堺 市


 


堺 市  ・ H18年、4月1日政令指定都市昇格により、<区政>を施行。
     各支所が、堺区・中区・東区・南区・北区・美原区となる


 ・ 祭礼日は、10月第1土日。(例外もある)
   ⇒ 3日間あるのは、鳳・津久野・八田荘の3地区のみ。
   ⇒ 金曜の宵宮は終日曳行でなく各地区各町により曳行時間は異なる

 ・ かつては5日に宮入が行われた為、地区によって5日前後で日程が異なった。
 ・ H16、17年、鳳地区の祭礼のみ泉州祭礼と重なる。(2日のにいびが土、日となる為)
     宵宮ドットの八田荘西4町との交流はと別日程となる。
 ・ H18年は、第1日曜が1日の為、祭礼は第2土日に行なわれ泉州地域の祭礼日と重なった。
     また上神谷地区のみ、9月30日、10月1日に祭礼が行われる特異年となる。
 ・ H19年も堺祭礼と泉州祭礼が重なる。(1日が第1月曜)
 ・ H21、22、23年、岸和田祭礼本宮と大部分の堺市祭礼試験曳きとが重なる
 ・ H23年、1日が第1土曜の年。鳳地区祭礼は泉州祭礼と重なる。
   ⇒ 試験曳きも草部地区と別日程
 ・ H24年、堺祭礼と泉州祭礼が重なる年。(1日が第1月曜、泉州祭礼の試験曳きは9/30)
 ・ H27年、堺市の試験曳き(大部分)と岸和田祭礼本宮が4年ぶりに重なる。(上神谷地区は翌週)



1  「大鳥大社・摂社 美波比神社」 (みわい)

   祭礼2日目 <土曜> : 氏地は、大鳥・野田・北王子・新在家・野代・長承寺・濱寺元町から成る
                   ⇒ また、上・石橋・富木も宮入している。
     ・ 宮入順は固定。
       ⇒ 大鳥・野田・新在家・北王子・野代・長承寺・上・石橋・富木・濱寺元町の順

     ・ 厳密には大鳥大社敷地内の美波比神社に対して宮入を行なっているので地車も大社
       ⇒ の本殿でなく、美波比神社の方を向いて据えられる

     + 境内社殿前では、(左から)横一列前後2つに分かれて並ぶ。先頭の7台が前に、
       ⇒ 後に濱寺元町富木・石橋が並ぶ。

     + 吹きチリ装着町:新調を期に石橋(H24)・野田(H25)・長承寺(H26)が吹きチリを製作。
       ⇒ 同26年には 新在家が吹きチリを新調し全町所有となる


 「日部神社」 (くさべ)

   祭礼初日 <金曜> : 氏地は、上・草部(石橋・萬崎・太井町・馬場)・原田から成る。
                   
     + 上、石橋の宮入は、祭礼初日の金曜。神社鳥居前に2台横に並ぶ。

 「等乃伎神社」 (とのぎ)
  
   祭礼初日 <金曜> : 等乃伎神社の宮本。かつての町名旗には、殿来とあった。

2   祭礼日は、毎年10月第1金土日 (宵宮・本宮・残宮)

 ・ 金曜が9月最終日の場合は、祭礼日が一週間がずれる。
     
 ・ かつては10月4、5、6日の固定で毎年祭礼が行われていた。その後、金土日開催となった。
 ・ H21年迄は祭礼日に「にいび」(2、12、22日に行なわれる市)が重なると1週間ずらして祭礼
   ⇒ を行っていた。
   ⇒ 厳密には土日に「にいび」が開催されると日程がずれる。2日が金曜の場合は例年通り。
 ・ H22年より「にいび」の日取りに関係なく10月第1金土日に祭礼が行われるようになる。
 
3  「鳳地車連合会」
 
 ・ 大鳥、野田、新在家、北王子、野代、長承寺、上、富木、石橋、元町 の10町より成る

 ・ 現、連合会にて輪番制による当年の会長に当るのは、6ヶ村と上村。輪番順は以下の通り。

     ⇒ 上(H20)→大鳥→野田→新在家→北王子(H24)→野代→長承寺

 ・ 「鳳 祭」ポスターの掲載町。(代表枠町)
     <H20>野田→<H21>新在家→<H22>北王子→<H23>野代→<H24>長承寺→<H25>上
     <H26>富木→<H27>石橋
 
 4  「主な日程」
 ◇ 試験曳き : 各区試験曳き。上、富木、石橋は福泉との合同セレモニー。
 ◇ 金曜宵宮 : 各区午前曳行。正午よりドット参加町がドットへ。夕方より、新在家乗り入れ後、
           ⇒ 連合曳き
 ◇ 土曜本宮 : 午前宮入。新在家乗り入れ後、大鳥大社へ宮入。午後は連合曳き
 ◇ 日曜最終日 : 午後より区役所パレード、以後連合曳き
 
 5   <宵宮金曜・連合曳き、夕方新在家・野代乗り入れ>

 ◇ 16時半頃より夜間提灯を着けての曳行。蔵王から新在家方面へ。第二阪和横断後は、
    ⇒ 野代方面と新在家方面へ分かれる。野代、新在家は町内にて出迎え。(H24年迄)
    ⇒ 17時15分頃、新在家発。蔵王を右折し、上地区まで連合曳き。
    ⇒ 連合曳き後のコースは年によって異なる。その後、各地区自主曳行。


 <本宮土曜・午前新在家・野代乗り入れ、宮入>

 ◇ 10時頃、大鳥大社宮入。前日同様蔵王から新在家方面へ。第二阪和横断後は蔵王を左折。
    ⇒ この時の蔵王左折のやりまわしは年一回。(富木、上)
 ◇ 神社への宮入、出時にやりまわしを行うのが特徴。鳥居をくぐった後は鳳太鼓。
    ⇒ 宮出時、濱寺元町のみ北の端方面へ。(やりまわしは行わない)

 ◇ 新在家・野代乗り入れは(基本的に)両日とも同じ地区へ乗り入れ、乗り入れ地区は隔年交代


 <最終日、午後区役所パレード> <H25年迄>

 ◇ 上地区より北進にて連合曳き→北の端右折→白鷺公園→13号線右折。前者2ヶ所の右折は
    ⇒ やりまわしする町がある
    ⇒ 区役所入口前にて10町の纏を揃えセレモニー。その後、ウイングスが1発目のやりまわし。
    ⇒ 3周目のウイングスを右折しでんでん坂へ。(ウイングスのやりまわしは計3回)
    ⇒ でんでん坂より蔵王右折。この時の蔵王のやりまわしも年一回。(行わない町もある)
    ⇒ 蔵王右折後は、北の端で連合曳き解散。その後の蔵王にてセレモニーあり。

 <最終日、フィナーレ>

 ◇ 夜間曳行終盤、大鳥大社前にて、野田・大鳥・濱寺元町の3町でフィナーレ。
     蔵王にて、野田・北王子・長承寺・野代・新在家の5町フィナーレ
     上ライフにて、上・富木・石橋の3町フィナーレが行われる。
   2014/7/5 追記

6  ・ 連合曳き(北進⇔南進)の順は固定。宮入順とは違い、濱寺元町が先頭で富木・石橋の順番が
    ⇒ 替る。

      濱寺元町・大鳥・野田・新在家・北王子・野代・長承寺・上・富木・石橋の順。

 ・ 南進時は石橋先頭の逆順。又、濱寺元町・新在家・野代・富木・石橋は連合曳きコース内に本部
    ⇒ を設置。

 ・ 連合曳き前や昼夜の連合曳き間の食事、準備等(提灯)はこの本部にて行い自町へは帰らない。

 ・ 土曜宮入後は、富木(H17・19)と元町(H18・20)隔年で乗り入れ。
   ・ 石橋へはH15年以後毎年土曜午後の1回目の南進時に乗り入れる。
   ・ H18、19年は同日夜の連合曳きでも乗り入れ。(1回目南進時)
   ・ H21年、富木の乗り入れは行なわれず。(後年は以下参照)

 注 ○ = 試験曳き、● = 宵宮金曜、■ = 本宮土曜、* = 備考

 ■ H15年、本宮土曜午後、初の石橋地区へ乗り入れ。(1回目南進時)
 ■ H16年、同上。
 ■ H17年、本宮土曜宮出後、石橋スポーツ経由にて富木地区へ乗り入れ。(コーナン下り)
     ⇒ この為宮入時間が例年より早まる。午後は例年通り、1回目の南進時に石橋乗り入れ。

 ○ H18年、試験曳き・宵宮の納車時間が1時間延長。
 ○ H〃年、本年より富木が試験曳きにて鳳地区乗り入れ。
 ● H〃年、長承寺・北王子が宵宮金曜の午前曳行を開始。宮入を済ました上・石橋・富木と合流し
     ⇒ 石橋スポーツ上がりにて5台揃って休憩し、ドットへ。
 ■ H〃年、本宮土曜午後、初めて濱寺元町への乗り入れが実現。
     ⇒ 南進時の石橋乗り入れ後、次の北進で大社前を左折、第2阪和を横断し元町へ。

 ■ H19年、本宮午後の富木乗り入れ時、建設途中のアリオ前を全町が通過。曳行道路は通過時
     ⇒ のみ開放。
     ⇒ 南進時の石橋乗り入れ後、2回目の南進時に蔵王右折、そのまま直進で富木方面へ。

 ○ H20年、試験曳きにて、蔵王前に野田・北王子・長承寺の3台が集合し、でんでん坂〜ドット
     ⇒ 1周。
 ● H〃年、野田が金曜宵宮午前曳行を開始。上記試験曳きのコースを野田・北王子の2台で周回。
 ● H〃年、金曜夕方新在家乗り入れ後、大鳥大社前にて大鳥・野田・野代・新在家・濱寺元町に
     ⇒ よる5町曳き、セレモニーが実現。その後5町揃って商店街まで上がる。
 ■ H〃年、本宮土曜午後は元町乗り入れ。(H18年と同コース)
 * H〃年、駅前開発事業により蔵王前のアーケードの一部が撤去。以前の蔵王前アーケードの
     ⇒ 風景としては同年5月に行なわれた北王子の入魂式が最後となる。
 * H〃年、大鳥大社前の社号標がある築山が撤去。鳥居右前へ移設。鳥居前の参道が道路
     ⇒ まで延長され、景観が変わる。信号機は未移設。宮入時のやりまわしは信号機の内外
     ⇒ に分かれた。

 ○ H21年、試験曳きにて蔵王前に野田・北王子・長承寺・大鳥の4台が集合し、でんでん坂〜
     ⇒ ドット1周。
 ● H〃年、大鳥が金曜宵宮曳行を開始。でんでん坂〜ドット1周コースを野田・北王子・大鳥の
     ⇒ 3台で周回。
 ● H〃年、金曜夕方新在家乗り入れ後、大鳥大社前での5町曳き・セレモニーのあと、蔵王にて
     ⇒ 富木へ訪問していた5町と合流し上交差点まで10町曳き。前者5町はUターン後蔵王
     ⇒ 迄曳行。
 ■ H〃年、本宮土曜午後は石橋地区乗り入れ
 * H〃年、大鳥大社前の信号機が移設される。鳥居前中央からのやりまわしが完全可能になる。
 * H〃年、野田が主要交差点でやりまわし方式へ転換。以前は交差点へ勢いよく進入してきて
     ⇒ の止めまわしが主だった。
     ⇒ 前年の試験曳き・宵宮午前に北王子・長承寺と伴にドット周回に参加

 ■ H22年、本宮土曜午後は富木地区乗り入れ。(上交差点〜13号線経由)
     ⇒ 金曜の新在家乗り入れ後、大鳥大社前にて富木へ訪問していた5町と合流し大社前
     ⇒ より上ライフ前まで10町曳き。

 ● H23年、金曜の新在家乗り入れ後に元町乗り入れ。
     ⇒ 新在家乗り入れ後、コーナン前→元町休憩→26号線横断→大社前右折→蔵王→
     ⇒ 上交差まで10町曳き。その後、富木行き5町は富木方面へ。もう5町はライフ前Uターン
     ⇒ →蔵王解散。
     ⇒ 富木乗り入れ町は、上交差→蔵王Uターン→石橋乗り入れ。その後、小若曳行)

 * H24年、石橋新調、下地車化。
 ● H24年、宵宮金曜晩、新在家乗り入れ後、石橋地区まで10町曳き。その後、上・富木・
     ⇒ 石橋は蔵王まで行き3台にて富木乗り入れ。北王子・長承寺の乗り入れは無し。
     ⇒ 上地車5台は、大鳥大社前にてセレモニー。本年は、鳥居前で前に大鳥・新在家、
     ⇒ 後ろに元町・野田・野代が凹型に並んだ。その後、各地区小若曳行。
 ■ H〃年、本宮土曜宮出後は石橋地区乗り入れ。宮入時間が例年より早まる。石橋乗り入れの為。
 ■ H〃年、例年なら宮出後は昼休憩だが石橋まで連合曳き。草部交差点前頭の石橋地区乗り
     ⇒ 入れは初。草部交差点を通過し、後尾が内海商店辺りまで上がる。その後、休憩。
     ⇒ その為、濱寺元町は宮出時北の端方面へ出た後Uターン。
 ■ H〃年、本宮土曜午後、一回目の北進時に北の端まで行かず大社前左折⇒第二阪和手前
     ⇒ より10町揃って休憩⇒Uターン→大社前右折のコースが追加。その後は通常の北進、
     ⇒ 南進。

 * H25年、野田新調、下地車化
 ○ H25年、試験曳き時、新在家・野代区内の4町曳きに、大鳥が加わる。
     ⇒ ファミマ裏より大鳥合流→みどり住宅より元町合流、ここから5町→のて裏→せせらぎ→
     ⇒ ファミマ裏にて大鳥帰町、以後は例年通り。
 ● H〃年、金曜宵宮新在家乗り入れ前、野代・新在家が蔵王まで来る。連合会長の挨拶の後、
     ⇒ 10町連合曳き開始。この為、同町は昼の曳行時間を短縮し、夕刻前の曳行時間を新設。
 ● H〃年、金曜宵宮新在家訪問後、富木地区乗り入れ。(アリオ経由)
     ⇒ 富木乗り入れコースは、旧清風荘右折→焼肉ちべ左折→コメダ珈琲右折→富木地区。
     ⇒ 帰りも同じ・
 * H〃年、濱寺元町修理入魂式時(8/25)、宮出の際に大鳥大社を鳳小学校方面へやりまわし
 * H〃年、新調入魂式式典(9/8)にて、津久野地区より中組・大東の各役員の方々が来賓
 * H〃年、試験曳き時の曳行終了間際、野田が下地車になって初の納車のダッシュを行う。
    ⇒ 前梃子無し。

 * H26年、蔵王前の景観が大きく変わる。道路が拡張され新しい信号機が設置される。交差
    ⇒ 点付近が弧を描く様な道路になった為、祭礼時は車止めのポールを移動出来るよう
    ⇒ になっている
 * H〃年、鳳駅よりアリオ側の鳳上線の整備が進み、道幅が広くなる。それに伴い、蔵王→
    ⇒ 旧清風荘前→商店街入口(長承寺側)のシュートコースと蔵王→ごう前→ミサカ靴店
    ⇒ のロングコースの周回が可能になる。北王子と長承寺が上記コースを試験曳きと金曜
    ⇒ ドット終了後に周回
 ● H〃年、金曜宵宮夕方曳行開始時、蔵王前に新在家・野代も上がって来るようになる。
    ⇒ その後、全町で新在家乗り入れ。(以前まで同2町は自町でお出迎え)
 ● H〃年、金曜宵宮夜は、元町乗り入れ。新在家→コーナン裏→元町乗り入れ→大社前
    ⇒ やりまわし→石橋地区乗り入れ。この後は、上・石橋は富木乗り入れ。大鳥・野田・
    ⇒ 新在家・野代・元町の5町は大社境内に地車を入れてセレモニー→5町曳き。20時頃より
    ⇒ 各町小若曳行へ。
 ■ H〃年、土曜午後の連合曳きで全町が蔵王→ごう前→美坂靴店のコースと通る、その後、
    ⇒ 例年通りの大社前左折で大鳥区乗り入れのコース

 * H27年、ココ壱の建物が無くなり更地になる。
 ● H27年、宵宮午前の大鳥、野田、北王子3町周回がコース変更。
    ⇒ 以前のドット周回から、清風荘→旧JA前→蔵王へコース変更。
 ● H27年、新在家乗り入れ後は、石橋訪問。新在家乗り入れ後→旧清風荘前直進→
    ⇒ 商店街右折→石橋乗り入れ。その後、前半5町は大社前集結後5町曳き。
 ■ H27年、土曜午後の連合曳きで旧清風荘を中心に、商店街(旧JA前)を左右の分かれ
    ⇒ 旧清風荘に戻ってくる8の字コースを形成。
    ⇒ 初周は、上地区→農協前→清風荘→鳳公園西側→アリオ北側で10台休憩。
    ⇒ 13号線→上交差で、ここで美坂を曲がる町と蔵王まで行く町で5町ずつに分かれる
    ⇒ 清風荘で10町が合流。その後も周回し、例年通り大鳥大社左折。

    ⇒ 清風荘での合流は、元町(蔵)→野代(ごう)→大鳥(蔵)→長承寺(ごう)→野田(蔵)
    ⇒ 新在家(蔵)→富木(ごう)→北王子(蔵)


 注 ○ = 試験曳き、● = 宵宮金曜、■ = 本宮土曜、* = 備考
   2015/10/25 追記 

7  + 鳳地区の上地車で、新在家・野代の2町は役員の方々が踏み台の上に立つのでは無く、
    ⇒ 勾欄の上に座る形を採っている。(H24:石橋下地車化、H25:野田下地車化)

 + 先代野田の地車は泉州にて唯一、摺り出し・旗差し・幟を採用しない上地車(三枚板)
    ⇒ <H25年下地車化>
 + 先代長承寺の地車の大脇兜桁・脇障子竹ノ節には<梅鉢>紋。脇障子兜桁・小屋根隅木には
    ⇒ <菊水紋>が配されていた。縁隅木・垂木は<南>。鬼板や幟に配されているのは
    ⇒ <長の字鶴>紋。
 + 先代大鳥の地車の兜桁には<鳳>と刻まれていた。

 + 新在家の青年団の襟(エリ)には、<竹ノ城青年団>と染め抜かれている。
    ⇒ タスキの紋にも<竹ヶ城>の文字。
    ⇒ 夜間提灯の片面にも<竹ノ城>が使用されている。(H26年より?)
 + 濱寺元町の法被の襟上部には、<下>の印文紋が配されている。下村由来?
    ⇒ <H25年法被新調>
    ⇒ 夜間提灯の片面にも<下>の印文紋が使用されている。
 + 上の鶏鳴の意匠は、縁隅木・提灯等に採用。地車は梅鉢紋で統一。
    ⇒ 交差旗の一面、水引幕には自独紋を採用している。かつては、佳村(かむら)と称した。
 + 上鶏鳴青年団の名称は、蔵王の各町青年団の提灯・上本部の幟・地車庫・テント等に使用
    ⇒ されている。

 + 天保年間<和泉国>絵図には、<大鳥郡>大鳥村・北王子村・野代村・長承寺村、野田村
    ⇒ (大鳥村のうちとして)、新在家(北王子村のうちとして)。前途の6村は、鳳六ヶ村と称
    ⇒ される。そして、上村・富木村。東下村・西下村・山内下村が記されいる。最後の3村は
    ⇒ 後に合併され下村(現、濱寺元町)となる。
  2015/3/20 追記 

8  <連合セレモニー・パレード>

 ◇ 最終日(日)に西区役所周辺にて行なわれる鳳地区10町、津久野地区7町の計17町による
     ⇒ 連合パレード

 ・ やりまわし箇所は、ウイングス・キャプテン・のらや・区役所前・ドット・泉州銀行の6ヶ所で
     ⇒ 8の字周回が可能。一定周回後、でんでん坂へのやりまわし。
     ⇒ 各町のセレモニーは、でんでん坂上がる直前に行われる。

 「過去」

 ・ 津久野地区の全台(7町)参加はH26年度より。(前年に中組、大東の2台参加)
 ・ 鳳地区の初回入場順は連合曳きと同じ。(H26年迄)
 ・ 区役所までの基本コースは、北の端(喫茶よりみち)→白鷺公園→13号線エネオスの
     ⇒ ルート。よりみちとエネオスにて年1回の鳳地区全町やりまわしあり。(H26年迄)
 ・ 13号線区役所前通りに鳳の地区の地車が交互に並び、津久野の地車は、のやら側の区役所
     ⇒ 通りに並ぶ。全町集結後、区役所玄関口にて全町の纏が整列し開幕セレモニーが行われ
     ⇒ る。(H26年迄)

 □ H10年の白鷺公園周回がパレードとしての原点
 □ H13年、13号線の曳行許可が降り、鳳ウイングスを中心としたパレードを開始
     ⇒ 北の端(喫茶よりみち)→白鷺公園→13号線→鳳ウイングス→でんでん坂

 □ H18年、パレードが2周となる。2周目はショートカット。(大鳥大社右折)
 □ H19年、周回方法を変更。鳳ウイングス左折→キャプテン→のらや→区役所をを2周する
     ⇒ コース。
 □ H20年、連合セレモニー時の地車整列場所変更。13号線西支所前に先頭から交互に地車
     ⇒ を据えるようになる。又、この年より各町のセレモニーがでんでん坂を上がる直前になる?。

 □ H23年、パレード周回はウイングスを起点にして3周(4周目にでんでん坂)。休憩を挟み順番
     ⇒ も入替った。それに伴い、でんでん坂から北の端まで曳行後の蔵王セレモニーに参加
     ⇒ する町は野田まで。

 □ H24年までのやりまわし箇所は、ウイングス→キャプテン→のらや→ホンダ前。
     ⇒ 一定周回後、でんでん坂→蔵王右折。各町のセレモニーはでんでん坂上がる直前に
     ⇒ 行われる。

 □ H25年、津久野地区より、中組・大東が参加。12台にて行われる。新たにコースが追加され
     ⇒ 8の字周回となる。
     ⇒ キャプテン右折→ドット右折→13号線泉州銀行右折→13号線→ウイングスのコースが追加。
 □ H〃年、区役所前のセレモニー後、奇数町はキャプテン右折→ドット廻り、偶数町はキャプテン左折→
     ⇒ のらや廻り
     ⇒ 2周目はその逆。
     ⇒ 3周目は全町キャプテン左折→鳳地区はのらや左折、津久野2町はのらや右折帰町。
 □ H〃年、中組・大東はパレード乗り入れ時、のらや〜区役所前まで並走

 □ H26年、津久野全町参加。計17台にて連合曳き。津久野の町は川沿いの道に7台集合後、
     ⇒ のらや方面へ。
     ⇒ 津久野の町はまずのらや方面を周回。鳳地区は全町ドット周回へ。

     ⇒ 2周目は、鳳地区の前5町が ドット周回、続いて津久野地区の地車が全町ドット周回、
     ⇒ この後5丁大通り前で津久野地区が休憩。鳳地区の前5町は消防署方面からデンデン坂
     ⇒ へ。後5町が区役所前からデンデン坂へやりまわし。
     ⇒ 津久野地区の地車は全町消防署方面からキャプテン方面へやりまわしを行い、のらや→
     ⇒ 13号線右折でヨーカ堂裏に集合。

     ⇒ 区役所前に来る前、大鳥と濱寺元町がドラッグストア前にて並走。
     ⇒ 昨年の野田と新在家の並走は無し

     ⇒ でんでん坂へのやりまわし順は、元町(西)→中組(消)→大鳥(西)→大東(消)→野田(西)→
     ⇒ 神野(消)→新在家(西)→宮山(消)→北王子(西)→西組(消)→神市(〃)→下田(〃)→
     ⇒ 野代(消)→長承寺(〃)→上(〃)→富木(〃)→石橋(消) *(西)=西区役所、(消)=消防署

 □ H27年、パレードのスタート位置が変更。3方向より入場する様になる。
     ⇒ 北王子(デンデン)→大鳥(西)→元町(消)→長承寺(デンデン)→西組(西)→宮山(消)
     ⇒ 上(デンデン)→野田(西)→新在家(消)→富木(デンデン)→中組(西)→下田町(消)
     ⇒ 石橋(デンデン)→野代(西)→大東(消)→神野町(西)→市之町(消)の順
     ⇒ その後、自由曳行。
     ⇒ デンデン坂への帰町順は、北王子→新在家→大鳥→野田→元町→長承寺→上
     ⇒ 富木→石橋

     ⇒ この為、セレモニー前、以前の様に全町がよりみちまで行った後エネオスの角から
     ⇒ 出てくるコースが無くなる。西区役所前から来る地車は神社から高架下を曲がって
     ⇒ 13号線へ

 ■ でんでん坂のやりまわし後は、蔵王全町右折。やりまわしを行う町あり。その後、北の端まで
     ⇒ 行きUターン南進で蔵王まで戻ってきて、各町セレモニーが行われる。(大鳥、濱寺元町以外)
   2015/10/25 追記 

9  <西区地車祭>

 ・ H21年、西区より「西区地車祭」と題されたパンフレット・ポスターが制作される。
     ⇒ デザインは両方とも鳳地区のパンフレット・ポスターと同じ

     ・ 西区のポスターの下記欄には、
        ⇒ 主催:「西区自治連合協議会」、「コミュニティの活性化事業実行委員会」とある。
     ・ 同じく、西区のパンフレットの下記蘭には、
        ⇒ 「西区自治連合協議会」
        ⇒ 「西区のだんじりを活かしたコミュニティの活性化事業実行委員会」(*)とある。

 ・ H21年現在、連合パレードは、西区だんじりパレードと称され、「西区自治連合協議会」内の
    ⇒ 組織である<コミュニティの活性化事業>実行委員会により開催。
 
 「西区のだんじりを活かしたコミュニティの活性化事業実行委員会」とは

     ・ 「西区自治連合協議会」内に組織される<まちづくり活動>5部会の1部会である。
       ⇒ <地域コミュニティの活動推進>部に設けられた実行委員会の名称。

  「西区だんじり祭」ポスターの掲載町 (代表枠町)
    ⇒ <H23>新在家 →<H24>北王子・津久野大東・萬崎・菱木白木
    ⇒ <H25>野代・神野町・馬場・菱木奥 →<H26>長承寺・下田・山田・菱木南
    ⇒ <H27>上・西組・太井町・菱木東
  2015/10/25 追記 

10  <ドット交流会>

 ◇ 宵宮(金)正午より(旧)ドット交差点にて行なわれる交流会

     ⇒ 現在は鳳地区より、長承寺・北王子・上・富木・石橋・野田
     ⇒ 八田荘西4町、毛穴町・八田寺町、平岡町、家原寺町が参加。計10台。

 ・ 交流会の場所は、毛穴町と鳳南町5丁、東町7丁で南町は長承寺に当たる。
 ・ 初回やりまわし町は、当年の当番町。長承寺と毛穴町隔年交代。
 ・ 交流曳行前にセレモニーが行われる。

 「過去」

 ・ 当初は、北王子・長承寺と八田西4町の6台にて行われていた。
     ⇒ 元の始まりは、毛穴町と長承寺。
 ・ 集合場所は隔年で長承寺側(大通り)と毛穴町側(橋下り)に分かれていた時があったが
     ⇒ 現在は交流会前後に全台集まって休憩していない。
 ・ 交流曳行前にセレモニー。各町団長が壇上に集まり団扇交換が行われる。
     ⇒ H24年迄

 □ H16年、上・富木・石橋が参入。しかし当年は「にいび」年により別々の日程で行う。
     ⇒ H17年も同様)
 □ H18年、「9町交流会」なる組織を結成。タスキも作成。
     ⇒ 8台により開催。(八田寺町が不参加)
     ⇒ 当日は、先に大通りに8町集合。(鳳5町が先、その後、西3町が入場)
     ⇒ ドット交流会後、再び鳳5町+毛穴町が大通りにて休憩。

 □ H19年、毛穴町訪問年。当年、初めて9台の地車が揃う。当日は、毛穴町側に9台集合後
     ⇒ ドットへ。ドット終了後、アイチ→2号線縦断→毛穴大橋側道右折して揃って休憩。

 □ H20年、長承寺訪問年。
 □ H21年、毛穴町訪問年。
     ⇒ 当年は雨天の影響等により、2号線縦断は実施されず、ドット後の集合もならず。
 □ H22年、野田が参入。(鳳地区6台、八田荘西4台の計10台にて交流曳行が行なわれる)
 □ H23年、祭礼日が八田荘地区とずれる。鳳地区の参加地区のみで開催。
     ⇒ 長承寺・北王子・上・富木・石橋・野田の6台にてドット曳行。
     ⇒ 初周は、鳳方面よりドット左折→キャプテン左折→ウイングスUターンで再びドットへ。
     ⇒ ドット周回後は、5丁大通りにて6台にて休憩

 □ H24年、毛穴町当番年。
     ⇒ 一回目のドットはキャプテン→ウイングス方面へ。
     ⇒ 北王子、上、富木、石橋、野田の5町。

     ⇒ ウイングス前にて5台揃って休憩後、5町でドットへ。そして入れ替わりで後の5町が
     ⇒ ウイングス前へ来て休憩。(毛穴、長承寺、八田寺、平岡、家原寺の5町)
     ⇒ 休憩後、ドット方面へ向かい再び10町にてドット曳行。
     ⇒ ドット後、野田は鳳5丁通りへ行かず、キャプテン方面へ直進

 □ H25年、長承寺当番年。野田が下地車化に伴い、全10台すべて下地車となる。
     ⇒ セレモニーが例年とは異なり、長承寺の保存会会長さんから八田荘西4町の各団長さんへ
     ⇒ 団扇の贈呈。その後、毛穴町の保存会会長さんから鳳地区の各団長さんへと団扇の
     ⇒ 贈呈が行われた。そして、10町による纏合わせが行われる。

     ⇒ 一回目のドット通過後、鳳地区の町はウイングス方面へ、その後休憩。
     ⇒ 西4町のウイングス行きは本年無し。
     ⇒ ドット後、野田は5丁大通りへ入り揃って休憩。(野田のみ帰りはドット〜キャプテン経由)

 □ H26年、毛穴町当番年。本年は、ウイングス方面での揃っての休憩は無し。

 □ H27年、ドット開始前に毛穴町が単独で長承寺会館を訪問。(泉州銀行→旧JA前経由)
     ⇒ 訪問後、毛穴町を先頭に長承寺、そして4町がドット方面へ。

 ■ 交流会後、鳳地区の地車は、鳳南町5丁の大通りで休憩。
 2015/10/25 追記 


草部・菱木
1  「日部神社」 (くさべ)

   祭礼初日 <土曜> : 太井町(H27)→原田→萬崎→馬場の4台の輪番制 (年番順を基本)

     + 神社鳥居前に先頭の町。その後に1台づつ縦に並ぶ

2  + 現、草部の地内は、石橋・馬場・太井。そして萬崎の4つに分かれている。
 + 萬崎は、交差点標識・郵便局等では<万崎>と表されるが、地車では<萬崎>と称する。
 + 太井町は、化粧から団扇、タスキに至るまで太井<町>としての<町>を強調している。

 + 郷名の日部より転じて、草部となる
 + 天保年間<和泉国>絵図には、大鳥郡 草部村・原田村。(草部村のうちとして)石橋村・馬場村
    ⇒ ・太村・万崎村そして菱木村。(菱木村のうちとして)稲葉村が記されている。
 + 大正年間の古地図には、草部のうちとしては、太(→太井)・萬崎。
    ⇒ 菱木のうちとしては、山田が記載。(1/5万)

3  「草部連合」

 ・ 馬場、原田、萬崎、太井町、山田の5台より成る

 ・ 菱木白木は年番は菱木連合へ加盟しているが、曳行の大半を草部連合と伴にする

 ・ 馬場はH18年の新調を期に、夜間は歩行曳行へ。太井町は以前より歩行曳行

 ・ H14年、菱木白木が草部地区へ一部参加するようになる

 「草部年番」

 ・ 当年の年番担当順は、山田(H21)→太井町→原田→萬崎→馬場(H25)

 ・ 馬場(H16)→太井町→原田→萬崎(19)の輪番制にて当年の年番を担当
 ・ 当初、山田は連合には属しているが草部年番には未加入だった。

 □ H19年、山田が草部年番に加入。又、同年急遽馬場が年番を担当。
    →この年より年番担当順は、馬場(H19)→萬崎→山田→太井町→原田(23)
 □ H21年、山田が始めて年番を担当。
 □ H21年、年番順は、山→太→原→馬→萬
 □ H22年、年番順は、太→原→萬→馬→山 (萬崎と馬場入替)
 □ H23年、年番順は、原→萬→馬→山→太
 □ H24年、年番順は、萬→馬→山→太→原
 
   * 山田の草部連合参加は、
      + 試験曳き「○」 (鳳3町との交流会を含め)
      + 曳き出し「○」、土曜午前「-」、土曜午後「○」 (福泉連合曳きを含む)、土曜夜「-」
      + 日曜午前「-」、日曜午後「○」、日曜夜「○」

 * 菱木白木の草部連合参加は、
      + 試験曳き「○」 (鳳3町との交流会を含め)
      + 曳き出し「○」、土曜午前「○」、土曜午後「○」 (福泉連合曳きを含む)、土曜夜「-」
      + 日曜午前「-」、日曜午後「○」 (福泉連合曳き)、日曜夜「-」
 
 4
 「主な日程」

   <試験曳き>
     * 12:15分頃エネオスを起点に福泉連合10町曳き
        ⇒ 太井側に太井・原田・山田(年番順)。萬崎方面に萬崎、馬場、白木、菱木連合
        ⇒ 草部コース1周後、石橋スポーツへ。
        ⇒ 13時半頃、石橋スポーツにて万代方面より上、石橋、富木がライフ方面へ
        ⇒ 福泉連合10町が神社方面よりライフ方面へ
        ⇒ 14時15分頃、菱木4町の地車がライフ方面より石橋スポーツを直進
        ⇒ 白木、草部連合の地車がライフ方面→神社方面へ
        ⇒ 上、富木、石橋がライフ方面→万代方面へ
        ⇒ 草部連合、白木の地車が神社→草部方面
        ⇒ 石橋、富木、上の地車が万代方面→草部方面。15時頃内海商店前に到着

   <土曜初日>
     * 福泉曳き出し、主にエネオス折り返し
      
     * 宮入、8時20分頃〜(宮入前後は連合曳き。白木も参加、山田は自町曳行)
     
     * 午後、エネオスを起点に福泉連合10町連合曳き→白木本部→100円高速下
        ⇒ 14時40分頃、菱木北交差点にて福泉連合解散

     * 各町廻り、5町訪問

   <日曜二日目>

     * 午後、福泉連合パレード。12時50分頃、エネオスを起点に福泉連合10町連合曳き
        ⇒ 草部コース1周後、セレモニー。その後、自由曳行。16時半頃草部連合解散
 
   <福泉交流会> (仮称)
  
 ◇ 試験曳き時に13台にて行なわれる交流会

 ・ H24年より、菱木4町もライフ前集結に加わり、上・富木・石橋・太井町・馬場・萬崎
     ⇒ 原田・山田・菱木白木・菱木東・菱木南・菱木奥・太平寺の13台がライフ前に
     ⇒ 集結する

 ・ 初期参加町は、上・富木・石橋・太井町・馬場・萬崎・原田・山田・菱木白木の9台。
     ⇒ 福泉に縁ある町が集結。富木は上よりオブザーバーとして招かれている。


 □ H18年、試験曳きにて上ライフ前に富木・上・石橋・原田・山田・太井町・菱木白木・馬場の
     ⇒ 8台が並んだ交流会後、全町が草部交差点手前まで上がり揃って休憩。鳳の地車
     ⇒ が内海酒店付近まで曳行するのは数十年ぶりとなった。(萬崎は祭礼不参加)

 □ H19年、萬崎も復帰し9台にて交流会。また、交流会後の石橋スポーツでのやりまわしが
     ⇒ 追加される。草部の地車は、ライフ方面より左折。鳳3町は右折後、それぞれUターン
     ⇒ し、内海酒店方面へ。

 □ H20年、菱木5町も顔合わせ。(9町が石橋スポーツを右折した後)
     ⇒ ライフ前には乗り入れず、石橋スポーツを左折し、草部交差点方面へ。

 □ H21年、同様に開催。(菱木東は祭礼不参加)
 □ H22年、同様に開催。(菱木南は神社前にて引き換えし)
 □ H23年、鳳地区と別日程の為開催されず。菱木地区との連合曳きはあり。石スポでライフ
     ⇒ 方面には行かず草部方面へ。(菱木東はエネオスにて引き換えし)

 □ H24年、菱木4町もライフ前集結に参加。上交差手前より先頭の上、後尾の太平寺まで
     ⇒ 13台が並んだ。
     ⇒ その後、菱木4町は石スポを直進。草部5町、白木は神社方面。鳳3町は富木方面。
     ⇒ そして、草部5町、白木、鳳3町が草部交差点へ向かい、草部交差点〜内海酒店
     ⇒ にて揃って休憩。

 □ H〃年、交流会前のライフ方面へ向かう鳳3町は以前は神社方面から来ていたが、
     ⇒ 今年は富木方面から3町やりまわし

 □ 平成25年、一周目からエネオスにて菱木4町が合流。そのまま10台で周回し、2回目の
     ⇒ 石スポでライフ方面へ

 ■ 上交差手前から縦に並ぶ順は、
     ⇒ 上・富木・石橋、草部は当年の年番順、白木、東・南・奥・太平寺 <H24>
   2013/9/27 追記

5  「各町廻り」
    
 ・ 初日の午後に行われる各町訪問(本部巡り)。白木も参加。
 ・ 各町の本部を巡る際、先頭は次訪問町となり先導する。(山田、白木は仮本部を設置)
    ⇒ 白木本部→萬崎→馬場→原田→山田→太井の順。(白木は福泉連合曳き中)
 ・ 最終の太井本部(JA駐車場)にて6台が横並びとなり、各町の鳴物披露が行われる
 
6  <ENEOS(旧JOMO)曳き出し>

 ◇ 曳き出し時、エネオスにて左右より行われる福泉10町による合同曳行

 ・ 曳行順は、太井<和歌山>→白木<大阪>→原田<和>→馬場<和>→山田<和>→萬崎<大>
     ⇒ で固定。以後の、東→奥→南→太平寺の順は毎年変わる。

 ・ エネオスやりまわし後、萬崎・東・奥・南・太平寺はUターンにて再びエネオス。
     ⇒ 太井・原田・山田は自町へ、白木は周回してきてエネオス直進、馬場もエネオスまで周回し自町へ

 ・ 菱木白木が曳き出し曳行を始め、太井町も後に続いた。

 □ H15年、萬崎が曳き出しに参加。(太井町、菱木白木、萬崎の3台で曳き出し)
 □ H17年、菱木奥が曳き出しに参加。(上記の3町+山田、菱木奥の5台にて曳き出し)
     ⇒ 但し、太井町以外は周回ではなく、JOMO→Uターン→JOMO
 □ H18年、新たに馬場、南、東が新規参加。(菱木の地区はループにてUターン)
     ⇒ 以後毎年、奥、南、東は、周回ではなく、JOMO→Uターン→JOMO
 □ H19年、萬崎が復帰し、8台にて曳き出し
 □ H20年、原田が曳き出し参加。これで草部連合の地車すべてが曳き出し参加となる
 □ H22年、太平寺が曳き出し参加。これで草部・菱木連合10台すべての地車が曳き出し
     ⇒ 参加となる。
 □ H23年、萬崎が曳き出しにて草部コースを周回。(以前はJOMOをUターン)
 □ H24年、萬崎の曳き出し曳行、通年通りに戻る。
     ⇒ ENEOS交差点の垂れ幕が新調される。
     ⇒ 新調後の垂れ幕下部には10町各町の紋が配されている
     ⇒ 新垂れ幕「祝 草部連合だんじり祭 地車青年会」
     ⇒ 旧垂れ幕「巴紋 福泉だんじり祭り 地車青年会 祭友会」
  2014/7/6 追記 

   <福泉連合(草部・菱木10町連合)>

 ◆ 試験曳き、初日(土)と2日目(日)両日午後に行われる草部・菱木10町による連合曳き

 □ H元年、草部、菱木の10町連合曳きが実現。
 □ H12年、草部、菱木の10町で交流花交換が行なわれる
 □ H17年、祭礼初日に北野木材にて、草部、菱木の10台が並ぶ
 □ H18年、福泉10町青年会を結成。初日の午後より10町連合曳きが実現。
     ⇒ JOMOに10町集合し、ループまで連なって曳行。その後、菱木の町はUターン。
       草部+白木は周回コースへ。
 □ H19年、序盤は前年と同じ。その後、白木本部にて白木を先頭に、草部、菱木の
     ⇒ 両地区に分れ到着後、10台にて100円道路下を合同曳行。ジャパンを左折し
       菱木北の交差点で別れた
 □ H20年、序盤の10町パレード時、菱木の町は石橋スポーツまで周回。
     ⇒ その後、昨年と同じ100円道路下を曳行。菱木北にて別れる。
 □ H21年、従来の初日午後の9町曳きに加え、最終日午後にも9町曳きが行なわれた。
     ⇒ 東は祭礼不参加
     ・ 最終日午後の9町曳きは、JOMOにてセレモニー後、草部連合コースのみ1周回
     ⇒ して解散。
 □ H〃年、「福泉地区だんじり祭」と題したポスターを作成。宵宮の8の字10町パレード、
     ⇒ 本年より始まった本宮のパレードコース・開始時間を記載。
     ⇒ また、試験曳きの鳳の3町を含めた交流会の日程・開始時間も記載されている。
     ⇒ 制作は、地車青年会・祭友会。
 □ H26年、日曜午後の連合曳きが各町自由曳行となる。これまでは5台ずつ2班に分かれ
     ⇒ ていた。

 ■ 「福泉連合だんじり祭」ポスターの掲載町 (代表枠町) *H26年より福泉地区→福泉連合
     <H21>山田・菱木奥→<H22>太井町・菱木南→<H23>原田・菱木東
     ⇒ →<H24>萬崎・菱木白木→<H25>馬場・菱木奥→<H26>山田・菱木南
   2015/3/21 追記 
 
   「菱木神社」 (ひしき)

   祭礼2日目 <日曜> : 先頭に菱木の町、東(H24)→南→奥→白木の輪番制で宮入し
                   ⇒ 前年最後の町が翌年先頭の輪番制。
                   ⇒ 次に野々井or山田、最後に北高尾の順で計7台が宮入。

     + 神主さんは、日部神社の神主さんが兼任
     + 境内に7台の地車が横一列に並ぶ。
 
   + 現、菱木の地内は、白木・奥・東・南の4つに分かれている。
 + 天保年間<和泉国>絵図には、大鳥郡 草部村・原田村。(草部村のうちとして)石橋村・馬場村
    ⇒ ・太村・万崎村そして菱木村。(菱木村のうちとして)稲葉村が記されている。
 + 菱木村の地内には、山田と稲葉があった。
 + 大正年間の古地図には、草部のうちとしては、太(→太井)・萬崎。
    ⇒ 菱木のうちとしては、山田が記載。(1/5万)
 
 「菱木連合」

   ・ 白木、東、南、奥、太平寺の5台より成る。(太平寺は、菱木年番非加入)

 「菱木年番」

   ・ 奥(H21)→南→東→菱木白木の輪番制にて当年の年番を担当

 □ H20年、試験曳きにて草部連合コースへ乗り入れ。石橋スポーツまで周回
 □ H25年、宮出後、菱木周回で2回目の南本部通過後、100円高速下で
    ⇒ 南と東、白木と奥が並走。
 □ H27年、宮出後、菱木周回で2回目の南本部通過後、100円高速下で
    ⇒ 白木と東、奥と南が並走。
 
   <土曜初日>

 * 曳き出し後、南本部→菱木周回コース1周
 * 午前、10時過ぎ迄4町(太平寺→奥→東)にて本部廻り
 * 午後、14時40分頃菱木北交差点で福泉連合解散→福泉小学校
    ⇒ 17時まで菱木コースを4町(東、南、奥、太平寺)にて周回

 <日曜二日目>

 * 宮入、6時半〜8時頃。宮出パレード後、菱木コースを周回。(白木、東、南、奥)
 * 午後、16時過ぎまで福泉連合曳き。その後、18時迄菱木周回コース。
 
   「福泉連合への参加」

 ・ 試験曳き前半:12時半前エネオス集合後、草部コースを周回
    ⇒ 2回目の石橋スポーツを右折し、ライフ前へ。(13台が並ぶ)
    ⇒ その後、石橋スポーツ直進で帰町
 ・ 曳き出し:エネオス集合後、Uターンで帰町
 ・ 初日午後:エネオス集合後、100円高速下を曳行。(北野木材〜菱木北交差点)
 ・ 二日目午後:エネオス集合後、自由曳行
  2015/10/25 追記 
 
 <宮出しパレード>
 
 ◇ 宮入時間は早く7時前には先頭の町が宮入。宮出時、神社前にて各町セレモニー。

 ・ 菱木神社宮入順
     <H24>東→南→奥→白木⇒野々井⇒山田⇒北高尾
     <H23>南→奥→白木→東⇒野々井⇒山田⇒北高尾
     <H22>奥→白木→東→南⇒山田⇒野々井⇒北高尾

 ・ 2日目宮出後。菱木神社氏子4町+山田、野々井、北高尾の7台の地車が
    ⇒ 100円高速下を通り山田会館まで乗り入れる。
    ⇒ 山田会館前の道に、菱木4町と野々井、山田と北高尾の二手に分かれ休憩。
    ⇒ その後、菱木4町に山田が加わり菱木コースを周回する

 □ H19年までは、山田乗り入れ後、菱木町内を通って野々井まで行っていた。
 □ H20年の宮出しパレードは、野々井乗り入れは行なわれず。野々井は西浦橋にて左折。
    ⇒ それ以外の地車は例年通り山田まで乗り入れ、その後、南本部前を左折し、
    ⇒ 菱木の町、山田、北高尾を含め初めて菱木の周回コースを廻った。
 □ H27年、宮出パレードにて北高尾、野々井が菱木まで乗り入れる。
    ⇒ 南本部にて小休止後、7台にて菱木周回コースを曳行。
    ⇒ 山田は1回目の白木本部通過後帰町。野々井は2回目の南本部を右折で帰町。
  2015/10/25 追記 
 
   <多治速比売神社:大平寺> 菱木連合では大平寺のみ (日曜)

 ・ 宮入時前、大庭寺本部まで行く。その後、2町揃って太平寺会館まで行き、
    ⇒ 小代経由で宮入ルートへ

 <山田の上代乗入れ>

 ・ 初日の午前9時半頃、市境を越えて上代まで乗り入れ上代会館まで行く。
    ⇒ 上代乗り入れ前に、北高尾本部まで行き2町曳きが行われる。

 □ H19年、泉州祭礼と重なる。山田、北高尾と伴に上代町会館まで乗り入れた。
     ⇒ 乗り入れ後休憩。今度は上代町も山田まで乗り入れ、山田会館前にて3台揃って
     ⇒ 休憩。
 □H24年、泉州祭礼と重なる。山田単独で上代会館乗り入れ上代が出迎える。

 「福 泉」 (ふくいずみ・ふくせん)
  
 ・ 鶴田村と北上神村が合併し、福泉町となった
    >鶴田村 : 草部村、上村、原田村、菱木村の4ヶ村。
    >北上神村 : 大庭寺村、太平寺村、野々井村、<小代村>、<三木閉村>の五ヶ村。

 ・ 地名は学校名の他、草部に福泉郵便局・福泉公民館・JA堺市福泉支所 等の名称が残って
    ⇒ いる。


津久野
 「踞尾八幡神社」 (つくお・つくの) 別称:勝駒八幡宮
    
    祭礼2日目<土曜> : 宮入順は、下田町・西組・宮山・中組・大東・神野町の順で固定。

    + 境内社殿前に6台の地車が横一列に並ぶ。
 
   + 踞尾村(つくお・つくの)は、かつて上石津村、市村伴に合併し神石村となったが後に独立。
     ⇒ 堺市編入時に踞尾を冠した町名となるが、後に津久野(つくの)と改称。
 + 踞尾村内は、中・西・東・宮山の4つに分かれていた。
 + 天保年間<和泉国>絵図には、踞尾村・市村。(踞尾村のうちとして)神野、
     ⇒ (踞尾村・市村のうちとして)下田村が記されている。
 + 大東は、地元では<東>と呼ばれている。

 + 中組の町名旗裏、宮入用幟の片面には、踞尾村中組と刺繍されている。
 + 勝駒の意匠は、地車化粧旗では宮山の町名旗に採用している。
 + 下田町の町名旗、交差旗、幌には町意匠として、踞尾神社紋<八咫の鏡に勾玉と矢>
    ⇒ が採用されている。
 + 神野町・中組は、時間帯等により、宮入幟と町名旗の組み合わせを使用することがある。
 + 宮山は、H19年の修理により屋根廻りの飾金具が無くなる。
 + 中組の槍幟は、試験曳きや雨天時に採用。
 

  祭礼日は、毎年10月第1金土日 (宵宮・本宮・後結祭)
 
 ・ 金曜が9月最終日の場合は9/30、10/1・2

 ・ S58年、祭礼日が10月第1土日となる。以前までは10月5日に行なわれていた。

   「主な日程」 (H27年)

 <宵 宮>
 ・ 金曜午後 : 津久野駅前にて合同宵宮祭
    ⇒ 14時〜津久野中→ときはま線→駅前
 ・ 金曜夜間 : 各町夜間試験曳き(19時〜20時)

 <本 宮>
 ・ 土曜午前 : 7時前〜宮入→小学校坂→神社下→国本→新道(市之町合流)→市之町訪問
    ⇒ (代表2町)→下田G〜神社下〜新道周回→9時過ぎヨーカドーにて休憩
 ・ 土曜午後 : 駅前パレード
    ⇒ 12時半頃〜津久野中〜ときはま線〜駅前パレード〜旧ミスド〜ときはま線〜津久野中
 ・ 土曜夜間 : 18時ミニストップ集合〜村中〜19時前、津久野中〜ときはま線〜駅前周回
    ⇒ 帰町は前日と同じルート

 <後結祭>
 ・ 日曜午前 : 午前、各町曳行
 ・ 日曜午後 : 西区パレード参加
 ・ 日曜夜間 : 18時半前、津久野中〜ときはま線〜駅前周回。帰町は前日と同じルート
  2015/10/25 追記 
 
 「津久野連合地車運営委員会」

 ・ 当年の年番の輪番順は
     下田町(H20)→<市之町>→西組→宮山→中組→大東(H24)→神野町

 ・ H22年、「会長」の肩書きが「年番長」となる。
 ・ H24年、当番制を導入して6町が一巡。

 □ H14年、神石市之町が津久野連合へ参加
 □ H20年、試験曳きの曳行コース変更。
 □ H〃年、駅前へのバスの乗り入れが無くなる。駅前周回コースも変更。8の字周回曳行ルート
     ⇒ となる。ヒライシ→団地跡→ヤマタケ→保育園。
     ⇒ これによりミスド前のやりまわしや詰め合いも減ることになった。
 □ H25年、日曜午後の駅前パレードは、中組・大東が西区パレード参加にの為、5町にて行われれる。
 □ H26年、二日目午後の駅前パレードは西区パレード参加の為無くなる。
 □ H27年、ときはま線に堺市立総合医療センター開業
 
   <合同宵宮祭>

 ◇ 宵宮(金)午後より行なわれる津久野駅前合同曳行。
     ⇒ 参加町は、津久野7町・八田荘西4町の計11町。

 ・ 駅ロータリーの和歌山側に津久野7町が横並び。次にロータリーへ家原寺・平岡・八田寺・
     ⇒ 毛穴町の順で入場。献灯台周辺に八田荘西4町の地車が並ぶ。
     ⇒ 後者の並び方は年により異なる。

 ・ S62年にはすでに平岡町と家原寺町の地車が津久野駅前に乗り入れている。

 □ H18年、津久野駅前へ乗り入れる際、山川側に津久野7町の地車が集合し、大池側の八田荘の
     ⇒ 地車と伴に駅前へ向かった。やりまわしは無し。
 □ H19年、同様に津久野の地車は山川側に集まる。その後津久野地車は、山川左折→一方通行
     ⇒ の道へ右折。伊勢側沿い→沖田電気へと曳行。そして家原寺町の地車を先頭に全11台
     ⇒ が山川前を大池側からやりまわしを行なった。
     ⇒ さらに津久野駅前にての合同セレモニー後の曳行コースが変更。以前のヒライシ→ミスド
     ⇒ 帰町からミスド周回を中心にしたコースに変更。西4町は、駅ロータリー→ヤマタケ→団地跡
     ⇒ →ミスド。津久野の町はヒライシ→ミスド→保育所→やまたけ。
 □ H20年、駅前合同セレモニー後の周回コースが石津側沿いまで拡大。
     ⇒ 帰町時、八田荘の地車は1号線大池手前辺りから2台づつに分かれて並走を行なった。
 □ H21年、集合時山川前に津久野の地車が来なくなる。合同セレモニー後の周回コースも
     ⇒ 天候等の理由により短縮。並走も行なわれず。
 □ H22年、スーパー横の(プレミスト)津久野駅前プリマガーデンが建設中(建築シート)。保育所向かいは
     ⇒ 工事予定地で更地。
     ⇒ セレモニー後は、上記建築中の角より八田西4町が帰町。周回コースは行わず。
 □ H23年、(プレミスト)津久野駅前プリマガーデン完成。保育所向かいの同アルティモガーデンは建設中
     ⇒ (建築シート)。
     ⇒ 入場時、中組が保育所前で待機。八田寺と並走で入場。
     ⇒ 西4町の地車はヒライシ側から駅前へ入りロータリーへ。(毛穴のみやりまわし)
     ⇒ そして、津久野7町の向かいに西4町の地車が横並びに並んだ。
     ⇒ 駅より毛・八・平・家の順。
     ⇒ セレモニー後、西4町のの地車は保育所方面へ廻り、ヒライシ→ミスドで帰町。(雨天)
 □ H24年、入場時の並走は大東と家原寺町。(昨年より両地区の当番町が並走を行う)
     ⇒ 保育所向かいの同アルティモガーデンが完成。西4町の退場時は昨年と同じコース
 □ H25年、入場時の並走は神野町と毛穴町
 □ H26年、入場時の並走は下田町と平岡町。(八田荘4町は並走が一巡)
 □ H27年、ヒライシの規制が厳しくなる。セレモニー終了後、八田荘4町は「がちゃぴん」
     ⇒ ダイエー側からの保育所直進で「あい薬局(旧ミスド)」をやりまわしで帰町。
 □ H27年、本年の並走は西組と八田寺町の予定だったが、八田寺町が不参加の為行われず。
  2015/10/25 追記 

   「石津神社」 (いしづ)

    宮入は、土曜午前に神石市之町。日曜午前に上石津が宮入。

     + 神石市之町はH19年宮入日を変更するまでは上石津と一緒に宮入していた)
 
   「神石市之町」

 + 法被、縁隅木、夜間提灯には市之町とある

 「上石津」

 + 現在の町名では石津町であるが、町名旗・幟の町意匠・吹きチリ・法被には上石津を採用。
     地車の縁隅木には石津。タスキ等では石津町を採用している。
 + 後旗の三方正面には、神石とある。現、地車以前の法被にも神石とあった。

 「神市」 と 「神石」

 + 神石市之町の町名旗、番号持ちには「神市」とある。大鳥郡 上石津村、市村、踞尾村が合併
    ⇒ された時、かつての前者石津郷と後者2村の神野荘より一字ずつとり神石村となった。
    ⇒ 合併後は大字となり、神石村大字市が町名の由来となる。
 + 上石津の旗の三方正面にも神石とあるが、神石村時代の名残?
 
 「神石市之町」

 ・ 試験曳き、本祭を通して津久野連合へ参加
 ・ 土曜、踞尾八幡神社の宮入後、津久野の代表2町が市之町訪問の為スズキ前で出迎える。
    ⇒その後、津久野代表2町と伴に市之町内を曳行。

 □ H14年より津久野連合へ参加。
 □ H19年より宮入を土曜正午前に変更。
 □ H23年、本年より日曜の夜も駅前コースへ参加するようになる。

 「上石津」

 ・ 土曜の午前中に神石市之町との合同曳行が行なわれる。
 
 □ H14年迄の夜間提灯には「上石津」とあったが、翌年以降、「石津」となり石の右上に「上」が
    ⇒ 記されている。
 □ H18年迄は日曜に神石市之町と伴に宮入を行っていた。(境内に2台横に並ぶ)
 □ H20年より、大屋根下の房は着用していない。

 □ H15年、土曜午前、津久野の地車が踞尾八幡宮宮入時に神社下まで曳行し、市之町
    ⇒ 伴に2台並べて休憩。
    ⇒ その後、津久野の地車と合同曳行を行なった。
 □ H27年、土曜午前、津久野の地車が宮出し市之町を訪問する際、市之町と伴に
    ⇒ 上石津もスズキ前で出迎え→上石津、市之町、津久野2町の順でファミマ右折で
    ⇒ 市之町内を5町合同曳行。
    ⇒ その後、上石津はラクエン→石屋→下田G→スズキ→ファミマ右折で帰町
  2015/10/25 追記 


八田荘
1  「蜂田神社」 (はちた) 別称:鈴の宮

    祭礼2日目 <土曜> : 氏地は、八田寺町・八田北町・八田南之町・堀上町・平岡町・
                    ⇒ 家原寺町・毛穴町。そして東堀上町も宮入を行う。計8台。

     ・ 宮入順は、1番:八田寺町、2番:堀上町で毎年固定。
        ⇒ 以降は、家原寺町・東堀上・八田南之町・平岡町・毛穴町・八田北町 (H20年)

     + 毎年ほぼ同じだが年により若干変動する場合がある。
     + 殿は八田北町と毛穴町は隔年で入替るのが慣例となっている。
     + 吹きチリを採用しているのは、八田北町・堀上町・東堀上町・家原寺町。
     + 神社鳥居前の敷地に8台の地車が横一列並ぶ。

2   祭礼日は、毎年10月第1金土日 (宵宮・本宮・残宮)

 ・ 地区内が広域なので、地区内で東西4町ずつに分かれて曳行する時がある。
     東4町 : 八田北町、八田南之町、堀上町、東堀上
     西4町 : 毛穴町、八田寺町、平岡町、家原寺町

3  「2つのハンダ」

 + 八田北町 : 旧称は「北村」と呼ばれその後、八田北村となる。通称:はんだ。
 + 東八田 : 旧称は「東村」と呼ばれその後、八田村となる。

 + 本来の意味での「はんだ」は現在の八田北町、八田南之町で両町全体を指す。その八田
    ⇒ の東に位置するので東八田と名付けられた。その後、いつからか東八田に対しての
    ⇒ 「西八田」(=八田)と呼ぶようになる。
 + 西八田というのは、東八田に対しての本来の八田を指して呼ばれる(今の北町、南之町
    ⇒ 両町全体の)俗称。
 + 久世の東山は八田山とも呼ばれ、八田の東の山から東山と云われる。
 + 八田北町の行政上の読み方は、「はんだ-きたちょう」。他にも、「はった-きたちょう」、
    ⇒ 「はんだ-きたまち」、「はんだ」、「はんだきた」、「きたむら」、「きた」呼ばれている。
    ⇒ 現在の町名旗には「八田北」と記載。

4  + 郷名の蜂田(はちた)より転じて、八田(はった)となる。八田荘もこれに由来する。
 + 地域名の八田荘は、「はったしょう」と呼称する。町名では、「はんだ」。
 + 大鳥郡北村時代に、八田北村となったのは、同じ大鳥郡に北村(陶器)があった為に改名。
 + 八田南之町の旧称は、大鳥郡南村(みなむら)。S17年八田荘村が堺市編入を期に八田
    ⇒ を冠するようになる。
 + 東堀上は、新調入魂式の時のみ、野々宮神社へ宮入を行なった。
 + 現在の東堀上は、かつて南深井(みのぶかい)と呼ばれ元々は安村(あむら)の人々(現在の
    ⇒ 清水町)が堀上の地に移り住んだことに由来する。
    ⇒ それにより野々宮神社の氏子であるが八田荘との交流の関係もあり蜂田神社へ宮入
    ⇒ を行なっている。
 + 大正年間の古地図には、東堀上の地名が記載されている。(1/5万)

 + 毛穴町の地車は平成初期頃の数年宮入時に屋根下に横一列の提灯をつり宮入したことが
    ⇒ あった。
 + 毛穴町の地車は巴紋で統一。家原寺町の吹きチリには、丸に鈴紋が採用されている。
 + 家原寺町の旧称は、大鳥郡家原寺村。かつては家原村(いえばら)と呼ばれた。
    ⇒ 町内には1丁と2丁があり、祭礼の運営は会館・地車庫のある第1自治会の1丁のみ。
 
5   「八田荘祭禮年番」

 ・ H25年、年番組織改定に伴い、本年より年番幹事長が年番長となる。
    ⇒ 副幹事長は副年番へ。
    ⇒ 以前の年番長(八田荘校区自治連合会会長)は総年番長へ

 ・ 蜂田神社前に年番総本部を設置、大池山川会館前にも年番本部が置かれている
 ・ 年番幹事上役用のタスキ、浴衣がある。

 6  「主な日程」

 <試験曳き>
    * 西4町は、旧ドット→大池コース。
       ⇒ ドット時、鳳地区の北王子・長承寺・野田・大鳥に会う。
    * 午後15時頃より、神出にて八田北、堀上、南之町、東堀上、小阪、東八田
       ⇒ の6台で六町曳き。

 <金曜宵宮> * 西4町、津久野駅前合同宵宮祭

 <土曜本宮> * 午後、新道パレード 夜、大池パレード
 <日曜残宮> * 午後、大池パレード 夜、新道パレード
 
7  ・ 金曜宵宮曳行に関して、東4町では八田北町が一番曳行時間が長い。
    ⇒ 東堀上町は夜間曳行。
 ・ 祭礼二日目宮入後、全町で八田西町の老人ホームを訪問。
    ⇒ 帰り、西4町の地車は八田南・北町経由で神出を通る。(平岡以外は神出やりまわし)
    ⇒ その後、東堀上まで行って帰町
 ・ 祭礼三日目の午前中、東西4町に分かれてセレモニーを行なっている。
    ⇒ 東4町(H21年新調)、西4町それぞれに合同の垂れ幕がある。

 ・ 当初の試験曳きでは西4町の大池曳行は山川中心のUターンだったが現在は周回コースを
    ⇒ 廻っている
 □ H17年、八田北町が新調に伴い、宮入は殿を務める。(この為、2年連続の殿)
 □ H19年、宮出後全町老人ホームへの訪問を実施。(敷地内に8台に地車が集結)
 □ H〃年、八田南之町が宵宮金曜の曳行を初実施。
 □ H20年、試験曳きでも西4町がドットまで曳行。試験曳きも30分繰り上がる。
     ⇒ 途中、泉北2号線経由でドット周回。ドット終了後、山川中心に曳行となる。
 □ H21年、八田南之町が新調に伴い、宮入は殿を務める。
 □ H23年、試験曳きの西4町大池コースで、2号線を使い周回コースとなる。
     ⇒ 以前は、山川→家原寺Uターン→才木タバコ→センチュリーUの繰り返し。

8  <新道・大池パレード>
 □ H3年?より開始。H7年には両パレード日程が入替る。
    ⇒ パレード開催以前は、初日家原寺に集まっていた。
 □ H18年、新道パレード変更。各町所定場所同時出発となる。
 □ H20年、新道パレード変更。ローソン前にてセレモニー。東堀上経由のコースが追加され
    ⇒ キリン堂メインとなる。東4町のセレモニー場所が八田北町地車庫前になり4町が集合。
 □ H24年、新道パレードセレモニー場所変更。蜂田神社前にて8台集結後、各町セレモニー。
    ⇒ 堀上街道神社前に、八田寺、毛穴、平岡が縦に並び、神社前駐車場には、家原寺。
    ⇒ 堀上街道八田荘小学校前に、堀上、八田北、八田南、東堀上が縦に並ぶ
    ⇒ 中央にて各町役員、年番の方々が集まり挨拶、中区区長への花束贈呈が行われる
    ⇒ そして左右より各町セレモニー後やりまわし。
 □ H26年、新道パレードのスタート地点、セレモニー場所変更。キリン堂前になる。
    ⇒ 堀上、東堀上、八田寺、家原寺の4町がキリン堂方面より来てセレモニー。
    ⇒ 途中、キリン堂前のアクシデンドにより同前のやりまわしが禁止になる。
  2015/3/21 追記 

8  「神 出」 神出とは堀上町と宮園町の境にある神出医院のことを示す。

 ・ T字路にて左右から府営住宅方面へやりまわし。その後、Uターンで左右へやりまわしが基本。

 <神出:試験曳き六町会>

 ・ 八田北、堀上、南之町、東堀上、小阪、東八田の6台で六町会を結成。
     ⇒ 縦割り「丸<神出> 交流会 安全委員」の襷を作成
 ・ 15時頃〜16時半頃まで交流会。
     ⇒ 神出〜堀上方面(海側)〜セブイレ〜小阪郵便局〜神出の三角周回コースも使用。

 <神出:曳き出し>

 ・ 八田北町、八田南之町、堀上町、東堀上町と小阪、東八田の6台にて行われている。
     ⇒ 短時間。
 ・ やりまわし順は、八田北(山)、堀上(海)、南之町(山)、小阪、東八田、東堀上(海)
     ⇒ 府営住宅へ入った後Uターン→全町海側へやりまわし。その後、東八田はUで
     ⇒ 神出直進。
     ⇒ 小阪はUで神出の入出のやりまわし後、自町方面へ。
     ⇒ 八田荘東4町は八田北以外は帰町。


久 世
1  「野々宮神社」 (ののみや)

    祭礼初日 <土曜> : 宮入順は下記

     ・ 「北垣外・桝矢・高山」と「小阪・東八田・楢葉」の2グループに分れ隔年で先に宮入する
       ⇒ グループが入替り、更にグループ内の順番も2年に一度変わる。
     ・ グループ内の輪番制は当年最後だった町が翌年1番となる。
     ・ 小阪、楢葉、東八田、桝矢、北垣外、高山。(H20)
     ・ 桝矢、北垣外、高山、小阪、楢葉、東八田。(H21)

     + 宮入後、定位置へ。そして拝殿前へ行き、再び定位置へ
     + 境内にて吹きチリより町名旗へ。(拝殿への参拝後)


 「多治速比売神社」 (たじはやひめ)

    祭礼2日目 <日曜> : 宮入順は、荒山3町以外は固定。

     ・ 太平寺、大庭寺、<小代>・<野田尾>で固定。
     ・ 和田、平井、伏尾の荒山三町の順は輪番制(H24)。地車は5台。

     + 全町吹きチリを所有。宮入後、境内で町名旗へ付け替える。
     + 境内の並び順は、拝殿前中央に1台。その後に4台の地車が横一列に並ぶ。
        ⇒ 拝殿前の1台は輪番制。

2  + 久世は、「くぜ」と呼称する。
 + 東八田が大鳥郡東村時代に八田村となったのは同郡に東村があった為に改名。
    ⇒ S34年の堺市編入時に東八田となる。
    ⇒ 本来の八田と指して呼ばれる西八田という俗称は比較的新しい呼び名・
 + 東山を八田山と呼んだのは、八田の山ではなく、半田山が八田山と変わった。
    ⇒ 東山は久世の東の山から由来すると云われる。
 + 荒山(こうぜん)三町と呼ばれるのは、平井、伏尾、和田。

 + 東八田には、かつて菅原神社があり、後に野々宮神社へ合祀。
    ⇒ 梅鉢紋は地車に採用されている。
 + 楢葉にはかつて八坂神社があり、大屋根懸魚(H20年大修理後)には鳥居と「八坂神社」の
    ⇒ 扁額があしらわれている。地車紋は同大修理後、八重山桜紋で統一。法被には梅鉢紋。
    ⇒ 団扇等には五瓜に唐花紋も使用。
 + 高山の交差旗の紋には、八重山桜と三つ盛亀甲に剣花菱の紋がそれぞれ採用されている。
    ⇒ 後者の紋は団扇等にも使用。かつて東山にあった厳島神社の紋?
    ⇒ 野々宮神社に合祀
 
 3  「主な日程」

  <試験曳き>
     * 小阪の辻にて小阪、東八田、楢葉、平井の4町にて曳行。(序盤)
     * 15時頃より神出医院(T字路)にて、小阪、東八田と八田荘東4町との六町会曳行。
     * 桝矢と高山は夜間曳行あり

  <土曜初日>
     * 曳き出し : 神出医院にて、小阪、東八田と八田荘東4町との六町曳き出し。
     * 午前曳行 : (宮送り前)小阪の辻にて、小阪、東八田、楢葉、和田、伏尾の5町にて曳行
     * 宮送り : 9町東山交差点→北垣外町内にて平井、和田、伏尾が野々宮神社宮入町を宮送り
     * 宮入 : 10時頃宮入、12時頃宮出
     * 午後、原池公園乗り入れ : 宮出後、原池(ばらいけ)公園内へ乗り入れ
         ⇒ 宮出後、久世小→イズミヤ側の入口から入り→公園内の道を曳行→小阪公園側の
         ⇒ 入口から出て、小阪の辻→イズミヤ前→久世小前で帰町
         ⇒ 東山以外の6町は小阪の辻で6町曳き。
     * 夜、連合曳き : 久世小学校〜東山交差点間を連合曳き

  <日曜二日目>
     * 宮送り : 伏尾ロータリーにて小阪、楢葉、東八田、桝矢、北垣外、高山が多治速比売神社
         ⇒ 宮入町を宮送り。
     * 午後、連合曳き : 泉北1号線にて連合曳き。東山西交差手間にて各町セレモニー。
         ⇒ 東八田2号、4号、東山西交差をメインとした連合曳き。

4  □ H20年、連合パレード時の新コース追加。東山西交差点(本部前左折)→桝矢バス停
     ⇒ Uターン→本部左折。
 □ H21年、本部前のやりまわしが追加(?)

 □ H23年、初日午後の伏尾ロータリーでの6町曳きが無くなる。
     ⇒ 小阪、東八田、楢葉、平井、伏尾、和田の6町
 □ H23年、本年の初日午後の伏尾ロータリーは和田、伏尾の2町のみ曳行。
 □ H23年、本年の初日午後、小阪の辻を6町が通る。
     ⇒ 小阪、東八田、楢葉、平井、桝矢、高山の6町。
    ・6町が順次小阪の辻を通過後、(伏尾側から)原池公園に入園。休憩を挟み、順次
     ⇒ 小阪公園側から出園し帰町。
     ⇒ 公園内は一度に6町が入出場するのではなく数町ずつに分かれた。
 □ H23年、本年初日夜の東山交差からの連合曳きは無くなり、原池公園周回となった。
     ⇒ 正門より入園。

 □ H24年、初日午後曳行にて、原池公園へ9町乗り入れ、周回。
     ⇒ 乗り入れ後、小阪、東八田、楢葉、平井、伏尾の6町へ小阪の辻へ。その後、
     ⇒ 伏尾ロータリー
 □ H24年、初日夜の久世小学校〜東山交差点の連合曳きが復活。

 □ H26年、試験曳きにて、平井が東山交差点まで来る。(15時半〜三回やりまわしして帰町)
 □ H〃年、土曜午前中の宮送り場所変更。時子山にて荒山3町がお見送り。
    ⇒ 6台見送り後、荒山3町は東山交差点を周回し、ベルランドへ。
  2015/10/25 追記 

5  <宮送り>

 ・ 宮送りとは、久世地区の宮入は初日の野々宮神社と2日目の多治速比売神社に分かれて
     ⇒ いる為お互いの宮入を見送る行事。(場所は、北垣内バス停付近と伏尾ロータリー)
 ・ 初日宮送り前、和田・伏尾は小阪の辻(→小阪西交差)に来る。
     ⇒ 小阪、東八田、楢葉、和田、伏尾5町にて辻。
     ⇒ 9町東山交差点通過後、北垣外バス停付近にて野々宮神社宮入町の6町が揃い、
     ⇒ 伏尾、平井、和田の3町が見送る。その後、和田、伏尾は高山町内を通り、平井は
     ⇒ 北垣内町内を通る。

 <宮入コース>

 ・ 北垣外(バス停)→畑山町内(畑山南交差)→沢町内(沢郵便局)→ふみや→ハイパーアロー→
     ⇒ 丹波屋→神社の曳行ルート。宮帰り時も同じ。
     ⇒ 宮入時、6台の地車が深井の曳行コースを走る稀なコース。
 ・ 宮入の特徴として、6町が連続で宮入し、境内に地車を並べた後、昼食。
     ⇒ 昼食後、入りと同じく6町揃って宮出を行う。

 □ H24年、宮帰りに小阪が澤町と2台横並び、団扇交換を行う。(沢郵便局前)
     ⇒ 更に、北垣外が澤町と正面顔合わせ。(澤地車庫前)
     ⇒ 以前より北垣外は宮帰り時に澤と花交換を行っているが、澤の地車と合わすのは初。

 <多治速比売神社の宮入順> (後の町は拝殿向って地車後方左から)

 ・ H24年、境内並び順、拝殿前に大庭寺、後に和田、平井、伏尾、太平寺
     ⇒ 宮入順、和田、平井、伏尾
 ・ H23年、境内並び順、拝殿前に伏尾、後に大庭寺、和田、平井、太平寺
     ⇒ 宮入順、伏尾、和田、平井
 ・ H22年、境内並び順、拝殿前に平井、後に大庭寺、和田、伏尾、太平寺
     ⇒ 宮入順、平井、伏尾、和田
 
 ・ 太平寺、大庭寺が宮入の後、少し時間をおいて荒山の町が宮入
 ・ 宮入と宮出では境内までの曳行ルートが異なる。
    ⇒ 宮入時は、サイゼリア前の坂道から境内へ。宮出時は、宮山台方面から宮出。

6  <小阪の辻>

 ・ 試験曳き序盤 : 小阪、東八田、楢葉、平井の4町
 ・ 初日午前宮送り前 : 小阪、東八田、楢葉、和田、伏尾の5町
 ・ 初日昼、原池公園乗り入れ後 : 桝矢、山、北垣外
 ・ 初日午後 : 6町曳き
 ・ 二日目連合曳き後 : 和田、伏尾、楢葉

 □ 平成27年、試験曳きにて和田、伏尾が小阪の辻へ。

 <神出:試験曳き六町交流会(小阪・東八田・八田荘東4町)>

 ・ 15時頃〜16時半頃まで交流会。府営住宅から左右で出た後はUターン。

 □ H19年、小阪・東八田との日程が異なる為に出会わず。
 □ H20年、天候に伴い合同での曳行は中止。

 <神出:曳き出し(小阪・東八田・八田荘東4町> (八田荘地区8の欄にも記載)

 ・ 毎年、曳き出しで神出まで行く。府営住宅の山側は小阪と東八田の住所。
   ⇒ その際、八田荘東4町の地車と出会う。

 <神出:午後終盤(小阪・東八田・楢葉)>

 ・ 曳き出し以外にも初日、二日目の午後終盤にも神出へ来る。
   ⇒ 二日目終盤、楢葉が入出を行い、小阪の辻へ

 □ H21年、日曜最終の時間帯に小阪・東八田に加え、楢葉が初めて神出に参入。
    ⇒ 楢葉は毎年日曜最終、泉北2号線から東八田へ乗り入れ小阪の辻経由で帰町。

 <伏尾ロータリー6町曳き> (H23年以降無くなる)

 ・ 毎年初日の午後に伏尾ロータリーにて行なわれる6町曳き。(東山3町はベルランド訪問)
   
 □ H8年より和田が参加。元々小阪、楢葉、平井、東八田、伏尾は小阪の辻に集まっていた。

7  <原池 (ばら)郷>
 □ H14年、都市公園計画の一環として、各村々に分配売却。
 □ H19年、4月第一期整備事業の原池体育館が開園。第二期整備事業はH23年4月完成。
    ⇒ 公園内も地車曳行可能な道幅となっている
 □ H23年、初日午後に6町の地車が公園内に乗り入れ。(詳細は、4の記事)
    ⇒ 夜間曳行では9町が公園内に入った。
 □ H24年、初日午後曳行で9町が公園内に乗り入れ。

 + 住所は八田寺。原池郷はかつての蜂田郷のこと。現在では八田荘と久世に該当する。
    ⇒ かつての八田寺・平岡・毛穴・家原寺・堀上・北村(八田北)・南村(八田南)・平井・小阪・東村
    ⇒ (東八田)の十ヶ村にあたる。後に開拓されて伏尾・楢葉・東山が形成。和田は上神郷だった。
 + 天保年間<和泉国>絵図には、大鳥郡 家原寺村・平岡村・毛穴村・八田寺村・堀上村・北村・南村
    ⇒ の七ヶ村と大鳥郡 小阪村・東村・平井村・和田村・東山新田村・伏尾新田村・楢葉向山新田村
    ⇒ の七ヶ村がある。
 + 後に、伏尾新田は伏尾村、楢葉向山新田→楢葉新田→楢葉となる。東山新田の地内には高山と
    ⇒ 北垣外があり、その後、枡屋新田(現、桝矢)も合併され東山となる。東山新田は八田山と
    ⇒ 呼ばれた。

 「並 走」
 ◇ 2日目の宮送り時、伏尾ロータリの和田寄りにて東八田、小阪、楢葉の3台で並走。
  2013/3/3 2-3 以外追記


深 井
 「野々宮神社」 (ののみや)

    祭礼2日目 <日曜> : 宮入順は西部→東部地区の順。西部は固定、東部地区は輪番制。

     ・ 西部地区、一番:清水町、二番:中町、三番:北町、四番:中町西の順で固定
     ・ 東部地区の五番〜八番、東町→畑山町→澤町→水池町の輪番制。(H20) 
                 
     ・ 当初は東部地区は抽選だった。(H15年にはすでに輪番制)

     ・ 宮入時間は各町毎に決まっており一台ずつ宮入。(久世は宮入、宮出伴に連続)
     ・ 宮入時と宮出時に拝殿前にて前後ダッシュを行う
     ・ 境内で二手に分かれ4台ずつ地車が横並び、地車正面に垂れ幕をつるすのが慣例
     ・ 宮出時も宮入時と同じ順番で一台ずつ宮出。(昼食は各町境内にて)

 <深井連合>
     ⇒ 北町・中町・清水町・中町西・水池町・沢町・東町・畑山町の8町より成る。
     
  当年の年番長の輪番順は
     ⇒ 水池町(H20)→北町→沢町→中町西→畑山町(H24)→清水町→東町→中町の順。

 ・ 昭和63年、深井連合発足。以前は、東部連合と西部連合に分かれていた。
 ・ H17年より駅前に南海バスが乗り入れなくなる。
 ・ H19年、深井連合地車運営委員会の委員長の肩書きを、年番長に変更(?)
 ・ H27年、町会長、曳行責任者共通の浴衣を製作。(曳責のタスキは以前より共通)

 ・ 地区内が広域なので、地区内で東西4町ずつに分かれて曳行する時がある。
     ⇒ 東部4町 : 水池町、沢町、東町、畑山町
     ⇒ 西部4町 : 北町、中町、清水町、中町西
  2015/10/25 追記 

 ◇ 試験曳き:昼と夜の2回行なわれる。

 ◇ 土曜昼:西部4町パレード
     13時半頃より開始
      ⇒ 自治連合会→各自治会長→各町曳行責任者→各町団長の順で
      ⇒ セレモニー。その後、北町方面から中町、北町、中町西がやりまわし
      ⇒ ライフ方面から清水町がやりまわしを行う

 ◇ 土曜夜:連合パレード
     各町18時前にスタートし、ふみや前へ集合する
      ⇒ 基本的にスプラッシュ側に西4町。ジャパン方面に東4町が一列に並ぶ
      ⇒ 18時45分頃より、年番長の挨拶の後、連合青年団のセレモニー
      ⇒ 当年の年番長が番外一番でスプラッシュ方面から駅方面に右折する。
      ⇒ その後は、スプラッシュ方面からの山側へのやりまわしと
      ⇒ ジャパン方面から駅方面へ直進が交互に行われる

 ◇ 日曜昼:連合パレード
     13時40分頃より、ふみや前より開始
      ⇒ 基本的にスプラッシュ側に東4町。ジャパン方面に西4町が一列に並ぶ
      ⇒ 次年度の年番長が番外一番でスプラッシュ方面から駅方面に右折する。
      ⇒ その後は、スプラッシュ方面からの山側へのやりまわしと
      ⇒ ジャパン方面から駅方面へ直進が交互に行われる

 ・ 連合パレードは二回行われ、初日夜のパレードから始まるのが特徴的

 ・ 曳き出しは、中町、清水町と中町西以外は6時曳き出し。
    ⇒ 平成27年より、中町西が6時曳き出し開始。(以前は7時〜)
    ⇒ 清水町は7時半、中町は8時より曳き出し

 ・ 深井北町は曳き出し時、単独で畑山会館まで乗り入れる。(畑山、東町が地車庫で出迎え)
    ⇒ 帰りは清水町地車庫前経由。午後開始直後に紙破りをするのが慣例となっている。

 ・ 初日午前中、東4町は北町(新会館)へ乗り入れる。行きは清水町会館→郵便局経由。
    ⇒ 北町新館にて北町が出迎え→その後、ソフィア堺敷地内にて4町休憩。
 ・ 初日正午前、北垣外が澤町地車庫まで乗り入れ。(花交換、澤町地車は地車庫敷地内)
 ・ 二日目の正午、西部地区は自町に帰らない。宮出からそのままパレード体制へ。
    ⇒ 中町、北町、中町西、清水町の順で水池会館前を通る。(清水は畑山乗り入れ後)
    ⇒ 北町は水池町会館敷地内にて休憩。中町西は水池会館前にて休憩。
    ⇒ その後、清水町と合流し3台連なってパレード待機位置へ向かう。
 ・ 二日目の夜間曳行時、水池町が北町新館まで乗り入れる。

 □ 平成26年、夜間曳行時に水池町と澤町が並走
 □ 平成27年、曳き出し時、畑山町、東町、澤町が畑山交差点にて纏合わせ
    ⇒ 畑山交差点にて3台向かい合わせ→3町纏合わせ→東町、畑山、澤町の順で畑山会館
    ⇒ 方面へ→畑山会館まで行き折り返し、自町方面へ。
 □ 平成27年、曳き出し後、水池町と澤町が並走。(ジャパン前〜ふみや手前迄)
 □ 平成27年、初日午後の西部パレードのセレモニー場所変更。(以前は郵便局前)
    ⇒ 中深井の交差点にて開催。清水町はライフ方面、北町方面に中町・北町・中町西の順で
    ⇒ 並ぶ。その後、役員、各団体のセレモニーの後パレード開始。
  2015/10/25 追記 

 + かつては、北深井村・中深井村・南深井村・安村の4ヶ村が合併し、深井村となった。
    ⇒ 深井村内は、北深井・中深井・南深井(みのぶかい)・安村と後に分かれた、
    ⇒ 中新田・澤・水ヶ池より成る。
 + 天保年間<和泉国>絵図には、大鳥郡 深井村、(深井村のうちとして)中村・安村。
    ⇒ そして畑山新田村がある。後に、畑山新田は畑山と改称。
 + 大正年間の古地図には、深井(北深井)、中深井、安村、澤、水ヶ池、中新田、畑山が記されている。
 + 中新田・澤・水ヶ池・畑山を併せ四新田とも称した。

 + 安村(あむら)は現在の深井清水町。
 + 深井東町の夜間曳行時小屋根懸魚手前の提灯には中新田とある。
 + 深井水池町は、行政上では「みずいけ」と読むが「みずがいけ」とも云われる。
    ⇒ 池は「みずがいけ」と読む。
 + 深井沢町は、地車飾金具・町名旗・提灯には「沢」とあり、法被には「澤」とある。
 + 中町西は新興町。



美 福
1  「多治速比売神社」 (たじはやひめ)

    祭礼2日目 <日曜> : 大庭寺 (久世地区の欄に紹介)

 「菱木神社」 (ひしき)

    祭礼2日目 <日曜> : 野々井、北高尾 (菱木地区の欄に紹介)

 「美多弥神社」 (みたみ)

    祭礼2日目 <日曜> : 宮入順は、檜尾・大森・中山・上北の輪番制。(H20)
     
     ・ 神社敷地にに4台の地車が横一列に並ぶ
     ・ 本殿前まで各町の町名旗を持ち上がり、所定の旗差し口へ立て掛ける
     ・ 中山(H12)、上北(H17)が復活するまでは大森・檜尾の隔年交互。

2  「美福連合」  野々井、大庭寺、北高尾、大森、檜尾、中山、上北の7台より成る

    ⇒ 宮入神社も菱木神社、多治速比売神社、美多弥神社の3社に分かれる。

 「美福連合祭礼年番」

 ・ 当年の年番長の輪番順は、
    ⇒ 大森(H20)→中山→檜尾→北高尾→野々井(H24)→大庭寺→上北

    ⇒ 副年番長は、大庭寺(H22)→上北→大森(H24)→中山→檜尾→北高尾(H27)
    ⇒ 年番長と副年番長は美木多地区と福泉南地区より対で選ばれる

3  ◇ 土曜昼 : 南周回パレード(高橋交差点)
 ◇ 日曜昼 : 北周回パレード(桃山台)

 □ H18年、上北がポスターへ入り、正式に美福連合へ参入。本祭では南周回のみ参加。
 □ H19年、上北が北周回にも参加。
 □ H20年、試験曳きを全町統一。
 □ H21年、試験曳き日が各地区個別日程・時間となる。
    ⇒ 北高尾・檜尾・中山、野々井・大庭寺、上北、大森
 □ H22年、試験曳きの日程は北高尾以外は同日程(23日祝)
 □ H〃年、北周回と南周回の日程入れ替え。北周回に上神谷3町(豊田・片蔵・栂)が参加の為。
    ⇒ 北周回 連合曳き(14時〜15時)、十町曳き(15時〜16時)、16時〜美福連合フィナーレ
 □ H23年、初日の午前中、美木多4町が光明池まで曳行。連合青年団のパンフに上神谷3町が載る。
    ⇒ 北周回のパレード内の十町交流曳行時間が延長し2時間となる。
    ⇒ それに伴い連合フィナーレを無くす。
    ⇒ 北周回 連合曳き(13時半〜14時)、十町曳き(14時〜16時)、連合曳き(16時〜16時半)
 □ H24年、上北が祭礼不参加。
 □ H25年、上北祭礼復活。試験曳きが全町同一日になる。
 □ H26年、北周回パレードに上神谷地区から片蔵のみ参加。計8台にて連合曳き
 □ H27年、今年の試験曳きは、大森・北高尾が9/20。檜尾・中山・上北と大庭寺・野々井は9/22(祝)
  2014/9/22 追記 

4  + 美福連合の「美福」は、美木多地区の「美」、福泉南地区の「福」より一字ずつとった。
 + 檜尾は、行政上では「桧尾」と表記されるが地車では「檜尾」を称する。
 + 中山は、檜尾のうちの一つ。
 + 上北は美木多上のうちの一つ。美木多上はかつて、大鳥郡 上村と称した。
 + 北高尾は新興町。
 
 + 檜尾の町名旗や町紋として使われている菊水紋は地元縁の楠木正成公より由来する。
 + 大庭寺にはかつて弁天社があり琵琶をあしらったデザインを団扇に使用している。

5  <光明池パレード>

 □ H23年より?、檜尾、中山、上北、大森の4町にて光明池ロータリー周辺をパレード。
 □ H24年、上北が祭礼不参加の為、3町にてパレード。
 
6  <多治速比売神社:大庭寺> 美福連合では大庭寺のみ

 ・ H24年の宮入順は、太平寺、大庭寺、和田、平井、伏尾。(大庭寺の下地車化により全台下地車化)
    ⇒ 境内並び順は境内前に1台で大庭寺。
    ⇒ 後に4台横並びで地車後方左から、和田、平井、伏尾、太平寺

 ・ 宮入と宮出では境内までの曳行ルートが異なる。
    ⇒ 宮入時は、サイゼリア前の坂道から境内へ。宮出時は、宮山台方面から宮出。
 ・ 宮入前、太平寺と伴に小代経由で宮入。その際、太平寺の会館まで行く。
 ・ 宮出時は、豊田会館まで行き三木閉経由で帰町するのが慣例。 

7  <大庭寺にて菱木地区乗り入れ>

 ・ 大庭寺町内に、菱木地区の地車(菱木奥・菱木東・太平寺)が乗り入れる。これは福泉町時代の名残。
    ⇒ また豊田との地理的な関係もあり上神谷との関わりも深い。

 □ H23年、これまで別々の時間帯に菱木の町が単独で大庭寺へ乗り入れていた。
    ⇒ 本年(初日)初めて大庭寺・菱木奥・菱木東の3町で顔合わせを行った。(太平寺とは2日目午前)
 □ H24年、菱木地区の大庭寺乗り入れ無し

 <大庭寺にて豊田との交流>         
       
 ・ 毎年土曜夕方に豊田が大庭寺まで乗り入れるのが慣例となっていた。
    ⇒ 大庭寺と豊田の交流はS62年の豊田の地車復活がきっかけ。

 <大庭寺にて美福・上神谷交流会>

 □ H19年、片蔵が大庭寺交流会に初参加。大庭寺を含め3台にて行なわれる。
 □ H20年、野々井・檜尾・中山が大庭寺交流会に初参加。大庭寺を含め6台にて開催。(壇上セレモニー有)
 □ H21年、栂が初参加。当年は、野々井・檜尾・大庭寺・豊田・片蔵・栂の6台にて開催。(〃)
 □ H22年、大庭寺乗り入れは豊田のみ。2町での交流会はH18年以来。
 □ H23年、従来の土曜夕方の豊田乗り入れは無くなる。(上神谷の連合曳き時間延長の為)
     ⇒ その代わり、同日夜間曳行にて豊田が乗り入れる。
 □ H25年、土曜曳き出し終盤に片蔵が大庭寺本部乗り入れ。同日夜に栂が大庭寺本部乗り入れ。


8  <北周回パレード> 桃山台周辺にて行われる連合曳き

 ・ 当初、祭礼初日の土曜に6台にて行われていた。

 □ H19年より、上北が参加し7台にて行われる
 □ H22年より祭礼二日目の午後に行われる様になる。上神谷地区より、豊田・片蔵・栂の3町が参加し
    ⇒ 「十町交流会」が開始される。(大庭寺にての交流会が切欠)
    ⇒ 北周回 連合曳き(14時〜15時)、十町曳き(15時〜16時)、16時〜美福連合フィナーレ
 □ H23年、北周回のパレード内の十町交流曳行時間が延長し、2時間となる。
    ⇒ それに伴い連合フィナーレが無くなる。
    ⇒ 北周回 連合曳き(13時半〜14時)、十町曳き(14時〜16時)、連合曳き(16時〜16時半)
 □ H25年、上神谷3町との交流会が無くなる。
 □ H26年、片蔵のみ参加、8台にて行われる。
 □ H27年、上神谷地区より5町全町が参加し、「南堺連合」を結成。12台による連合曳きが行われる。
  2015/10/25 追記 


上神谷
 「上神谷地区」

 ・ 豊田、栂、片蔵、泉田中、釜室の5町より成る。

 「上神谷祭礼年番」

 ・ 当年の年番担当順は、泉田中(H20)→釜室→栂→豊田→片蔵(H24)

 ・ 年番法被には菊紋と5町の結束を梅鉢紋に模っている(?)

 「櫻井神社」 (さくらい) 

    祭礼2日目 <日曜> : 宮入順は、一番:片蔵で固定。釜室・栂・豊田・泉田中の4町は抽選。

     ・ 境内に4台の地車が横一列に並ぶ。
     ・ 片蔵は宮入後、境内を出て最後に再び境内へ入る

 <5町連合曳き>
 
 「近年」

 ・ NTT曳き出し時に美福連合の一部の町が参加する。(H26-27)

 ・ H27年、連合曳きは下記

    * 試験曳き 13:00-16:00
    * 曳き出し 6:45-8:45 美福より3町参加。(檜尾、大庭寺、野々井)
       ⇒ この時は、タイヤセレクト側までコース拡大。上り下り通行止め
    * 初日午後 13:00-17:00 14時より釜室、泉田中が合流
    * 二日目午後 14:00-16:00 桃山台にて美福との12町連合曳き。(南堺連合)

 「過去」

 ・ 試験曳きの夜、片蔵・豊田は短時間ではあるがNTT周回2町曳き。泉田中も夜間曳行あり。
 ・ 宵宮曳き出しは、4町にてNTT周回曳行。その後、片蔵交差点にて釜室と合流し、5町にて
    ⇒ 釜室まで上がる。
 ・ 5町にての連合曳きは、土曜昼と日曜夜にNTT周回曳行。
 ・ 5町による連合曳きは、試験曳きと宵宮土曜午後の2回。(H26)
 ・ 曳き出しは序盤、豊田・片蔵・栂の3台にて行われ、後半に釜室・泉田中が合流し、
    ⇒ 5町で豊田会館まで乗り入れる。

 □ H18年迄、土曜の連合曳き後は、5町揃って豊田会館前へ。その後、豊田は大庭寺へ。
    ⇒ 他町は栂乗り入れ?
 □ H19年、上記時刻に片蔵が大庭寺乗り入れ初参加。3町は栂乗り入れ。

 □ H20年まで上神谷地区は曳き出し後、釜室が片蔵交差点まで釜室乗り入れの為に出迎え
    ⇒ に来ていた。
 □ H21年、試験曳き時に釜室もNTTまで降り、初めて5町にて試験曳きが行われる。
    ⇒ それまでは、釜室は自町曳行。4町は、片蔵交差点にて集まっていた。
 □ H21年、栂が大庭寺乗り入れへ初参加。この為、栂乗り入れが曳き出し後となり4町
    ⇒ 曳き出し後、釜室が豊田会館まで降りてくるようになる。
    ⇒ その後、5町揃って栂→釜室乗り入れとなった。
   ・ 以前までは、4町曳き出し後、釜室は片蔵交差点まで出迎え、その後釜室まで
    ⇒ 5町にて上がっていた
 □ H23年、初日午後の連合曳きが30分延長。(14時〜16時半)
 □ H〃年、2日目夜の連合曳きが無くなり、上神谷運送前にての結集会へ変更。
 □ H24年、試験曳き中止。(十月第一日曜、台風の為)
 □ H25年、土曜午後の連合曳きは、豊田側にて開催。昨年、試験的に新コースを曳行した
    ⇒ 町がある。サンクス〜タイヤセレクト間を主とした曳行コース。
 □ H26年、本年日曜午後の連合曳きが無くなる。
 
    <他地区の町との交流:初日、NTT曳き出し>

 □ H20年、大庭寺が曳き出し時に初めて片蔵交差点まで乗り入れる。
 □ H21年、曳き出し時に、野々井と合流し2台で豊田会館まで曳行。その際、豊田会館前
    ⇒ にて上神谷5町と大庭寺・野々井の7台が揃った。野々井は初の豊田乗り入れ。
    ⇒ 当年は、大庭寺の片蔵乗り入れは無く、豊田会館にてUターン後帰町。
 □ H22、23年、大庭寺の曳き出し時の豊田乗り入れは無し。
 □ H24年、曳き出しにて大庭寺、野々井の2町がNTT周回へ参加。(豊田会館経由)
    ⇒ 豊田会館に豊田・大庭寺・野々井が集合後、NTTへ。
    ⇒ 7時〜豊田南交差より豊田・大庭寺・野々井・片蔵・栂の順で5町にてNTT曳き出し
    ⇒ 周回スタート。
    ⇒ 7時45分、片蔵・栂・豊田の後に釜室・泉田中がつちや食堂を通過。
    ⇒ その後、大庭寺・野々井も続き7町にて豊田会館へ。
 □ H25年、曳き出しNTT周回は大庭寺のみ参加。(片蔵・豊田・栂・大庭寺の4町)
    ⇒ 終盤、釜室と泉田中が合流。6町揃って豊田会館前へ。会館にて休憩後、片蔵は
    ⇒ 大庭寺乗り入れ
 □ H26年、曳き出しNTT周回へ、檜尾・中山が初参加。野々井は2年ぶりの復帰。檜尾は
    ⇒ 桃山台の区役所を経由して泉北1号線へ。檜尾・中山は一度豊田方面へ向かい、
    ⇒ 大庭寺・野々井と合流。
    ⇒ 7時より七台にてNTT周回。後半に釜室・泉田中が合流。この後、上神谷地区は
    ⇒ 豊田会館横の敷地内で5町揃って休憩。大庭寺・野々井も豊田会館前の道で休憩後
    ⇒ 2町揃って帰町。
 □ H27年、本年も曳き出しは美福有志の町との連合曳きあり。
    ⇒ 上神谷5町と美福連合より3台(檜尾・大庭寺・野々井)が参加。
    ⇒ 本年はコースがタイヤセレクト側まで拡大。高架下上下線を通行止めして連合曳き。
    ⇒ 7時より美福3町が合流、次いで釜室・泉田中も合流して8台にて連合曳き。
    ⇒ 8時45分には連合曳き終了。上神谷5町が豊田会館敷地内、美福3町も同会館前
    ⇒ に並び休憩。その後、檜尾はNTT方面より帰町
 □ H〃年、本年二日目午後は桃山台の北周回にて12台による「南堺連合」曳きが行われた。
  2015/10/25 追記


 

町村制施行により、各村々を合併。一村を設け、合併された各村々は大字となる。
○○村大字○○。以前は、○○郡○○村。それ以前は○○郷○○村。



地 区 大鳥郡 ⇒ 大鳥郡と泉郡が合併 ⇒ 泉北郡


 「鳳村」
   長承寺村、野代村、北王子村、大鳥村の四ヶ村が合併⇒<大鳥郡>鳳村⇒<泉北郡>鳳村⇒<泉北郡>鳳町
     ⇒堺市編入
 「濱寺村」
   下村、下石津村、船尾村の三ヶ村が合併⇒<大鳥郡>濱寺村⇒<泉北郡>濱寺村⇒<泉北郡>濱寺町
     ⇒堺市編入
 「取石村」
   富木村、土生村、新家村、大園村、綾井村の五ヶ村が合併⇒<大鳥郡>取石村⇒<泉北郡>取石村
     ⇒高石町へ編入


草部・菱木  「鶴田村」
   草部村、上村、菱木村、原田村の四ヶ村が合併⇒<大鳥郡>鶴田村⇒<泉北郡>鶴田村
    →鶴田村と北上神村が合併⇒<泉北郡>福泉町⇒堺市編入


津久野  「踞尾村」
   一時、神石村となり合併したが後に分立。<大鳥郡>踞尾村⇒<泉北郡>踞尾村⇒堺市編入
 「神石村」
   上石津村、市村、踞尾村の三ヶ村が合併⇒<大鳥郡>神石村⇒<泉北郡>神石村⇒堺市編入


八田荘  「八田荘村」
  <大鳥郡>八田北村、堀上村、南村、八田寺村、毛穴村、家原寺村、平岡村の七ヶ村が合併
    ⇒<大鳥郡>八田荘村⇒<泉北郡>八田荘村⇒堺市編入


久 世  「久世村」
  <大鳥郡>小坂村、伏尾村、和田村、八田村、平井村、楢葉新田村、東山新田村の七ヶ村が合併
    ⇒<大鳥郡>久世村⇒<泉北郡>久世村⇒<泉北郡>泉ヶ丘町⇒堺市編入


深 井  「深井村」
  <大鳥郡>深井村、畑山新田、土塔新田の三ヶ村が合併⇒<大鳥郡>深井村⇒<泉北郡>深井村⇒堺市編入


美 福  「北上神村」 
  <大鳥郡>大庭寺村、太平寺村、野々井村、(小代村)、(三木閉村)の五ヶ村が合併⇒<大鳥郡>北上神村
    ⇒<泉北郡>北上神村→北上神村と鶴田村が合併⇒<泉北郡>福泉町⇒堺市編入
 「美木多村」
  <大鳥郡>上村、檜尾村、大森村、(別所村)の四ヶ村が合併⇒<大鳥郡>美木多村⇒<泉北郡>美木多村
    →福泉町へ編入⇒<泉北郡>福泉町⇒堺市編入


上神谷  「上神谷村」
  <大鳥郡>片蔵村、豊田村、栂村、田中村の四ヶ村が合併⇒<大鳥郡>中上神村
  <大鳥郡>釜室村、(富蔵村)、(畑村)、(逆瀬川村)、(鉢ヶ峰寺村)の5ヶ村が合併⇒<大鳥郡>南上神村
   →中上神村と南上神村が合併⇒<大鳥郡>上神谷村⇒<泉北郡>上神谷村⇒<泉北郡>泉ヶ丘町⇒堺市編入


* 泉ヶ丘町は、久世村、上神谷村、西陶器村、東陶器村が合併
 

2009/10/25 開設