真田の城下町松代

信州の長野市街の外れに松代町がある。三方を山に囲まれ隔絶
された城下町で、時代物小説やドラマで有名な真田10万石の居城
があった。
 小学校の頃から真田十勇士や真田太平記など大好きで、司馬遼
太郎や池波正太郎で真田幸村フアンになった。妙な小学生だ。そん
な訳で、信州の松代、上田など真田ゆかりの場所をドライブすること
も多く、助手席に乗った方は興味はともかく、僕の歴史話、ウンチク
を聞かなければならない・・・・感謝してます。
 さて、松代ですが石垣が残る松代(海津)城の前面は信玄、謙信の
川中島古戦場で、海津城は武田信玄の前線基地でした。幸村の兄
である真田信之が松代藩初代となり江戸時代を通して真田10万石
を維持した。明治になって鉄道、幹線道路から外れたためか城下町
の保存状況が極めて良好。
 真田家の別邸である冠木門の武家屋敷、原型をとどめる唯一の藩
校である文武学校の辺りは、特に撮影所のオープンスタジオ状態だ。
真田一族の菩提寺である長国寺の屋根には真田の六文銭がついて
いる。かっこいいデザインで戦国大名の中で一番好きな旗印だ。甲州
武田の重臣であった真田一族は、川中島、三方が原、長篠の合戦と
主要な合戦では六文銭の下で奮戦し、真田昌幸、幸村親子の上田城
合戦、大阪の陣は伝説になった。六文銭は三途の川の渡り賃であり、
凄まじい決意の旗印だ。
 関が原の折に上田城で徳川秀忠軍を撃破し、大阪の陣では散々に
徳川を苦しめた。本当に真田はよくも明治まで大名として残ったもので
歴史の奇跡かもしれない。幕末の戊辰戦争では長州、薩摩が関が原
の恨みを晴らすために結束したのと同様に、松代藩も徳川への敵意
剥き出しで、薩長土肥に次ぐ報償を明治政府からもらったらしい。
 幕末の松代藩で忘れてはいけないのが佐久間像山。学者であり思想
家でもあった像山は長州の吉田松陰をはじめ多くの志士に影響を与え
た。像山は松代で幽閉生活を送ったり、日本で始めての電信実験を行っ
たり型破りな人物だった。
 NHK大河ドラマの影響で前田利家の妻マツがブームだが、初代真田
信之の妻小松姫も興味深い。家康の重臣本多平八郎忠勝の娘で、家康
の養女になった女性だが勇気のある姫で、エピソードも多いらしい。これ
から色々調べてみよう。松代の大映寺に墓がある。
 松代が生んだ女性に、大正の大女優松井須磨子がいる。日本の近代
女優一号ともいわれ渡部淳一「女優」に詳しい。
 松代の町を散策していると、様々な歴史物語、人物が浮かぶ。また、
真田宝物館でもじっくり見学しながら真田ワールドに浸ってみよう。歴史
に興味なくても松代は旅人の疲れた心を癒してくれるはず。

真田邸

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山梨は温泉が多いよ
東海道桑名城下

松代城跡

戦国時代は海津城と呼ばれ、武田VS上杉の
川中島合戦では武田信玄軍の本営。
 平成14年秋、戦国期の雰囲気を伝える海津
城の復元が進んでいた。松本城、上田城、小諸
城、高嶋城・・・・と信州の城歩きに海津城も面白
くなりそうだ。

川中島の古戦場

武田信玄VS上杉謙信が一騎打ち。
あまりにも有名な戦国ロマンの舞台。
武田信玄の旅
歴史・物語の舞台を歩く

文武学校

非常に保存状態のいい松代藩校。
武門に秀でた藩には優秀な藩校が
あった。

水戸藩校 弘道館

家老屋敷の長屋門

真田宝物館

武田信玄の重臣だった真田一族は
真田昌幸、幸村と上田城の合戦、大坂
の陣と戦国のヒーローだ。

長国寺

真田一族の菩提寺であり、屋根の六文
銭が誇らしい。

佐久間象山記念館

松代藩が生んだ幕末の天才学者。
門弟には吉田松陰、高杉晋作、河合
継之助などがおり、日本の幕末維新
史に大きな影響を及ぼした。

司馬遼太郎「峠」の旅
長州萩の町を歩く

六文銭の城下町 信州上田
上杉謙信の春日山へ

謙信の居城

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