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2.室町時代

1 建武の新政(1334〜1336)

(1)幕府のおとろえをみた後醍醐天皇は、討幕計画を立て、
 1324年 正中の変
 1331年 元弘の変(天皇は、隠岐に流された)
をおこした。
 元弘の変では、天皇が配流された後も、楠木正成、新田義貞足利尊氏らの武将が天皇に味方し、1333年、鎌倉幕府をほろぼすことができた。

(2)倒幕後、後醍醐天皇は建武の新政を行ったが、天皇親政を理想としたため、武家の反発が強く、3年たらずでほうかいした。  cf.二条河原の落書

2 南北朝時代(1336〜1392)

(1)1335年、足利尊氏は鎌倉で朝廷(建武の新政のこと)にそむいて兵を挙げた。さらに、1336年には上京して光明天皇をたてた(北朝)
 一方、後醍醐天皇は、京都を去って吉野に入った(南朝)

 南朝(吉野) 後醍醐天皇
 北朝(京都) 光明天皇

 南北朝時代には、南朝と北朝の天皇がへい立し、全国的な内乱が起きていた。

(2)その中で、1338年、足利尊氏は征夷大将軍となって、室町幕府を開いた。

(3)南北朝はその後も戦ったが、南朝の勢力が弱まり、1392年、室町幕府の3代将軍足利義満のとき、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に譲位するかたちで「南北朝の合体」がなされた。「南北朝時代」の終わりを意味する。

3 室町幕府

(1)南北朝の内乱の中で、1338年、足利尊氏は征夷大将軍となって室町幕府を開いた。しかし、幕府が安定しきどうにのりはじめたのは、3代将軍義満の時代になってからである。

(2)3代将軍足利義満の事業
@1392年 南北朝の合体
A日明貿易(勘合貿易)
 明王にみつぎ物を送る「朝貢」のかたちをとった。日明貿易は、幕府の財政きばんとなるだけでなく、境や博多の商人も大きな利益をあげた。
Bこのほかに、京都の室町に「花の御所」をつくったことや、京都の北山に鹿苑寺金閣を建てたことも有名。

(3)室町幕府のしくみ
 守護大名、 三管領 四職

4 応仁の乱

 細川勝元と山名持豊(宗全)の対立に将軍けいしと、畠山・斯波両家の家とく争いがからんで起こった大乱である。乱後は、幕府の権威が著しく失ついし、各地で戦国大名が台頭した。
 以後、約1世紀を戦国時代とよぶ。

(東軍)細川勝元       足利義視  畠山政長  斯波義敏
(西軍)山名持豊(宗全)   足利義尚  畠山義就  斯波義廉

5 室町文化