新潟県上越市
新田次郎「武田信玄」の影響で、信玄の足跡を求めて山梨、信州、静岡、愛知と
随分とドライブをした。信州で川中島などを訪ねると、当然のように信玄の最大の
ライバル上杉謙信にも興味を持つ。上越方面をドライブした時に、越後の英雄上杉
謙信の居城春日山を訪ねてみた。
細長い新潟県の西部に位置する上越市はとても広い町だ。榊原家の城下町高田
と古くからの港町直江津が合併して生まれた。謙信の城下町として栄えた春日山
も上越市に含まれる。
上越の市街をドライブしていると戦国フアンが泣いて喜ぶ「春日山城跡」の看板を
頻繁にみかけるため、地図がなくても簡単に春日山にたどり着ける。有名な謙信像
の近くまで車で登れるため、山城の中枢部本丸へは遊歩道を徒歩で戦国ロマンを
噛み締める・・・・・はずだったが、ドライブ疲れと寝不足で山登りは断念。山城でいつ
も思うのは、重い甲冑を身に着けて山登りをするのだから、粗食にもかかわらず戦国
武士は偉い。
春日山の中腹からも日本海が眺められ眺望がすばらしい。鉄砲の登場で戦国期の
山城は平城へと姿を変えてゆくが、物見櫓、天守閣がなくても山城からのパノラマは
合戦でも有利に働いたはずだ。
武田信玄になくて謙信が持っていた強さの秘訣は「佐渡の金山の他に海と米だな
・・・・・」と上越を訪れて実感した。米と魚、塩があれば強い兵を養えて水運があれば
情報も円滑に入る。関東管領となり京の都にまで登り、天下取りを狙っていた謙信も
豊かな越後国が生み出した戦国の英雄だ。
上杉謙信像を遠望
上杉謙信公は新潟県はもとより、その後
上杉家の城下町となった米沢(山形県)
でも敬愛されている。
信玄の武田家は江戸時代を迎える前に
滅びたが、謙信以来の上杉家は奥州の
有力大名の一つとして明治まで続く。
川中島の合戦古戦場を訪ねる