2.弥生時代(紀元前2・3世紀〜3世紀)
1 特色
@金属器の使用
青銅器は銅たくなど祭器(祭りの道具)として、
鉄器は農具など実用品として
弥生土器の使用
A稲作の伝来
稲の原産地は
インドや
東南アジア方面と言われている。この地方には、野生の原種がある。
日本に稲作が伝わったのは、この時代のこと。インドのインディカが朝鮮半島をへて、北九州にジャポニカとして伝わったという説が有力。
しかし、縄文時代にも農耕が行われていたとする縄文農耕など、異説もある。
2.静岡県の
登呂遺跡は、この時代後期のもので、当時の稲作の様子がよく分かる。
木製の
くわ・すきで低湿地(湿田)をたがやす。たねを直接まく(
じかまき)。
石庖丁で稲のほをかりとる(ほ首刈り)。
高床倉庫に保管する。
【課題】登呂遺跡について調べてみよう。
3.米を常食としたことなど、人々の生活は豊かになってきたが、
身分や
貧富の差が生じるようになった。村や国ができ始めた。
弥生時代の日本を知る中国の資料
1 漢書地理志 紀元前1世紀(約2000年前)ごろの日本には、100あまりの国があった。
2 後漢書東夷伝 九州の奴国の王に金印を授けた。57年のこと。
3 魏志倭人伝 邪馬台国の様子が書かれている。
@政治
女王
卑弥呼が神をまつり、神のお告げによって政治をした(祭政一致)。中国(当時
魏)と交流した。
A場所
北九州説と畿内大和説がある。
B女王−大人−下戸という身分があった。