「伊澤蘭軒」を新聞に連載するにあたり、かく意気軒昂であった鴎外も、考証の煩と漢文の多用への批判をあびます。最終その三百七十一は、自らの常識なきを甘受した後こう結んでいます。
世はさだめなきこそいみじけれ
「徒然草」第七段