2005年11月21日(月)
5時、ホテルをチェックアウト。和歌山市駅前から5時52分のバスに乗り、「JR和歌山の駅に十分で着く。6時14分の和歌山線、王寺行きに乗る。車窓からは紙袋に包まれた梅のなる木が目につく。橋本到着、7時20分。料金840円。7時51分、南海高野線で高野駅まで。810円。8時33分、極楽橋駅に到着。
2005年11月20日(日)
ホテルを7時20分頃、チェックアウト。メガネ忘れて戻る。7時30分、今日も昨日の「味名屋」できつねうどん+ナス、を戴く。7時56分のこと電車に乗り屋島へ向かう。瓦町で10時19分の徳島行きに乗り換え12時10分頃徳島到着。直ぐ、『東急イン』を探し6階会場へ。三紀不在。ロッテリアで昼食。再び六階へ。 プロデューサー久石さんとお会いする。久し振り。2時開演。
まず、童門さんの講演。義経と頼朝の不和の原因を政治、文化、人間性の三点から解説。そのあと、三紀の「義経」の琵琶語り。音響の不満はあったが無事終了。演奏は好評。6時20分、徳島港から和歌山行きのフェリーに乗る。船のテレビの7時のニュースで童門さん、三紀の映像が流れる。和歌山のホテルに泊まり。あすは、密教の砦、高野山。
2005年11月19日(土)
飛行機の駄目な私は、時間を沢山とりたいので、高速バスで行く事にする。初体験、一度は体験したかったので楽しみにして乗車。12時頃には寝て、気づ。いた時は淡路島であった。新宿西口から前夜9時頃に出発して翌朝6時半頃に高松到着。途中、薄暗い外の景色の中に四国らしい看板が目に入る。阿波銀行。グランドパレス徳島。ポッポ街。5時、アグネスホテル。駅前の「味名屋」できつねうどん。セルフで300円。食べて高松の玉藻公園の高松城を見る。このお城は玉藻城とも言われ徳川光圀の兄徳川が初代の城主。『わだつみの、玉藻の浦を前にしぬ、高松の城、龍宮のごと』与謝野晶子。『玉藻」よし讃岐の国は国柄か、見れどもあきぬ神柄か、ここだとおとき』柿本人麿。この辺りの海を玉藻の浦と呼ばれていた。高松城は別名、玉藻城。生駒親正築城。披雲閣二代頼常の頃建てられる。掃除をされてる中島明子さん。十年程掃除してるとのこと。駅前のミスタードーナツに入り、じゃがまるこはちみつ。コーヒーセット300円。
夜、寒い中、三紀達、栗林公園でコンサート。
2005年6月30日(木)
七夕コンサート(7月7日)の台本完成。案内役の作曲家の小林秀雄先生に原稿FAXする。前半、ベートーベンの「月光のソナタ」で始まり、高木先生のフランス留学での思い出と関連のある、ドビュッーシー、リストの曲。後半はコリアと高木先生の係わりから、「朝鮮の太鼓」「コリア2002」そして、ヒット曲、「水色のワルツ」。最後、小林先生の提案でヨンヒさんと小林先生の「水色のワルツ」の連弾で幕。その後、電話でやり取り。音楽家のこだわり、芝居屋のイメージ、そこの融合が難しい。最終的には演出の私に任されたが・・。次に完成させるのは、11月NHK徳島主催、一部、作家童門冬二氏講演、二部室井三紀琵琶語り「義経」。「義経」は「会いたい!」と言う言葉で物語が始まる。これは、義経生涯通して心の中で叫び続けていた言葉だ。頼朝に、静御前に、そして、自分自身に・・自分を本当に理解してくれる人間に・・会いたい!
2005年6月29日(水)
今日は県民ホールで7月7日(木)の高木東六に捧げる「ヨンヒ・パーク ピアノコンサート」の打ち合わせ。打ち合わせ後、当日パーティーをやる6階の英一番館というレストランでコーヒー。そこから見える港はこれまでの疲れが飛んでしまう素晴らしい眺めであった。ヨンヒさんは、川崎に住み世界を舞台に活躍する在日二世の韓国人ピアニスト。今回、台本、演出で参加。帰り、京浜東北線で川崎までご一緒する。色々、お話するが、二週間前に、十一年間飼っていた黒いウサギを老衰で亡くされたとの事。大変なショックで、食欲もなくなっていたとか。そして、最近、手乗りのインコを飼われたとの事。今回の演目でもあるベートーベンの「月光」の第二楽章がお気に入りで、彼女のポケットの中で眠りながら歌っているとの事。そして、自分の声に驚いて目を覚ますそうです。変わったインコですが彼女も、不思議な人と言う印象。
2005年6月26日(日)
今日は、9月の横浜市中区主催ミュージカル「ミケ・ラン・ジェロ」(原作・松永春扶桑社)のオリエンテーション、オーディション。40名の参加者がダンス、歌、セリフのオーディションをやる。これは再々演で台本があったのだが、直しが必要で台本も自分で書くことになって、少しハード。24日に書き終える。何とか本番では参加者全員が満足し参加してよかったと、また来年もやりたいと言ってくれる物を作りたい。これは、ミケ、ラン、ジェロと言う三匹の猫の話で、将来は横浜の代表的なミュージカルにしたい。何曲か聞かせてもらったが、作曲の天野一平氏の音楽も素晴らしく、振り付けの澤田晃氏もすごく張り切ってる。これからの稽古が楽しみだ。今、台本4本並行して書いてる。「義経」、ミュージカル「蘇る青春」、ミュージカル「プアー キッス」、ミュージカル「平家物語200X」。他にも書きたいものが、「ゴッホ」、あの後期印象派の天才画家ゴッホを弟テオとの関係を主軸にミュージカルにしたいし、今年はゴッホ展に行って気持ちも一段と乗ってきてる。あと、「上海1930」。段々日中関係がきな臭くなる中で、上海に住む長崎出身の若い娘姉妹と、中国人との交流をコスモポリタン上海を舞台にダンスで表現したい。ああ、時間が欲しい!!!
2005年6月19日(日)
今日は横浜大桟橋ホールでのライオンズクラブ大会の演出のため朝6時に家を出る。電車の中で平家物語のことを考える。作品の演出的なことである閃きがあった。それは、能のことと関係あるのだが、あの抑制された動きのなかで、情念が激しくなればなるほど動きが抑えられるということが大きなヒントになった。
2005年6月15日(水)
今、平家物語の改訂版を考えている。これは2002年12月に日本橋劇場で上演さえれた作品で、平清盛を祖父に、重盛を父に持った維盛を主役に描いたミュージカル作品です。維盛と言えば、平家物語の中で富士川の合戦で水鳥の羽音に驚いて逃げて来た時の、また、倶利伽羅峠で木曽義仲軍と戦って破れた時の御大将としても有名です。以降、平家は都落ちして、最後瀬戸内海を真っ赤に染めて壇ノ浦で滅びます。都落ちの後、屋島で彼は、平家から戦線離脱して、高野山に向かい、そこで出家して、那智に向かい、入水して一生を終える事になります。私のミュージカルには、ねぇ、と、ごんと言う二人の姉弟が未来から登場します。二人は、維盛の孫と言う設定です。ねぇの語るところによると、維盛は平家物語では入水した事になってるが、維盛は山深く龍神村に逃れ私のお万おばあちゃんと恋仲になり、私の母を生み、私はその子供だと言う。そして、どうか、入水しないで龍神村に行ってくれ頼みに来る。私は十六歳で病で亡くなったが、楽しい人生だった、だから、入水しないで私を、弟をこの世に誕生させてくれ、と言って、死の国に帰っていきます。維盛が龍神村に向かってくれれば、お万おばあちゃんの語っていた事が真実である事をも証明します。、倶利伽羅峠の戦いの中で、そして、都落ち以後、屋島までの無益な戦いの中で多くの非戦闘要員がいたずらに命を失っていくことの理不尽さに彼は戦線離脱します。私は、そこに、不戦のメッーセージを彼を通して表現しようとしましたが、其れがうまく表現できてない。・・作品を振り返って維盛をドラマ性のあるように表現できてない。なぜかずっと悩み続けてきました。そして、今日、乳母の子として登場していつも維盛に寄り添ってるいる重景の存在がすごく気になりました。彼との関係を密に描く事によって道が開けていくのではないかと思ってきました。明日以降この事を考えながら新たに挑戦したい。
2005年4月10日(日)
今日は、横浜赤いくつスタジオで、約十年ぶりの役者。井上ひさし作「父と暮せば」の父親役。広島の原爆で父をはじめ多くの学友を亡くした美津江が一人の青年を好きになり、自分だけは幸せになってはいけないという思いと、幸せになりたいという思いの狭間で苦悩する娘のところに父親が幽霊となって登場し、幸せになりなさいと激励します。好きになった一人の青年に対する恋の応援団長(娘の幸せになりたいと言う思いの代弁者)として登場します。娘の美津江役は、教え子の小坂実夏子。彼女はhatajkuのただ一人のオーディション合格者(現在は二人)。十ヶ月の基礎訓練を経て、今回初舞台。初舞台とは思えない舞台度胸で、見事大役をこなしました。しかも彼女は中学三年生。実際より十歳も上の役を演じたわけです。これからの彼女が楽しみです。・・私は、セリフを飛ばすやら散々でした。