[ ヴェールをはぎ取るもの:01│02│雑感 ]
2012年9月10日追記:
扶桑社から2012年8月10日に発行された文庫本「クトゥルフ神話への招待 遊星からの物体X」に、尾之上浩司氏によって邦訳された"The Render of the Veils"が「ヴェールを破るもの」という題で、キャンベルのその他の初邦訳の短編「魔女の帰還」「呪われた石碑」「スタンリー・ブルックの遺志」「恐怖の橋」と共に、J・W・キャンベルJr.の「遊星からの物体X」とラヴクラフトの「クトゥルフの呼び声」に挟まれる形で収録されています。
ある雨の降る深夜、ブリチェスターへと帰宅途中のケヴィン・ギルソンは、乗り合わせたタクシーにおいて偶然ヘンリー・フィッシャーというオカルティストと出会う。自身も大英博物館で「ネクロノミコン」に目を通した事のあるギルソンはフィッシャーの言動に共感を持ち、かねてより探求している疑問を彼に打ち明ける。
「私は若い頃からある種の確信に固執し続けているのですが。これほど頭を悩ませる事もないような……本当は私達が見る事物は一つとして在るがままの姿ではない、もし自分の眼を使う事無く事物を見るような方法があったなら、何もかも全く違って見えるであろう、というような発想に。おかしな事ですよね?」
だがフィッシャーは非常に驚き、実は自分も同じ疑問を長年にわたって追求しているのだと言う。さらに彼は、その疑問を解明する手段を自分は知っているとも話す。
「いいですか、眼を使う事無く何かを見る方法は存在するのです。しかしたとえ実際にその方法を行なうとしても、それは危険の可能性があるだけではなく……二人の人間を必要とするのです。その試みは私達にとっては興味深いものでしょうね……」
フィッシャーの言葉に強い興味を持ったギルソンは、そのまま彼の住むアパートへともに向かう。彼はフィッシャーの部屋で異様な品々を目撃する。
彼は部屋の中央のテーブルの上に置かれた、口笛のような奇妙な音を断続的に発している卵のような形状の物体が何であるか分からなかった。部屋の一角の台座の上に置かれた、布でおおわれているものの輪郭もまた理解できなかった。
フィッシャーは実験の記録のためにテープレコーダーを用意すると、ギルソンに自分のそのような疑問の発想の経緯を語る。
「私が実際にあの発想を得たのは公立中学校にいた時、物理の授業においてでした。ある日私達は眼の構造について学んでおり、そこで私は次のような事について考え始めたのです。網膜や眼球の水様液、そして水晶体の図解を調べれば調べるほど、私はますます私達がそのような複雑な組織を通して見ている物は、何らかの仕方で歪められているに違いないという事を確信しました。網膜上に生じるものは単に映像であり、望遠鏡を通したものよりも歪んでいないとは言えない、という事は充分言えます。それは私にとってあまりにもすんなり受け入れる事ができる考えでした。」
やがてフィッシャーは大学においてテイラーという学生と知り合い、彼の所属した魔術カルトに参加するようになった。やがてそのカルトは摘発されるが彼はそれをうまく逃れ、大学を除名され魔術を諦めた仲間から魔術書を譲りうけた。その中の一冊「グラーキの黙示録」の中の記述から、彼は今夜試みようとしている実験において使用される術法を得たのだと言う。そして彼はギルソンに、「部屋の一角の台座の上に置かれた、布でおおわれているもの」の中身を明らかにする。
ケヴィン・ギルソンはただじっと見つめるだけだった。その物体は不定形ではないがあまりにも複雑なので、眼は描写可能ないかなる形にもそれを把握する事ができなかった。長いプラスチックの棒で連結された、半球と輝く金属との集合体があった。棒は一様に灰色だったので、それらの間の遠近は理解できなかった。それらはばらばらにシリンダーの突き出た平たい固まりのように溶け込んでいた。それを見ていると、彼は棒の間にいくつもの目が輝いているような異様な気配を感じた。しかし眼を凝らしても、そこには常に空間が見えるだけであった。最も奇妙な事は、これが何か生きているもの、このような異常な幾何学の例が生存可能な次元から来たものの彫像であると感じた事であった。フィッシャーに話しかけようと彼の方を向いた時、彼には視野の外でその物体が膨張して部屋の一面をほとんど全て占領してしまったように見えた。だが振り返ると、その彫像はもちろん同じ大きさであった。少なくとも、彼はそう確信した。しかし実はギルソンには、それが本来どれくらいの高さであったかさえ確信できていかった。
戸惑うギルソンの問いにフィッシャーは、これは『ヴェールをはぎ取るもの』ダオロスの姿を三次元的に展開した彫像だと説明する。ダオロスの本来所属する次元においてはこのようには全く見えないらしい。ギルソンはさらに、例えば本当の姿は長方形でも平たくもないはずのテーブルなのに、なぜ触った時にはそのように感じるのかと問う。それに対しフィッシャーは、それは本当は長方形でも平たくも感じていないあなたの触覚を、「長方形で平たい」という歪められた視覚にあわせて幻惑し、錯覚させている精神の作用によるのだと答える。そしてこの事が、今夜の実験が危険かもしれないという原因だとフィッシャーは言う。
「ただ時々私は考えるのです……なぜ精神はそのような幻惑の体系を備えているのでしょう? もし我々が自身を本当に在るがままに見た場合、それは我々にとってあまりにも衝撃的なのではないでしょうか?」
しかしギルソンはそのような懸念よりも、ダオロスについて知りたがった。彼に促されてフィッシャーは、自分がいかにしてダオロスの彫像を入手したかについて語る。
「部屋に入ってからずっと、そこの黄色い卵形の物体が断続的に作動しているのを見ていますね……あなたはそれについて『ネクロノミコン』の中で読んでいます。夢を具現化する装置、『ドリーム・クリスタライザー』についての言及を覚えていますか? それはそのようなものの一つ……眠っている時のあなたを他の次元に投影する装置です。少しは使い慣れてきたので、ここ数年間で私は25次元ほどの高さの隣接する各次元へと入っていく事ができるようになりました。あの最後の平面、実在しつつも物質がいかなる実体をも持たなくなる事ができる宇宙の感覚をあなたに伝える事ができればいいのですが! ところで、私がどこでクリスタライザーを手に入れたのかについては尋ねないでください。これの守護者がもう追ってこないと確信できるまで、決してそれを話してはならないのです。」
この装置を使ってフィッシャーは、「グラーキの黙示録」に記された術法に必要なダオロスの召喚方法を探った。そしてある晩、彼はついにある次元においてダオロス召喚の場面に遭遇する。
「そこにはどこまで延びているのか分からないほどの高さの壁と円柱がいくつも立ち、床の中央にはあたかも地震によってぎざぎざに裂けたような巨大な割れ目が壁から壁へと走っていました。私が見つめていると、地割れの輪郭が霞みぼやけて、何かがその外へと登ってきました。あの彫像はその本来の次元においては全く違って見えると言いましたよね……そう、私は生きている方のそれを見たのです。そしてあなたは私がそれを描写しようと試みる事ができるかどうか分かるはずです。それはそこでしばらくの間揺れ動き、それから膨張し始めました。私はあっという間に巻き込まれてしまいそうになりましたが、そうなるのを待ってはいませんでした。円柱の間にうまく逃げ込んだのです。」
フィッシャーはそこでダオロスの司祭の一人から「お前の世界では偶然見つける事もないであろう」と言われたダオロスの彫像を譲り受け、そしてベッドの上で彫像を持って目を覚ましたのだと言う。彼はダオロスとは何か、それが今夜の実験においていかなる役割を果たすのかという事についてギルソンに説明する。
かつてアトランティスの占星術師達によって崇拝された異界の神ダオロス(フィッシャーは、地球におけるダオロスの崇拝の様式はそこにおいて確立されたと考えている)は、彼の司祭に過去や未来を見る事だけではなく「物体がいかにして最後の次元に達するのか」を見る事も可能にした。ユゴスやトンドにおける『ヴェールをはぎ取るもの』という彼の称号はそのような意味も含んでいる。この力こそが今夜の実験において必要とされているのである。
しかしダオロスを召喚する際には次の事に注意する必要がある。それはダオロスを召喚して「平面の五芒星」の中に封じ込めている間、その姿を決して見てはいけないという事である。彼の姿を見た者は本能的に眼で彼の形状のねじれを追おうとし、狂気を引き起こされるのである(ダオロスの彫像でさえ、彼の姿の意図的に不正確な複製でなくてはならない)。そのため今夜の実験の際には全ての明かりを消しておく必要があるとフィッシャーは言う。
そしてフィッシャーはギルソンに、今夜の実験を行うかどうかの最終的な決断を迫る。ダオロスの彫像を不安げに一瞥しながらも、ギルソンは実験を決行したいとフィッシャーに答える。