長州萩の町を歩く

山口県萩市

幕末維新好きの歴史フアンとして、長州萩は四度旅をしている。関が原の
敗戦後、中国地方の大大名、毛利輝元が城下町として毛利34万石の居城
を定めた土地だ。
 山口県の日本海側、松本川、橋本川の三角州に広がる城下町で、町の
背後は海に面している。城跡のある指月山は143mの御椀を伏せたような
形で、三角州の平面の町によく目立つ。
 長州萩を訪れて多くの人が感じると思うが、近代化の波をほとんど受けず
時が止まったような、のどかで小さな町から多くの人物が出て、長州閥とし
て明治時代を動かしたとは想像もできない。没落したとはいえ毛利家34万
石の栄華も感じることができない・・・・・。しかし、江戸時代の香りが随所に
残る静かな町が、観光地としての長州萩の魅力だ。

中級武士の屋敷が並んでいた呉服町の辺りに、幕末維新の人気者高杉晋作
桂小五郎(木戸孝允)の屋敷が残る。指月山の城跡に向かって歩くと、堀内と
呼ばれる長州藩重臣の武家屋敷で、家老の益田家、福原家など幕末の長州
征伐で責任を取らされた家の屋敷が残る。益田家は門の近くに物見櫓があり、
小さな大名クラスの家格だ。
 毛利輝元が叡智を注いだ萩城跡は水濠と石垣しか残っていない。指月山を
合戦時の詰の城として海に突き出したかっこうで築城されている。萩城の天守閣
は古写真が有名で、五層五階の大型天守が明治の初めまで残っていたようで、
かろうじて名門毛利家の栄華を物語っている。

萩城跡

左手の高台が天守閣跡で、五層
の天守閣を復元してもらいたい。
2月の城跡は梅の花の香りにつつ
まれていた。

幕末長州の原動力となった松下村塾は、松本川を渡った城下町の郊外にある。
とても小さく貧しい寺子屋のような建物だが、さすがに観光客の人数はすごい。
29歳の生涯だった吉田松陰は実に魅力的な人物で、短い生涯の中で日本中を
駆け回り見聞を広げ、田舎町の私塾から高杉晋作久坂玄瑞木戸孝允伊藤
博文山県有朋井上馨・・・・・・と数え切れない人物を育てた。たった2年半の
間の教育であり、時代の追い風があったにせよ、日本の歴史の中で最も優れた
教育機関かもしれない。長州萩には超名門校があった。
 松下村塾を見学しているだけで、幕末維新フアンは楽しくなる。

萩の城下町を歩いていて、歴史ロマンを感じるとともに、歴史の不思議を感じた。
幕末維新の長州については多くの本で語りつくされているが、吉田松陰、高杉晋作、
木戸孝允・・・・・と激動の時代を切り開きアイディアで変革をした人物は、なぜか短命
で、戊辰戦争で東北、函館まで転戦した奇兵隊など多くの兵や武士は明治になって
不遇な人生を送り、一部の奇兵隊は反乱を起こしている。倒幕運動の薩摩藩、土佐藩
もしかりで、明治に権力を手に入れ元勲として地位と名誉を享受できたのは、ほんの
一握りの人物だ。足軽などの身分にいた人物にスポットが当たった。
 萩の城下町を歩いていて、或いは鹿児島の町、東北会津、白河・・・・・と無数の歴史
やエピソード、悲劇の人物が埋もれている。長州閥は明治、大正、昭和まで軍部、政界
に残っていた。関が原以来の恨みを幕府に持ち続けた長州藩に生まれ、日本一すぐれ
た教育機関である吉田松陰の学校にたまたま籍を置き、高杉晋作、久坂玄瑞など優秀
な先輩の下にいた・・・・・・・・・人の運命といえばそれで終わるし、もちろん実力がなけれ
ば生き残っていないのだが、吉田松陰や高杉晋作など歴史の中で葬られた人たちは、
後の明治の世をどう思ったのかな?吉田松陰、晋作、久坂らが作った明治はどんな時代
だったのだろうか・・・・・・歴史歩きの旅は想像が尽きない。

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歴史・物語の舞台を歩く
関門海峡の花火


薩摩鹿児島の町

薩摩藩の町

土佐藩の町

桂浜 坂本竜馬
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高杉晋作生誕の家

幕末長州藩の風雲児。上級武士の
家に生まれながらも、急進派として
藩の若きリーダーの一人になり奇兵
隊を創設。
 長州藩のなかで実にユニークな人物
で興味がある。

藩校明倫館

高杉晋作、久坂玄端、桂小五郎など上級
武士が学んだ藩校。会津日新館、水戸
弘道館とともに江戸時代の名門校。
明治9年、前原一誠が反乱を起こした
の乱の舞台でもある。

長門国毛利家