木曽路 妻籠・馬籠

日本情緒、歴史的風情の町並みはウキウキする。TV、雑誌で見ただけで
いつの日か訪れる日を夢見る。十代の頃から、古都、城下町、宿場町が
大好きな落ち着いた(?)若年寄だった。生まれ育った町が城下町であり、
江戸時代からの主要街道が小学校の通学路だったためか、あるいはDNA
が疼くためか、一生この旅の傾向は続きそうだ。

 長野県と岐阜県の県境に旧中仙道の妻籠宿、馬籠宿が残る。木曽川沿い
の国道19号、中央本線から逸れたため山間の二つの宿場町がしっかり保存
された。昭和51年には全国で初めて重要伝統的建造物群保存地区に指定
された。
 妻籠・馬籠は二つセットで木曽路の観光スポットになっているが、馬籠宿は
旅籠、水車小屋、土産物店・・・・と徹底的に復元され、石畳の長い坂道を快適
に散策できる。そのような意味では、妻籠の方が江戸時代の宿場町の匂いが
強く残っているのかもしれない。
 馬籠宿といえば島崎藤村であり、宿場の中心に本陣と名主であった屋敷の
跡地が博物館になっている。名作「夜明け前」には馬籠宿の様子が詳細に
描かれている。木曽路の裕福な家庭に生まれ育った藤村は、東京の明治学院
を卒業後、教員、詩人・作家生活の中で恋に苦しみ、非常に興味深い作家だ。
鎌倉、大磯、青森県弘前、湯河原温泉、小諸など、彼の足跡に触れる機会が
多かった。藤村の故郷を歩けただけでも馬籠宿を訪れた価値があった。宿場
の石畳から眺めた夕映えの恵那山(2190m)は本当に美しく、藤村も故郷を
想うとき必ず恵那山の姿があったはず・・・・・。
 大好きな内田康夫の浅見シリーズ「皇女の霊柩」(新潮社)は、妻籠・馬籠が
舞台だ。軽井沢在住の内田氏の作品は信州が舞台になる作品も多い。「皇女の
霊柩」のモチーフにもなっているが、徳川十四代将軍家茂に京都から嫁いだ皇女
和宮の一万人以上の行列が妻籠・馬籠を通過した。今でも多くの皇女伝説が残り
木曽路では神格化されているらしい。
 五平餅を食べながら夏の夕涼みをしていると、遠く水車小屋からゴトゴトと音が
響く。狭い石畳を眺めつつ、婚約者から引き離され遠い江戸へ嫁いだ和宮はどん
なにか辛い思いだったのか・・・・・・。悲劇の皇女和宮、恋に苦しむ作家、美しい
宿場町にもドラマが埋もれていた。

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歴史・物語の舞台を歩く

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湯河原温泉

藤村記念館(馬籠宿)

妻籠宿

明治5年(1872)馬籠に生まれる。
明治学院卒。
北村透谷らと文芸雑誌(文学界)創刊。
明治30年(1897)詩集「若葉集」
代表作「破壊」「春」「家」「夜明け前」
水の都 松江

昭和2年 山陰松江を旅行

憧れの大磯・・・・

昭和18年 終焉の地