福島県二本松市
中学3年の修学旅行の時に、東北自動車道を走りながらのバスガイドさんの
説明で「二本松」という地名を知った。バスの窓から眺めた安達太良山の姿
は美しく、いつまでも眺めていた。
二本松という地名の通り、二本松城は松と白壁のコントラストが美しい城だ。
高い石垣と櫓門が堅牢に聳えている。戦国時代には伊達政宗が支配した城
であり、江戸に入ると丹羽家10万石の二本松藩が置かれた。丹羽家は信長、
秀吉時代の丹羽長秀の末裔で、戦国の巨大な勢力から、関が原の合戦など
を経てなんとか生き延びることができた大名だ。
二本松城は幕末の戊辰戦争のおり、二本松少年隊の悲劇とともに記憶されて
いる。会津白虎隊ほど物語されていないが、以前、NHK朝の連ドラ「はね駒」
で有名になった。たしか、主人公のお父さん(小林捻侍)が少年隊の生き残り
だった・・・・・。
山城である城跡は、秋の菊人形祭りの会場としても有名です。高村光太郎
「智恵子抄」の文学碑もあります。智恵子さんは、隣町の安達の生まれです。
少年隊の像
長州、薩摩などの西軍が、予想よりも迅速
に進軍してきたため、会津と同様に二本松
でも少年、老人などの予備兵力で城下町
を守ることになった。
学生だった昭和60年冬、雪の中、東北新幹線に乗ってふらりと東北を旅行
した。郡山で在来線に乗り換えて初めての二本松城下へ。
雪が降る積もる中、二本松の町はとても静かだった。駅前から図書館方面
の坂を登り城跡に立った。その頃は城門も白壁も復元されていなかったため、
目の前に高い石垣が聳え寂しい城跡だった。模擬天守への坂道を登りながら、
伊達政宗の激しい攻撃、没落した丹羽家、そして幕末の悲劇・・・・・と城跡は
歴史ロマンを充分に感じさせてくれた。
会津若松、白河と福島県には悲しい物語
を秘めた城下町が多い。