王都シリーズV
王都家出人調書

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(これまでのあらすじも分かるようになっています)

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T 元魔術師


 目の前に置かれた書類の束を、ストリアス=ハーミスはこれと言った感動もなく眺めやった。
「それではこちらをお願い致します」
 置いた側も淡々とそれだけ告げると、彼の後ろにある自分の机に戻って別の仕事を始めてしまう。本音としてはあまり関わり合いになりたくないらしい。無理もない、それ以上の感想を持たずにストリアスは与えられた仕事に取りかかった。
 内容としてはさして難しくもない、書類の整理である。それが必要だというよりも、彼が遊んでいる時間を作らないために仕事をよこしたのだろう。本来ここの事務は、仕事を与えた人が一人でこなせるはずなのだから。実際これまでそうして来て、別段不都合もなかったらしい。
 彼はそれに忸怩たるものを感じても、あるいは屈辱感に震えてもいなかった。そんな真っ当な感性は現在摩滅している。ただ、単純な作業に埋没することが心地良い。
 その仕事がさして片付かぬ内に、後ろの机にかけていた人物は再び立ち上がった。
「少々買い物をして参りますので、店番をお願い致します」
 やや低いが響きの良い声で、言葉使いも非情に丁寧だが、特段の感情は篭もっていない。美貌は時として冷たい印象を与える、それをはっきりと感じさせる女性。それが今の彼の上司、エレーナ=ラーズブルフだった。
「分かりました。お気をつけて」
 使い走りならもちろんストリアスにもできる。それでもエレーナが彼に頼まなかったのは、彼女なりの合理的な判断があるに違いない。だからわざわざ、ストリアスは自分が行こうかなどと無駄な事は言わなかった。
 エレーナのすらりとした後姿が消える。男性とほとんど代わらない服装なのだが、造形的には中々に美しい。しかし生憎と、それを見ていたただ一人の人物は一向に感銘を受けなかった。女性を相手にするより書類を片付ける方が余程楽だ。
 何も考えずに仕事を続ける。時折頬を撫でる風が心地良い。ストリアスの席は入口にほど近い受付で、一見の客が入って来やすいようその入口は開け放たれたままなのだ。しかしそのため、下を向いて作業をしていた彼が来客に気づくまでに多少時間がかかってしまった。その人物が彼の真正面に立った事によって手元が暗くなり、ようやく顔を上げたのである。
「あ、いらっしゃいませ」
 こうなる前に一声かけてくれれば良かったのにと思いつつも、ストリアスは最大限丁寧に挨拶した。どう考えても自分が悪い。それに彼がどう頑張った所で、接客態度はどうしようもなくぎこちないのだ。そもそも接客以前に対人関係の経験が少ない。
 深く頭を下げて、そして顔を上げたストリアスが見たのは一人の少女だった。神官の身分を示す白い服に、深い色の長い髪がかかっている。くっきりとした顔立ちは、「美しい」とも「可愛らしい」とも見えるものだったが、ストリアスはとりあえずこの場を何とかする方法しか考えていなかった。
「大変失礼を致しました。それでは…」
「…………!」
 取り繕おうとする彼を、神官の少女は何の挨拶もないまま凝視していた。それを守るのも神の教えの内であるから、神官は概して礼儀正しい。これは相当な異常事態だ。しかしストリアスには、少女の顔に見覚えさえもなかった。
「あ、あのう、なにか御無礼を致しましたでしょうか」
 そもそもそんな暇さえなかったのだが、とりあえず謝る態勢に入る。それでもしばらく無反応を保った末、少女はようやく、小さく首を振った。
「それならば良いのですが…あ、とりあえずそちらにおかけ下さい」
 良く分からないいきさつの結果、客であるはずの彼女は今まで棒立ちである。こくりと素直にうなずいて、少女は緩やかに勧められた客用椅子に腰掛けた。とりあえず、一時の驚愕からは解放されているらしい。
「御用向きのほどをお聞かせ下さい」
 今の所はエレーナに教えられた通りの対応をするしか方法がないように思う。神官の少女もまるで何事もなかったかのような顔で、懐から一通の書状を取り出した。表には「ファルラスへ」とだけ記されている。ファルラス=ミスト。人材派遣業「茜商会」店主。その名をストリアスは当然に記憶していた。何しろこの店が、「茜商会」なのである。しかし今、彼は不在だ。
「申し訳ございません。主はただ今留守にしております。帰って参りますのは数日後になるかと」
 妻子を連れて別荘で休養中である。いい身分だが、それは客に対して言う必要のないことだ。不在と聞いて、少女の顔がにわかに曇る。
「ええと、よろしければ私共店員がご用件を受けたまわりますが、拝見してよろしいでしょうか」
 そのための店番である。しかし彼女は、先程よりもやや大きく首を振った。本人にだけ渡すようにと、そう差出人から指示されているのだろう。相手の名前を呼び捨てにするような宛名の書き方からして、私信が含まれている可能性が高い。別にある自宅ではなく店にやってきたことを考えれば、仕事に関係する内容もあるのだろうが。
「それでしたらひとまずお預かりして、確かに主にお渡し致します」
 最も無難な選択をしたつもりだが、少女の顔にははっきりとした困惑の表情が浮かんでいた。
「お急ぎですか」
 確かめると、その顔のままこくんとうなずく。ストリアスとしても困ってしまった。手紙の内容は見せられない、しかし用がある、では話にならない。それでも追い帰せないのが客商売である。
「それでは…ですね。もしこのお手紙の内容を御存知でしたら、差支えない部分だけお話しいただけますでしょうか」
 そうは言うものの、ストリアスには内心不安があった。相手は今まで一切口を開いていない。もしかしたら口がきけないのではないかと思ってしまう。そうだとしたら、自分の発言が相手を傷つけるかもしれない。
 目を伏せて考えてから、少女はまた大きくうなずいた。
「人を探して欲しいのです」
 ごくあっさり、彼女は口を開いた。むしろ良く響く声で、言葉にもよどみはない。単に無口な性格であるらしかった。
 以後、彼女の説明でストリアスは事情を理解した。彼女は無償で貧しい病人や身寄りのない老人の世話をする施療院に務める神官で、母親が行方不明となったために行き場のなくなった子供を預かっている。施療院でその子をそのまま育てて行く事もできるが、今の所彼は誰にも心を開こうとしない。神官達はそれを解きほぐす努力を継続しているが、同時に母親を探し出しておいた方が良いのではないかと思われる。しかし神官達も普段から忙しい身だ。そこで茜商会に捜索を依頼することとなった。
 以上がストリアスの聞いた内容である。もっとも相手の無口さは相変わらずで、必要最小限の事しか話そうとしない。ストリアスが周囲の事情を想像しながら、何度か水を向けなければならなかった。ただ、口を開く限りにおいて彼女の発言は非常に的確だったので、どうにか会話が成立した次第である。
「お話は受け賜りました。暫くしたら番頭が帰って参りますので…」
 少女には一度引き取ってもらってエレーナの帰りを待とうと、話を聞き終えたストリアスはそう考えていた。少女は少し急いでいるようだが、しかしただの店番である自分の独断で仕事を引き受ける訳にもいかない。
 そう伝えようとしたその時、しかし当のエレーナが戻って来た。それほど時間のかかる用事でもなかったらしい。
「ただ今戻りました。そちらは…」
「お帰りなさい。丁度良い所へ」
 店員同士の挨拶の間に、客は相変わらず無言のままエレーナの方へと振りかえった。その顔を認めたエレーナは、いつにも増して丁寧に一礼する。
「これは、ようこそいらっしゃいました。先だっては大変お世話になりました」
 応じて立ち上がった少女は深々と頭を下げた。エレーナは彼女に椅子を勧めてから、机の奥側へと移動する。
「わざわざのお越しとは、何か…」
 少女は直接には答えず、ストリアスを見やった。どうやら彼が説明することを望んでいるらしい。仕方なく、ストリアスは聞いた通りをエレーナに説明した。
「最善を尽くすことをお約束致します。所で、神に仕える方にこのような事をお聞きするのは心苦しいのですが、わたくしどもも商いでございますので…」
 聞き終えるなり、エレーナは一つの核心に入った。予算である。人探しの場合、目標を運良く簡単に発見できる場合もあるし、どう頑張っても成果の出ない場合もある。例えば建築作業などの場合と異なり、時間と金銭をこれだけかければ確かに結果が出る…と保障をすることができないのだ。
 だから逆に、客の都合を聞いてその範囲で仕事をすることになる。予算が大きければそれだけ使える人間も多くなるし、成果が得られる可能性も高い。逆に小さければ、その中でそれなりに最善を尽すしかない。
 再び、少女の顔が曇った。エレーナも敢えて、返答を促そうとはしない。彼女が所属する施療院の事情を承知しているためだ。施療院はこの店の主であるファルラスから多額の寄付を受けており、それでようやく活動を維持している。人を雇う余裕などない。少女の視線が、脇に避けられていた書状の方へと泳いだ。
「恐らく主人がそれを拝見しましたならば、何もいただかなくとも快くお引き受けしたかと存じます。しかし申し訳ございませんが、わたくしの一存では…」
 毅然としていることの多いエレーナも済まなさそうにする。有償で依頼を受けるのなら、それは当然留守を任されている彼女の権限の内だ。しかし無償でとなるとそれを超えてしまう。いかに善意からであっても、表現を悪くすれば背任行為だ。この際エレーナにできることも、ストリアスとさして変わりはしない。
「速やかに主人に届くよう手配を致します。返事が来次第御連絡致しますので、今日の所はお仕事にお戻りになられてはいかがでしょう」
 少女は小さくうなずいたが、すぐには席を立とうとせず、懐から何かを取り出した。小さな革の財布、私物だろう。
 自腹を切ってでも探させる気だ。あくまで商売と割り切るのなら、金を受け取ってその額に見合った仕事をすればいい。しかしそれではどうにも後味が悪い。施療院がぎりぎりに近い経営をしている以上、そこに務める神官も豊かであるはずがない。恐らくなけなしの蓄えを払わせる事になる。かと言ってそこまでの申し出を無下に拒絶もできない。
 ストリアスはエレーナの整った横顔を眺めやった。財布を見下ろしたまま、仮面のように表情がない。果たしてこの人はこの場をどう処理するのか。できれば丸く収まって欲しい所だが、しかし彼自身には切りぬける方法など全く思いつかなかった。
 そして、そのエレーナと目が合ってしまった。結局彼女も、内心途方に暮れていたのだ。そうでなければわざわざストリアスの方など見はすまい。いたたまれなくなった彼は、とっさに頭に浮かんだ事を良く考えもしないまま口に出してしまった。
「でしたら僕がお手伝いするという事にできませんか」
 女性二人の視線が集中する。それは両方とも、素直に感謝しているとはとても思えないものだった。ただし敵意や軽蔑のそれとも違う。まずあったのは驚き、それがやがて彼自身の価値を検討するようなものに変わる。とりあえず居心地の良い環境でないことだけは確かだ。
「お客様がそれで良いとお考えでしたら、わたくしに異存はございません」
 エレーナは判断保留。そして客に向き直った。
「こちら、ストリアス=ハーミスの履歴についてはお客様もある程度御存知でしょう。あの事件の後から当商会で働いております。ただ事務が専門ですから、ご依頼の件に関して本職の調査員ほどの能力はご期待なさらないで下さい。それでもよろしいのでしたら、こちらとしても無償で結構でございます」
 そして、沈黙。少女はひたすらストリアスを見据え続ける。忍耐力にも優れているエレーナが、やがてたまりかねて助け舟を出そうとした。
「お気に召さなければ御遠慮なく…」
「よろしくお願いします」
 少女が頭を下げる。これで話は決まった。明敏なはずのエレーナがそうと気づくまでに、やや間があった。
「かしこまりました。それではひとまず主と連絡が取れますまで、こちらをお使いくださいませ。本来なら契約条件についてわたくしからお話をさせていただくのですが、今回は事情が違います。細かいことについてはお二人でお決めになって下さい」
 ストリアスはうなずいてから少女に話しかけようとする。しかしその前に、彼女は立ち上がってしまっていた。そしてあっけに取られているストリアスの袖口をつかむ。注意を喚起するような感触ではなく、このまま行けば引きずられかねない勢いだ。
「ええと…ああ、とりあえず施療院に行きますか。お話はその道すがら」
 徹底的に無口な相手の意図を、ストリアスは何とか汲み取った。目が「来い」と言っている、ような気がしたのだ。対人関係についてそれほど器用でもないのだが、直感力は良い。的中したらしく、少女はこくりとうなずいた上、再度袖を引っ張って彼を促す。
「分かりました。仕度をしてまいりますので、もう少しだけこちらでお待ちいただけますでしょうか」
 元々店先にいたのだから、見苦しい格好はしていない。外出用にもう一枚羽織って来る程度である。相手がもう一度うなずいてから戻ってくるまで、ほとんど時間をかけなかった。
「それでは行って参ります」
「お気をつけて」
 少女に連れられて店を出る青年の背中を、エレーナは彼女にしては珍しく感心しながら見送った。良く意志の疎通が取れたものだと、そう感じずにいられなかったのだ。

 話は歩きながら、との算段であったが、店を出た後も少女は自分から話そうとしない。初対面からさして時間も経っていないが、もうすっかり諦めているストリアスは自分のペースで話をすることにした。彼自身本来あまり喋るほうではないのだが、彼女が相手では仕方がない。
「申し遅れました。僕は…いえ、私はストリアス=ハーミスと申します。お客様のお名前をお聞かせ願えますでしょうか」
 少女は少し目を見開いて、それから頭を下げた。今まで名乗らなかった非礼を詫びているらしい。名乗ろうとしなかったのはストリアスも同様だが、しかしどうやら彼女は彼のことを知っているらしいので省いても良いと思っていた。今一応名乗ったのは、礼儀を守っているだけである。
「ティア=エルンです」
「よろしくお願い致します。所で一つ、お聞きしたいことがあるのですがよろしいでしょうか。ご依頼の件と関係のないことなので申し訳ないのですが」
 ティアは例によって、肯定の意志をうなずくことで示した。
「以前どちらかでお会いしましたでしょうか。私の顔をご覧になったとき、ずいぶん驚ろかれていたようですが」
 少女神官はストリアスの目を見据えた。深い緑の瞳は、大きな奥行きを感じさせる。
「アナクレア神殿で」
 短い返答。しかしそれはストリアスを絶句させるのに十分なものだった。
 アナクレアとは、この王都にある新興の神殿の名である。先日そこで挙げられようとしていた結婚式に魔術師が乱入、花嫁を強奪しようとして神殿を破壊するという大事件によって一躍有名になった。
 ストリアスももちろん知っている。何しろ誰あろうその魔術師こそが、ストリアス=ハーミスなのである。幸い死者や重傷者が出なかったことで処刑などはまぬがれたが、栄誉ある王立魔術研鑚所の所員としての資格を無期限で停止され、今に至っている。
「それは…御迷惑をおかけしました。申し訳ありません」
 謝ってどうなるものでもないが、しかし謝るしかないと思う。確かに自分は、非難されるべきことをしたのだ。ただ、その時は他人の非難よりもはるかに価値のあるものがあると、そう信じて疑っていなかった。
「お気になさらず」
 ティアはそれだけしか言わない。しかし少なくとも彼女自身は、実際に気にしていないようだった。表情が変わっていない。
「恐れ入ります」
「魔術で探すことは、できますか」
 そして唐突に聞いてくる。しかしストリアスにはある程度、彼女の思考経路が理解できた。彼が魔術師である事を前提とした上で、そう聞いているのだ。
「申し訳ありません。今の私は、魔術が使えないのです」
 自分でも分からない理由で苦笑しながら、ストリアスは告げた。ティアはうなずいたが、彼女の理解は真相からややずれているような気がした。
「倫理的な問題はともかくとして、現実的にはその力がありさえすれば資格の有無に関わらず魔術は使えます。確かに今、私は停職処分を受けていますが、それが理由ではありません」
 小さく首を振って説明する。わずかに不思議そうにする彼女に、ストリアスは答えた。
「そもそも私は、魔力そのものを失っているのです。魔術の力の源は何よりも強い意志、自分の命さえどうでもいいと感じている人間に、そんなものありはしないんですよ」
 事件を起こした時には、自分の命など惜しくないと覚悟していた。官憲に追いまわされる身となってもその決意を変えはしなかった。もし力の及ばないまま生き長らえるようなことがあれば、自殺するつもりだった。
 しかし奪還しようとした際に待ち受けていた敵に重傷を負わされ、意識を失ってしまった。気がつくとすぐ、既に式を終えた新郎新婦は新婚旅行先に落ち着いている、と聞かされた。その時、色々なものが彼の中で壊れてしまった。あるいはもうすでに壊れているにも関わらず自分では目をつぶっていたものに、気づかされたのかもしれない。
 不意に温かく、柔らかな感触が彼の手を包み込んだ。少し驚いてそれを見る。それは神官衣の白い袖から伸びる、ティアの手だった。痩せぎみで骨ばって見える彼の手に比べ、彼女の手は細いがあくまで滑らかだ。しかしそうしてつかむ力が、思いのほか強い。
 そしてティアは黙ったまま、だだ真剣な目で訴えている。ストリアスは何となく、苦笑ではない笑みを誘われた。
「自殺するつもりはありません。わざわざ労力を費やして死ぬのも面倒としか思わない、自分の命がどうでもいいとはそういう心境です」
 小さくうなずいて、少女の手が離れた。その温もりが、少し残る。
「申し訳ありません、下らない話をしてしまって。もし私の魔術師としての力を当てになさっていたのでしたら、このお話はなかったことにしていただいても構いませんよ。私は気になりませんから」
 実際わざわざ意味のない事を言ったものだと思う。別に魔術が使えないことさえ理解されたのなら、その理由を誤解されていてもそれは大した問題ではないはずだ。どうでもいいなどと言いつつ、細かい事にこだわる自分が馬鹿らしかった。
 少女は小さく首を振って、その必要がない事を示す。どうせただで使えるのだから、頭数はあった方が良いのだろうと納得して、ストリアスは大人しくティアについて行った。


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