どうして自分はこんなデータ男と帰っているのだろうか?
10cmは違う身長差のある隣を歩く男を見上げる格好で眺め、海堂は内心理不尽なものを感じていた。
気付けば、いつの間にか隣に居た、そんな感じだ。かと言って、煩わしさは感じさせないから尚更不思議だ。
「どした?」
視線を感じて、乾が隣に目線を下げれば、普段不機嫌な表情の印象の多い海堂が、自分を凝視しているのに気付いた。
「あんた何で、俺の隣に居るんだ?」
隠す事のない率直な台詞を海堂が口にするのは、案外珍しい事だと乾は知っている。
海堂は余計な言葉は話さない。寡黙と言うには多分に語弊の有る言葉ではあるが、それに近い部分で、海堂は余計な言葉は話さない人間だった。その海堂が、乾に率直に訊く事は、二人の距離の近さを示している事に、けれど海堂自身に自覚は薄い。
「何でって言われても」
問われている言葉の意味は、判っているつもりだった。
けれど何故今更なのだろうか?やはり部室での『ファンタピーチ』という、モロに誰かと誰かを連想させるジュースの所為なのだろうか?
「今更じゃないか?」
本当に今更だ。関係はとうに最終的な局面を突き抜けているというのに。
海堂にとっては不思議な事でも、自分にとっては何も不思議でもない乾は、そうと言うポジションを、手に入れるべくして手に入れているのだ。海堂に気付かせない極自然な、けれど周囲からはあざといと言われているやり方で。
「桃と越前に触発された、とか?」
表情を読ませないメガネ越しの眼が、笑って海堂を眺めると、海堂は途端不機嫌になって乾から視線を逸らした。
「そんなんじゃ、ない」
笑っているのは気配で判るのに、表情が読めない事が悔しい。
素顔が謎とされる乾の素顔を、多分テニス部員で知っているのは部長の手塚と不二くらいのものだろう。けれど自分は他の部員の知らないその素顔を知っているのだ。
何度となく見てきた筈なのに、いつだって熱に浮かされ見てきた貌は、こうして日常で見ると、輪郭がボヤけて巧く思い出せない気がした。それが幾分腹立たしい。そして腹立たしいと思えるだけ、自分はこのタチの悪い男に掴まってしまったのだろうかと、海堂は思った。
そう思えば、小生意気なルーキは、どうなのだろうか?フトそんな考えが脳裏を過ぎった。
ポーカーフェイスだと思っていた小生意気なリョーマの貌が、此処最近綺麗に剥がれている。相変らず生意気で、腹の立つ程テニスの実力は際立って。そして特定人物には、楽しげに悪態を吐き垂れている。それをまた特定人物は特権だとばかりに、柔らかい笑みで聴いてやっているのだから、バカップルだ。
あんな笑みが出来る男だとは思わなかったと言うのが、海堂の素直な本音で、同学年で同時期にレギュラーになって以来のライバルで、けれど呆れる程リョーマとの距離を慎重に扱っているのが判る程度には、小生意気なルーキーを大切にしている。一歩先を歩かれている感じがして、面白くない。
大切な存在を見付けて以来。桃城は男の表情を曝すようになっている。当人に自覚はないのだろう。大切に甘やかして、悪態を嬉しそうに聴いている広さ、みたいなものを、感じさせる。それは或る意味、男の色気とでも言うものを、此処最近の桃城は醸し出している。それが尚更面白くない海堂だった。
隣の男はどうだろうか?
間視して窺えば、とても男の色気など感じない。感じるのは、理不尽にも思い出す事の困難な、輪郭のボヤけた素顔ばかりだ。
「造ってみるか」
「………あんたまたタチの悪いもん造って、飲ませるって言うんじゃ」
ボソリと、けれど愉しげに呟かれた声の意味を感じ取った海堂は、心底嫌そうに口を開いた。
「ビンゴ」
メガネの奥の眼が笑ったのが判る。
飄々として、表情を読ませない。それ程視力が悪いとは思わないのに、何故鬱陶しい筈のメガネを掛けているのだろうか?
そう言えば、訊いてみた事はなかったと思い出す。
「飲まない」
「恋人に贈る、特定ジュース」
「絶対飲まない」
飲むと言ったら、何を飲まされるか判ったものではない。
部活を離れた場所で乾が造るジュースが、実は特別美味しい事を知っていたとしてもだ。
ましてそのジュースを飲むのはもっぱら行為の後という、中々冗談にならない局面で飲んでいるから、そんなものを素面で飲まされてしまったら、赤面ではすまない自覚が、海堂には有ったのだ。
「俺の造るアレは、確かに味は崩壊してるが、健康にはいいんだぞ。躯が基本で資本金のレギュラーに、健康に悪いものなんて、飲ませるわけないだろう?」
「俺は金融証券か担保か」
憮然と反駁を試みる。
結局、何故か最後は、このタチの悪い男の思うままにされてしまうのだ。
「越前じゃないが、カクテルでも造ってみるか」
どうやら乾の思考は、海堂の反駁を右から左に綺麗に聞き流しているらしい。
「だからあんた、たまには人の言う事もきけ」
「いつだって俺は、海堂の言う事を優先しているつもりだよ?」
「………何処らへんがだ」
いつだって、最終的には自分の思う通りに事を運んで行くくせに。自分の我が儘など、隣を歩く男に通用した事など一つもない。
「個人コーチとして、練習プログラム組んでやってるだろ?」
生まれながらのテニスの才と言うのなら、テニス部員でその言葉が当て嵌まるのは、3人だけだ。
実力は高校級と、将来を嘱望される手塚。そして天才と言われる不二と、そして帰国子女のリョーマ、この三人だ。
三人が努力をしていないとは決して言わない。生まれながらの才が有ったとしても、努力なしに手に入るものなど何一つないから、彼等が努力を惜しまない事も知っている。けれど、だからこそ自分は入学当時から海堂を見ていた。
人一番の努力を惜しまない努力家。
資質も才能も跳ね返す努力で、実力を付け成長している海堂を見て来た。寡黙に口を閉ざし、黙々と自分の為に努力を続ける海堂が、乾は殊更気に入っていた。
まっすぐで綺麗だと素直に感じた、その潔さに。
若木のような印象を受けた。蒼い空に向かって伸びる事を一心に努力している。そんな姿がひどく潔く、綺麗に思えた。だから惹かれた。
他人には執着を持つ事のなかった自分が、初めて持った他人への執着と関心。
あざとく海堂を掴まえたと言うけれど、掴まったのは自分の方だ。
「お前は未々強くなるさ」
10cm低い目線の下に、腕を伸ばすとクシャリと掻き混ぜた。
「あんたはッ!人前でそういう事するな」
乱暴に振り払い、ズンズンと歩いて行く。
「ああいう所が、素直で可愛いんだよ、海堂は」
他人には滅多見せない素直な面。自分にだけ曝されるソレに、やはり心地好いと思う乾だった。
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