

3.安土・桃山時代
1 ヨーロッパ人の来航
ポルトガル、イスパニア(スペイン)
1543年、あらしにあったポルトガル人が種子島に流れつき、わが国に鉄砲を伝えた(鉄砲の伝来)。
(1)南蛮貿易
(2)キリスト教の伝来
イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが、1549年、鹿児島に来航し、キリスト教を伝えた。
九州のキリシタン大名大友義鎮(宗麟)・大村純忠・有馬晴信らは、イエズス会の宣教師ヴァリニャーニ(バリニャーノ)のすすめにより、1582年、ローマ法王のもとに、伊東マンショら天正遣欧少年使節を派遣した。
2 信長の統一事業
1560 桶狭間の戦い 今川義元(駿河・近江・三河の3国を支配した戦国大名)をたおす。
1562 徳川家康と同盟
1567 稲葉山城の戦い 齋藤龍興を滅ぼす。
1568 足利義昭(15代将軍)を報じて入京
松永久秀を追放
1569 境を制圧
撰銭令
1570 姉川の戦い 近江浅井長政、越前朝倉義景を破る。
1571 延暦寺焼き討ち(延暦寺は、浅井・朝倉らと組んで信長に敵対していた)
1573 室町幕府滅亡 反信長勢力の結集を策動した足利義昭を追放。
1574 長島一向一揆を平定(71・73・74年)
1575 長篠の戦い 三河国長篠で信長・家康の連合軍が武田勝頼軍と戦う。足軽鉄砲隊の威力を発揮して武田の騎馬隊を大敗させた。(鉄砲の使用)
越前一向一揆を平定
1576 安土城を築城
1577 楽市・楽座令
1580 石山本願寺屈服(石山合戦(70〜))
1582 天目山の戦い 武田勝頼を破り、武田氏滅亡。
1582 本能寺の変 明智光秀の謀反。信長死去
<信長の政治>
★統一の条件
地理的条件 肥沃な濃尾平野、京都に近い
政治・経済的条件 畿内支配・一向一揆平定
革新性 キリスト教保護、鉄砲の活用
1 楽市・楽座令
座の特権を認めず、商工業者に自由に商売をさせることによって領国の経済をさかんにさせる一方、座の保護者であった公家や寺社の財源をうばい、その経済力を弱めた。
2 撰銭令
貨幣間の交換比率を定めて、取引の円滑化を図った。
3 関所の廃止
関銭の徴収を禁止し、商業を盛んにする。
4 都市・鉱山の直轄
境・京都・大津・生野銀山
5 仏教弾圧・キリスト教保護
延暦寺焼き討ち、一向一揆平定、石山合戦
3 秀吉の全国統一
1582 山崎の戦い 明智光秀を討つ。
太閤検地を開始。
1583 賤ヶ岳の戦い 柴田勝家を破る。(秀吉が信長の後継者としての地位を確立した戦い)
大阪城築城
1584 小牧・長久手の戦い 徳川家康・織田信雄(信長の次男)と戦う。
1585 根来・雑賀一揆平定
関白となる 五奉行設置
四国平定(長曽我部元親服従)
1586 太政大臣就任、豊臣姓を賜る
1587 九州平定(島津義久服従)
バテレン追放令 1587年、秀吉が九州平定後博多で発令。キリシタン(キリスト教)を邪法とし、宣教師(バテレン)の20日以内国外退去を命じた。ただし、貿易は従来通り奨励したので、実効は少なかった。
1588 後陽成天皇を聚楽第に歓待
刀狩令
1590 小田原征伐 関東を支配する北条氏政・氏直父子を滅ぼす。
奥州平定(伊達政宗服従)→全国統一
1591 身分統制令
1592 人掃い令(朝鮮出兵の準備?)
文禄の役(朝鮮出兵)
1596 サン・フェリペ号事件 二十六人殉教
1597 慶長の役(朝鮮出兵)
1598 秀吉死去
<秀吉の政治>
1 経済的基盤
全国に200万石の領地
京都・大阪・境・伏見・長崎などの重要都市(商業の掌握)を直轄。
石見銀山・生野銀山・佐渡金山などの主要鉱山(貨幣の鋳造)を直轄。
2 朝廷を利用
関白・太政大臣就任、豊臣賜姓。→権威付けに利用。
聚楽第に後陽成天皇を歓待。→諸大名に秀吉への忠誠を誓わせる。
3 政治組織
●五奉行(側近) 秀吉腹心の部下が政務を分掌。
浅野長政・増田長盛・石田三成・前田玄以・長束正家
●五大老(要人) 有力大名による重要政務の合議。
徳川家康・前田利家・毛利輝元・宇喜多秀家・上杉景勝・小早川隆景
4 太閤検地(1582〜)
秀吉の行った土地の調査(検地)。
面積などの単位を統一し(検地竿など)、土地の価値を玄米の収穫量(石高)で示すようになった。
検地帳を作成した。
【考察】太閤検地によって土地の支配関係はどう変わったか? 太閤検地の歴史的意義を考えよう。
5 刀狩令(1588)
方広寺の大仏造営を口実に農民から武器を没収。農民の一揆を未然に防止し、兵農分離、身分の固定をはかった。
6 身分統制令(1591)
農商分離=士農工商の制度的確立。
4 桃山文化
障壁画の狩野永徳や作動の千利休などが有名である。