1.はじめに
伴侶動物を愛する人にとって、その別れは近親者を亡くすくらいにつらいことです。愛する子に先立たれて、わが身の不幸を嘆かない人がいるでしょうか。涙をこぼしながらどうしてよいのかわからず途方に暮れるのが、伴侶動物を失った飼い主さんの偽ることのない真実の姿ではないでしょうか。
しかし、このつらさは、わからない人には、まったくといっていいほどわかってもらえません。この世間の人々との乖離(かいり)のなかで、ペットロス体験者は周りを気にしながら悲しみに耐えていることが多いのです。このような現状を変えていくには、ペットが好きな人にも嫌いな人にもペットロスについてよく知ってもらうことが大切となります。これからも、皆さんとともにペットロスの哀しみを理解しあえる社会であり、人と動物が幸せに暮らせる社会をつくっていくことができればと切に願っています。
2.ペットロスという言葉
ペットロスという言葉は、米国で1970年代の半ばにペットとの死別の問題に関心を持つ一部の専門者らが集まってある会合を開いたときに、出席していた人々が、「ペットの喪失」(loss of pet)の意味合いとして用いたことに始まるとされています。
しかし、この言葉は当初、学術用語としてしっかり定義をおこなったうえで使われたわけではなかったので、その後米国をはじめとしてこの用語を用いる臨床家や研究者によってその意味するところにやや違いが生じていきました。
その相違の要点は、ペット(伴侶動物)との別れによって起こる悲嘆反応のなかで、とくに病理性の強い重いものをペットロスと称する人と、通常反応(ごく普通に起こっている病理性のない自然反応)のものを指してペットロスと呼ぶ人が現れたことです。前者は、米国では主に精神科医や精神分析家・臨床心理士など重い症例をあつかう臨床家の人たちのなかに多く、後者は、動物専門者や獣医療関係者らに多くいます。
しかしここで留意していただきたいのは、この言葉の用い方の違いはペットロスの実態が正常であるとか、異常(病気)であるとかの見解の相違で分かれているのではなく、単に病的なペットロスをペットロスと言うか、正常なペットロスをペットロスと言うかの違いによる言語習慣的な呼称であることをお断りしておかねばなりません。したがって、これはどちらが正しいということではなく、ペットロスという用語の概念規定の問題です。
日本ペットロス協会では、ペットロスを定義するにあたり、この言葉が使われた当初の原意と、精神分析学派らによって究明されてきた対象喪失論(object loss)や、世界保健機関(WHO)の提言するスピリチュアル・ケアの知見などを参考にして次のようにしています。
愛するペット動物を失うことと、その別れにともなう心理的、身体的、社会的、スピリチュアル(霊的)な体験過程に対する総称的な用語。
すなわち、ペットロスとは、ペット動物との別離を原因とするあらゆる喪失体験に対する包括的な呼称であり、その体験が正常か、正常ではないか、あるいは良好か、病的かのいずれかに限定されるものではなく、ペットとの分離体験(心理学・医学分野では、別離のことを分離といいます)の全体を含む総称名として用いるのが良いと考えています。
しかし、わが国では一般的な使われ方として、ペットとの死別によってはなはだしく落ち込んで立ち直れなくなっているような重い状態を指してペットロスと称している場合が多いようです。このような意味での用い方も、まったくの間違いというわけではありませんが、ペットロスについての誤解も生じやすい用い方ではありますね。
ですので、ペットロスに関する話を人と進める場合など、現状においては混乱を避けるためにも、自他ともにどのような意味合いで用いているかを確認しあってから相手と会話をする必要があるでしょう。なかには、「ペットロスになる」「ペットロスに罹(かか)る」「ペットロスまではいかなかった」などの言い方をする人もよくいます。ペット愛好家は、概して重い悲嘆をペットロスと称していることが、ここからも見て取れます。
3.ペットロス症候群とは
ペットとの死別後、急性期症状(ペットを失った直後からしばらくの間の容態)のみが病的に強く表われているが、悲嘆を重くしている原因が死別反応のほかに見あたらない場合をペットロス症候群(または、ペット喪失症候群、略称PLS)といいます。
現在、ペット死別により激しく悲嘆する患者さんに対して医師が医療カルテに「ペットロス症候群」と診断記載し、抗不安薬や睡眠導入剤などの薬物を処方するケースが増えてきたように思います。このことに関する確かな実証的データは今のところありませんが、日本ペットロス協会に照会・問い合わせをする医師や看護師、あるいは病院ソーシャルワーカー・病院カウンセラーや作業療法士さんなどパラメディカルの人々からの情報と、ご相談に来られるクライエントさんが病院で医師や臨床心理士からそう告げられたという陳述などからそのように感じています。
この場合、医師が医学的診断を下す「ペットロス症候群」とは、合併症を含まない(複雑でない)急性悲嘆のなかでも非常に重いもの、すなわち急性ペットロス症あるいは、それに準ずる程度のエピソード症状を示す状態を指すのであって、通常悲嘆(ごく普通の自然反応としての悲嘆)を示すペットロスでないことはいうまでもありません。正常な自然反応の範囲であれば、一般に薬物治療や悲嘆療法や治療的カウンセリングの必要はありません。
しかし、病院等に治療や援助を求めていかれるペットロス悲嘆者の方々は、自己回復力(自然回復力といってもよいでしょう)が低下し、すでに自助努力がきかなくなった一定以上の困難さや重さをかかえた病的水準に達していることがよくあります(もちろん、来院する方がすべて病的悲嘆とは限りません、念のため)。
したがって、今もって一部に言われ続けている「ペットロスは病気ではないからぺットロス症候群という言い方はおかしい」とか、「ペットロスは異常ではないからペ ットロス症候群は存在しない」等の、ねじれた見解は修正されねばなりません。
このような発言は、いまだに獣医療関係者などからときおり耳にしますが、これはひとえに、ペットロスのすべてが正常悲嘆だと思ってしまっているところからくる誤りです。これは動物専門者が、ルーチンワークで接触するペットロス悲嘆者はごく普通のいずれ回復してゆく通常反応の人々が大多数を占めているという事情も関係しているのでしょう。
しかし、精神保健の分野では、重く困難なペットロスの方がよく来られるため臨床実務としてはそのケアが主体となります。すなわち、悲嘆から回復できずにいると思っている方(この場合、ご本人やご家族など周囲の方がそのように思われているだけで、実際には通常反応のこともあります)や、眠れないとか、朝起きられないとか、つらくて会社・学校に行けないなど日常生活に支障が出てしまい困っている方が支援を求めてくるのです。そして、もうひとつはペットが死亡する直前や直後の危機介入です。いずれも、ひとりで悲しみや困難を乗り越えられる方や、周囲の誰かに話して苦しみが解決できるレベルの人は治療やカウンセリングの必要はないために医療機関やカウンセラーのところに行くことはありません。
4.悲嘆症候群としてのペットロス
ペットロスとペットロス症候群は混同されやすいのですが、両者は同じではありません。ペットロスという大きな枠組みのなかの一部分にペットロス症候群(PLS)が含まれていると考えてください。先に述べたような誤認が起こる一半の責任は、悲嘆の研究者や臨床家の従来からの言葉の使い方にもあるように思います。
グリーフ(喪失による悲嘆体験の総称。英語のgrief)の精神医学や悲嘆心理学の分野では、悲嘆時に表われるさまざまな容態やエピソード(できごと)の呼称として伝統的に「症状」や「症候」(いずれも英語のsymptom)という医学用語、さらにはっきり言えば病理用語を用いてきました。これはグリーフの臨床がフロイトをはじめとする精神分析医や、戦中戦後からなされてきた悲嘆研究と臨床が、リンデマンやボウルビィ、パークスらに代表されるように主として精神科医師によって推し進められたこととおおいに関係があります。
すなわちそれは、死別の悲しみの科学的アプローチ法として臨床医学の疾病モデルにもとづいて解釈する方法が主流を占めてきたからに他なりません。したがって、今日でも精神保健の専門者たちは、通常のグリーフ、つまり正常悲嘆の状態やエピソードに対しても「症状」あるいは「エピソードの症状」などといった呼び方を普通にしています。
さらに、急性悲嘆に対しても同一文化圏では通例、幾つかの状態的変化、つまり複数の症状・症候(!)が群(むれ)のようにひとつのまとまりを持つ束(たば)となって出現するため医療従事者らは慣習的に「悲嘆症候群」(grief syndrome)とか、「死別症候群」(bereavement syndrome)とか、「喪失症候群」(loss syndrome)と言いあらわしてきました。
ここでお断わりしておきますが、この急性悲嘆とは愛する対象と死別すれば誰でも起こる通常の悲嘆を指しているのであって、病的で異常な悲嘆ではありません。また、悲嘆症候群や死別症候群や喪失症候群という名称であっても、これらも病的で障害のある悲嘆や喪失のみを指しているわけではなく、通常悲嘆や通常の死別の症状がセットとなったまとまりに対しても用いています。
よって、グリーフ研究におけるこのような慣例的な表現方法の文脈に則って、急性のペットロス症状を示す自然反応例(定型例ともいいます。誰でも起こす普通のペットロスという意味です)にペットロス症候群(あるいは、ペットロスの悲嘆症候群とか、ペット死別症候群)と症候群名を冠して呼称することもまったくの誤りというわけではありません。
このことに関して欧米では、ペットロス・シンドロームという名称は使われていないではないかという人もおりますが、それはペットロスの症状が症候群であることが自明のことなので、わざわざそういっていないだけのことです。
しかし、正常なペットロス体験のものをペットロス症候群と呼ぶことは、一般的感覚からみても奇異な感を持つことは否めませんし、人々に誤解も招きやすいので、わたしたちもその意味での使用にはもとより不同意です。
ところが、今もって一部の動物関係者などのなかには、ペットロス体験は正常なのにペットロス症候群と称して病気扱いにして異常視するのはおかしいなどとはなはだ曲解している人がいるようですが、それは大きな誤りです。わたしたちは、精神医学的、臨床心理学的対象となるような病理性の強い急性悲嘆を示すペットロスについては、呼称がないために当初からその意味で用いるのであれば妥当だと考えてきましたし、その旨にそって従来から提唱してきました。現在、この見解は医療界・福祉・心理界をはじめ一般にも支持され広く浸透しています。
かつてはわが国においても、ペットロスに関する正しい理解がもたらされていなかったため、ペットを亡くす悲しみが不自然なことに思われたり、異常視されることもよくありました。また、ペットを亡くした悲嘆者のなかには、自らの陥っている状態にひどく戸惑い、それがおかしく異常なこととして捉えてしまうことがありましたし、ご家族や周囲の人も同様にそう判断してしまうこともありました。例えば、「ペットが死んだくらいで、そんなに落ち込むなんておかしいよ」という反応などがそれです。
確かに、悲嘆者がふだんとは打って変わってふさぎこんでうつ的になり、嘆き悲しんでいる姿は、どう見ても正常な状態には思えません。しかし、死別という特異な状況下では、このような反応を示すことが自然で通常の姿といえます。大切な愛着対象を亡くして落ち込むことは極めて自然な反応であり、むしろ悲しまないほうが理不尽で不健康とさえ思えます。悲嘆に暮れることは、心が弱いからではなく、むしろ情緒豊かで繊細な感性の表われといえるでしょう。
ペットロスに関するさまざまな誤解を解き、ペットとの別れの悲しみの社会的認知に向けてわたしたち日本ペットロス協会は活動を続けてきました。そして、現在も続けています。そのなかで、わたしたちが送り続けてきたもっとも大切なメッセージの一つは、ペットロスはおかしいことではなく、死別を悲しむことは容認されるべきだということです。そして、この広報活動や教育活動に動物専門者たちが少なからず貢献してきたことも、わたしたちは熟知しています。
しかし、ここで動物専門者も伴侶動物を愛する人々も理解しておいていただきたいのは、すべてのペットロスが正常であるとはいえないということです。すなわち、ペットロスには、正常なペットロスと正常ではないペットロスの2種類があり、大多数はほどなく立ち直れる正常な(通常の)ペットロスなのですが、一部には正常とはいえないペットロスがあるということです。ペットロス問題が混乱した一因には、この二つが混同されてしまったことがありますので、両者は概念上、はっきり区別しておく必要があります。そして、通常ではないペットロスや、限りなく病的レベルに近い困難を極めるペットロスに関しては、精神医学的にも臨床心理学的にも臨床上の重要なテーマになってきています。
では、なぜ重要になってきたのでしょうか、その答えは明瞭です。それは重いペットロス悲嘆者の方が増えたためです。その人々が苦しみやつらさを取り去ってもらおうと治療や援助をもとめて病院やカウンセラーのところへ訪れるようになったからです。
5.伴侶動物の生と死を見つめる
動物専門者は、今までペットの死と死に臨む問題に正面から問うことをあまりしてこなかったように思います。それには、幾つかの理由があるように思います。まずはペットロスに関する知識が不足していたために、どう取り組めばよいかがわからなかったということがあったかもしれません。また、死という微妙な問題がもたらす職場のイメージの低下を恐れて避けてきたのかもしれません。あるいは、このテーマを問えば、自らもつらくなるために意識して触れないようにしてきたのかもしれません。
しかし、動物の専門者とは、動物の命を扱う専門者にほかなりません。動物の命を扱うとは、動物の生と死を見つめる人のはずです。伴侶動物の生と死についての深い見識と洞察を備えた人がペットの専門者といえるのではないでしょうか。ペット専門者は、動物の健康や美容や、QOL(生活の質)やアメニティ(快適さ)の向上など動物が生きることには向き合ってきましたが、動物が死ぬことについては向き合ってきたといえるでしょうか。老犬・老猫をはじめとする高齢動物の介護といいながら、その動物たちを見守る飼い主さんの複雑に揺れ動く胸の内に理解を示してきたでしょうか。動物専門者が、動物の死や別れの問題に強い関心を持ち、率先して向き合う姿勢を示さなくて、どうして飼い主さんは看取りや死別に立ち向かっていくことができるでしょうか。
なお、ペット専門者や動物福祉の活動家などは、ペットロスの正常性を誇張しすぎる傾向があります。これは、欧米においても状況はおおよそ同じです。しかし、それゆえに一部に弊害も起こっています。それは、助けを求めにいった動物専門者らに「ペットロスは正常です。だれでもなります。軽くすることなんてできません。もっとしっかりしなさい」などと何度もいわれた結果、放置されつづけたためにひどく悪化したり、危険な状態に追いつめられていくケースが起こっているという問題です。憂慮すべきことです。自己治癒的回復が困難な方は、死別早期(できるのならば死別前からの予防的介入が好ましいといえます)からの悲嘆カウンセリングや悲嘆療法等の対人支援的介入が必要であり、時期を失すると悲嘆が長期化しやすくなります。
したがって、動物専門者などがペットの生前からの飼い主さんへのペットロスの準備教育や、死別後のガイダンス(教育と指導)を行うときは、ペットロスの正常性と対処法(ペットを亡くして悲しむことは、おかしいことではありません。心配しないで、おおいに泣いていいんです。たくさん泣くことが回復につながるんです。悲しみを抑えないでくださいなど)だけを語るのではなく、あまりつらかったら我慢しないで病院やカウンセラーのところにすぐに行くようにと伝えておくことが大切です。
また、死別直後の激しい悲嘆で非常に混乱しているときは、体験者の集会や自助グループなどの集団への参加は、無理であり時期尚早といえます。少なくとも死別後、1〜2週間(もしくはそれ以上)を経てからの参加が好ましいといえます。
また、状態や症状がひどく重い方や、特異な死別体験(健康な子の安楽死や、自発的な生き別れ、暴力的な死や、短期間に死別が重なるなど)をされた方も、自然死(病死、老衰死)を中心とした一般のペットロス体験者のグループへの参加には向きません。かえって落ち込むことがあります。
なお、うつ病などの精神障害の既往歴のある方や現在、通院中の方は、ペットロスがほぼまちがいなく重くなりますので、ご家族や友人・職場の人々あるいは、医療者、動物専門者、ペットの主治医、動物葬儀者等は細心の注意を払って見守ってほしいと思います。
6.ペットロスと障害
ペットロス体験が原因となるか、あるいは有力な引き金(トリガー)となって病的で困難な悲嘆にいたる場合、すなわちペットロスから起こる精神障害ですが、この総称名としてわたしたちは、「ペットロス障害」の名称を用いています。これはナイバーグらのいうpetloss difficultiesとおおよそ同じ概念です。
わたしたちはペットロス障害には、①ペットロス症候群(重度の急性悲嘆)の他に、②慢性ペットロス症(ペット喪失を原因とする遷延性(せんえんせい)悲嘆(長引く悲嘆))、③仮面ペットロス症(ペット喪失を原因とする仮面悲嘆反応であり、不適応行動や身体症状に転換される悲嘆)、④遅延性ペットロス症(ペット喪失を原因として遅れて出てくる時期はずれの悲嘆)、⑤ペットロスうつ病(ペット喪失を原因とする抑うつ症)、⑥ペットロス恐怖症(ペットの死恐怖症や喪失恐怖症、ペットは死ぬから二度と飼わないとかたくなにいう人、平素ペットとの別れを考えただけでひどく取り乱してパニックを起こす方など)、⑦重度のペットロス予期悲嘆(ペットの高齢期や終末期に別れを予想してひどく悲しくなって混乱する)、⑧無悲嘆のペットロス(悲しみを閉じ込めることによって一見、正常に見える悲嘆のない悲嘆。その後、上記などに移行しやすい)などが含まれると考えています。
なお、ペットロスがこじれて重く複雑になる場合は、夫婦の家族関係に問題があるからだとか、精神障害の素因がもともとあるからだとか、ペットロス以外のところに原因をもとめようとする意見もときおり聞きます。これは、そのような面も見過ごしてはなりませんが、ペットロスの悲嘆が決定的な原因となったり、強い引き金(これもかなり大きな要因になります。銃は引き金【トリガー】を引かなければ弾は出ないのですから)となって病的悲嘆や障害性悲嘆を起こすことがあります。
また、現在かかえている不調や障害の原因に未解決のペットロス悲嘆の問題が深くかかわっていることがあり、そのことにご本人も(医療者さえも)気づかないでいることがあります。ですので、どのようなペットロスであっても一応は注意を払っておく必要があります。悲嘆が通常範囲内にとどまって回復してくださるのであればそれはそれでよいのですが、すべての人がそうなっていくという保証はありません。
そのような点からも、ペットロス悲嘆の衝撃とストレスをいたずらに恐れる必要はありませんが、軽く見てはいけません。なかには親の死よりもつらいと訴え重くなる方や、まれですが命にかかわる行動をとる人もいます。伴侶動物との死別だからこそ強い衝撃を被る人がおられるということは知っておいて下さい。
一般的には、ペットロスでそんなにひどくなるはずがないという先入観をお持ちになると思いますが、ペット・伴侶動物が人間に及ぼすはかり知れない力−それは飼い主さんがときとしてペットの喪失時に示す自他への破壊的な力も含めて−がわからなければ、ペットロスもわからないかもしれません。
よって、ペットロスは近親者の死の軽い程度のものという理解はペットロスの本質を見誤る恐れがあります。先のように重くなる場合は、別に原因があるのだと言う人のなかには、ペットロスの深い悲しみをよく理解していないために過小評価をしているか、内心たかがペット、たかがペットロスと思って軽視していることがあります。注意すべきことです。
では、ペット死別者のうち、どのくらいの人がペットロス障害、すなわち病的悲嘆を起こしているのでしょうか。人の死別の場合の各種データでは、病的悲嘆の罹患率は遺族のおおよそ10%〜15%というのが平均的なところでしょうか。これに対しペットロスに関しては、残念なことですが、その詳細はまだよくわかっていません。しかし、おそらく数%程度ではないかとわたしたちは推測しています。
ペットフード協会の「全国犬猫飼育率調査」によれば、2010年推計で、日本には犬猫が合計2147万頭いるといいます。このうち、ひとりの飼い主さんは平均 約1.5頭(犬は約1.3頭、猫は約1.7頭)と暮らしているといいます。このデータから、犬猫の実際の飼い主さんは、1400万人ほどいることがわかりますが、この人々はいずれペットロ ス体験をしていくことになるわけです。
そして、このなかの数%、仮に3%とすれば、42万人となりますが、この方々が今後、ペットロスによって精神障害を起こしていくことになります。いわば、ペットロス障害の予備軍です。通常のペットロスであれば、その悲しみを取り去ることはできませんので致し方ありませんが、この人々は味わわなくともよい著しい苦痛と困難をともなった悲嘆を強いられていくことになります。皆さんは、このことをどうお考えになりますか。
しかも、この数には犬猫をご家族やご夫婦で共同所有している方は入っていません。また、犬猫以外のペットの飼育者も、ここには入っていません。飼われている全ペット数の3分の1弱が、犬猫以外のペット(小鳥、うさぎ、ハムスター、フェレット、は虫類、魚類など)で占められています。重篤なペットロスの持つ個人と社会への不利益と損失を考え、早急な対策が望まれます。
なお、わが国におけるペットロス・ケアの発展からみて、ペットロス症候群に関するような不毛な恣意的見解が、一部でひとり歩きしたことは実に不幸なことと言わねばなりません。さまざまな事実誤認や、個人的なペットロス体験にもとづいた偏った見解などが生まれる背景には、ペットロス問題が想像以上に複雑で深い広がりを持つ現象であることがあげられます。しかし、そうであるにもかかわらず各領域の専門者も、これを正しく伝えなければならないはずのマスコミ関係者も、その全体像を見すえることなく各人の関心ある狭いテリトリーからしかこれを見てこなかったことがあげられるでしょう。
現状では動物関係者、医療・福祉心理関係者、教育者、呪術宗教的職能者、動物葬儀者、ペットライター、評論家、ペット愛好家などがペットロスについて、それぞれに思い思いの意見を述べているにとどまっています。総じてまとまりがなく、したがって将来への見通しや方向性がなく混沌とした感すらあります。思うに、憶見と無知がペットロスの養父母です。その点、ペットロスは未だ無理解と偏見のなかにあると言えるかもしれません。
ペットロス問題は、心理学、精神医学、社会福祉学、人間・動物関係学、獣医学、動物行動学、宗教学、民俗学などの広範な領域と密接にかかわって成り立っています。これらのどこか一、二と接点を持てば理解できるほど易しくはありません。それゆえ、この全貌はそうやすやすと、わたしたちの前に明かされることはないだろうと思います。
7. 重い死別反応
ペットロスが重くなる人は、ペットの死以外のところに原因があるという見解があります。これは悲嘆がひどくなって立ち直れないでいるのは、ペットの喪失体験とは関係のない何か別の問題がその人には潜んでおり、それがそうさせるのだという意見です。このような一義的な見方は、伴りょ動物を喪(うしな)う深い悲しみと苦悩の本質から目をそむけ、死別に伴うさまざまな問題をないがしろにしているように思えてなりません。
ペットロスが重くなるといっても、彼・彼女らを深く愛すればこそその別れによって大きな悲しみに襲われます。それが自然なこととして深く悲しむことが正当に思える場合もあれば、悲しみがこじれて立ち直れずに重くなってしまう場合もあるでしょう。
後者のようになって悲嘆が重篤(じゅうとく)となる場合、まずは悲哀の過程が順当に進むことを妨げている原因を死別によって起こる悲嘆の営みそのものの中から探っていくことが先決となります。このようなときカウンセラー(治療者)は、ペットの終末時を含む生前におけるペットと飼い主の関係のどこかにその後の死別体験がうまくいかなくなるつまずきの要因が何かあるのではないかと考えて探っていきます。
ペットロスのグリーフカウンセリングは、一般的には正常範囲にある悲嘆のケアを対象としているのに対し、グリーフセラピーは、病的な悲嘆の治療を行うこととされています。ですが、通常の範囲にある正常な悲嘆反応normal grief reactionであるにせよ、通常の範囲を超えてしまう正常でない悲嘆反応abnormal grief reactionであるにせよ、どちらもペット動物との死別のつらさや悲しみの体験をテーマとしています。改めて申し上げるまでもないのですが、ペットとの別れの経過が正常に推移するのであれ、正常に推移しないのであれ、私たちはペットロスの死別体験を問題にしています。
ペット・伴りょ動物の死は、人の近親死とはおのずと異なりますが、死別反応bereavementのひとつであるという点での認識は一致しています。また、その別れの悲しみは他人にはなかなかわかってもらえなかったり、周囲に公表できずに隠さなければならないといった社会的に認められない悲嘆である「公認されない悲嘆」disenfranchised griefにあたるという理解も得られ始めています。
ペットロスの衝撃と悲しみの存在が知られていくにしたがって、ペット死別が重く困難になる場合には、飼い主のペットロス体験を直接の原因とした複雑な死別であり病的悲嘆の起こることも知れ渡るようになりました。そのような理解に伴ってペットロスの重症化の原因をペットロス以外のところばかりに求めようとする安易な発言は影をひそめてきています。
しかし、ペットとの別れによって飼い主に病気や障害が起こるはずがない、ひどくなるのは、すべて別の原因があるからだという偏った思い込みはまだ残っています。もしもペットロスによって障害となる悲嘆の起こる原因がすべて別のところにあるというのであれば、ペットを喪った死別反応自体の中からは正常とはいえない病理性を伴った複雑な悲嘆は生まれないと述べていることになります。ですが、その見解は誤っています。
これは死別によって、どうして悲嘆がうまくいかなくなる人がいるのかという問題です。人間のお子さんを亡くした親が深い悲しみに暮れ、強い分離葛藤(別れによって心が引き裂かれる状態)と絶望感を抱いた後、例えば、うつ病などの精神疾患を患(わずら)ったとしたとき、そうなるのは喪失体験とは関係のない別のところにその原因があるに違いないとは普通考えません。
また、死別の悲しみは正常なのだから愛する子どもが死亡したからといって、両親が心理的な障害や病気になるのはおかしいなどという人もいないでしょう。ペットの喪失体験も、それと何ら変わりません。人の死ではうつ病になるが、ペットの死ではならないと言いきれるでしょうか。それとも、人の死別では近親者はうつ病になってもおかしくないが、ペットの死でなるのはおかしいとでもいうのでしょうか。そのように唱える人は、ペットロス体験の持つ重さや深刻さをよく理解できていない人といってよいでしょう。
人間の死別では別れを原因とした精神障害を認めるのですが、ペットロスで精神障害を起こす場合は、他に原因があるという見解が生まれる背景には、ペットが死んだくらいでそれほど落ち込むなんてことがあるはずがないという強い思い込みによると思われます。すなわちペットの死別は近親者の死別に比べて衝撃やストレスが軽いはずだという誤った先入観にもとづいています。しかし、現実はそうではなくこれは臨床上の事実として、ペット動物(家庭動物)の死であるがゆえに、近親死の時よりも重くなって悪化する人がいます。
もしペットが死んだくらいでうつ病になる人間はおかしいというのであれば、それはペットロス体験者への無理解であり、ペットロスから精神障害を起こす人への偏見や差別にもつながるでしょう。愛する大切な対象を喪って悲嘆することに、人も伴りょ動物も区別はありません。
病的な悲嘆は、その死別体験に内在する原因によって起こることがあり、他の精神障害や他の心理的事象のみによって生じるわけではありません。したがって、病的ペットロスの発症原因が、すべてペットロス以外のところにあるという見解は正しくありません。ですが今日でも精神保健従事者の中にも、動物関係者の中にも重篤化する場合のペットロスの原因を一律に他に求める意見があります。
それはそのような場合ももちろんありますので、十分注意しなければなりませんが、それが悪化のすべてではなく、それだけを取り上げて病的悲嘆発症のすべてに起因すると考えるのは、ペットの死別反応への認識不足と言わざるを得ません。ペットロスが重くなるのは別のところに原因があるのだという表層的な悲嘆理解ではペット死別が抱える強烈な苦しみの本質をうかがい知ることはできませんし、そもそもそれではペットロス(コンパニオンアニマルロス)の悲嘆療法学の体系が成り立ちません。
喪者が、死別のつらさにひどく呻吟(しんぎん)して生きることにさえ困難を感じているときに、他の心理的要因や他の障害など死別のつらさに直接かかわらない従属変数(ペットロスの主因に影響を与える間接的要因)に死別のつらさの原因や障害因を求めていくことは、臨床心理的援助の手技からいっても愚かしいことです。奈落の底に突き落とされたような苦悩を伴う愛執の病理が抜け落ちたペットロス体験に、どれほどの真理があるといえるでしょうか。
このことを特に強調しておきたいのは、ペットロスのクライエントさんで、弊協会の相談室へ来られる前に心療内科医や心理カウンセラーのところへ面接に行かれたという方がいます。そのとき医師や臨床心理士らにペットロス以外のことがらばかりを問題にされて、肝心のペットとの別れの悲しみや強い自責の念をいくら語っても、その苦しみをわかってもらえなかったと訴える人が多いのです(中には精神科医にペットロスだと言ったら、鼻で笑われたという人もいまだにいます)。このような対応をする治療者やカウンセラーは、ペットロスの知識がなく臨床例の乏しい精神保健従事者が大半です。
死別のつらさを問題にしているときに、死別のつらさ以外のところに、その原因を求めていくのは二の次のことです。ここでいう死別のつらさとは、喪失による悲哀のことであり、それは飼い主が亡くした子との出会いから別れに至るまでにあったことのすべてと、亡くしてから今に至るまでにあったことのすべてに関係しています。ペットロスとは、ペット動物との関係性の喪失に他ならないからです。私たちの今までの臨床経験からいって、ペットロスの悲嘆のつらさを訴えるクライエントさんで、ペットとの別れの悲しみが原因でなかった人は一人もいません。
8. 立ち直れないペットロス
ペットロスからの立ち直りがうまくいかないとすれば、まずはペットの生前における飼い主・ペット関係の中で飼い主側のどこかに過不足などの何か問題があるのではないかと考えます。それは例えば、日ごろの飼育管理が不十分であったことへの強い負い目であったり、終末期介護が思うようにできなかったことへの激しい挫折感であったりします。
また心理的な問題としては、ペットへの愛着過多や過剰な依存に関することであったり、ペットへの愛憎にからむ溺愛と虐待(暴力をふるった、ネグレクト[無視]したなど)の両価感情(アンビバレンス)の問題であったりします。それらの結果としてペットの死後に飼い主は強い後悔と重い罪悪感を抱いたり、激しい分離不安(別れに伴って起こる不安)や分離葛藤が長くつづいたり、絶望感からアイデンティティ危機に陥ったり、怒りや敵意を処理できなくなっていたり、あるいは悲しみの経験を回避して意識的にも無意識的にも心から追い出すなどをしていくことによって、正常な喪の経過を邪魔していきます。
ペットロスのケアでは、それらのことを明確にしたうえでそのようなことが起こる原因を究明していきます。さらに、そのようになる家族的、社会的、時代的背景などを人間とペットのかかわりの中で捉えていきます。飼い主さんのかかえる喪失体験にうまく適応することができずに悲嘆の営みに失敗した状態が複雑な死別であり、病的な悲嘆といえます。
先に、ペットロスで病的になる場合は、ペットロス以外のところに原因があるのだという意見は精神保健従事者にも、動物関係者にもあると述べましたが、そのような見解を述べるのはおおよそ次の人びとです。一つ目は 医師、臨床心理士、カウンセラーなどの精神保健専門者ですが、この人たちの多くは、実際のところペットロス教育を十分に受けていないのが実情です(人の死別ケアについても手薄なことがあります)。よって、ペットとの死別や悲嘆についての知識や理解が乏しいため、ペットロスの複雑な悲嘆(複雑性悲嘆)の問題がもともと視野に入っていない可能性があります。
臨床家は、自らが関心のある障害や知識のある心理的事象は見抜くことができますが、関心の薄い分野や臨床例の乏しい障害や問題については見落としがちです。これがペットロスのグリーフ(悲嘆)の中でも特に複雑性の異常悲嘆反応に関する知識や臨床歴がなければなおさらでしょう。
二つ目は、ペットロスの正常性と純粋性を担保したいために、ペット死別による病的悲嘆を認めようとしない人々であり、動物専門者や獣医療関係者などにある見解です。この人たちは、複雑な死別反応についての理解が乏しい点では前者と同じですが、これにはペットロスの苦痛をなるべく軽く見積もりたいとする無意識的な心理がはたらいているように思います。ペットロスは正常なんだから―それは確かにそうですが、すべてのペットロスがいつも正常というわけではありません―さらなる悪化を見て精神障害を起こすペットロスがあるということはとても承服できないのではないかと思います。
これは動物関係者が日常的に接する飼い主さんたちは、通常のペットロス体験者であり病気(障害)ではないために、それが病気に変化するのは他の原因がそうさせるのだという印象を持ちやすいのかもしれません。しかも、ペットロスは正常だとつねづね啓蒙してきた手前もあり、ペットロスが病気(精神障害)になるとは言い出しにくい事情も重なってきているように思います。
ですが、これらの見解はいずれも臨床所見や症例研究から導き出された結論ではないために客観的な事実ではありません。よって、今まで健康で特に問題のなかった方でもペットロスから精神障害を起こしたり、手厚い社会支援を必要とする方がおられるという事実を軽視すべきではありません。
9. 正常なペットロスと正常でないペットロスの鑑別
ペットロスの病的悲嘆pathological griefや、ペットロスの複雑な悲哀complicated mourningは、ペットロスの喪(も)の経過が正常な状態から疾患に変遷した死別をさしています。したがって、ペットロスの喪だけならば正常に推移していくところを、ペット死別とは無関係の病因や他のエピソード(事象)がよそから加わったためにペットロスの悲嘆の経過が悪化を見て病態化するという症例は病的悲嘆発症の経緯のすべてではなく、それだけではペットロスによる病的悲嘆のメカニズムを説明したことにはなりません。
複雑な悲哀とか、複雑性悲哀と訳されるコンプリケイテッド モーニング(complicated mourning)のコンプリケイテッドには、複雑なというほかに日常用語として、込み入ったとか、やっかいなとか、めんどうなという意味があります。これらのことからも、この悲哀が意味するところは通常のものでないことはわかると思います。
悲嘆心理学では、このコンプリケイテッドをニュアンスの違いはありますが「正常ではない(=異常な)悲嘆」(abnormal grief)や、「病的悲嘆」(pathological grief)や、「未解決な悲嘆」(unresolved grief )とほぼ同列に用いています。よって、複雑な悲嘆とか、複雑な死別反応というときは、どこかに障害のある正常とはいえない病理性の認められる悲嘆や死別を指しています。
また、このcomplicatedの名詞形のcomplicationコンプリケイションは医学用語としては従来から、「合併症(または併発症)」と訳してきたため、complicated mourning を「合併症のある悲哀」、complicated bereavementを「合併症のある死別」と訳すこともあります。しかし、この訳では余計にわかりにくくなるため、グリーフの分野では、この訳は現在あまり使われていません。それは合併症の意味合いにかかわっています。
合併症とは「ある病気が原因となって起こる別の病気」(国立国語研究所・「病院の言葉」委員会による定義)をいいますが、死別の悲嘆は、まず病気ではないので、「ある病気が原因となって起こる〜」という表現は、この場合、適切ではありません。ですが、「ある事象(ここでは、ペットとの死別)が原因となって起こる病気」という理解であれば、これで通用しないこともありません。
しかし、合併という言葉には「市町村合併」とか「会社の合併」などのように使われる語感から、それぞれ別々のものが合わさって一つになるという印象があり、「合併症のあるペットロス」というと、ペットロスの悲嘆と別の疾患が一つになって起こる病気とのみ取られやすくなります。
また、国立国語研究所・「病院の言葉」委員会によれば、合併症という言葉は患者に、必ず起こる、または偶然起こる病気という誤解を与えやすいといいます。以上より、この用語のグリーフ分野での使用には、注意を要します(国立国語研究所・「病院の言葉」委員会編著、「病院の言葉を分かりやすく」参照)。
もちろん、精神障害や心理的障害をもともとお持ちの方であれば、ペットロスをより困難なものにさせていくことがあります。ペットロスが病的にこじれる背景としてペットロスの死別反応とは別の要因がペットを亡くす前からすでにおありになり、それが精神疾患や心理的障害としてすでに同定されているのであれば、それがペットロスの複雑な悲嘆形成に影響を与えていく可能性は大となります。
また、精神障害や心理的事象がやはりペットの死別の前からあり、それが現在のペットロスの悲嘆に影響をさほど与えていないとしても、今後、悲嘆の経過につれて悪影響を及ぼしていく可能性についても注意を払って見ていく必要があります。
病的悲嘆や複雑な悲哀といわれるものは、一般的には通常の悲嘆反応を超える強さを持っていることと、通常の悲嘆反応よりも長期間にわたることを識別の基準としています。要するに、正常か正常でない(病的)かは悲嘆のもつ深さや激しさの程度と、その持続時間(悲嘆が表れたり引っ込んだりして間欠的につづく場合や、ご本人は気づかずに無意識下で悲嘆を持ちつづける場合も含みます)の二点を標準的な指標にして重さのレベルを査定して決められます。
これは地震が起こったときの災害の規模に譬(たと)えてみるとわかりやすいかもしれません。震災は、震度が大きく揺れが強いほど被害も大きいでしょう。また、その揺れの時間が長ければ長いほど被害も甚大なものになるでしょう。反対に、小さな振幅の揺れで、その時間も短ければ、被害も少ないでしょう。
ペットロスもこれと似ており、悲嘆の程度が小さく、回復までにかかる時間も短ければ被害の程度も少なくて済むでしょう。この場合、受ける心身のダメージや社会的なダメージ(例えば、家族や友人との関係がおかしくなる、学校・職場に行かなくなる、買い物に行けずに引きこもるなど)が被害にあたり、どこにどのようなダメージをこうむったかが、エピソードや症状ということになります。
悲しみが極端に激しくなく、一段落するまでの期間もそう長くなければ、そのペットロス体験は一応は正常な範囲といえるでしょうが、悲嘆が特別激しかったり長期に及んでしまえば受ける被害(ダメージ)もすこぶる大きくなるので、これが障害とか複雑とか病理と称されます。
このように通常見られるような悲嘆のエピソード(できごと)が強く出ているか、長く出ていることが正常でない悲嘆であり病的悲嘆の基本条件となります。このことからわかるように、重い病理的なペットロスの症状とは、ごく普通のペットロス体験でよく見られるエピソードがその基本的な構成要素であり、それらが煮つまるように強く激しく出現するか、あるいは通常よりも長くとどまりつづけて心身に大きなダメージを与えていくような状態をいいます。
これらのことから悲嘆のエピソードや症状が短い時間であってもあまりに激しいのであれば正常とはいえないでしょうし、またあまり激しくない通常の悲嘆のエピソードや症状のようであっても、それがいつまでも長期にわたって執拗に停滞して消失しないのであればやはり正常とはいえないということになります。
さらに、正常か、正常でないかを決めるもう一つの基準としては、通常のペットロス体験者には見られないエピソードや行動が喪者に表れる場合です。これには病的な無価値観(自分は生きる価値がない、生きる資格がないと極端に思う)を持ったり、罪悪感の無制限の拡がり(ペットの死別とは関係のない罪悪感が増える。例えば、私が生きることや人間がペットを飼うことや現代文明に罪の意識を持つなど)が顕著に認められような場合であれば、うつ病圏を疑います。
また自傷(手首などの自らのからだを傷つける)も通常のペットロスでは起こしません。この場合、からだだけではなく自己処罰的に精神的に自分を傷つけることにも注意しなければなりません(自分を許すことができず、楽になってはいけないと考えたり、過酷な環境に自らを置くなどして自虐的、懲罰的に振る舞うなど)。また他傷・他害(他人や他のペットのからだを傷つけたり害を与える)もどう見ても正常な状態とはいえないでしょう。
また、せん妄(意識が混濁したり、一時的に途切れたり、現実と夢の区別が困難になるなどの意識障害)や、記憶障害(ペットが亡くなる前後の記憶がなく、思い出そうにも思い出せないなど)が出ているのであれば正常ではありません。また、亡くしたペットが出てくるかどうかにかかわらず幻覚や白日夢がいつまでもつづくような場合も正常ではありません。
ですが、喪ったペットがまれに現れる一過性の幻覚であれば、通常のペットロスでよくみられます。これは例えば、亡くしたペットの姿を一瞬かいま見たとか、鳴き声や歩く音や、いつも首に掛けていた鈴の音が聞こえたなどです。また、あの子の匂いがした、あの子が触れてきたという体験を語る人もいます。これらの幻視や幻聴や幻臭や幻触を悲嘆者の多くは、霊体験とみなしてあの子が来てくれたととらえる傾向があります(幻覚か霊体験なのかの判断に悩むような不思議な事例もあります)。
また強い自殺念慮(死にたいと強く願う。早くあの子のいるところへ行きたいと後追いを切望するなど)があったり、そのために行動を伴う自殺企図(睡眠薬をためている、飛び降りるビルの屋上を見に行く、ロープを買って所持しどこで首をつるかなどの具体的な自殺計画を持ったり、人に詳しく語ったりする)や、自殺未遂(後追いしようとした) や、もちろん自殺することも通常のペットロスではありません。
しかし自殺念慮ほど強くはない希死念慮(後追いを考える。死にたいとか死ねば楽になるとふと思う)は、通常(正常)の範囲でもときにありますので、それだけでは病理とは考えません。なお、反社会的行動に及ぶこと、つまり犯罪を行うことも通常悲嘆ではありません。
ペットロスから立ち直れなくなる飼い主さんが増えているといわれます。このことは何を意味しているのでしょうか。これはペットが生きているあいだの飼い主・ペット関係と、そのペットが亡くなるときと、亡くなったあとの飼い主の経過の総和として起こる喪(も)が順調に進まなくなる人々が増えたことを示しています。このことはペットの死を境とするその前とその後に二分される飼い主の生活環境の中に好ましい回復をはばむ何らかの問題が潜んでいるからだと言えます。
ペットロスによって心理的障害となる現象がこれからも現代人に起こっていくとすれば、私たちが今までよしとして培ってきたペットとの暮らし方や別れ方、さらには別れた後の過ごし方のどこかに何か根本的な誤りがあるのではないかと思います。
このことは、ペットロス以外の障害や他の心理的社会的問題を抱える現代人が増加したからそのあおりを受けてペットロスの重症化が進んでいるという理解では解決のつかない問題を提示しています。ペットロスが重くなるのは、ペットロス以外に原因があるということではペットロス悲嘆の臨床が抱える問題の本質をそらしており、人間とペットの関係学におけるさまざまな課題を解明しているとはいえません。
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