4.飛鳥時代
1 聖徳太子の政治
593年、聖徳太子は推古天皇の摂政となり、蘇我馬子と協力して、中央集権国家の建設にとりかかった。
603年 冠位十二階を定める。家柄によらず、才能のある人を重く用いようとした。
604年 十七条の憲法を定める。
607年 小野妹子を遣隋使として隋に送った。
2 大化の改新
太子の死後、蘇我蝦夷(えみし)は、舒明天皇をたてた。蝦夷の子入鹿(いるか)は、太子の子で皇位継承の有力者であった山背大兄王をおそって自殺させる(643年)などした。その結果、蘇我氏の勢いは天皇をしのぐほどになった。
中大兄皇子と中臣鎌足らは、天皇中心の国に立て直そうとして、645年6月12日、朝鮮の使節をむかえる儀式が行われたとき、蘇我入鹿を殺した。その父蝦夷も自殺し、蘇我氏の勢いはおとろえた。
翌646年、改新の詔が発せられ、律令国家がスタート。以後行われた一連の改革を大化の改新という。
【課題】大化改新の4つの柱である「公地公民」「国・郡・里の制」「班田収授の法」「税制」についてまとめてみよう。
3 飛鳥文化