく数日のうちに消失していた。結局この物体は、単なる星の不安定な小片で、あっという間に燃え尽きてしまったのだと結論された。

「ああ、これについては全部覚えているよ、ステュウ。で、何が問題――」

クロスリィは最近の「死の星」の写真を、雑誌のより小さな写真の真横に置いた。

ニールはあごをなでると、より近くで見るために両方を拾い上げた。ふむ、いくつかの類似点はある。どちらも奇妙に平らだが、しかしなお球状をしており、そして何か燃えるようなオレンジ色の冷光を発している。

「ステュアート、超新星は我々の観測した領域付近にはどこにも存在しなかった――」

ニールが別の写真を検証している間に、クロスリィは再び彼の書物の間をかき回した。やがて写真から顔を上げると、ニールは別種の球体の画像に面前している事に気がついた。若い天文学者は両手に薄いフォリオ判の書物を持ち、ニールに向けて広げている。そのページは見ていると実に目が痛くなる、醜悪な茶色のインクで印刷された文章に覆われていた。

しかし、その挿し絵を見たニールはほとんど息が止まるほど驚いた。それはおなじみの少し平らな球体を、ただ拡大して眺めたものだったのだ。比較的粗雑な絵画あるいは線画のようなものだったが、どちらなのかニールにはわからなかった。それはニールに、H・G・ウェルズの古い小説で見た挿し絵を思い出させた。巨大な暗い球体で、その表面には不気味な赤いひび割れがいくつも、あたかも傷跡か血管のように交差している。少年時代の読み物とほとんど同じものであるこの挿し絵はしかし、彼に懐旧の情ではなく身震いをもたらしただけであった。これは何か不健全な、ぞっとさせるものだった。周囲を囲む目の焼けつくような茶色の文章も、そのような印象を強めこそすれ、打ち消すようなものではなかった。

クロスリィはその書物を机の上に置くと話し始めた。「これは一八〇〇年代の半ばまでさかのぼるもので、キャサリンがあの湖に関する論説の執筆中に不意に出くわしたのです。おそらく、何らかの奇妙な信仰についての書簡集です。その内容のほとんどは全く訳のわからない戯言ですが、しかし見てください、この十九世紀の英国における信仰を――これは中世の迷信深い田舎者や原住民のものではありませんよ――彼らの信じていたこの彗星の神は、その軌道上を他の恒星や惑星が通り過ぎる時、それらに歌いかけるのだそうです。この神は通り過ぎていく世界に眠っている魔神や古代の神々といったものを目覚めさせる事により、それらの世界を破滅させるのだと言われています。」

 クロスリィの指さす文面を追ううちに、ニールは頭の割れるようなひどい頭痛を感じていた。そして彼の迷信に満ちたくだらない話についに我慢が出来なくなり、書物を閉じるとクロスリィに帰宅するよう促した。ここ数週間観測にかかりきりだったために我々は皆疲れているとニールは言い、そしてクロスリィに、ネメシス発見に関する発表を次の月曜日まで遅らせて、その間皆に休暇を取らせようと考えているという事を告げた。クロスリィはこの予定変更に対して何か言いたげだったが、しかししり込みするかのように書物の方へと目を落とした。

「あなたの言うとおりです、ゲリィ。これは確かにかなり空想的で、しかも何ら新しいものはありません。ただ、私が考えているのは、より優秀な機器を用いるために私達が数年の時間をかけてやっと観測した結果とあまりにも似かよっている挿し絵を、この書物の著者がこうも手早く描いているというのは奇妙だという事です。」

ニールはうなずいてみせた。「そして君も、我々のために大いに尽くす事が出来るのだよ。」カセットデッキの方へ近づきながら、彼は切りだした。「この忌まわしい悪魔のような騒音を、これ以上かけない事によってね。こいつはこの建物にいる全員を怒りで歯ぎしりさせていたんだ。」無意識のうちに恩着せがましい笑みを浮かべながら、ニールはテープを止めるとそれを取り出し、自分のコートのポケットに入れた。

 クロスリィを先に帰宅させた後、建物の戸締まりを確認したニールはブリチェスターの自宅へと長いドライブを始めた。雨はまだ降り続いており、催眠術をかけるように動くワイパーとカーステレオから流れるホルストの「天王星」の混沌とした旋律が、彼の疲労をさらに増していく。目や頭の痛みから注意力が散漫になり、一度はうっかり対向車線にはみ出してしまったが、幸いな事に深夜遅くのA.38号線はほとんど交通量が無く、ニールはあせりながらも無事に自宅へと帰り着く事が出来た。疲労は頂点に達していて、かろうじて服を脱ぎベッドに入ると、彼は安息も夢もない眠りへと落ちていった。

***

 翌朝、しつこく鳴り続ける電話のベルにニールは起こされた。あたりはまだ薄暗く、時刻は四時半だった。受話器を取り上げるとその向こうからは、ラジオのチューナーを動かしているかのように抑揚を欠いたり極度に興奮したりを繰り返す声が聞こえてきた。それがキャサリンの声だとわかるのに、彼は数秒の時間を必要とした。

「ステュアートが――ステュアートが死んだわ、ゲリィ。」数瞬前まで半ば眠りの中にいたにもかかわらず、今彼は突然はっきりと目を覚ましていた。

「昨日の晩、彼は帰ってきたの、ひどく――ふさぎ込んで」キャサリンの声は抑揚を欠いたものになり、ほとんどロボットのようだった。ニールは突然、あたかも自分が彼女の先程までの錯乱を受け継いだかのように感じた。ステュアートが死んだ?

「何が――昨日の晩に何があったの、ゲリィ? 彼は自分があなたを落胆させてしまったように感じていると言っていたわ。でも彼は話そうとは――その事について話そうとはしなかった。」言葉を続ける前に、キャサリンは苦悶に満ちたすすり泣きの声をあげた。「彼は睡眠薬を大量に飲んだの、ゲリィ。彼は帰って――帰ってきて、書斎に閉じこもり、音楽を――音楽をかけて、そして出てこようとはしなかったわ。」

そして突然、彼女の声には憤激が混じった。「何て事を! ゲリィ、あなたは彼を記者発表から外そうとしたんでしょう? あなたの忌まわしいネメシスを発見したという名声を独り占めするためなの?」

彼女の激情にあ然とさせられて、ニールは返答が出来なかった。キャサリンは本当に自分の事をそのように思っているのか? それとも自分の思い違いか? それが単に彼女の憤激を高めている悲嘆の産物である事を、彼は望まずにはいられなかった。

「一体彼に何を言ったの、ゲリィ?」

ニールは受話器を耳から離し、手探りでかろうじてそれを電話機に戻した。しばらくの間、彼は頭を両手で抱えたまま座り込んでいた。何という事だ、ステュアートよ。我々が見抜いたもの、世界へ示す準備がほとんど出来ていたもの――君はなぜこんな馬鹿な事を?

 今や「死の星」発見という名誉はニールただ一人だけのものになろうとしていた。彼は自分が友人の死という事実よりも、彼の不在が研究活動に及ぼす影響の方により関心を持っているという事に当惑していた。ともかく、彼はもはや眠れそうになく、家にいたいとも思わなかった。クロスリィの死を知らせたり記者発表の手順を変更したりするためにも、研究室に行った方が良い。仕事に没頭して、クロスリィとキャサリンの事を考えないようにしよう。しかし手早く着替えつつもニールは、昨夜のクロスリィとのやりとりが彼の自殺の原因となったのか、考慮せずにはいられなかった。

 研究室へのドライブは陰気なものになった。昨晩から降り続いていた雨は今や稲妻の荒れ狂う嵐となり、暗い道のりはほとんどぬかるみと化している。雷雲に覆われた黒々とした空に、彼は全知全能の存在の如き圧迫感を感じていた。キャサリンとクロスリィの錯乱が心に染みついているのだろう。ニールはグローブボックスから手探りでカセットテープを取り出すと、カーステレオの中の「組曲:惑星」を抜き取って代わりに挿入した。自動車はちょうどA.38号線に入ったところだった。

突然、スピーカーから音楽が鳴り響いた。おなじみの、暗黒星の電波放射がもたらした轟くような重低音だった。

「どうしてこれがここにあるんだ?」ニールは大声で怒鳴った。彼は他のテープを探してグローブボックスの中を一瞥したが、そこにはごちゃ混ぜになった空のケースが見えただけであった。ドライブ中にその中を探るような危険は侵したくない。

音楽の中では旋律が、口ずさむように、さえずるように、そして轟くように歌っていた。大洋の真っ暗な深淵で鳴き声を発する、クジラのつがいの巨大な黒い姿を彼は思い浮かべた。だがそこには何か別のものがあった。なお昏き何かが。苦悶? 憤怒? 何だ?

これは何の声だ? 空電のただ中、背後で打ち鳴らされる低音域の旋律に抗うかのように泣き喚く、言葉にならないおぼろげな声を彼は聞いたように思った。異界の「音楽」のリズムに合わせて、鈍い痛みが彼の目の奥で脈打ち始めていた。

ニールはカーステレオの巻き戻しボタンを押さえつけ、赤く激しく輝く「テープ/巻き戻し」の文字が彼をにらみ返す間、LEDパネルを見つめていた。しばらくして彼は再生ボタンを、指を痛めてしまうほど強く押した。「テープ/再生」

ネメシスの音楽が再びスピーカーから轟き、ニールはあたかもLEDパネルに天上の声のつぶやく歌詞が横切る事を期待するかのように、カーステレオを無言で見つめ続けた。だがあの声は、今度はどこで聞こえるのだ? そもそも彼はそれを本当に聞いたのか?

もし顔を上げていたなら、ニールは自分の自動車が再び道路の別の車線に滑り出していた事に気がついただろう。ロンドンの方面から彼に向かって突進してくるタンクローリーの、まさに進路上にいるのを見ただろう。

しかしニールは音楽に心奪われるあまり、顔を上げる事はなかった。

***

 ジェラルド・ニール博士の交通事故死により、ブリチェスター大学当局は彼の後任にチャールズ・ブルーム博士を選任した。ブルームは前任者の調査結果が意味する事実に驚き、続く数週間の慎重な検証の後に、それらのデータをカリフォルニアの天体物理学者にしてネメシス理論の提唱者でもあるリチャード・ミュラー及びルイス・アルヴァレズの両博士に送った。バークレイのカリフォルニア大学において、ミュラー達はニールとクロスリィによって蓄積されたデータを直ちに検証し始め、無数の光学及び電波望遠鏡がカリフォルニアの砂漠から牛飼い座の方角をにらみ上げだ。しばらくしてミュラーは各国の天文学者達にこの発見を検証するよう依頼し、世界中の電波望遠鏡が「死の星」に狙いを定め、その異界の送信を受信し始めた。

 カリフォルニアでの観測が始まってから三日後、マグニチュード七から八の大地震が北カリフォルニア一帯を襲い、三十人を越える死者と数百人の負傷者を出した。震央は中部の都市ストックトンの郊外、バークレイから六十マイル以内の地点だった。

 その二日後、同じ規模の大地震が北アフリカのアジスアベバ近辺の百マイル四方を破壊し、百人以上が死亡した。既に干ばつに襲われていた地域においては深刻な食糧不足や略奪が起こり、最終的な死者は千人の単位になるであろうと予測された。

 それとほぼ同時刻、チリの南端から真西に数百マイル沖の南太平洋において、地震学者達は別の地震を観測していた。この地震による直接の被害はなかったが、付近の沿岸地帯には数日間、津波と猛烈な嵐が押し寄せた。

***

音楽はさらに大きくなっていくが、我々がそれを聞く事はない。それは我々に向けられたものではないのだ。自分を足の下に踏みつぶそうとしている人間の何気ない口笛を、ゴキブリが理解する事があるだろうか?

だが、地球は聞いている。地球とその内の、水没した都市に、光無き洞窟に、そして古代の地下室に眠るもの達。彼らは聞いている。彼らは理解している。そして彼らは、その死にも似た永劫の眠りを振り払い始める。その目覚めに向けて蠢き始めるのだ。


要約者による雑感

 キャンベルの「妖星グロス」こと"The Tugging"の要約がほとんど進まないので、代わりにケイオシアム社の神話短編集"Made in Goatswood"から、グロスの登場している「天球音楽」を掲載します。"The Creature Companion"に記載されているグロスのモンスター・データを読むと、ゲーム上のグロスに設定されている特性のかなりの部分は原典の「妖星グロス」ではなくこちらの短編から採用されているようです。ですからゲーム用の参考資料としては、こちらも非常に役立つものであると思います。

 "Made in Goatswood"はケイオシアム社の発行する"Call of Cthlhu Fiction"シリーズの一巻です。このシリーズにはロバート・ブロックやヘンリィ・カットナーら過去の神話作家達の作品を再収録した"Mysteries of the Worm" "The Book of Iod"や、神話に基づくテーマごとに過去の短編から書き下ろしの新作までを収録した"The Azathoth Cycle" "The Hastur Cycle"等が刊行されています。"Made in Goatswood"は後者にあたるものですが、英国怪奇小説界の重鎮の一人になっているキャンベル御大がこの短編集のために"The Horror under Warrendown"を書き下ろしてくれているのはとても嬉しいですね。

 ちなみに、グレート・オールド・ワン達を覚醒させるためにグロスが天球音楽を奏でるという設定はオリジナルの「妖星グロス」にはありません。これはこの短編の作者であるケヴィン・A・ロスの創作であると思われます。他方で、"The Creature Companion"のグロスのデータにおける「教団」の説明は、「妖星グロス」の描写が元になっています。作中では、グロスの到来を「キリストの再臨」に見立てて崇拝している数人の信者からなる小規模な教団がかつて存在していたという事が語られています。彼らはブリチェスターのとある劇場の最上階に一室を借りて、そこに天体望遠鏡を備え付けていました。そしてそこに「グラーキの黙示録」や星図を持ち込んで、グロスを観測しつつ崇拝していたようなのです。"The Keeper's Companion"における「グロスとの接触」の呪文の必要条件に<天文学>ロールが設定されているのもここからです。また、"The Creature Companion"におけるグロスとシャガイの滅亡との関連の指摘は、キャンベルの「妖虫」における描写(国書刊行会「真ク・リトル・リトル神話大全」9巻p158〜p159)に基づくものでしょう。

 実はこの短編は、未訳サプリメント"The Stars Are Right!"に収録されている同じケヴィン・A・ロス作の同名シナリオの、ほとんどネタばれと言って良い内容です。舞台こそアメリカになっていますが、ニールも同様の教授として登場しています。ここではシナリオの内容には深く触れませんが、この小説の補足になりそうなところを少し拾ってみると、ニールがたびたび苦しめられている頭痛や眼痛、キャサリンの錯乱、そしてクロスリィの自殺等のような出来事は、短編中では明確に言及されていませんが、シナリオにおいてはグロスの放射する「天球音楽」を長時間聞いた事が原因であるとされています。また、地球が電波望遠鏡によってグロスの音楽を聞くが故に起こる現象のうち、カリフォルニアの大地震は純粋な天変地異です。それに対して、南アフリカと南太平洋で起こったものは明らかに、地球に眠るグレート・オールド・ワンの覚醒を意味しています。南太平洋の方はそこに何があるか有名ですが、それでは南アフリカの方は何かというと、アジスアベバ近辺にはクトーニアン達の潜む都市ガールン(グ’ハーン)があるのです。という事は、この地震はおそらく彼らを統べるものであるシュド=メルの覚醒を暗示しているのだと思われます。

最後に参考資料をいくつか載せておきます。

2001年4月30日追記

作中で言及されている「死の星ネメシス」については、以下の本がとても参考になります。かなり前に出版されたのでおそらく購入は困難だと思われますが、大きな図書館なら収蔵しているはずです。念のため、著者のミュラー博士はもちろん作中と同一の人物です。

あと、個人的には諸星大二郎氏の「暗黒神話」を参考文献としてお勧めしておきます。グロスこそは羅喉星(ラゴウセイ:「ゴウ」は本当は目偏に侯と書く)の名にふさわしいのではないでしょうか。

2003年8月11日追記

羅喉星に関するさらなる参考文献として、星野之宣氏の「宗像教授伝奇考」シリーズより「彗星王・羅喉編/計都編」(第三集に収録)をお勧めします。別の巻に収録されている諸星大二郎氏との対談において、星野氏はこの物語が「暗黒神話」に触発されて創作されたと語っていました。羅喉と日本神話との関係について、諸星氏とは別の解釈を展開していますが、「暗黒神話」と同様にシナリオの優良な資料になると思います。

2009年3月20日追記

Chaosium社のサプリメント"Ramsey Campbell's Goatswood and Less Pleasant Places"より、ブリチェスターにおける「グロス教団」に関する項を訳出してみました。

グロス教団

十九世紀の終わりに、五人の男達からなる教団がロワー・ブリチェスターのヴァラエティ劇場にある秘密の部屋で会合を開いていました。これらの男達は占星術の図表を研究し、望遠鏡を通して空を観測しながら、世界の終末を告知すると予言されている外なる神グロスの到来を待ち望んでいました。1900年に、この教団の存在がヴァラエティ劇場の所有者によって暴露されました。五人の男達のうち、四人は刑務所行きとなり、五番目の男――劇場の所有者だった男――はひっそりと街を離れました。

2010年5月21日追記

要約の中の「煙る星」"smoking star"という言葉は、アステカ神話の神テスカトリポカ(=「煙る鏡」「煙を吐く鏡」の意)を想起させますが、「別冊宝島1600号 幻想世界の神々イラスト大事典」(宝島社)の「テスカトリポカ」の項に、この神の名前の由来についての考察がありました。

鏡に神秘性を感じるのは我々にも理解できるが、「鏡が煙を吐く」という現象は、なぜ生まれたのだろうか? 記録された古い歌のなかに「大地の表面は煙のたつ鏡」と表現しているものがある。テスカトリポカの「煙を吐く鏡」が、大地を象徴するなら、世界創造に大きな役割をもった神にふさわしいものであろう。


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